「山の学校」の漢文講読クラスで読んだ、印象に残る部分について書いていきます。今回は朱熹『大学或問』の一節を取り上げます。
『大学或問』とは、四書の一つである『大学』について、朱熹が仮想問答の形式を取って説明する本です。『大学』は朱子学のなかで重視された書物で、古い時代の理想的な学校制度のあり方を示したものとされています。
今回取り上げる一段は、以下の問いかけから始まるところです。
曰:治国平天下者、天子諸侯之事也。卿大夫以下、蓋無与焉。今大学之教、乃例以明明徳於天下為言。豈不為思出其位、犯非其分、而何以得為為己之学哉。*1
〔訳〕質問者が言う。「治国と平天下は、天子と諸侯がやることです。卿大夫より下の身分の人には、関係がないように思います。今の『大学』の教えでは、なんと「天下に向けて優れた徳を明らかにする」ことを例として言っています。これは考えが自分の位をはみ出し、自分のわきまえを守らないものであり、どうして「己の為の学」(他人の評価や地位・名誉のためではなく自分のためにする学問)とみなすことができましょうか。」
この問いかけの前提には、『大学』で言及され、朱子学の指針として重視される「八条目」があります。八条目とは以下の八つを指します。
- 「格物」(事物の理を極め尽くす)
- 「致知」(知識を推し極める)
- 「誠意」(自分の思いを誠実にする)
- 「正心」(自分の心を正す)
- 「修身」(自分を修める)
- 「斉家」(自分の家を整える)
- 「治国」(国を治める)
- 「平天下」(天下を太平にする)
大雑把に言えば、まず物事を知り窮めることからスタートして、しっかり自分を修め、そこから外に広げていって、家・国、そして天下を太平にするように努める、という考え方です。朱熹はこの方針を、士大夫(知識人)が守るべき指針として重視します。
上の問いかけは、身分制の社会にあって、「国家や天下をどう治めるか」また「どう太平にするか」といった問題は、天子や諸侯というごく限られた支配者だけに関係があることで、大半の人には関係がないのでは、というところに疑問があります。
これに対する朱熹の答えが以下です。前半のみ抜粋しています。
曰:天之明命、有生之所同得、非有我之得私也。是以君子之心、豁然大公、其視天下、無一物而非吾心之所当愛、無一事而非吾職之所当為。雖或勢在匹夫之賎、而所以堯舜其君、堯舜其民者、亦未嘗不在其分内也。又況大学之教、乃為天子之元子衆子、公侯卿大夫士之適子、与国之俊選而設。是皆将有天下国家之責而不可辞者、則其所以素教而預養之者、安得不以天下国家為己事之当然、而預求有以正其本清其源哉。後世教学不明、為人君父者、慮不足以及此、而苛徇於目前。是以天下之治日常少、乱日常多、而敗国之君、亡家之主、常接迹於当世、亦可悲矣。論者不此之監、而反以聖法為疑、亦独何哉。大抵以学者而視天下之事、以為己事之所当然而為之、則雖甲兵・銭穀・籩豆・有司之事、皆為己也。以其可以求知於世而為之、則雖割股・廬墓・弊車・羸馬、亦為人耳。善乎張子敬夫之言曰、「為己者、無所為而然者也。」(1)此其語意之深切、蓋有前賢所未発者。学者以是而日自省焉、則有以察乎善利之間而無毫釐之差矣。
〔訳〕答えて言う。「天の聖明なる命は、すべての生き物が同じように得るものであって、自分一人が私的に得るものではない。そういうわけで、君子の心は、からっとして大いに公平であり、君子が天下を観る時には、一人でも自分の心が大切にするべきでない人はなく、一つの仕事でも自分の職務がなすべきとしないものはない。自分の権勢が匹夫という低い身分にあったとしても、その君主を尭・舜(のような優れた聖王)にして、その民衆を尭・舜の民のようにするのも、やはり自分のわきまえの内に必ず入っているのだ。ましてや大学の教えは、天子の長子・庶子、公・侯・卿・大夫士の嫡子、また国の優秀な人のために設けられている。これらはいずれも天下国家の責任をもち辞退できない者であるから、普段から(そういう人を)教育しあらかじめ養成するためのところ(=大学)では、どうして天下国家を自分が当然やるべきこととし、その本源を清らかにすることを事前に追求することをしないことがあろうか。
当時は身分制社会であり、かつその身分制自体を打倒しようという発想はほぼなかった時代ですが、その中でも朱熹がこう答えているのは面白いところです。
もちろん、この議論を現代的な感覚で理解しすぎることには慎重でなければなりません。朱熹のいう「分」(わけまえ)は、現代日本語で「分をわきまえろ」というときの「分」と似たような意味合いでしかありません。一人一人が同じように天命を受ける存在で、その中で天下を太平にする任務は負っているとは言うものの、朱熹は「分」の違い自体は自明のものとしてとらえており、天命に由来する身分の違いを否定するわけではありません。
そういう留保はしながらも、社会問題を自分とは無関係なものとみなす風潮が強い時代を生きていると(ここ数年はその先の新たなフェーズに入ってしまった気もしますが)、なかなか味わい深い言葉です。こういうところに朱熹の力強さを感じますね。
(棋客)
*1:『四書或問』上海古籍出版社・安徽教育出版社、2001年、pp.9-10