達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

『ブラックジャック』第211話「死者との対話」

 『ブラックジャック』の中に、一つ忘れられない話がある。

 先日友達と話していて、ふとその存在を思い出して、話の内容を手掛かりに検索して、収録巻を見つけ、電子書籍で読んでみた。第211話の「死者との対話」という作品である。

amzn.to

 舞台は大学の医学部。遺体の解剖実習に取り組む学生たち。最後はこんな肉の塊になって無様に死んでいくのに、人生に何の意味があるだろう。多少命の時間を延ばすだけの医者なんて、むなしい仕事じゃないか――。解剖実習に参加した医学生は、たまたま見学に来ていたブラックジャックにそう問いかける。

 そこからブラックジャックの回想シーンが始まる。

 ブラックジャックが見学に来たのは、ある遺体を確かめるためだった。その遺体は、かつてブラックジャックが治療した人であり、自分の治療が上手く行ったのかどうか、死後の身体を診察しに来たのだった。

 その遺体になった人は、生前、死刑囚だった。

 その死刑囚は、収監されている時に、本に出会い、人生の転機を迎えた。「とにかく本を読みきってから死にたい」という願いを持つも、身体は難病に冒されており、死期が迫っていた。そもそも死刑になったのも、難病から自暴自棄になった結果だった。死刑囚は、自分の病をブラックジャックに治療してほしいと希望する。そして、その望みは叶えられ、「死刑囚なのにどうして治療するんだ」と言われながらも、ブラックジャックの手によって治療される。

 元気になった死刑囚は、聖書、人生のための本をむさぼるように読む。そして「生まれてからこんなに満ち足りたことはない」「おれは救われたんだ」という確信を得て、死刑にされる時が来る。

 

 ――ざっとこんなあらすじである。

 人はみないつか死ぬ。その限られた生に何の意味があるだろう……ということを、死刑囚という絶妙な設定で描いた名作だと思う。死刑囚が病から解放され、本を読み漁り、「救われた」という確信を得るシーンを読むと、自然と涙がこぼれてくる。

 ここで、死刑囚は「残された時間」が限られた存在として描かれ、そのわずかな時間で、「本を読む」という一見「無意味」な行動をする。「満ち足りて」「救われて」も、結局死んでしまう運命であるにもかかわらず…。ではなぜその死刑囚は、そういう行動に出たのだろうか?

 「残された時間」が限られた存在であるという点においては、人はみな死刑囚と同じである。それでも、そこに固執する何かを見出して生きている。

 こういうテーマを、分かりやすい比喩に落とし込みつつ、しかし説教めいたつまらない話ではなく、確かな実感をともなう作品に仕上がっているのが、超絶技巧としか言いようがない。気になる方、ぜひ読んでみてください。

(棋客)

秦鼎『世説箋本』について(8):向雄と劉淮

 引き続き、秦鼎『世説箋本』を「山の学校」の授業で読んで印象に残っている箇所をメモしておきます。今回は、『世説新語』方正篇より、向雄(臣下)と劉淮(上司)の間に確執があり、武帝(皇帝)が仲直りを命じたものの、向雄が断固拒否した、というなかなか面白い話。(今回から、『世説新語』の本文には簡単な訳をつけるようにしました。ただの授業のメモのつもりでしたが、せっかくなら多くの方に読んで楽しんで欲しいからです。)

 向雄為河內主簿,有公事不及雄,而太守劉淮橫怒,遂與杖遣之。雄後為黃門郎,劉為侍中,初不交言。武帝聞之,敕雄復君臣之好,雄不得已,詣劉,再拜曰:「向受詔而來,而君臣之義絕,何如?」於是即去。武帝聞尚不和,乃怒問雄曰:「我令卿復君臣之好,何以猶絕?」雄曰:「古之君子,進人以禮,退人以禮;今之君子,進人若將加諸膝,退人若將墜諸淵。臣於劉河內,不為戎首,亦已幸甚,安復為君臣之好?」武帝從之。

 向雄が河内主簿(官職名)だったとき、向雄には関わりのないことで問題が発生した。太守の劉淮は向雄を(濡れ衣なのに)怒って、鞭打ちをして追放した。向雄は後に黄門郎に就き、劉淮は侍中となったが、まったく言葉を交わさなかった。武帝はこれを聞いて、向雄に対して、上司と部下のよしみを戻すように命じた。向雄はやむなく劉淮のもとに言って、拝礼して「私は勅命を受けてここに来たが、上司と部下のよしみはもう切れていると思う。どうだろう?」と言い、すぐさま立ち去った。武帝は和解が成立しなかったことを聞いて、怒って向雄を問い詰め、「私は君に和解を命じたのに、どうしてまだ絶交しているのか?」と言った。向雄は「昔の君子は、人を薦めるにも礼に則り、退けるにも礼によりました。今の君子は、人を薦めるときには膝に抱えるようにし、人を退ける時には谷底に突き落とすようにする。私が劉淮に対して、敵軍の将軍となって攻め入らないだけ、まだラッキーではないですか。どうして和解などできましょうか?」と言った。武帝は従った。

 『世説箋本』では以下の部分が該当します。

 ここは劉孝標の注も色々付いているのですが、今日はそちらではなく、『箋本』の頭注を見てみましょう。

・觽云、公事有失、其事不與及於雄。

・鈔撮、王弼以公事免。……公事、皆謂吏牘公案事也。

・淮、當作准。詳釋。

・鼎按、名字義、蓋取諸平直準縄。

・索解、向受、當作雄受、以姓向誤。

・何如、言於足下何如。

・按、長官屬吏称為君臣、猶以長田忠致為弑主。鼎有別論。

 それぞれ、対応する原典を示しておきます。

  1. 「觽云」→『世説新語補觽』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100353941/34?ln=ja
  2. 「鈔撮」→『世説鈔撮』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100344911/80?ln=ja(ただしここに該当箇所無し。やはり『世説鈔撮集成』を指すのだろうか?)
  3. 「釋」→『世説音釋』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/300057413/81?ln=ja
  4. 「索解」→『世説新語索解』https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100344913/44?ln=ja

 なお、「觽云」は「索解」にそのまま引かれているので、『箋本』のが孫引きという可能性も否定できません。

 最後に「鼎有別論」とありますが、これはこの問題について秦鼎がどこか別の場所で議論していることを示しています。

 他の箇所で見た似たパターンとして、秦鼎が『文選読本』という別本を参照せよ、と頭注に書いているところは見たことがあります。→https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko31/bunko31_e1956/bunko31_e1956_0003/bunko31_e1956_0003_p0018.jpg

 ただ、ここでいう「別論」がどこにあるのか、たとえば本書の中の別の場所なのか、それとも何か別の本を指すのか、といったことはまだよく分かっていません。

 

 さて、今回の『世説新語』の本文で向雄が最後に述べている話は、『礼記』檀弓下に見えるものです。

 穆公問於子思曰:「為舊君反服,古與?」子思曰:「古之君子,進人以禮,退人以禮,故有舊君反服之禮也;今之君子,進人若將加諸膝,退人若將隊諸淵,毋為戎首,不亦善乎!又何反服之禮之有?」

 穆公が子思に質問して「反服の礼(今は離れた元の君主が死んだとき、その君主の喪に服するという礼)のは、古えの方法ですか?」と言った。子思は答えた。「古えの君子は、人を取り立てるにも礼により、人を退けるにも礼によりました。よって、もとの反服の礼があったのです。今の君子は、人を取り立てる時には膝の上に載せるようにし(過度に持ち上げて)、人を退ける時には崖から落とすようにする(過度に痛めつける)。敵軍の長となって攻めてこないだけマシではないでしょうか。どうして反服の礼などがありましょうか。」

 昔からこういう言い回しがあるのか、というのがちょっと面白いところです。

(棋客)

最近読んだ本・映画

 最近読んだ本や見た映画を、メモ代わりに残しておきます。

大谷亨『中国TikTok民俗学: スマホからはじまる珍神探訪』(NHK出版新書、2025)

 ギリギリの冗談を交えながら、小気味良い筆致が巧みでとても読みやすい。文章力と構成力が鮮やかで、そのままドキュメンタリー番組になりそうだ。写真も豊富で楽しく読める一冊。こうした面白い話の背後には隠れた無数の「空振り」があるはずで、その中の精粋だけを読めるのが幸せである。

田口耕平『「草の花」の成立—福永武彦の履歴』(翰林書房、2015)

 福永武彦の『草の花』を授業で扱おうかと考えて、ひとまず読んでみた。『草の花』以前の、同人誌に発表された作品からの内容や文体の変遷が取り上げてあり、資料として面白く、ひとまず『草の花』の成立事情がよく分かる本になっていた。ただ福永の状況に対する考察はもっと深められるように思う。(そしてその状況の考察のためには、それが男同士の関係であったこと、それが当時どう見られることだったかということから、しっかり考えていかなければならないだろう。)

 ついでに福永武彦の日記もいくつか眺めてみた。こちらも掘り甲斐がありそう。当時の療養所での生活が目に浮かぶようで、その生活を再構成してみたいという気持ちも湧いた。この療養所には患者の自治会もあったらしく、社会運動との接点もありそうだ。

 患者自治会がどういう形態で動いていたのか全然知らないのだが、患者自治会のあり方と、学生寮の自治会のあり方って、似ているところがあってもおかしくないな、とふと思った。自分の所属を定める上位の機関(病院・大学)があるという点。また、基本「いつかはそこから出て行くこと」が想定されつつも、そこに居住地があり、「不本意に追い出されること」は有り得るという点。もちろん違いもたくさんあるが、比較してみると何か発見があるかもしれない、と思った。

晴野まゆみ『さらば、原告A子――福岡セクシュアルハラスメント裁判手記』(海鳥社、2001)

 友達に勧められて読んだ本。1990年代、職場におけるセクシュアル・ハラスメントを問題化し、訴訟に踏み切った最初の事例の被告当人による手記。「セクシュアル・ハラスメント」という言葉が翻訳されたごく初期のことで、この言葉が定着していくきっかけを作った事件でもある。

 すさまじい本だった。晴野さんは自分の被害を「被害」と認知し、言葉や仲間を見つけ、裁判闘争に向かう。ここまででとてつもない負荷がかかっている。そして支援団体ができ、問題が世間に広がっていくが、徐々に自分のコントロールの外で物事が動くようになり、闘いの主体であるはずなのに自分が匿名化され、その意思が軽んじられていく。一連の事件の中で、一番傷ついたこととして、支援者から心無い言葉をかけられたことを上げている。被害者と支援者の関係という点からは、小松原織香『当事者は嘘をつく』を想起するところもあった。

 私は読み通す途中で何度も涙が流れた。具体的な描写が多く、人によっては読むときにフラッシュバックなどに注意する必要があるが、多くの方に推薦したい本である。

 NHKのアーカイブで晴野さんへのインタビューが無料で公開されています。

www2.nhk.or.jp

溝口健二『赤線地帯』(1956)

 映画。売春防止法の審議が続く1950年代の吉原の遊郭を描いた作品。一つのお店を舞台に、そこで働く娼婦を群像劇風に描いている。場面を切り替えて各々の物語を紡ぎながら、客と娼婦の関係、雇い主の業者と娼婦の緊張関係、娼婦同士の立場の違い、娼婦の家族関係、そこから生まれる分断を描いていく。

 自分の仕事への差別を内面化するところもありながらも、誇りをもって働く娼婦の姿が印象的だった。国家の制度と、資本主義の仕組みによって生み出される分断がよく描かれている。

 「お上も変なことをいうねえ、自分のものを売るって言ってんのに、何が悪いってんだい」「あんたも商売人だろう、私も自分のものを売っているだけさ」といった語りには、セックスワーク・イズ・ワークの思想が見える。なお、この映画は1956年3月に公開されているが、結局同年の5月に、売春防止法は公布されてしまった。

 セックスワーカーの権利については、当事者団体による主張が以下の冊子にまとめられています。PDFで公開されていますので、ぜひどうぞ。

swashweb.net

高妍『隙間』(KADOKAWA、2025、全4巻)

 台湾出身の漫画家による、現代の沖縄を舞台にした作品。二・二八事件、沖縄戦など、帝国による植民地支配を受けてきた台湾と沖縄の歴史を重ね合わせながら、自分の足元を丁寧に見つめ直す作品に仕上がっている。「台湾華語」や「日拠時代/日治時代」など、いまの台湾での言葉の政治的感覚についても知ることができた。

 以下は作者のインタビュー記事。

www.cinra.net

(棋客)

日記(2026.5.29-6.22)

 久々に日記。でもトピック別で書いたからあんまし日記っぽさがない。SNSにあげた文章をまとめ直して書いたところもある。

◆ハンセン病資料館

 ハンセン病資料館に行ってきた。すごくいい展示だった。池袋から電車で30分ほど、入場無料。このあたりは緑深くて素敵だ。(緑深い人里離れたところだから、隔離施設が作られたのだが。)

 ハンセン病患者は長きにわたって差別され、社会から隔離されて生活させられてきた。療養所が火事になっても地元の消防団は来てくれないので、療養所内に自前の消防団を持っていたという話は衝撃的だった。

 生活基盤が療養所にあり、そこから差別への闘いが生まれてくる関係上、言われてみれば当然のことなのだが、差別の解放に向けては患者自治会がベースになった闘争が展開された。どのように自治会が運営されてきたのか、話し合いや意思決定はどうなされてきたのか。資料館の中には図書室もあって資料も充実していて、いくらでも調べることがありそうだ。

 また、舩城稔美というハンセン病患者の詩人の名前を知った。生前、療養所内で「女装」をしてパフォーマンスをし、「男色」家として知られていたという。当人が自分のアイデンティティを明言した言葉は残されていないとのことなので、特定の言葉でカテゴライズするのは避けるべきだろうが、その詩には性的少数者としての舩城の姿が浮かび上がるものがあるという。

 差別と闘う当事者集団の中にも、またマイノリティがいる。ハンセン病資料館の次の展示は「ハンセン病療養所のなかの「外国人」」である。こちらも観に行きたい。

◆絶望

 国家情報局法案の成立については先日のブログに書いたが(いつか捕まるかもしれないとリアルに思う - 達而録)、今度は国民投票改正法が衆議院を通過した。防衛省が名古屋大の文化祭にクレームを入れ、大学が謝罪するという出来事も起こった。国会ではあまりにひどすぎて信じがたい答弁が繰り返されている。

 こうしたこの列島の状況がやばすぎて、絶望がすごい。私は書いて書いて、抵抗し続けなければならない。正直、それで社会が変わるかどうかなんてことは全く分からないのだが、それをし続けないと、私自身がすぐに死んでしまうような気がしている。(ひとまず今は大丈夫です。なぜなら書いているからです。)

 こういう死を仄めかす発言をすると、そんなこと言わずに生きていこうよと励ます人がいるかもしれないけど、それはあまり励ましにはならない。それよりも、そう思わされずに済むような社会になるように、少しずつ一緒に闘っていきませんか。それが何よりの励ましです。

◆天皇制、もうよくないか…

 知り合いの人文学者が、SNS上で天皇制の「正しく伝統的なあり方」を主張する論陣を張り続けているのだが、それを見ると恥ずかしくていたたまれなくなる。私は、そういう規範を解体し、より自由で解放された社会にしていくために人文学をやっているのだけど、その人は何のために研究しているのだろう、と不思議に思う。

 その人は、自分の意見について反論されるたびに、原典を読んで伝統的に正しい学説を学べとか言うのだが、これもすごく恥ずかしい。それより先に、いま現在この制度がどんな不条理を生んでいるか、また過去にどんな加害を犯したか、それを学んで行動を変えられないものなのか*1。制度も伝統も人が作ったものである。だから変えられるものだ。問題があるのだから変えればいい。ただそれだけのことじゃないか。

 天皇制って、一目見たらわかる通り、家制度、男女二元論、再生産的異性愛規範(男女は結婚して子供を産めという規範)、モノガミー規範(一対一の関係で恋愛・パートナー関係を築けという規範)、男性中心主義(女性とされる人は天皇に慣れない)をまさしく「象徴」している。つまり、直接そう言ってはいなくても、この形式を国の象徴として持ち上げることで、「これが理想の家族ですよ」という規範の提示として機能する。こうした規範に圧殺されられてきた人がたくさんいる。

 太平洋戦争でアジア侵略の旗印として使われたのは天皇であり、その戦争加害の責任を背負わないまま、制度が温存されてしまっていることの問題も大きい。つまり、今の議論は、「戦争加害の象徴」を一生懸命守り続けている構図にしかなっていない、ということだ。

 そもそも、一部の「血筋」の人々に対して特別待遇を与えるのは、明らかに人はみな法の下の平等であるという憲法の理念に真っ向から反しているではないか。蛇足だが、皇族には選挙権がないとか、政治活動できないとか、皇太子・天皇になると勝手に今後の人生が決められてしまう(=職業選択の自由がない)とか、そういう問題もある。

 天皇制は戸籍制度とも深く結びついている。天皇には今でも「戸籍」がない。戸籍はもともと「臣民簿」であり、人々を天皇家のもとで管理するためのものであるからだ。そしてその戸籍から、在日朝鮮人が排除されているのも象徴的である。

 もうさあ、男系とか女系とか、誰に天皇をやってもらうとか、身勝手でグロい話はやめにしようよ。その方法は簡単だ。天皇制をやめればいい。そのために、天皇制の規則を細々と定めている日本国憲法の第一条~第八条を、全部削除しよう。(SNSで教えてもらったのだが、主権在民を定めている唯一の条が第一条なので、その部分だけは何らかの補填が必要になると思う。)*2

◆経済的徴兵制

 自衛隊には貧しい人が行く云々という話が話題になっている。いま現実に、自衛隊学校に通うと給与が出ることの意味を考えれば、答えはすぐに分かると思う。お金に困ったから自衛隊学校に通ったという話はありふれている。九大で困窮に苦しみ焼身自殺した法学の非常勤講師がいたけれど、あの人も自衛隊学校出身で、その後に研究の道に進んで、奨学金の返済に苦しんで自殺したという話だった。

 わざわざ徴兵制を敷かなくても、経済格差を広げ、困窮世帯を増やすことで、実質的な徴兵制ができるという話。これを経済的徴兵制という。生活保護受給者が軍隊に徴収される日も来るのかもしれない。

◆疲労困憊

 ここ一か月ほど、仕事とは別に、複数件の相談事に対応していて、正直パンクしかけている。複数の相談事をはしごした結果、合計で一日に十時間喋っていた、ということもある。たぶん二次受傷・共感性疲労と呼ばれる状態になってる気がする。カウンセラーが自分をどうケアしているか、みたいなことを学ぶ必要があるとぼんやり考えている。

 たぶん頭の中が情報過多になってしまって整理できていないというのもある。頭の中をいっぱいにしているのは相談事だけではなくて、社会の状況とか、仕事の準備とか、他にも色々ある。相談事自体をここに書くわけにはいかないけれど、以上に書いてきたような感じで、思考を吐き出すことはできるので、これは続けていきたい。

 本当は、以上に書いていたことも一つ一つちゃんと調べて、単独の記事として読みやすくパッケージにしたかったんだけど、現状でそこまではやるのは難しく、ひとまず勢いで書く形にした。いずれまた以上の文章を再利用しつつ、丁寧にまとめられたらいい、って感じかな。

◆音楽

 友達にKASHIKOI ULYSSESを教えたら、良かったと言ってくれて嬉しかった。なぜか自分のことのように嬉しい。

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(棋客)

*1:(もちろん原典を読むことも無意味なわけではなくて、それによって歴史的な制度の変遷や成り立ちを知ることができる。でもそれは、系譜や血筋といった「正しいあり方」を定めるためではなく、歴史を学ぶことでそういった「正しさ」を相対化するためにあるはずだ。

*2:最近、こんな声明が出ていました→声明「今こそ、天皇制に終止符を 差別と家父長制のない未来のために」を出し、院内集会「『皇室の存続』や女性天皇の議論を認めず、私たちは天皇制廃止を求めます」を開きます。賛同を募集中!|ふぇみん 新聞

最近見たお笑いコンテンツ

 久しぶりにお笑いの話です。最近重い話題が続いていたので、今回は軽めに、見て面白かった動画をだらっと紹介します。どれも短めの動画なので、ちょっと一息つきたい人は見てみてください。

①TCクラクション

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 TCクラクションのネタ動画にはまりました。コントも漫才もとても綺麗で、しかもハッピーな雰囲気を醸し出すのがすごく上手だなと思います。

 ↑は綺麗な伏線回収もの。

 ↓は価値転換が鮮やか。TCクラクションの漫才にはこういう作品が多いです。同じ行動や同じ言葉が、後半ではボケになったり、ツッコミになったりする面白さがあります。

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 私のブログ記事は、どれも予約投稿でだいぶ前に書いているのですが、この記事を書き上げた後に、TCクラクションがダブルインパクトという漫才・コントの両刀で競う大会で決勝に進出しました! テレビでも流れますので、ぜひ見てみてください。

②無尽蔵

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 無尽蔵の漫才もよく見ています。「開発会議」のパターンで色々な漫才を作っているのですが、似た展開になってないのがすごいなと思います。

 ボケの野尻さんの連載記事はかなり読み応えがあります。「内輪ボケ」の問題、賞レースの問題など、自分がお笑いで論じたいと思っていたことがだいたい書かれていました。下はその中でもかなり踏み込んだことが書かれている回です。

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③タイマン森本

 相変わらずタイマン森本もよく見てます。(以前まとめて感想を書きました→「タイマン森本」が好きすぎるという話 - 達而録

 森本さんの魅力は、やっぱり「内輪」感をできるだけ削った笑いのフォーマットに即興で持っていけることだと思います。

 好きな回はたくさんあるのですが、最近で一つ挙げるならこれかな。ドキュメンタリー的な味わいを醸していて素敵です。

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 最新回もすごく好きでした。ロジャーさんを初めて見たのですが、その素直な人柄にすっかり虜になってしまいました。

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 森本さんが様々な芸人にツッコむライブ「ぶち切れデトックス」も見てきました。ああ~しらきさんが面白過ぎました。やっぱりリアルのライブもいいな~と思いますね。

(棋客)