達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

秦鼎『世説箋本』について(5):王済と司馬炎

 引き続き、秦鼎『世説箋本』を「山の学校」の授業で読んで印象に残っている箇所をメモしておきます。今回は、『世説新語』方正篇より、王済(王武子)が司馬炎武帝)を鋭く諫めた話。

世説新語』方正篇
 武帝語和嶠曰:「我欲先痛罵王武子,然後爵之。」嶠曰:「武子俊爽,恐不可屈。」帝遂召武子,苦責之,因曰:「知愧不?」武子曰:「『尺布斗粟』之謠,常為陛下恥之!他人能令疎親,臣不能使親疎,以此愧陛下。」

 武帝の後継としては、皇太子の司馬衷(のちの恵帝)ではなく、司馬攸(斉王)を推す声が多く、王済といった家臣もそのように進言していました。しかし、武帝は他の家臣の讒言を受けて司馬衷を指名し、司馬攸やその支援をしていた人々を左遷してしまいます。そんな中、王済が武帝を恐れずに諫言したのが上の逸話です。

 『世説箋本』だと以下の部分に当たります。

 劉注は以下です。

 《晉諸公贊》曰:「齊王當出藩,而王濟諫請無數,又累遣常山主與婦長廣公主共入稽顙,陳乞留之。世祖甚恚,謂王戎曰:『我兄弟至親,今出齊王,自朕家計,而甄德、王濟連遣婦入來,生哭人邪?濟等尚爾,況餘者乎?』濟自此被責,左遷國子祭酒。」

 《漢書》曰:「淮南厲王長,髙祖少子也。有罪,文帝徙之於蜀,不食而死。民作歌曰:『一尺布,尚可縫;一斗粟、尚可舂。兄弟二人,不能相容。』瓚注曰:『言一尺布帛,可縫而共衣;一斗米粟、可舂而共食。況以天下之廣,而不相容也。』」

 「生哭人」などの分かりにくい言葉には頭注が加えられていて、これを合わせて読むと分かりやすいです。

 

 一つすっきりしないのは、『世説新語』原文の最後の一段です。

「他人能令疎親,臣不能使親疎。」

 直前の「尺布斗粟之謡」は、上の劉注の通り『漢書』に由来し、兄弟仲が悪いことを嘆く歌です。ここの「親」や「疎」は、兄弟である司馬衷・司馬攸(=親)が仲たがい(=疎)させられたことを指すのでしょう。

 『箋本』の訓読では、「他人は能く親を疎くせしむ。臣は疎を親しくせしむること能わず」と読んでいます。つまり「他人は親を疎にするが、私は疎を親にすることができなかった」という意味で読んだようです。「他人」は讒言をして司馬攸を追い出した人、ということになります。確かにこれで意味はよく通じます。

 ただ、この日本語訳だと、使役の「令」「使」字が不要であるように思えます。この使役の字を普通に読むと、以下のようになるはずです。

「他人能令疎親,臣不能使親疎。」
 他人は疎を親にさせるが、私は親を疎にすることができない。

 しかし王済は司馬衷(または司馬炎)と司馬攸を「親」にしたい人のはずなので、これでは意味が通りません。昔の読者もおかしいと感じたらしく、頭注には

 按本文似誤、當改作「令親疎」「使疎親」。言他人令兄弟疎之、臣不能使已疎之人親之也。

 とあります。この注は、先行の刊本には記述が無いので、おそらく秦鼎によるもの。二か所を「親疎」と「疎親」に入れ替えれば、意味が通るということ。なかなか細かく読んでいますね。

 なお、これと同じ逸話が『晋書』にも採録されており、そちらでは文字が以下のようになっています。

『晋書』王済伝「他人能令親疏,臣不能使親親。」

 なるほど、これも上手く読めますね。

 

 さて、もう一つよく分からなかったのは、『世説箋本』の方にある最後の双行注です。

 按此條、當合時人共論晉武帝出齊王一則注觀之、方有首尾。

 この部分は、劉孝標注ではなく、また『世説新語補』和刻本、『世説鈔撮』、『世説新語補考』などにも載っていません。

 というわけで、秦鼎が書いた注釈であろうと推測できるのですが、この注文がよく読めないのです。一応、返り点がついているので(天地点まで出てきます)、それに従って読むと、

按ずるに此條、當に「時人共に晉武帝の齊王に出づるを論ずる」の一則注を合わせて之を觀るべし。方に首尾有る。

 といった具合です。このうち「時人共論晉武帝出齊王」の一段は、『世説新語』品藻篇の以下の話を指します。

世説新語』品藻篇
 時人共論晉武帝出齊王之與立惠帝,其失孰多?多謂立惠帝為重。桓溫曰:「不然,使子繼父業,弟承家祀,有何不可?」

 こう考えると、「一則注」は「一側注」で、『世説新語』品藻篇のこの一段の劉注のことを指しているのかもしれません。ここには以下のように長い劉注が付されていて、司馬炎の跡継ぎ騒動について説明されています。

〔劉注〕晉陽秋曰:「齊王攸,字大猷,文帝第二子。孝敬忠肅,清和平允,親賢下士,仁惠好施。能屬文,善尺牘。初,荀勖、馮紞為武帝親幸,攸惡勖之佞,勖懼攸或嗣立,必誅己,且攸甚得眾心,朝賢景附。會帝有疾,攸及皇太子入問訊,朝士皆屬目於攸,而不在太子。至是勖從容曰:『陛下萬年後,太子不得立也。』帝曰:『何故?』勖曰:『百寮內外,皆歸心於齊王,太子安得立乎?陛下試詔齊王歸國,必舉朝謂之不可。若然,則臣言徵矣。』侍中馮紞又曰:『陛下必欲建諸侯,成五等,宜從親始,親莫若齊王。』帝從之。於是下詔,使攸之國。攸聞勖、紞間己,憂忿不知所為。入辭,出,歐血薨。帝哭之慟。馮紞侍曰:『齊王名過其實,而天下歸之。今自薨殞,陛下何哀之甚?』帝乃止。劉毅聞之,故終身稱疾焉。」

 ひとまず、「この注を合わせて観ると、首尾があって話がよく分かる」ぐらいのことが言いたかったのかな、と考えておきます。

 このあたりは、和刻本や日本の漢学者の本を読み慣れていると解決する問題なのかもしれませんね。お詳しい方いらっしゃいましたら、ぜひご教示願いたいです。

(棋客)