NHKの番組「こころの時代〜宗教・人生〜 徹底討論vol.12 宗教は戦争にどう関わってきたのか(後編)」を見ました。戦前~戦後にかけての、日本列島で活動していた宗教団体が、戦争とどのように向き合ってきたのかという点について、特に宗教団体の戦争協力に着目しながら、専門家が議論した番組です。
前編も含めて、勉強になることが多く、非常によい番組だと思いました。NHKオンデマンドで観られますので、ぜひご覧ください。
さて、少しだけですが、印象的な言葉を紹介しておきます。
まず、靖国神社問題に関連して、僧侶で佛教大学教授の廣瀬卓爾さんが、エラスムス『平和の訴え』の一節から、以下の言葉を引用していました。
聖職者たるものは、みな一様に気をあわせて、戦争反対の叫び声をあげねばならない。公の席であろうと、また私的な場所であろうと、平和を説き、平和を讃え、平和を人びとの心の奥底にきざみこむべきである。よし武力による紛争の解決を阻止することができなくとも、決して戦争を是認したり戦争に参加したりすべきではない。
権威ある聖職者が列席することによって、甚だしく涜神的な、少なくともその疑いの濃い行事に栄誉を添えてはならない。戦没した人たちには普通の墓所が与えられるだけで充分である。
国立の戦没者墓地ができるようになるのは、近代国家の成立後だそうです。つまり、戦没者を称える墓地を作り、特別扱いするのは、次の戦争の時に兵士を戦地に行かせるための下準備である、ということです。靖国神社というと、「A級戦犯の合祀」が問題視されがちですが、そもそも戦死者に特別な墓所を(国家的に)与えることに問題があると考えるべき、と言えるわけです。
考えてみれば、空襲や原爆の被害者や、戦争による食糧不足の飢餓による死者、工場などでの過労死など、どれも「戦争被害による死」と言えるはずですが、「英霊」として祀られるのは戦死者だけというのは、明らかにおかしな話です。そこには明確な政治的意図が介在しているわけです。*1
次に、「歴史を学ぶ意味は何か」「歴史とどう向き合うか」といったテーマについて、カトリック修道者で南山大学教授の三好千春さんが、以下のように述べています。
三好さんは、「今と未来をよりよく生きるために歴史を学ぶ」のだと述べ、テッサ・モーリス=スズキの「連累(implication)」という概念を引用します。この概念は、「今生きている私たちは、過去の支配や暴力に直接関与はしていないかもしれない。しかし、それに根差して、今の社会に差別や排除の構造が残っているならば、それを正す責任は私たちにある」というものです。
たとえば、私自身が朝鮮半島に住む人々を無理やり日本列島に連れてきたわけではありません。しかし、それに根差した差別(在日朝鮮人を差別する選挙制度など)は今に残っているわけで、これを正す責任は私たちにある、ということです。
三好さんは、「結局、過去が生きている」と言い、過去に根差した差別が、「日本人ファースト」といった思想を生み出す要因になっている、とまとめておられます。本当にその通りだと思いました。
最後に、駒澤大学准教授の永岡崇さんの言葉を紹介します。永岡さんは、現在の世相では、社会に迷惑を掛けず過不足ないサービスを提供する「良い宗教」と、違法行為を行う「悪い宗教」のようなイメージの分化があると述べ、このことへの違和感を投げかけます。
永岡さんは、宗教団体がこうした「良い宗教」を目指すのでは、社会の価値観に疑問を投げかける力がなくなってしまうのではないか、と指摘します。これでは、戦前「社会貢献」として戦争協力を行った宗教団体と変わりがありません。「宗教が、世俗的価値を変えていくラディカルさを持ち続けることができるかどうか」という問いかけには深く共感するところがありました。
永岡さんは戦前の新宗教の研究者とのことで、天理教・大本の話もされていました。私は以前、大本をモデルにした小説『邪宗門』の感想をたくさん書いたことがあったので、このあたりも興味深く聞きました。
- 高橋和巳『邪宗門』(1)――左派と宗教 - 達而録
- 高橋和巳『邪宗門』(2)――祈りの言葉 - 達而録
- 高橋和巳『邪宗門』(3)――戦場の論理 - 達而録
- 高橋和巳『邪宗門』(4)――ウーマン・リブの視点から - 達而録
(棋客)
*1:ちょうど最近、こういうニュースが流れてきました(靖国合祀取り消し求め提訴 韓国で初、遺族10人|47NEWS(よんななニュース))。過去に行われた同じ内容の日本での訴訟については、番組で触れられています。