引き続き、秦鼎『世説箋本』を「山の学校」の授業で読んで印象に残っている箇所をメモしておきます。『世説新語』文学篇の冒頭、鄭玄が師匠の馬融の学塾を去る時に、嫉妬されて追われて殺されかけたという話です。
(1)鄭玄在馬融門下,三年不得相見,高足弟子傳授而已。嘗算渾天不合,諸弟子莫能解。或言玄能者,融召令算,一轉便決,眾咸駭服。及玄業成辭歸,既而融有「禮樂皆東」之歎。恐玄擅名而心忌焉。玄亦疑有追,乃坐橋下,在水上據屐。融果轉式逐之,告左右曰:「玄在土下水上而據木,此必死矣。」遂罷追,玄竟以得免。
『世説箋本』では以下の部分が該当します。
- https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1956/bunko31_e1956_0002/bunko31_e1956_0002_p0044.jpg
- https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1956/bunko31_e1956_0002/bunko31_e1956_0002_p0045.jpg
ここでも頭注はなかなか有用です。たとえば、意味が採りにくい「融果轉式逐之」の「式」について、「式、與栻同也,局也。『史記』日者傳「旋式正棊」注「旋,轉也。」局上下方圓倣天地,以楓子棗心木為之」などど解説があり、占いの道具のことであると分かります。ちなみにこの辺りは、『世説新語補考』と『世説鈔撮』に似た記述があり、これらを利用しているようです。
- https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1955/bunko31_e1955_0001/bunko31_e1955_0001_p0034.jpg
- https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100344911/54?ln=ja
次に、双行注の以下の部分に注目してみます。これは『世説』劉注から引いているところです。
《玄別傳》曰:「玄少好學書數,十三誦五經,……扶風馬季長以英儒著名,玄往從之,參考同異。季長后戚,嫚於待士,玄不得見,住左右,自起精廬,既因紹介得通。時涿郡盧子榦爲門人冠首,季長所不解剖裂七事,玄思得五,子榦得二*1。季長謂子榦曰:吾與汝皆弗如也。季長臨別,執玄手曰:大道東矣,子勉之。」
「季長所不解剖裂七事,玄思得五,子榦得二」の箇所が読みにくいです。文脈上、大意は「馬融に分からないことが七つあって、鄭玄はそのうち五つが分かり、盧植は二つが分かった」といった具合の話なのでしょうが、「季長所不解剖裂七事」のところがどうにも読みにくいのです。
ここの頭注にはこうあります。
又、鈔撮云、當作有。解、能也。有不以下七字一句。一説、融於經書有不解、故使剖析之、凡七事。
「鈔撮云」とありますが、『世説鈔撮』とは字句が微妙に異なり、むしろ『補考』と近いです。とすると、『世説鈔撮集成』にどう書いてあるか気になるのですが、オンラインの画像公開が無さそうなので、分かりません。秦鼎の取り違いか、『鈔撮集成』が『補考』をより正確に孫引きしており、秦鼎がそれを利用したか、どちらかの可能性が高そうです。
「又、鈔撮云、當作有」とあるのが一見よく分かりませんが、『世説』劉注の明刊本や和刻本を見ると、「季長又不解剖裂七事」となっています(宋本でもこうなっています)。つまりこの「又」字が「有」字であるべきでは、という指摘ですね。『箋本』の本文はこれを「所」に変えてしまっているので、この注の意味が通じなくなってしまっています。
「有不以下七字一句」というのは、「又」字を「有」字に変えた上で、ここから七字(つまり「有不解剖裂七事」の七字)が一句である、という指摘です。そして「解」を「能」として読むわけですから、「有不能剖裂七事」となります。
結局どう読むかというのが問題ですが、同じように読んでいる『世説新語補索解』についている訓読を参考にすると、「有不能剖裂七事」→「剖裂する能わざること七事有り」と読んでいるようです。分析できないことが七つあった、といった意味合いでしょうか。
次に、『箋本』が採用した「所」字の場合。これもどう読んだのか分かりにくいのですが、「有」の字も入れて読んで、「有所不解剖裂七事」のように読んだのかもしれません。すると、「解せざる所有りて、七事に剖裂す」(馬融は分からないことがあって、それを七つに分けた)と読めそうです。先ほど見た頭注に「融於經書有不解、故使剖析之、凡七事」とあるのは、この意味に近そうです。
なお、「所」字に作るという説に何か由来があるのかどうかは、現状ではよく分かっていません。
この部分は、『世説』劉注が引く『鄭玄別傳』ですから、鄭玄の逸話として、比較的信頼性の高いもの(少なくとも由来は古いもの)と言えるでしょう。馬融・鄭玄・盧植の関係を考える上でもなかなか面白い逸話なのですが、どうにもすっきりしないのは困ったものです。
(棋客)
*1:書陵部蔵の宋本では「二」を「三」に作っています。→全文影像 | 宮内庁書陵部収蔵漢籍集覧