先日お知らせした通り、本ブログ筆者の著書である『鄭玄から五経正義へ:中国古典解釈学への誘い』(法藏館、2026)が刊行されました。しばらくの間、このブログでは、販促も兼ねて、この本の執筆に当たって考えたことを書いていきます。本書を手に取りながらこの記事を一緒に読んでいただけると、楽しみが増えるのではないかと思いますので、おすすめです。(上のリンクから購入できます。)
とは言いつつ、正直、こういう記事を書くと、「内容が全然実態を伴っていないじゃないか!」と言われてしまうのが怖いところもあります。この記事はあくまで「筆者としてはこういうつもりでやった」という私の意図を書いているだけで、その意図が上手く行っているかどうかは別問題ということはご留意ください。
また、裏テーマとして、本書を読む方だけではなく、いま博論を書いている方や、博論の書籍化を考えている方にも役に立つ内容にしたいと考えています。多方面に何かの参考になれば幸いです。
さて、今回は、本書の「章題と見出し」を取り上げてみます。
見出し語の重要性
「学術書を書く」ことにフォーカスした珍しい書籍に、鈴木哲也・高瀬桃子『学術書を書く』(京大学術出版会、2015)という本があります。この本は、論文やレポートの書き方を指南する本ではなく、論文や研究成果(特に博士論文)を書籍化する人向けに、意識するべきことをまとめてくれている本です。普段の研究に還元できるTipsも多いので、必ずしも「書籍化」したい人ではなくても、面白く読めると思います。
この『学術書を書く』から、目次や見出し語の重要性を論じる一段を抜粋します。
学術書に限らないと思いますが、ある本を読んでみようと思う時、まずはその本の目次を観るのが普通でしょう。目次を見て全体の内容を掴んで、それが自分にとってその程度の興味を惹くものか、ざっと品定めするというところでしょうか。ですから、目次は本のサーキュレーションにとって大変大事で、その目次を構成するのが各セクションの見出しです。(p.75)
ここから、「万能型の見出し」、たとえば、「1.問題意識と論点」「2.方法と構成」といった、投稿論文的な見出しは避けることが推奨されています。むしろ、「問題意識と論点が書かれた項目に、どのような見出しを当てるべきか」を考えることで、自分の研究の特徴を発揮することができる、と説かれています。
『学術書を書く』には、実例をもとにして、博論のタイトルを書籍化の際にどのように変えたのかが示されています。私としても、この指針を念頭に置いて全体の見出し語を再考しました。
博論の目次
本書のもとになったのは、2025年3月に受理された私の博論『漢唐経学史研究』です。その時点での目次は以下のようになっています。(ここでは、見やすくするために章題・節題だけを表示し、項題は省略しています。また各章の「はじめに」「おわりに」も省略しています。)
- 序論
- 第一節、本書の課題とその前提
- 第二節、本書の課題を明らかにするために
- 第三節、本論文の研究の意義- 第一章 『駁五経異義』に見える鄭玄の経書解釈
- 第一節、『駁五経異義』が書かれた時期
- 第二節、鄭玄の感生帝説
- 第三節、鄭玄と漢制の距離感
- 第四節、鄭玄の経書解釈法- 第二章 『発公羊墨守』『箴左氏膏肓』『釈穀梁廃疾』に見える鄭玄の『春秋』解釈
- 第一節、『発墨守』『箴膏肓』『釈廃疾』の背景
- 第二節、『発墨守』『箴膏肓』『釈廃疾』と鄭玄の経書解釈- 第三章 天子の宗廟・路寝・明堂を同制とする鄭玄説について
- 第一節、鄭玄説の根拠
- 第二節、南北朝時代から唐代の学者の議論
- 第三節、結論と展望- 第四章 崔霊恩の『三礼義宗』――鄭玄注から南北朝経学へ
- 第一節、崔霊恩の生涯
- 第二節、崔霊恩の祫祭
- 第三節、崔霊恩の変除説
- 第四節、崔霊恩の『三礼義宗』について- 第五章 『論語義疏』に見える経書解釈法――同物説と問答体
- 第一節、同物説と玄学・仏教
- 第二節、同物説と問答体
- 第三節、鄭玄との関係- 第六章 劉炫の学術と書物環境
- 第一節、劉炫の生涯
- 第二節、劉炫と書物の関わり
- 第三節、劉炫と南北朝の学問- 第七章 『五経正義』の編纂と「定本」について
- 第一節、序論
- 第二節、本論
- 第三節、結論- 結論
- 第一節、鄭玄の経書解釈
- 第二節、鄭玄から南北朝経学へ
- 第三節、鄭玄的な経書解釈の経学史上の位置づけ
この博論の目次に対する、編集の方の意見としては、全体として統一感のある見出しにするべきということ、第七章の「序論」「本論」「結論」は変えるべきということで、いくつか案も出していただきました。
どちらも仰る通りだと思い、見出し語を大きく修正することにしました。第七章については、そもそも現状の節の構成に問題があると思い、少し原稿に手を入れて、分節の仕方から変えることにしました。
本書の目次
そうして手を入れた結果、本書の目次は以下のようになっています。(こちらも章・節のみ表示し、項は省略し、各章の「はじめに」「おわりに」も省略しています。もちろん本書の実物では省略されずに掲載されていますので、本書を見ていただくとまた少し印象が変わると思います。)
- 序章 経学の世界への誘い
- 第一節 経学とは何か、鄭玄とは何か
- 第二節 本書の課題を明らかにするために
- 第三節 なぜいま経学なのか- 第一章 鄭玄は経説をどう整理したか――『駁五経異義』から
- 第一節 『駁異義』の執筆時期
- 第二節 感生帝説
- 第三節 漢制との距離感
- 第四節 『駁異義』の各説- 第二章 鄭玄は『春秋』をどう読んだか――『発墨守』等三篇から
- 第一節 『発墨守』等三篇の背景
- 第二節 『発墨守』等三篇の各説- 第三章 鄭玄説はどう読まれたか――宗廟・路寝・明堂の議論から
- 第一節 鄭玄説の根拠
- 第二節 南北朝時代から唐代の議論- 第四章 鄭玄説はどう整理されたか――崔霊恩『三礼義宗』から
- 第一節 崔霊恩の生涯
- 第二節 祫祭説
- 第三節 変除説
- 第四節 『三礼義宗』について- 第五章 経学者は矛盾にどう向き合うか――『論語義疏』の同物説から
- 第一節 同物説の歴史
- 第二節 同物説の役割
- 第三節 鄭玄説との重なり- 第六章 劉炫の学問はどう形成されたか――書物の流通状況から
- 第一節 劉炫の生涯
- 第二節 劉炫と書物の関わり
- 第三節 劉炫と南北朝の学問- 第七章 「五経正義」はどう編纂されたか――「定本」問題から
- 第一節 「定本」が問題化された背景
- 第二節 顔師古と「顔師古考定本」
- 第三節 「五経正義」の内容と編纂
- 第四節 「定本」という言葉- 結論 経学とは何なのか
- 第一節 鄭玄の意図と思考の型
- 第二節 鄭玄から南北朝経学、そして「五経正義」へ
- 第三節 経学史と鄭玄
項題を省略した都合で、少し分かりにくい箇所もありますが(特に第二章~第三章)、目次を見ればある程度議論の流れが分かるように工夫しています。章のタイトルは疑問形を多用し、その章の核心的な問いを掲げています。節題はどうしても具体的な内容になり、ちょっと分かりにくいですが、項題も合わせて見るとある程度分かりやすくなるように工夫しています。
なお、上記の見出し語にも変遷があり、いきなり上のタイトルになったわけではなく、初校・再校の段階で修正した箇所もあります。
たとえば第五章は、最初は「孔子は完璧なのか?――『論語義疏』の同物説から」としていました。もし、本論文だけを単体で読んだ場合、より多くの人に関心をもってもらいやすいのはこのタイトルだと思います。しかし、本論文を本書の中に置いて見たとき、本論文の核となる問いは「孔子は完璧か?」ではなく、「経学者は(孔子の言動の)矛盾にどう向き合ったか?」ということにあるはずです。もちろん本文の論旨としてもこちらが重要です。そこで、「経学者は矛盾にどう向き合うか」に修正しました。
また、第七章の第二節は、博論の見出しを修正して「前提の整理」としていたのですが、これはこれで「万能型の見出し」になってしまっていることに後から気が付きました。そこで「「定本」が問題化された背景」に変更しました。改めて読んでみると、この節題に変えることで、内容にハリが出て、一気に筋が通ったような感じがしました。*1
ほか、細かいところでは、結論の第二節は「鄭玄から南北朝経学へ」となっていました。しかし、本書のタイトルからいって、ここが「五経正義」で終わらないのは統一感がありません。もちろんこの節の中でも「五経正義」まで言及しています。そこで、「鄭玄から南北朝経学、そして「五経正義」へ」と本書をまとめるタイトルに変更しました。
他にも細かな修正をいくつか入れて、今の形に仕上がりました。もっと分かりやすくできたようにも思いますが、ひとまず博論よりはだいぶ明快になったことは間違いありません。
まとめ
本書において、章題に疑問形を多用したのは、そもそも「論文」や「研究」というものが、「自分で問いを立てて、それに対して答えを出すもの」だと考えるからです。
その「答え」は一言で言い表せないこともあり得ますが、各章の大きな「問い」は一つに集約できるはずです。研究に行き詰っている人の話をよくよく聞いてみると、実は「よい問いが立てられていない」だけ、ということはよくあるものです(今の私自身がそうなのですが)。
もちろん、そういう前提はありつつも、実際に章題を疑問形で表現するかどうかは自由です。疑問文だと締まって見えないとか、学術書らしくないとか、かえって分かりにくいとか、そういうケースもあるかと思います。全体として統一感があり、ぱっと見で構成が分かりやすいタイトルなら、疑問形である必要はありません。一つのアイデアとして提示しておくまでです。
やってみて思いましたが、この「いい見出し語を考える作業」は、書籍化の際に必要というだけではなく、博士論文の執筆中の段階から何度もやってみるとよさそうですね。というのも、この作業は、いまどういう内容が足りていないか、全体の構成の筋道が通っているか、といったことを確認する手掛かりになるからです。
「分かりやすく伝える」ことと、「博論の論旨の筋道が立っている」ことは、厳密には別の判断基準になるのでしょうが、前者を意識することで後者が改善されるということは、実際にはよくあることだと思います。ひとつ、博論執筆のテクニックとして提示しておきます。
(棋客)
*1:正直、この節題に合わせて内容を書き換えたいところも出てきたのですが、大幅な修正になってしまいそうで、三校の段階でしたので断念しました。
