達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

鄭玄が注を書いた順序(1)

 藤堂明保「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』汲古書院、1986)は、鄭玄についての古典的な研究です。後篇第四章が闕文になっているのですが、それでも今なお鄭玄研究の第一に挙げられる基礎的な論文といえます。

 この論文には、鄭玄の生涯、また社会的背景を辿りつつ、その各経書への注釈の特徴などが論じられていますが、特に重要なのは、鄭玄が経書に注釈を附した順番を以下のように想定する点にあります。

  1. 緯書注、六藝論
  2. 三禮注(周禮→儀禮→禮記)、駁五経異議、箴膏肓など三篇
  3. 古文尚書
  4. 論語
  5. 毛詩箋、詩譜
  6. 周易

 以下、池田秀三「緯書鄭氏学研究序説」(『哲学研究』47(6)、p787-815、1983)、「鄭學の特質」(『兩漢における易と三禮』汲古書院、2006)あたりも参考にしながら、順番に考えていきましょう。

 

 上に挙げた執筆順は、それぞれ別の根拠に基づいているので、一筋縄で論じられるわけではありません。そもそも『後漢書』鄭玄伝から、はっきり著作した時期が分かるのは『発墨守』などの三篇のみです(党錮の禁に遭った頃、何休と論争した話があります)。しかし、これ以外は正史の列伝を見ても全く分からないので、他の方法で見分けていくしかありません。

 例えば、緯書注が最初期とされる根拠は、以下の記述からです。

『続漢志』百官志、劉昭注

 康成淵博、自注『中候』、裁及注『禮』、而忘舜位、豈其實哉。

(訳)鄭玄の学は該博であり、『尚書中候』に注してから、ようやく『礼』に注した。

 これが何の資料に基づくのかは不明ですが、劉昭(梁)の頃は『鄭玄別伝』といった資料がまだ存在していますから、一応信頼できると考えておきましょう。

 ここには『尚書中候』しか出てきていませんが、他の緯書注も同時期と考えてよいとされています。鄭玄が若いころから緯書や術数学に精通していたという話は、鄭玄伝に明文がありますし、鄭玄の注釈を見ていても明らかです。

 

 次は『六藝論』です。『六藝論』は、鄭玄の注釈の総序、序説とでもいうべき著作で、鄭玄が自分で自分の学問の概説を述べた書です。この著作の執筆時期については意見が分かれており、最初期とするものと最晩年にするものとがあります。

 晩年とする根拠は、この中で鄭玄が『毛詩』に言及しているが、鄭玄が『毛詩』を知ったのは晩年のことであるはずだから、というものです。内容が全体を総括する色彩をもっていることからも、晩年の著というイメージが出てくるのでしょうか。

 最初期とする直接の根拠は以下の太字部分です。

『公羊注疏』何休序、疏

 何氏本者作『墨守』以距敵長義以強義、為『癈疾』以難『穀梁』、造『膏肓』以短『左氏』、蓋在注傳之前、猶鄭君先作『六藝論』訖、然後注書

(太字訳)鄭玄は先に『六藝論』を作り終わってから、その後に他の書物に注した。

  下線を引いたところがよく読めず、阮元校勘記でも色々と議論されているのですが、今は置いておきましょう。とにかく『公羊疏』は、何休が公羊注を書く前に『墨守』などを著していたのではないかと推測し、これを鄭玄が先に『六藝論』を書き、後に書(この場合は普通名詞でしょう)に注釈を附したことになぞらえています。

 同じく、この情報が何の資料に基づくのかは不明なのですが、『公羊疏』も古いものですから、信頼できると考えておきましょう。

 これに加えて、皮錫瑞は、鄭玄が初期に今文学を学び、徐々に古文学を取り入れたと考えるので、『六藝論』が今文説を多く取り、緯書をよく引用することから、初期の作であると結論付けています。今文説・古文説の話は置いておくにしても、『六藝論』の内容はほとんどが緯書の引用からなり、それによって経書の成り立ちを総論している書であることは確かです。よって、上の緯書注の制作と同時期であったとすると納得できます(池田秀三「緯書鄭氏学研究序説」を参照)。

 ここから、藤堂氏・池田氏は、六藝論は最初期のものであるが、一部は晩年に増補された、としています。

 

 さて、三禮以下の執筆順については、以下の記述が大きな考証材料になっています。

『唐會要』卷七十七、劉子元上孝經註議

 鄭自序云「遭黨錮之事、逃難注禮、至黨錮事解、注『古文尚書』、『毛詩』、『論語』。爲袁譚所逼、來至元誠、乃注『周易』。

(訳)鄭玄の「自序」に「党錮の禁に遭って、難から逃れて『礼』に注した。党錮が解けて、『古文尚書』『毛詩』『論語』に注した。袁譚に迫られて、元誠に行き、ようやく『周易』に注した」という。

 『文苑英華』にも「孝經老子注易傳議」として引かれています。『孝経注疏』の引く文章には「注禮」の二字がありません。

 この文章は、劉知幾が今文『孝経』鄭注に反対する十二の条のうち、最初の一つに引かれている根拠です。劉知幾を経由したこの引用以外に、この文章は見えません。今回の私の疑問は、この「鄭自序」とはどういう本なのか? というものです。過去の議論は基本的にこの記述をそのまま信用しており、それ以上の議論が見当たりません。

 文章の内容から素直に考えると、『周易』の自序なのかな、という感じですが、そういう理解で良いのでしょうか。ただ、鄭玄が自分で書いたものと考えると、少々引っ掛かる点があるのも事実です。

 というのも、『後漢書』鄭玄伝の最後に、

後漢書』鄭玄伝

 時袁紹曹操相拒於官度,令其子譚遣使逼玄隨軍。不得已,載病到元城縣,疾篤不進,其年六月卒,年七十四。

 と記されており、先の「爲袁譚所逼、來至元誠」と内容は確かに符合します。しかし、そもそも鄭玄が自分で「爲袁譚所逼」と書くものでしょうか。当時の最有力者の子である袁譚の名を直言し、かつ「所逼」などと書いてよいものかどうか。『後漢書』鄭玄伝に「不得已」とあることから、鄭玄が袁譚に応じたのが「所逼」であったのは事実でしょうが、鄭玄が自分でこう書くとは考えにくいように思います。

 もう一つの疑問は、「載病到元城縣,疾篤不進,其年六月卒」という有様であった鄭玄が、この時期に『周易注』や「自序」を書けるものだろうか、という疑問。まあ、これは前々から書いていて完成したのがこの時、と考えればいいでしょうか。

 個人的には、「遭黨錮之事、逃難注禮」や「爲袁譚所逼、來至元誠、乃注周易」という文に、『後漢書』鄭玄伝を題材にしながらも、いわゆる「発憤著書」のイメージで味付けされた創作の香りがするのですが、皆さんはいかがでしょう。

 ま、いろいろ議論したところで、数少ない資料である「鄭自序」の引用は、結局参考にせざるを得ないのですが。

 

 最後に、これは細かな揚げ足取りですが、池田秀三「緯書鄭氏学研究序説」では、「自注中候、裁及注禮」と、「遭黨錮之事、逃難注禮」を組み合わせて、緯書注の執筆は党錮の禁以前とします(p.64)。ただ、この二つの記述から、緯書注の執筆は党錮以前であるとは言い切れないのではないでしょうか。党錮の禁→緯書注→三禮注という可能性は否定しきれないかと思います。

 

  さて、「著作の順番」と一言でいうのは簡単ですが、実際には「これで完成」という絶対的なタイミングは存在するものではなく、後から何度も書き直されるものであるはずです。『六藝論』はその一例ですが、他の著作も同様で、集中的に書かれた時期はあるのでしょうが、その後に各説の修正は不断になされているはずです。

 また、『鄭志』を見ると、弟子の質問によって鄭玄説の矛盾が明らかになり、鄭玄が苦労して説明している例もよく見受けられます。学者や弟子との対話の中で、誤りを発見し後から修正することもあったはずです。結局、「著作の順番」というのは緩やかな括りで考えなければならないことも、忘れてはいけません。

 とはいえ、こうした考察が無意味というわけでもありません。「中心的に書いたのはこの時期」という想定を頭に置いておくことによって、鄭注を読んでいてぶつかった疑問が解けることもあるのです。

 

 今週は初期の著作だけを取り上げました。次回に続きます。

(棋客)

「達而録」note、始動!

 先日、「達而録」のnoteを開設いたしました!

note.com

 「note」とは、作者が文章・漫画・写真などを投稿し、読者はそのコンテンツを楽しみながら支援することができる場所です。最近は、私の知り合いでもnoteに記事を投稿する人が増えており、学術的な内容を含むものも増えている印象があります。はてなブログほど高機能なわけではないですが、広告がなく見やすいレイアウトは魅力的ですし、気軽に金銭的な支援をできる/受けられるのも大きな要素です。

 「達而録」noteには、「新たな学びに興味を持っている方に、最初の入り口を提供する」記事を載せてまいります。レベルとしては「入門」で、多くの方に無理なく読んでいただけるものですが、「簡単なことだけ」を伝えるのではなく、「難しいことを、かみ砕いて分かりやすく」伝えることに重点を置いていていきたいと考えています。

 

 早速、先日から、『鄭玄から学ぶ中国古典』というシリーズを更新し始めました。ひと月の間、月・水・金の週三回更新しますので、楽しみにお待ちください。

note.com

note.com

 これは、本ブログでも何度も取り上げている「鄭玄」の生涯とその学問について、一から振り返りながら詳しく解説したシリーズです。

 書き上げるのに三か月ぐらいかかり、本の購入・遠方への図書調査もしましたので、売り物にしてもバチは当たらないかと思い、全文読むためには少々ご支援を頂くことにいたしました。もしよろしければ、購入して応援頂けると嬉しいです。

 誰でも読みやすいように書いたつもりですが、後半の途中あたりからはどうしても難しくなってしまったかもしれません。考えるための道具はだいたい説明しているので、もしよろしければ、時間を掛けてゆっくり読んでみてください。

 

 なお、本ブログ「達而録」の活動方針が大きく変わるというわけではありません。あくまでこのブログの更新を主とし、これまで通り、こちらに専門的な記事・読書紹介記事を載せてまいります。noteの方は、時間をかけて書いた作品を発表するイメージで使います。過去本ブログに載せた連載記事を、分かりやすく整理してnoteにアップする、という使い方も考えています。

 

 ちなみに、他の方のnoteのおすすめ記事として、以下のシリーズを挙げておきます。たいへん興味深い内容ですので、ぜひ読んでみてください。

note.com

(棋客)

緊急事態宣言に対する各大学のメッセージ

 先日、二度目の緊急事態宣言が行われました。

 対面授業が再開したり休止したり、テストだけ対面で行ったりやっぱり中止にしたり、何かと振り回されている学生の身としては、自分の大学の学長・総長が学生に対してどんなメッセージを発しているのか、というのは気になるところです。

 そんな中、各大学のメッセージを眺めていると、なかなか興味深いものがありましたので、みなさんと共有したいと思います。

 

 まず、2021年1月12日の同志社大学学長の植木朝子氏のメッセージ(太字強調は筆者による、以下同様)。

 新型コロナウイルス感染者数は増加の一途をたどっており、感染拡大が深刻になっています。世界中で多くの人々が苦しんでおられる現状において、まずは、感染された方、そのご家族、関係者の方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、困難な状況下において、社会生活を支えて下さっている方々に、心からの敬意と謝意を表します。

 1月7日に、政府より首都圏の1都3県を対象とした緊急事態宣言が発出されました。また、大阪府京都府兵庫県は国に対し緊急事態宣言の発令を要請しています。この要請を受けて、京阪神の2府1県にも緊急事態宣言が発令される見通しです。しかし、すでに緊急事態宣言が発出された首都圏においても、教育機関に対する休業要請は出されていません。

 教育研究活動は不要不急の事柄ではありません。同志社大学は、秋学期の授業は現状通り続けてまいりますし、秋学期末試験についても、既にお知らせしている通りで変更はありません。もちろん「同志社大学新型コロナウイルス感染症拡大予防のためのガイドライン」に示している通り、発熱等の一定の症状がある場合は、申告により出校停止とし、また基礎疾患や持病がある等、感染した場合に重症化するリスクの高い学生に対しては、通学を強要せず受講・受験機会の確保等の配慮を行うこととしていますので、そのような場合は申し出てください。

 本学ではコロナ禍にあっても、感染症拡大予防に最大限の注意を払い、秋学期の対面授業を進めてきましたが、現在まで、本学構内の授業におけるクラスターの発生はありません。私たちはこの困難な状況下での経験から多くを学び、感染拡大予防と教育研究活動を両立させてきました。学生の皆さんと教職員の不断の努力に敬意を表し、心から感謝いたします。

 引き続き、お一人お一人が基本的な感染予防策を踏まえた適切な行動をとり、自律的に体調管理に努めてくださいますようお願いいたします

学生・教職員の皆様へ~京都府から国への緊急事態宣言の発令要請を受けて~/To Students and Staff - In response to Kyoto Prefecture’s request to the Japanese government to declare a state of emergency -|2020年度の学長からのメッセージ一覧|同志社大学

 

 続いて、上智大学学長の曄道佳明氏(2021年1月7日)。

 新しい年を迎えて早々に、首都圏では新型コロナウイルス感染拡大が止まらず、緊急事態宣言が発出される事態となりました。感染の危険性がより一層身近なものとなり、学生の皆さんも不安を感じていると思います。

 今回の宣言発出を受けて、当面の大学の活動について協議した結果、今学期の授業は予定通り対面とオンラインを併用して継続することとしました。対面授業については、健康上の不安がある場合、オンラインによる受講でも不利益になることはありません。また卒業、修了に向けての実験などの研究活動、それを支える図書館等の施設利用も維持します。本学では入構者の確認、検温、十分な対人距離を確保した教室使用など、感染防止策を講じてきました。今回の緊急事態宣言では教育機関への休校要請等は特に行われないことも踏まえ、引き続き細心の注意を払いながら教育・研究活動を継続する判断をしました。ただし、状況がさらに悪化した場合には、皆さんや教職員の安全確保のため、さらに踏み込んだ措置を取りますので、大学からのお知らせには注意してください。

 他方、課外活動については、残念ながら当面の間、対面での活動は停止をお願いします。学生の皆さんがどれだけ感染防止に気を遣い、工夫をして活動してきたかは十分承知しています。1年生の大学生活を仲間として支えることにも尽力し、さまざまな場面で上智の精神を体現してくれたことに心から敬意と感謝の意を表します。課外活動の制限は不本意ですが、社会の回復に向けた貢献と考え、感染の拡大をくい止めるべく、宣言解除までの間は今後の活動に備えていただきたいと思います。

 社会活動の制限による心理的な不安、経済的な心配ごとなどに対し、緊急事態宣言下でも今まで通り学生センター、カウンセリングセンターは常時皆さんからの相談を受け付けています。キャリアセンターもオンライン相談や多数の動画配信を続けて、皆さんの進路選択を支援していますので、ぜひ活用してください。

 すでにお示ししている通り、2021年度は対面授業を中心とし、一部にオンデマンドの授業を取り入れる方針で準備を進めています。皆さんとご家族の健康が守られ、キャンパスでの活動再開が可能になるよう、何としてもこの感染拡大を鎮静化させ、この局面を乗り越えなければなりません。引き続き自覚を持って行動し、感染を防ぐ努力を怠らないよう、どうぞ各自がその責任を果たしてください。コロナとの付き合いはすぐには終わらないかもしれませんが、私たち自身が持つ力を信じ、困難に直面する世界中の人々とともに乗り越えていきましょう。

(学生の皆さんへ)学長メッセージ ~緊急事態宣言の発令にあたって~ | ニュース | 上智大学 Sophia University

 

 続いて、大阪大学総長の西尾章治郎氏。今回の緊急事態宣言に対するメッセージは特に出されていないようですが、一か月前、「年末年始に向けた感染防止対策のお願い」が出されています。

 今年も残すところあと僅かとなりましたが、2020年は新型コロナウイルス感染症と向き合う一年となりました。新型コロナウイルス感染防止対策について、本学学生・教職員の皆さんの長きにわたるご協力に深く感謝申し上げます。

 新型コロナウイルス感染症は、私たちの日常生活を一変させました。特に、学生の皆さんにおかれては、オンラインによる授業の実施や課外活動への制限、さらには入学式や大学祭の実施見送りなど、学生生活の変化に大きく戸惑われたのではないかと案じています。また、教職員の皆さんにおかれても、こうした変化への対応にひと際ご苦労をなされてきたのではないかと思います。

 このような状況の中、本学では、教育・研究活動への影響が最小限となるように、そして、学生の皆さんの学生生活が充実したものとなるように、できる限り平常時に近い状態で大学活動を行えるよう対応を進めてまいりました。

 そのため、本学では、突発的な感染者の発生は想定しつつも、できる限り感染から身を守り、感染者が出た場合でもそこからの感染拡大を防ぐことに主眼を置いた感染防止対策を実施しているところです。これまで本学においても50人を超える感染者が出ていますが、教育・研究活動においては感染防止対策を適切に実行していただいており、このため、これまで学内で感染拡大を起こしたケースはなく、対策は有効に機能しているものと考えています。

 これから年末年始を迎え、公私においてさまざまな行事が増える時期ではありますが、感染拡大を防ぎ、教育・研究活動の平常化を保つためには、継続的な感染防止対策の徹底が不可欠です。特に、1月中旬には大学入学共通テストが控えており、大学として万全の状態で入試の時期を迎えるには、年末年始の過ごし方が極めて重要になります。

 もとより、大阪府において医療非常事態宣言が発出されたように、このたびの第3波と呼ばれる感染拡大により、全国において医療体制がひっ迫しており、こうした状況を克服するためには、一人ひとりの行動変容が強く求められています。

 つきましては、本学の学生・教職員の皆さんにおかれては、皆さんの命と、皆さんを支えてくれている人々の命を守るため、そして今般の危機的状況を共に乗り越えるために、引き続き、別紙の感染防止対策の徹底にご理解とご協力をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

 2021年が幸多き飛躍の一年となりますようお祈り申し上げます。

年末年始に向けた感染防止対策のお願い — 大阪大学

 以上、三つのメッセージを見てきました。どれも、広い視野に立って教職員と学生に寄り添いつつ、改めて協力を要請する内容です。

 たいへん常識的な内容で、読んでいて不快になることもなく、素直に読めば「うんうん、先生たちが大変なのも分かっているよ、一緒に頑張っていこうじゃないか」という気持ちになるのではないでしょうか。また、これらのメッセージを見ると、教職員や学生の頑張りが見え、「どこもなかなかいい大学なんじゃない?」という印象を受けます。

 

 一方、京都大学の総長である湊長博氏の2021年1月12日のメッセージが以下です。湊氏のメッセージはこれが初めてのもので、かつ以下の文章が全文です。

 昨年末から首都圏における新型コロナウイルス感染症が急速に拡大し、現在では関西圏にも拡大波及しています。コロナウイルスは極めて感染性の高いウイルスであり、主な感染経路は経口飛沫感染です。従って、感染防止の基本は、不織布マスクをはずした状態での第三者との近距離での会話や食事(会食)を避けることに尽きます。これは相手が誰であるか、どのようなシチュエーションであるか、昼か夜か、を問いません。ウイルスに言い訳は通用しません。もし皆さんが感染した場合には、たとえ皆さん自身は無症状や軽症であったとしても感染拡大の起点になり、高リスクの人々に深刻な病気をもたらす危険性があることを強く肝に銘じて下さい。今上記の基本を忠実に守った生活を送ることが、少しでも早く本来の自由で活発な大学生活を取り戻すための必須条件です。皆さんの、京大生としての良識と自覚を信頼しています

(PDF直リンク:https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/inline-files/kinkyu-message-210112-f8b51b9d1288c1a6cc057eb39bfbfa53.pdf

 教職員・学生への理解を示すでもなく、今後の方針を示すでもなく、ただ学生に注意をするだけで終わり。しかも、学生側は感染を引き起こす加害者としてのみ扱われています。

 湊氏は10月に新たに着任した総長ですから、全体の総長メッセージの方に詳しく言及があるのかと思いましたが、「昨今の新型コロナウイルスに代表される感染症の拡大…」という一文があるだけです。→湊長博総長からのメッセージ | 京都大学

 むろん、メッセージなどは形だけのもので、実際にどのような対策を行い、学生支援を行っているか、というのが重要な点ではあります。しかし、総長の態度・メッセージというのは、その大学全体の態度を示すものとして第一に参照にされ得るものです。このメッセージでは、学生だけでなく、学生に寄り添いながら感染予防に協力してきた他の京大教職員の方々まで、外部から誤解を受けてしまいます。もう少し慎重なメッセージを書けなかったものか、と思ってしまいます。

 さて、もしかすると、「第三者との近距離での会話や食事を避ける」「昼か夜か、を問いません」という一文は、湊氏なりの微言大義春秋の筆法であり、京大生に向けたメッセージに見せかけて、実は湊氏は政府批判をしていたのかもしれません。一見でそこまで読み取れなかったのは、私の不徳の致すところです(冗談です)。

 

 こうなると、東京大学のメッセージが気になりますが、今回の緊急事態宣言に対するメッセージは特に出ていないようです。代わりに、2020年6月1日に東京大学総長の五神真氏による「“With-Corona” “Post-Corona”の新しい大学の創造に向けて」というメッセージがあります。→新型コロナウイルス感染症に関連する対応について 総長メッセージ | 東京大学

 

 また、同じく緊急事態宣言が出された福岡の九州大学も、同様に今回の緊急事態宣言に対する総長のメッセージは現時点で特に出されていないようです。その代わりに、「新型コロナウイルス特設ページ」がオープンしています。

www.kyushu-u.ac.jp 

 内容を見たところ、上に挙げた各大学の特設ページに比較すると、けた違いで充実しています。ここに示される対策や方針、感染時の対応は、九大関係者に限らず、多くの組織で流用できるのではないでしょうか。こうした「知の提供」の方法もあるのだと、感心いたしました。

 むろん、見た目だけが大事というわけではありませんが、ちょっと京大と見比べてみてくださいよ(棒)新型コロナウイルス感染症への対応 | 京都大学

(棋客)

新年のご挨拶

 遅れましたが、明けましておめでとうございます。

 昨年は、コロナの猛威を目の当たりにし、家で読書を楽しめる心を持つことの素晴らしさを改めて実感した一年でした。願わくば多くの方に、(本ブログの「読書案内」のカテゴリーから本を探し、)気軽に古典に触れていただきたいと思います。

 週一回更新というのはなかなか大変なもので、最近は専門的な記事をあまり書けておりません。とあるブログで、「毎週不断に続けている達而録はいったい何者なのかと思うようになってきた」というお褒めの言葉をいただきました。私の場合、長い記事を分断して一か月分にしていたりするので、実は毎週更新というほどの内容ではないのですが、気づいていただいて嬉しいものです。ただ、最近は別の作業で少し忙しいので、しばらくは読書案内型の気楽な放言記事が続くかと思います。

 

 さて、ブログを開設してから二年半ほどの間に、161本の記事を書いていたようです。過去の記事を見返してみると、なかなか面白いものもありますが、内容に誤りがあるものや、文章が読みにくい記事も多いと感じます。また、たいへん恐縮ながら、他の先生方に言及いただく機会が増え、ちょっとしたプレッシャーも感じております。とはいえ、今後も「難しいものを分かりやすく」という基本方針は変えずに執筆していく予定です。

 なお、本ブログにおいては、内容を書き直す場合や追加する場合は、【〇年〇月〇日追記】という形で書き足すようにしています。コメント欄やTwitterなどで情報提供をいただいた場合は、その旨も合わせて記載しています。但し、内容の主旨が変わらない変更(誤字脱字の修正、読みにくい文章の書き直し)は、特に断っていませんのでご留意ください。 

 

 ↓橋本秀美先生の連載、世事と古典に触れながら思索を深めていく、たいへん刺激的な記事になっています。ウェブ雑誌「Mercure des Arts」に載っていて、下から読めます。おすすめです。

mercuredesarts.com

小徐本「祁寯藻本」についての記事の訂正

 先日、木津祐子先生の論文京都大学蔵王筠校祁寯藻刻『説文解字繫伝』四十巻について」(『汲古』78号、p.21-28、2020-12)に、本ブログへの言及があると知り合いに教えていただき、驚きでひっくり返りました。確認してみると、筆者が以前書いた記事の誤謬をご指摘いただいており大変お恥ずかしいですが、論文で言及していただいて嬉しい限りです。 ※雑誌『汲古』バックナンバーのページ

 このような事情から、今回は以前の記事の訂正になります。また、最近新たに公開された『説文』の版本や研究もありますので、ここで合わせてご紹介いたします。

 

 本ブログでは、しばしば『説文解字』の版本について整理をおこなってきました。→ 「『説文解字』公開画像データ一覧【改】 - 達而録」など

 その中で、『説文解字』の小徐本(説文解字繫伝)の代表的な版本の一つである「祁寯藻本」について、人文研・京大文学部図書館に蔵されている版本の種類を調べて載せておりました。→『説文解字』小徐本「祁寯藻本」について - 達而録

 ところが、この記事の調査結果に誤りがあり、木津先生の論文でこの点をご指摘いただいています。以下でご説明します。

 


 

 「祁寯藻本」は道光十九年に刻された刊本ですが、その後に何度も修補を経ており、印刷時期によって微妙に、また大きく字句が異なります。郭立暄『中國古籍原刻翻刻與初印後印研究』(中西書局、2015)では、これを印刷順に初印甲本、初印乙本、初印丙本、初印丁本、後印甲本、後印乙本、後印丙本に分別しています(それぞれの相違は以前の記事を参照)。

 そこで、人文研・京大文学部図書館の『説文解字繫伝』のA本(人文科学研究所図書館 東方 經-X-2-15)、B本(人文科学研究所図書館 東方 經-X-2-16)、C本(文学研究科図書館 中文 A Xg 4-2)がどれに当てはまるのか調べたのが以前の記事です。

 

 以前の記事では、A.初印丙本、B.後印丙本、C.初印乙本としていましたが、このうちC本が誤りで、正しくはC.初印甲本です。つまり、もう一段遡る、最初期の版本だったということになります。

 また、完全に書き忘れていたのですが、さらにD本(文学研究科図書館 中文 A Xg 4-3)が存在し、これは後印丙本に当たります。

 以上、謹んで訂正いたします。木津先生、ありがとうございました。

 

 木津先生の論文の内容は多方面に亘っていますが、その中の一つに、上の二種の後印丙本(BとD)が、実は他の後印丙本と異なる特徴を持ち、郭氏のいう「後印丙本」は更に二分されると指摘するところがあります。BとDは、後印丙本の中でも更に新しい時期に印刷された本ということになるようです。

 以前の記事で、私が行った作業は郭氏の作った異同表をもとに確認しただけで、実は郭氏の分類ではどこにも入らない新種の印本という可能性もあると無責任に書いていましたが、本当にそうだったとは思いもよりませんでした。これを確かめるためには全ての字句を細かく確認せねばなりませんから、当たり前ですがたいへんな作業が必要です。

 また、続稿にて、顧千里の『説文』校勘に関する議論が取り上げられるということで、こちらも楽しみにしております。(ちなみに本ブログでも、顧千里と段玉裁の論争を紹介したことがあります。→顧千里『撫本禮記鄭注考異』と段玉裁(1)

 


 

 続いて、最近のニュースです。まず、上に紹介したB本は、昨年の七月ごろ、人文研の「東方學デジタル圖書館」にて画像公開されています。→說文解字繫傳 四十卷 坿 校勘記 三卷

 さらに、問題となったC本が、去年の十月ごろ、「京都大学貴重資料デジタルアーカイブにて画像公開されています。→説文解字繋傳 40卷 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ 

 ブログで扱った直後に貴重な版本が立て続けに公開されて、これまた嬉しい限りです。もともと祁寯藻本の公開画像はほとんど皆無でしたので、大きな価値があると言えます。

 祁寯藻本の「初印本」と「後印本」の間で校勘記が付け加わり、その後も更に多くの修正がなされました。同じ版本ですから見た目はそっくりなのですが、細かく見てみると字句の修正が入っているのは面白いものです。上の二種の画像公開により、図らずも、祁寯藻本「初印本の中でも最初期の本(C)」「後印本の中でも最末期の本(B,D)」が揃ったということになります。興味のある方は、ぜひ眺めてみてください。

 


 

 さて、『説文』の版本研究は近年非常に盛んで、こうして新たな画像公開も進んでいるほか、論文も多数発表されています。そのうち、鈴木俊哉先生に教えていただいた董婧宸先生「毛氏汲古閣本《説文解字》版本源流考」(『文史』、2020-08-01、CNKI)にはたいへん啓発を受けました。

 まだ内容を消化しきれていませんが、汲古閣本の前後の版本状況を図版とともに詳細に整理し、また近年の中国・日本の研究を丁寧に踏まえながら、全面的な記述がなされています。以前、高橋由利子先生が疑問を提起していた版本の正体を明かしている部分もあります。また、末尾には汲古閣本関係の版本全体の系統図も示されています。汲古閣本に関する決定版の研究の一つと言えるのではないでしょうか。

 特に、汲古閣本の源流に迫る部分について、簡単な要約を以下に示しておきます。

 

 汲古閣本の祖は、趙均(1591-1640)の抄本です。これは、当時通行していた李燾『説文解字五音韻譜』明刊本と、趙宦光(1559-1625)旧蔵の宋本『説文解字を基礎として作られました。趙均抄本は、篆文と正文は『五音韻譜』明刊本(当時の通行本)を用いており、これを宋本『説文』の配列を参考にしながら切り貼りすることによって、作られたものでした。つまり、これは摩耗が大きかった趙宦光蔵の宋本『説文』を、通行本『五音韻譜』を使って作り変えたものだったようです。

 これまで、趙均抄本は宋刊大字本をもとにしていると考えられることが多かったようですが、むしろその篆文や字句は、『五音韻譜』明刊本に拠るものであったということになります。(このこと自体は、本論文以前から指摘があったようですが、ここでより詳細な考証がなされています。)

 汲古閣本は、この趙均抄本を底本とし、毛晋(1599-1659)と毛扆(1640-1713)の手によって制作されました。この間に何度も修補がなされながら印刷が試みられ、最終的に第五次修改本によって完成しました。その修正の過程を追うのは容易ではありませんが、材料がある以上は不可能というわけではありません。

 董氏は、汲古閣本を毛試印本、毛初印本、毛剜改本などに分別し、それぞれの修補において主に用いられた材料を事細かに論証しています。大雑把に言えば、汲古閣本は例の趙均抄本によって基礎が作られ、その上に宋本『説文』、宋本『繫傳』による修正を加え、更に『玉篇』『広韻』『類篇』など多数の書籍の『説文』引文をもとに細かな修正を加えて作られています。

 清儒たちはよく、『五音韻譜』による『説文』改編を、『説文』の原貌を失わせたものであるとして深く嘆いています。しかし、汲古閣本を辿ると結局『五音韻譜』(しかも明刊本)の再配列本にたどり着くというのは、なんとも皮肉な結果です。

 こうなってくると、最初に紹介した 「『説文解字』公開画像データ一覧【改】 - 達而録」 も、更に改訂版を作らなければならないことになりますね。苦笑

 


 

 汲古閣本にせよ、祁寯藻本にせよ、これだけ版本が豊富に残っていると、奥深い研究ができるものですね。版本研究はどうしても現物を相手にせねばならないものですから、現物が残っていなければどうしようもない分野です。また、『説文』では文字の出入だけではなく、篆字の形の相違など注目できるポイントが多い上に、基準となる宋本が現存しています。他に、清朝考証学者はどの段階の版本を用いていたのか、といった方向の研究も可能でしょう。私は専門というわけでは全くありませんが、このように材料が豊かな状況を考えると、『説文』は版本研究として理想的なフィールドの一つなのかもしれません。

 末尾になりますが、実は以前、鈴木俊哉先生に謝辞で本ブログに言及していただいたこともありました。本ブログを取り上げていただいた木津先生、鈴木先生に改めて感謝申し上げます。(この訂正記事でまた誤りを重ねていないか、不安で仕方がないですが…)

(棋客)