達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

「罔両問景」の方法論とクィア・マルクス主義(1)

 ここ数年、私が力を入れて調べてきたことに、クィア・マルクス主義、ならびに台湾のフェミニズムの歴史があります。

 また、「台湾のフェミニズム」のウィキペディア記事も書いたことがあります。

 今回は、上のブログ記事で紹介したペトラス・リュー『二つの中国におけるクィア・マルクス主義』の第二章「中国のクィア理論」の第四節「クィア・マイノリティ言説と含蓄の詩学」を読んでみます*1。なぜここを取り上げるのかというと、私の専門である中国古典との接点が見えるところだからです。

 本節、台湾のクィア・マルクス主義の論者である丁乃非の理論を説明するところです。ひとまず日本語に訳して、抜粋したものを掲げていきます。

 G/SRATの理論家である丁乃非の著作において、クィアネスとは、労働の社会的ヒエラルキーから汚名(スティグマ)を着せられたことで、言語化されず、認識もされない、広範な「棄却された存在」(abject beings*2)を指す。丁の研究は、労働と性的な汚名の間の連続性を作り出した歴史的要因に注目することによって、ホモセクシュアルを自己肯定的な主体として特徴化する実体的人格(substantive personhood)としてのリベラルな哲学からの、大きな逸脱を生み出している。丁は、性と階級の問題を二重に強調するという点で、台湾の批評言説空間で最も独創的な思想家の一人となっている。彼女の研究は、歴史的研究と批判的分析の両方を通して、性の汚名と労働の汚名が、相互に埋め込まれていることを明らかにした。この相互の共犯関係が、クィア的主体が立ち現れる条件である。……クィアというものが、はっきりと分かる性の特性ではなく、はっきりとは分からないが根強く続く歴史的制度の堆積した「効果」であるからこそ、丁の分析は、社会的排除の本質についての理解をラディカルに変革する。

 以上の丁の理論は、むろん、台湾の実際のクィア・フェミニズム運動の歴史に即しています。台湾では、1990年代後半、公娼廃止問題に端を発し、セックスワークへの態度をめぐって主流派フェミニズムと性解放派フェミニズムに分裂しました(詳しくは上のウィキペディア記事を読んでください)。その後、(元)公娼の当事者たちはしぶとい社会運動を続けました。(セックスワークについても、本ブログで記事にしたことがあります→浅川雅己「マルクスにおけるジェンダーと家族―後年の共同体研究がもつ可能性の一つとして」 - 達而録)

 なお、G/SRATとは、台湾性別人権協会(Gender/Sexuality Rights Association, Taiwan)のことで、1990年代後半からジェンダー平等や性的少数者の権利擁護活動を行ってきたNPO団体です。

 ……丁の研究におけるクィアは、国家によって事前に定義されたグループ(女性やホモセクシュアル)として構築されるものではない。汚名の主体は、むしろ、否定性と欠如そのものであり、実体的な内容を持たない歴史的排除のプロセスなのである。丁の初期の論文「娼妓、寄生蟲、與国家女性之"家"」(娼婦、寄生虫、そして国家女性の「家」」において、丁はクィアを、フェミニズムの教室に現れる不要なネズミやハエと特徴づける。こうした存在は、フェミニストを苛立たせながらも、しつこく戻ってくるのである。丁の理論において、権力の眼前に何度も戻ってくるネズミやハエは、ただの知的抽象物ではなく、実際の台湾の運動戦略を指している。たとえば、フェミニズムが駆除に失敗したG/SRAT(=G/S rats)*3、またハエに学んだゲリラ戦術(蒼蠅隨行・娼影隨行)を用いて市長を悩ませ続けた元公娼たちがその例である。

 つまり、何か特定の属性によって「クィア」を定義することはできず、国家・社会による排除のプロセスがクィアの本質である、とまとめられるでしょうか。そしてこの排除のプロセスが、「性的なスティグマ」と「労働のヒエラルキー」の共犯関係によって構成される、と分析する点が丁乃非の理論の特徴です。

 ざっくり言うと、リューの本全体の主旨は、こうした台湾のクィア・マルクス主義の理論・運動の蓄積が、いわゆる「包摂的」な、欧米のリベラル・プルーラリズム(多元主義)に対するカウンターになる、という点にあります。そしてそうした中国・台湾の運動・理論が、必ずしも欧米のクィア理論の影響を受けたものとして解釈することはできず(こういう解釈は欧米中心主義的であるとして批判されます)、中国におけるマルクス主義の伝統、性の抑圧、そして冷戦体制といった歴史的背景が生み出したものである、ということを分析しています。

 さて、本節のリューの行論は、劉人鵬・丁乃非の「含蓄の詩学」という枠組みの説明に移っていきます。

 劉人鵬・丁乃非は、複数の著作で「含蓄の詩学」という大きな影響を与える理論を展開した。劉と丁は、「含蓄の詩学」を使って、一見すると寛容でクィアフレンドリーであり、フェミニズム的でさえある政治的・文化的枠組みの中で、クィアがいかに不可視化されるのかを説明する。

 「含蓄の詩学」は、リューの本では「Reticent Poetics」と表現されていて、これを直訳すると「沈黙の詩学」ぐらいが良さそうです。ただ、丁の本を見たところ「含蓄」と表現されているところに当たるようなので、いったん漢字をそのまま置き換えて「含蓄の詩学」と訳しておきます。

 劉と丁の「含蓄の詩学」の概念の知的源泉は、西洋のクィア理論ではなく、中国哲学、特に『荘子』の「罔兩」の概念である(「罔兩」は影の影、すなわちペナンブラと訳されることが多い)。『荘子』の寓話の中で、ペナンブラたちは影が太陽とともに動くことに興味を持つが、影自身は自らの存在や物質への依存を説明することを拒む。この拒絶のパフォーマンスは、問いの出発点となる物質そのものが、ペナンブラの問いには含まれていないことを明らかにする。

 ここで『荘子』の「罔兩問景」の話が引用されています。英語の「ペナンブラ」は日食の本影・半影という意味で使われることが多いようですが、『荘子』の文脈では、日食に限らず、影の縁にできる薄影を広く指しています。

 ここから、「中国社会が伝統的に同性愛に寛容であった」という周華山の主張に対する批判へと進んでいきます。

 社会学者の周華山は、中国社会が伝統的にホモセクシュアリティに寛容であったと論じているが、これに対して、劉と丁は、『荘子』の寓話における不合理な推論(non-sequitur)を明るみに出し、「含蓄」や「寛容」こそが、クィアの不可解性を生み出すという説得力のある反論をする。「影」が形に焦点を当てることは、ヒエラルキー化のプロセス、すなわち物質・影・ペナンブラがそもそもどのように分割不可能なヒエラルキーにおける異なる位置性として確立されるのか、を分析することを実質的に不可能にさせる修辞的な転位である。ペナンブラは、カム・アウト(現れること)は求めておらず、表象され寛容されることを求めてもない。しかし「影」は、その問いをあくまで誤解し続ける。この「罔兩」と「含蓄」の理論は、女性の抑圧の理論とは異なる。女性抑圧の理論は、多くの場合、女性を「被害者」として提示することによってのみ政治的権利を主張できるとする。そうすると、女性の解放が、女性のエージェンシー(行為主体性)を否定するという問題を含んだものになる。この見方に対して、劉と丁は、周華山が言う「文化的寛容」は、解放ではなくむしろ抑圧の一形態であると主張する。なぜなら、それはホモセクシュアルの主体の苦しみをメロドラマ的に描くことに依存するからである。

 まず物質があり、そこに影ができ、ペナンブラはその更に外側で周縁とされるものに当たります。これらは分割不可能なヒエラルキーを構成しています。このヒエラルキーが歴史的にどのように作り出されたのかを分析するためには、形に依存する(=特定の属性にもとづく)説明の仕方を拒否する必要がある、ということでしょうか。

 

 ただ、上の引用だけでは『荘子』の逸話との関係が少々分かりにくいので、劉人鵬・丁乃非の「罔兩問景」の方法論を、元の本に遡ってもう少し詳しく見てみることにしましょう。

 上でリューが引用しているのは、丁乃非・白瑞梅・劉人鵬編著『罔兩問景:酷兒閱讀攻略』(罔両問景:クィア・リーディングのタクティクス)の序文です*4。この本は、1990年代後半~2000年代にかけての、台湾の「性/別」運動・理論に関する論文を、特に「含蓄美學」(含蓄の美学)、「酷兒政略」(クィア・ポリティクス)を主軸にまとめたものです。

 以下、『罔兩問景:酷兒閱讀攻略』の「序」を抜粋しながら日本語訳していきます。(p.iii~vii)

 我們認為,含蓄的規訓力道,或許可以用《莊子》寓言「罔兩問景」中「罔兩」提問的模式,當作一種方法,不斷進行詰問。

 私たちはこう考える。「含蓄」がもつ規律化の効果は、『荘子』の寓話「罔両問影」において「罔両」が問いを提起するモデルを一つの方法として、不断に問い詰めていくことができる、と。

 「規訓」という中国語は見慣れないですが、フーコーの『監獄の誕生:監視と処罰』を中国語で「監獄的誕生:規訓與懲罰」と訳すようで、フーコー的な規律・規範の内面化を指しているものと思います(この序文でもフーコーが出てきます)。つまり、言葉・制度で明確には表現されない「含蓄」(沈黙)の中に、規律・規範を定めていく効果(=特定の人々を排除する効果)がある、という話で理解すればよさそうです。

 次に、『荘子』に見える「罔兩問景」の逸話が二つ引用されています。

 罔兩問景曰:「曩子行,今子止;曩子坐,今子起。何其無特操與?」景曰:「吾有待而然者邪?吾所待又有待而然者邪?吾待蛇蚹蜩翼邪?惡識所以然!惡識所以不然!」(《莊子‧齊物論》)

 罔兩(影のまわりのぼんやりした影=ペナンブラ)が影に尋ねた。「君はさっき歩いていたのに今は止まり、さっき座っていたのに今は立っている。特操(主体性・自律性)がないね。」と。影は答えた。「私は、何か依り所があってこうなっているのかな。いや、私が依っている何かも、また別の何かに依ってこうなっているのかな。私はヘビの外皮やセミの抜け殻に拠っているのかな。どうしてそうなるのかも、どうしてそうならないのか、分からないな。」(『荘子』斉物論)

 衆罔兩問於影曰:「若向也俯而今也仰,向也括撮而今也被髪,向也坐而今也起,向也行而今也止,何也?」影曰:「搜搜也,奚稍問也!予有而不知其所以。予蜩甲也,蛇蛻也,似之而非也。火與日,吾屯也;陰與夜,吾代也。彼吾所以有待邪?而況乎以有待者乎!彼來則我與之來,彼往則我與之往,彼強陽則我與之強陽。強陽者,又何以有問乎!」(《莊子・寓言》)

 罔兩たちが影に尋ねた。「お前はさっきうつむいていたのに今は見上げている。さっき髪を束ねていたのに今はほどいている。さっきは座っていたのに今は立っている。さっき歩いていたのに今は止まっている。なぜなんだ。」と。影は言った。「ちょろちょろと、どうして何度も聞くのか。私はこうしているが、なぜこうなるのかは知らない。私は蝉の抜け殻、蛇の外皮のように、似て非なるものだ。火と太陽があれば、私は集まってくる。陰と夜になれば、私は入れ替わる。あれが、私が依っているものなのか。まして、その体が依っているものとなれば、なおさら分からない。あれが来れば私も来て、あれが去れば私も去る。あれが激しく動けば、私も激しく動く。激しく動く者に、何を尋ねることがあろうか。」と。(『荘子』寓言)

 「影には「待つ」ものがある」というときの「待」の訳がなかなか難しいところです。「頼り先」「必要とするもの」「それがあって初めて成立するもの」といったニュアンスですが、ここでは「依り所」と訳しておきました。

 行論に戻ります。

 在這個寓言裏,影子的影子罔兩(影外微陰)向影子提問,問怹為什麼沒有獨立的操守。影子的回答質疑了習以為常的形影關係假設(影依待形),但我們卻在《莊子》文意脈絡之外發現了問題:提問的是罔兩,但影子的思考卻是針對其與「所待」的「形」之間的關係。故事終止於影的回答,然而這個回答是否滿足罔兩的問題,不得而知。

 この寓話のなかで、影の影である「罔両」(影をふちどるかすかな影)は、「影」に対して、「なぜお前は、独立した自律性を持たないのか」と問いかける。「影」の回答は、当然とされている「形」と「影」の関係についての仮説(影は形に依存するという考え方)に対して、疑義を呈している。ただ私たちは、『荘子』の文意の文脈の外側に、ある問題を発見する。すなわち、問いを発しているのは「罔両」だが、「影」の思考は、かえって、それと依り所の「形」との間の関係に向けられている、ということだ。物語は「影」の回答で終わるが、この答えが罔両の問いを満足させたかどうかは、知ることができない。

 ここから、「罔兩」の問いが持つ二つの意義が指摘されます。

 罔兩的提問有兩個意義:其一,在一個公私領域都忽略的、人們幾乎看不見(平常誰會注意影子外面猶有微陰,影子還有影子呢?)的位置上,向著常識世界理所當然的主從階序關係提出疑問,並且是對著比較有可能反省這個關係的、被視為從屬性的主體發問;其二,透過一個位於二元性主從階序關係邊緣、難以辨識的位置詰問,文本出現了二元關係之外的聲音,這個聲音之被辨識,也許不在故事本身,而在於一種貼近發問者的閱讀。有趣的是,〈寓言〉篇稱發問者為「衆罔兩」,提醒了我們:平常能被視為「個體」的,並不是所有的主體,在公私領域難以再現的邊緣位置發聲,通常會被視為「群」或「衆」中的一員。而罔兩被閱讀的可能,也許就在於「衆」,不是由於人多構成群眾,而是由於怹面目模糊卻堅持提問。透過罔兩的提問,主流結構關係要一再被檢視,而閱讀衆罔兩,也使得新的位置以及游移含蓄的策略層出不窮。

 罔両の問いには、二つの意義がある。第一の意義は、公私の領域で見落とされていて、人々がほとんど見ることのできない(普段、影の外側にさらにかすかな影があり、影にもまた影があることに誰が気が付くだろうか)ような場所で、常識的な世界で当然とされている主従の階層関係に疑問を呈することである。しかも、その関係を深刻にとらえる可能性が比較的高い、従属的な主体とみなされる者に向かって問いを発することである。第二に、二元的な主従の階層関係の周縁にある、識別しがたい位置から問いを提起することを通して、テキストに二元関係の外側の声が現れる。この声が識別されることは、物語そのものの中にはないかもしれないが、問いを発する者に寄り添うような読みの中にある。興味深いことに、『荘子』寓言篇は、問いを発する者を「衆罔両」と称しており、私たちにこう想起させる。普段「個体」とみなされうるのは、決してすべての主体ではない。公私の領域において再現することが難しい周縁から声を発する者は、通常「群」また「衆」の中の一員とみなされるのである。「罔両」が読まれる可能性も、まさに「衆」にあるのかもしれない。それは、人が多いことによって群衆を構成するからではなく、彼らが姿もぼやけながらも問いを発することに固執するからである。「罔両」の問いを通して、主流の構造関係は何度も検証されなければならず、そして「衆罔両」を読むことで、新たな位置と、含蓄を遊移させる戦略が次々と生じるのだ。

 第一に、「罔両」を、公私の場から排除された周縁的な存在として解釈することで、「罔両」と影の問答を、周縁的な存在の問いによって、マジョリティ社会で当然視されている主従関係・階層の存在を浮き上がらせるもの、として読んでいます。そしてその問いかけが従属的な側(影)に向けられていることによって、主従関係の「從」の側の抵抗の連帯の可能性を見出しています。

 第二に、「罔両」の問いかけを、主・従の階層からさらに周縁化された、ぼやけた位置にいる者からの問いとして解釈することで、テキストから主従の二元的関係の外側の存在に寄り添う読みを引き出す可能性を見出しています。特に、『荘子』の本文において、問いかけの主体に「衆」の字が冠せられることから(「衆罔両」)、個体として認識されない存在群が、ぼやけながらも「問いかけ」に固執する過程を読み取っています。*5

 このように、『罔兩問景』では、『荘子』の逸話からクィアな解釈の方法論を見出しています。次回、本書の「序」の続きを見ていきます。

(棋客)

*1:Petrus Liu, (2015) “Queer Marxism in Two Chinas”, Durham, North Carolina: Duke University Press, Queer Marxism in Two Chinas。私はKindle版を見ています。今回の記事で引用する範囲は、No.1582-1626に当たります。

*2:「abject」(棄却)はクリステヴァの用語を意識しているでしょう。「おぞましきもの」と和訳されることもあります。参照→ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(3) - 達而録

*3:ratはネズミ。だじゃれ。

*4:中央大學性/別研究室、2007

*5:過去の『荘子』研究においては、「衆」字を衍字とする説もあるようですが、ここではむしろ「衆」の字がある意味を積極的に読み取っているのが面白いところです。

「今浪隆博のスポーツメンタルTV」が好きすぎるという話

 私は、特定のYoutubeチャンネルにドはまりして動画を見続けてしまうということがよくある人間なのだが(例:「タイマン森本」が好きすぎるという話 - 達而録)、最近は、元プロ野球選手の今浪隆博さんのYoutubeチャンネルをずっと漁っている。

 このブログで野球の話題が出てくるのは珍しいけど、私は実家が福岡ドームの近くにあったので、小さい頃から野球は身近にあり、たまに試合観戦にも行っていた(小学生の頃は鳥越裕介のファンだった)。今はそこまで観ていないが、たまにパテレを観たりはする。

www.youtube.com

 さて、今浪さんは、プロ野球選手を11年間続けて、8年ほど前に引退した選手。現役中は、怪我に苦しみ、一軍と二軍を行ったり来たりしながらも、自分の強みを活かしてしぶとく生き残って活躍した。現在は、スポーツメンタルコーチとして活動されている。そこそこ野球を観る私は、名前はぼんやり憶えていたが、引退後にこういう活動をされていることは全く知らなかった。

 今浪さんは、常に優しい話しぶりの中に、決めつけにならないような注釈を丁寧に入れていて、とにかく聴いていて安心感がある。天の声で入っている方(今浪さんの高校野球部の同級生)も、ちょうど気になったところを質問してくれる感じが素晴らしくて、バランスよい二人の掛け合いを聴くと心安らかな気持ちになる。ラジオ感覚で楽しく聴けるチャンネルだと思う。

 また、元プロ野球選手の動画というと、「誰々はすごかった」「あいつはやばかった」「あの時の日本シリーズは……」というように、固有名詞が飛び交って話題についていけなくなったりする印象があるのだが、このチャンネルでは(おそらく意識的に)固有名詞を使い過ぎないようにしているし、使う時も説明を足してくれることが多い。野球部の同級生という近しい関係性の二人でやっているのに、内輪ノリになっていないところが、すごくいいなと思う。

 動画の内容は多岐にわたるので、以下、勝手にジャンルに分けて紹介してみる。

 まず、スポーツの試合や練習にありがちな場面(コーチにかけられる言葉、選手のメンタル、先輩との人間関係……など)について、今浪さんが考えを話す動画。もちろん野球が中心の話題になるけど、日常生活にも通じるところがあると思って、なかなか面白い。あと、よくある「気合と根性」論に対して適度な距離感があって、冷静な分析を聞けるのも面白い。

 

 次に、「今浪クラス」をいじりながら、軽快なやり取りが続く回も面白い。

 

 あと、野球に関連する素朴な質問シリーズも面白い。

 

 ちなみに動画編集もご自身でされているし、ご自身のデザインでTシャツ・パーカーを作って自分で梱包して発送したりしている。そういう手作り感も魅力の一つだ。

 動画を見始めてから知ったのだが、今浪さんは、プロとして鍛錬を積み重ね、技術的な向上を実感し、今後もっと成績が上がってくるという手ごたえがあったタイミングで、メンタル不調から試合に出られなくなり、引退することになった。当時は不調の理由ははっきりしなかったそうだが、引退後に、うつ病の症状であったと本人は語っている。そこから引退後に専門的な勉強して、メンタルコーチになった、という経緯がある。

 動画を見ていると、そういう経験の重みを感じさせるところも多い。自分が一生懸命やってきたことを、今の目で冷静に分析して、良かったこと・悪かったことを等身大の言葉で説明してくれるところがすごいな、と思う。

(棋客)

楊維公『中国の戯曲と小説はどう読まれたか――近世・近代日本における読書の位相』

 先日、楊維公『中国の戯曲と小説はどう読まれたか 近世・近代日本における読書の位相』(京都大学学術出版会、プリミエ・コレクション、2026)を著者よりご恵贈いただきました。楊さんは、私が在学中から今に至るまで、多方面にわたってお世話になっている方です。

www.kyoto-up.or.jp

 日本における中国文学受容の新たな視点を切り拓く。「戯曲」と「小説」に焦点を当て、その中で重要な位置を占める「人情物」の魅力を解き明かし、これらの作品が日本でどのように受け入れられ、読まれてきたかを探る。中国文学の成立とその日本での受容の過程を、深い歴史的背景とともに考察して、両者の密接な関係を明らかする一冊。(https://www.kyoto-up.or.jp/books/9784814006342.html)

 本書は、中国の戯曲と小説の、日本での「読まれ方」に着目した研究です。この研究題材は、色々な意味で境界的/周縁的な位置にあると言えるでしょう。以下、本書の序論の内容(p.3-19)を整理して、少し内容を紹介します。

 まず「中国文学」という枠組みから考えてみます。中国の伝統的な士大夫・知識人のなかで、正統とされてきた書物・文章作品は、文語体(古典語)で書かれたものに限られていました。こうした状況では、口語体で書かれた戯曲・小説は古典的な「学問」の対象にはならず、軽視されてきたと言えます。戯曲・小説が「中国文学」の枠組みで語られるようになるのは、近代的な「文学」の観念が成立してからのことです。この点で、中国の戯曲・小説は、伝統的な「中国文学」に対して周縁的な位置にあると言えます。

 次に、文学研究の方法から考えてみます。文学研究の主流となってきたのは、まず作品自体の分析や、そこから作者に関わる事柄を明らかにするような考察です。この枠組みでは、その作品について語った後世のテキストも、作品自体に還元される形で(つまり当該作品の字句を定める目的や、作品の「本来の意味」を考えるための材料という目的で)用いられることになります。また、作品の受容・影響に注目されることもありますが、その場合、「その作品を受けて、次にどのような作品が作られたか」という研究(=「再創作」に着目する研究)に進むことが主流です。文学史研究、また比較文学論といったジャンルがこれに当たります。

 しかし、本書では、作品自体の分析に進むのではなく、かといって再創作に着目するのでもなく、その手前にある「読み方」「読まれ方」そのものに迫っていこう、という方針を立てています。この点で、本書は文学研究のなかで境界的な位置にある、と言えます。

 「読まれ方」を研究するというのは、単純な切り口であるように見えて、実はかなり難易度の高い研究だと思います。まず、こうした研究を進めるためには、読み手が特定の文献に向かう時の考えや工夫を分析することが可能な文献資料が必要になりますし、その上で、その営為を読解し、わかりやすく示す必要があります。次に、多様な「読まれ方」を見出すためには、同質的な文化の中での「読まれ方」だけではなく、異文化間のものに着目することが有用でしょうが、そのためには、両文化のテキストの整理・読解能力が必要になります。つまり、適切な題材を探し出した上で、それを扱う研究者の能力が噛み合っていないと遂行が難しい研究である、ということです。

 また、私としては、「読まれ方」という平易な日本語に開いた表現が印象に残りました。私は、難しい言葉で語ること・難しい言葉に置き換えることが「研究」なのではなく、過去の人々の営為の多様な豊かさを、いかにかみ砕いて理解し、いかに平易に開いた形で人に届けるか、ということが(人文学)研究において大事なことだと考えています。「読まれ方」という開いた表現によって、かえって研究の可能性が幅広く見えてくるところが、すごくいいと思いました。

 

 さて、本書の具体的なテーマは、元~清期の中国で作られた戯曲・小説、このうち特に「人情物」と呼ばれる作品が、江戸時代の日本でどう読まれたか、ということを研究しています。ここで題材とされる作品は、『西廂記』『板橋雑記』『金瓶梅』など、いずれも恋愛・欲望など庶民の生活を描くもので、必ずしも道徳的に「正しい」とされる行いを説くものではありません。この題材設定も絶妙で、ここから語学学習、異文化の発見、文学的な享受、娯楽としての読書、など多様な「読まれ方」が示されています。そしてその媒体も多様で、原文の訓読・翻訳の場合もあれば、長編の物語が詩としてピックアップして読まれたり、娯楽的な場面だけが読まれたり、など豊富な創意工夫が見られるのが面白いところです。

 以上の枠組みのもと、第一章から具体的な研究に入っていきます。各章の細かな紹介は省略しますが、多様な「読まれ方」の研究が、緻密な文献整理・テキスト分析に立脚してなされていることがよく分かります。たとえば、第一章では、『西廂記』の二種の写本の比較を通して、両者の編纂意図の相違を明らかにし、その背後にある「読まれ方」の相違を考察しています。第二章~第三章では、和刻本の編纂の特徴や、原典との細かな相違から、江戸時代の日本ならではの「読まれ方」を明らかにしています。

 ちなみに、第一章に少し名前が出ている亀井昭陽は、以前にこのブログでお墓を紹介したことがあります(→地元の儒者を尋ねて―「亀井南冥」篇・上 - 達而録)。

 私が最近の興味から特に面白く読んだのは第七章です。『金瓶梅』の初期の翻訳である井上紅梅訳に着目し、その訳の特徴を整理しつつ、井上が『金瓶梅』を翻訳した意図が明らかにされています。井上は、いわゆるアカデミアで活動した人ではなく、ジャーナリストとして中国に滞在し、また中国人女性と同居した経験から、中国の大衆文化を日本に広く分かりやすく紹介することを試みた人でした。こうした井上の取り組みに相応しい題材として『金瓶梅』が見出されたというのが面白いところで、これは当時のアカデミアにはあまり無い発想だったのだと思います。

 また、先日参加したシンポジウム「二〇世紀東アジアにおける儒学の展開と「近代知」の形成」にて、建部良平さんが𠮷川幸次郎の翻訳論について発表されていましたが、当時の翻訳論の観点から見ても面白い研究ができそうです。

 

 本書を読んで、自分の専門分野でも「読まれ方」の研究をやってみたいと思いましたが、経学の分野だと相当難しいですよね。経書だと正統的な「読み方」ががっちり決まっていて、あまり多様に広がっていかないような感じがします。私の専門からは外れますが、「『世説新語』の江戸時代の読まれ方」といった方向性なら、本書の方法論を活かしていい研究ができるかもしれない、と思いました。

 また、私の博論本は、局所的に興味があるところだけを見て研究をした後で、それを後付けで無理矢理一つのストーリーに当てはめたようなところがあります。これに対して、楊さんの研究は、各章で一つ一つの写本・テキストの全体を粘り強く探究した上で、そこから結論が導かれ、その上でそれらが一つのテーマのもとで有機的に結合しているように感じました。この点でも勉強になるところが多く、博論提出を目指して研究されている方々の一つの模範になる研究書であると思いました。多くの方にぜひ手に取って読んでいただきたいと思います。

 

 なお、本書は京大学術出版会の「プリミエ・コレクション」シリーズから出版されています。このシリーズは、京大に博士論文を提出して博士号を取得した研究者が、その博論をもとに一般書に仕立てて書籍化したもので、良い本が多いように思います。本ブログでは、これまでに以下の記事で登場しています。

 ちなみに、一番の下の記事で、私が冒頭の湊総長の言葉を批判していますが、今年から内容が無難なものに変わったようです。(この記事が影響を与えたのかどうかは分かりませんが。)

(棋客)

「無」と「勿」のちがい――『論語集注』公冶長篇より

 「山の学校」での『論語集注』の講読クラスで読んだ、印象に残る部分をメモしておきます。『論語』公冶長の一節より。

子貢曰:「我不欲人之加諸我也,吾亦欲無加諸人。」子曰:「賜也,非爾所及也。」

子貢が言った。「私は、他人が私にしてほしくないことについて、私も他人にすることはありません。」孔子が答えた。「賜(子貢の呼び名)よ、それはお前のできることではない。」

 この一節についての朱子の解釈が以下です。最初に引かれる程子というのは北宋の学者で、朱子が師と仰ぐ人です。

程子曰:「我不欲人之加諸我,吾亦欲無加諸人,仁也;施諸己而不願,亦勿施於人,恕也。恕則子貢或能勉之,仁則非所及矣。」愚謂無者自然而然,勿者禁止之謂,此所以為仁恕之別。

程子は言った。「「私は、他人が私にしてほしくないことについて、私も他人にすることは無い」というのは、「仁」である。「私は、自分にされて嫌なことは、人にしないようにする」というのは、「恕」である。「恕」については子貢は努力しておこなうことができるかもしれないが、仁となると子貢ができることではない。」私(朱子)が思うに、「無」(無い)とは自然にそうなることで、「勿」(しないようにする)とは禁止する意味である。これによって「仁」「恕」の区別ができるのだ。

 急に「恕」の話が出てきていますが、その背景には『論語』衛靈公篇の以下の一節があります。

子貢問曰:「有一言而可以終身行之者乎?」子曰:「其恕乎!己所不欲,勿施於人。」

子貢が問うて「生涯実行すべきことを一言で表せますか?」と言った。孔子は答えた。「「恕」であろうか。自分が望まないことは、他人にしてはならないのだ。」

 「恕」というとこの『論語』の逸話がまず思い出されるところで、ようは「自分が望まないことは、他人にもしない」ということ。これは「恕」という漢字が「如心」(心の如し)と書くことから説明されることもあります。つまり「自分の心に照らして他者を理解する」といった意味合いです。(ただ、もとの漢字の成り立ちがこの説明でよいかは別問題ですが。)

 ですので「自分が望まないことは、他人にもしない」という行為は、普通は「恕」に結び付けられます。ところが、程子の説では「恕」の上位として「仁」が設けられていますね。

 何が違うのかというと、公冶長篇では「不欲人之加諸我也,吾亦欲無加諸人」、衛靈公篇では「己所不欲,勿施於人」で、「無」と「勿」で字の相違があります(他はだいたい同じ意味です)。程子はここに着目したわけです。

 朱子もこれに賛同しています。目指すべき究極の状態である「仁」を備えた人は、こうした行動が自然に取れるので、そもそもそういう心が「無い」。一方、そこに及ばない人は、「勿れ」、つまり「しないようにする」のであって、意志をもって制御する必要があります。その点で一歩劣る、と考えるわけです。

 実際には、「無」と「勿」は似たような意味で使われることもあり、こうした『論語』解釈は「深読み」であるという評価が穏当でしょう。ただ、こうした当時の解釈者のこだわりには面白いところがあります。おそらく、上の公冶長篇の方で、(高名な弟子である)子貢ですらできないこととして描写されているので、これはよほど実行が難しいことを説いていないと整合性が取れない、という考えがあったのだと思います。

(棋客)

「宰予昼寝」章の胡寅の解釈

 「山の学校」での『論語集注』の講読クラスで読んだ、印象に残る部分を書いていきます。『論語』公冶長の一節より。

 宰予晝寢。子曰:「朽木不可雕也,糞土之牆不可杇也,於予與何誅。」子曰:「始吾於人也,聽其言而信其行;今吾於人也,聽其言而觀其行。於予與改是。」

 宰予が昼寝をしていた。孔子は言った。「朽ちた木に彫刻はできない。だめな土の垣根には上塗りすることができない。宰予に対しては叱責しようがない。」また孔子は言った。「前は私は人に対して、その言葉を聴いたらその行いを信用した。今は私は人に対して、その言葉を聴いたらその行いを観察する。宰予のことがあって改めたのだ。」

 昼寝をして怠けていた宰予に対して、孔子が呆れ果てて叱責をするシーンです。昼寝ぐらい自由にさせてあげれば……という気もしますが、とにかく孔子は腹を立てたわけです。

 以上が『論語』の原文で、これに対して南宋の朱子が注釈をつけた本が『論語集注』です。そこで朱子が引用している、南宋の胡寅という学者の説が以下です。

 胡氏曰:「宰予不能以志帥氣,居然而倦。是宴安之氣勝,儆戒之志惰也。古之聖賢未嘗不以懈惰荒寧為懼,勤勵不息自強,此孔子所以深責宰予也。聽言觀行,聖人不待是而後能,亦非緣此而盡疑學者。特因此立教,以警群弟子,使謹於言而敏於行耳。」

 胡寅は言った。「宰予は自分の意志によって気を統率することができず、平気でさぼっていた。これは安逸の気が勝って、慎み戒める意思が怠惰になってしまったのだ。古の聖者や賢人は、常に怠惰であることを恐れとし、努力を止めない。孔子が宰予を強く叱責した理由はここにある。★「言葉を聴いて行いを観察する」ということについては、聖人はこれがあって初めてできるわけではない(これがないとできないというわけではない)し、またこれによって学ぶ者を全員疑うというわけでもない。ただこの言葉によって教えを示し、弟子たちを警告し、言葉を謹んで行動を怠らないようにさせるものだ。」

 前半は意味が理解しやすいのですが、後半(★以下)が分かりにくいですね。

 後半は、『論語』原文での孔子の「その言葉を聴いてその行いを観察する」という言葉、つまり、弟子が何か言った時に、その言葉を本当に実行しているかどうか、その行動を観察して確かめる、という発言について解説しているところです。

 「これがないとできない」というのが分かりにくいですが、「言葉を聴いて行いを観察しないと、弟子のことを判断できない」という意味で取ればよいでしょう。まとめて意訳すると、「孔子は、必ずしも、言葉を聴いて行いを観察しないと弟子のことを判断できない、というわけではない」となります。

 『論語』の原文を読むと、孔子ははっきり「その言葉を聴いたらその行いを観察する」とあるわけですから、この胡寅の解釈は、なんだか変な留保をつけているように見えますね。

 おそらくこの背後には、「聖人である孔子が、必ず行動を見なければ弟子のことを見抜けないなんて、おかしいのではないか」という発想があるのでしょう。最後に「この言葉によって教えを示し、弟子たちを警告し……」とあることからも、ここは孔子が弟子の教化のために方便として言っているのであって、孔子が常にそうであるわけではない、という解釈を補強しているようです。

 私は、古典の注釈を読むとき、こういうちょっとした「深読み」を見つけるのが好きです。こうした「深読み」は、分かりやすく思想的な枠組みで説明できる場合には研究でよく取り上げられますが、そうでない場合は見過ごされがちです。しかし私は、むしろこういう微妙なこだわりが出ているところの方が気になってしまう性質です。なぜわざわざこんな説を唱えたのか、そして朱子がそれを採用したのか? 考えてみると面白そうです。

 ちなみに、『論語集注』より以前の注釈である、南朝梁で作られた『論語義疏』では、「宰予が昼寝をしたのは、孔子の教えを引き出すために敢えてやったことだった」というまた違う種類の深読みの解釈が載せられています。時代によって、さまざまな工夫を凝らして読まれてきたのが『論語』という古典なのです。

(棋客)