達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

秦鼎『世説箋本』について(4):馬融と鄭玄(続)

 引き続き、秦鼎『世説箋本』を「山の学校」の授業で読んで印象に残っている箇所をメモしておきます。前回の『世説新語』文学篇の鄭玄が師匠の馬融に追われた話の続きです。

(1)鄭玄在馬融門下,三年不得相見,高足弟子傳授而已。嘗算渾天不合,諸弟子莫能解。或言玄能者,融召令算,一轉便決,眾咸駭服。及玄業成辭歸,既而融有「禮樂皆東」之歎。恐玄擅名而心忌焉。玄亦疑有追,乃坐橋下,在水上據屐。融果轉式逐之,告左右曰:「玄在土下水上而據木,此必死矣。」遂罷追,玄竟以得免。

 『世説箋本』では以下の部分が該当します。

 今回は、一番最後の双行注を見てみます。

 馬融海内大儒,被服仁義。鄭玄名列門人,親傳其業,何猜忌而行鴆毒乎?委巷之言,賊夫人之子。

 ○或出求帖門人,未可知也。或如神秀之徒惠明乎。

 劉辰翁云,皆門人互相神聖所傳,不足多辨。王世懋云,註駁甚正。

 最初の段落は劉孝標注です。この馬融と鄭玄のエピソードは嘘偽りだろう、という指摘しています。

 最後の段落は、 劉辰翁と王世懋の批注が引かれています。劉辰翁説が読みにくいですが、神聖な人たちの伝えたことで、あれこれ議論するには十分ではない(十分な資料が伝わっていない)、といったところでしょうか。王世懋は注の意見に賛同しています。

 問題なのは二つ目の段落。最初は、この一段を書いたのが誰なのかということがよく分かりませんでした。ここに見える「神秀」と「恵明」の話は、頭注が指摘するように『六祖壇経』などに載っていて、唐代の話ですから、劉孝標注ではありません。しかしその直後には劉辰翁が引かれているわけで、「はて?」となったのです。

 ただ、頭注をよく見ると、「求帖,李贄初潭集作投刺」という注があり、ここは李卓吾の注であると分かります。ここに限らず、○印の後の注釈は李卓吾のものであることが多いようです。

 李贄『初潭集』を見ると、確かにこの記述があります(初潭集(六) : (明)李贄撰 : Internet Archive)。『初潭集』の李卓吾説はもう少し長くて、以下のようにあります。

 卓吾子曰:或出投刺門人,未可知也。或如神秀之徒惠明乎。此必然是盧子幹然盧植實非惡人。

 「投刺」は、『辞源』によると、①名刺を届けて謁見を求めること、②名刺を捨てること(官をやめることの比喩)、の意味があります。ここでは②の方で、「この逸話は馬融の私塾を辞めた門人から出た話かもしれないが、分からない」ぐらいの意味ではないかと思います。

 神秀と恵明の話は、恵明(慧明)が神秀の門下を去った時に、弟子たちに追いかけられたというこの『世説新語』の条と似たような話です。ただ、恵明の場合は、追い付かれた弟子に、危害を加えたいのではなく、ただあなたが知っている真理を教えて欲しいだけだ、みたいなことを言われて、丸く収まります。李卓吾は、鄭玄が追われたのもこれと似たようなものなのでは、と言いたいわけですね。

 なお、この頭注も、桃白鹿『世説新語補考』にほぼ同じ記述があり、これを利用しているようです(https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1955/bunko31_e1955_0001/bunko31_e1955_0001_p0034.jpg)。桃白鹿の調べは行き届いていて、何かと頼りになりますね。

 

 最後に余談ですが、「中国哲学書電子化計画」というウェブサイトを用いて出典調べをする方法が、以下の動画にまとまっています。ぜひこちらも参考にしてみてください。

www.youtube.com

(棋客)