達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

Wikipedia執筆録(7)

 またDiffの記事を書きました。この一か月間はかなり精力的にWikipedia執筆に取り組んだので、その成果や、その時に考えたことをメモしています。特に、「プロジェクト:LGBT - Wikipedia」の整備について詳しく書いています。

diff.wikimedia.org

 以下、Diffに書きそびれたことから、いくつか拾っておきます。

 もともと「性同一性障害」という記事名だった日本語版Wikipediaの記事が、「性別不合 - Wikipedia」に変更されました。これは近年の国際的な潮流や学会の動向を受けてのものです。同じく、「日本GI(性別不合)学会 - Wikipedia」も最近変更されたものです。

 次に、記事の編集をしていると、たまに「Wikipedia:中立的な観点」の点で問題がある記述(または差別的な記述)に出くわすことがあるので、その例をメモをしておきます。(以下の記述は、どちらも記事を編集する際に合わせて変更しております。)

 一つ目は「アウティング (oldid=101301132)」です。この版では、冒頭でわざわざ、イスラム教圏の人物に対するアウティングが特に危険を招く行為であることを強調しています。しかし、アウティングが人を追い詰め時に死に追いやるということは、別にイスラム教圏に限った話ではないですし、またイスラム教圏内でも場所によるところはあるでしょうから、冒頭でこれだけを強調するのは違和感があります。国や地域別のアウティングの事情については、記事の中身で各々区分けして説明することにして、冒頭でイスラム圏の事例のみを強調するのは止めました。(こうした書き方はピンクウォッシング的だと思います。ピンクウォッシングについては以前ブログに書いたことがあります→『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』を読んで(3) - 達而録

 ただ、このアウティングの記事自体、内容がアメリカの事情に偏りすぎているうえに、内容がかなり分かりにくいので、大幅な加筆修正が必要だと思います。

 二つ目は、「性別とジェンダーの区別 (oldid=101273897)」です。この版には、「内面的性別は外部から確認できず、偽ることができること」や「外面的性別による区別の必要性」の記述がわざわざなされています。ただ、そもそもこの記事でいうgenderは、人の性別に関連付けられている役割(ジェンダーロール)も合わせて示しており、いわゆるジェンダーアイデンティティだけを指す記事でもありません。ジェンダーアイデンティティについても、まず説明すべきことが山ほどある中で、すっとばして上記のような記述をするのは、「中立的な観点」を欠いていますし、トランスジェンダー差別を煽ることにもつながります。こちらも修正しております。

(棋客)

Wikipedia執筆録(6)

 ウィキメディアに関する情報を掲載するメディアの「Diff」に記事を書きました。中国古典の版本・影印本・標点本などの整理にWikidataが使えるのではないか、というアイデアです。実践したいところですが、一人でやるのはあまりに面倒だったので、やるなら興味ある方を探して一緒にやりたいです。

Wikidataで中国古典分野の版本情報を整理したい – Diff

 

 こちらはwikimediaのクエリサービスを使ってみた記録です。

初心者がクエリサービスを使ってみた:en→jaの記事名一斉置換 – Diff

 

 また、最近、久々にWikipedia執筆イベントに参加してきました。Colbaseという文化財のデータベースを教えていただいたのが大きな収穫でした。画像利用の権利がCC BYで付されている(ざっくりいえばかなり自由に二次利用できる)のがありがたいですね。

プロジェクト:アウトリーチ/GLAM/ウィキマニア2024東京 - Wikipedia

 たまに、大学の古典籍のデータベースでは、二次利用を厳しく制限している場合があります。共有財産である文化財を公的機関が持っている場合、できるだけ開かれた利用機会を提供するのが責務であると思うので、これは止めてほしいです。もちろん著作権は消滅しているわけで、そもそもその制限が法律的に有効なのか、というところさえ疑問が残るところでもあります。

 

 ちなみに、以前、Diffにこんな記事を書いたこともあります。こちらもぜひ。

(棋客)

反戦歌として「リンダリンダ」を読む

 これまで、自分の好きな歌の歌詞を再解釈することを何度か試みてきた(埋没しないマイノリティ〜the pillows「ストレンジカメレオン」その「笑い」はどこから来たものですか〜KASHIKOI ULYSSES「feelings, NONAME」)。今日は、あまりに今更すぎて恥ずかしいが、ブルーハーツを取り上げてみたい。

 なお、ブルーハーツの曲には、差別的な歌詞が含まれているものもあって、手放しで賞賛したいというわけではない。あくまで、以下に挙げた歌詞を、私はこういう風に読んできた、という一例としてとらえてほしい。

 ブルーハーツの曲に反戦のメッセージが多く込められているのはよく知られている。たとえば、「ラインを越えて」にはこんな歌詞がある。

僕がおもちゃの戦車で 戦争ごっこしてた頃
遠くベトナムの空で 涙も枯れていた

 真島昌利は1962年生まれ。ベトナム戦争は1975年まで続く*1。曲の最後はこう締められる。

ジョニーは戦場へ行った 僕はどこにいくんだろう
真夏の夜明けを握りしめ 何か別の答えを探すよ

 迫りくる敵にどう抵抗するか。僕は「何か別の道」を探している。この歌詞は、最近『進撃の巨人』を観た私としては、ハンジが終盤で「エレンに代わりの答えを示せなかった」ことの責任を感じているシーンを想起する歌詞でもある。

 「代わりの答え」が見つからなければ、行きつくところは戦争と虐殺だ。われわれは、別の答えを探し続けなければならない。その時に答えが見つからなくても、探し続けることが必要になる(これも『進撃』の台詞のパロディ)。

 この戦争を生み出すメカニズムの一つである「差別」を、徹底して被差別者の側から描いたのが「青空」である。

生まれたところや皮膚や目の色で
いったいこの僕の何がわかるというのだろう

 「青空」が差別を歌ったものであることは誰でもすぐに分かるが、この曲の素晴らしいところは、徹底して「抑圧される側」に視点が置かれていることだ。外見上の特徴や、国籍・アイデンティティなどの属性によって、その人のことは理解できない。属性ではなく、その人の行動からしか、その人のことは判断できないはずではないか*2

 「(目の色や出生地といった属性を見ただけで、)この僕の何がわかると言うのだろう」というシンプルで切実な問いかけは、差別されてきた側からのものでしかあり得ない。差別されないものはその人の言葉や行為を受け止めてもらえるが、被差別者は属性で判断され、常に軽んじられている。ストレートでよくある歌詞のように見えるものの、このことを分かりやすくシンプルな言葉に落とし込むのは、実はなかなか難しいと思う。

 たとえば、私が小学校の頃に流れていたアニメのエンディング曲の歌詞に、「世界が一つになるまで ずっと手をつないでいよう」という詞があったのを覚えている。これも平和を願った歌ではあるものの、「ずっと手をつないでいよう」という呼び掛けは、支配者からの言葉と捉えることもできてしまう。その場合、「ギャーギャー言ってないで仲良くしようぜ」という、被害者に対するとても暴力的なメッセージをもつ歌にもなりかねない。

 しかし、ブルーハーツの歌はそういう方向の解釈になる可能性を周到に打ち消し、あくまで抵抗者としての言葉を紡いでいく。「爆弾が落っこちるとき」もそんな歌だ。

爆弾が落っこちる時 何にも言わないってことは
爆弾が落っこちる時 全てを受け入れるってことだ
爆弾が落っこちる時 僕の自由が殺される
爆弾が落っこちる時 全ての幸福が終わる
大人も子供も関係ないよ
左も右も関係ないだろ

 こういう歌を作らなければならないのは、爆弾が落ちても何も言わない人が多すぎるからである。そして、何度も反対の意思表明がなされたきた歴史があるのに、歴史が何も変わらなかったからでもある。「青空」の最後の歌詞は、抵抗し続けた人、問いかけ続けた人の悲しさや絶望をよく分かっている人の言葉だと思う。

こんなはずじゃなかっただろう
歴史が僕を問い詰める
眩しいほど 青い空の真下で

 こんなはずではなかった。こんなひどいことはもう繰り返されないはずだと、歴史は言っている。もう戦争も虐殺も起こるはずがない。でも現実はどうだろう。こんなはずではなかった、歴史がそう責めてくるではないか……

 さて、こういうことを考えて、改めてブルーハーツの代表曲リンダリンダを聴いてみると、これも反戦歌として解釈できることに気が付く。リンダリンダは、一般的には、「リンダ」という人に宛てて歌ったラブソングだと解釈されるらしい。解釈は自由であり、そう解釈することで救われる人もいると思うし、その解釈も否定しない。ただ、以上の文脈を踏まえると、違う意味を持って現れてくると思う。

もしも僕が いつか君と 出会い 話し合うなら
そんな時は どうか愛の 意味を 知ってください

 私にはこの歌詞が、いままさに戦車や爆撃機に侵攻され、蹂躙されている土地の人が、その操縦手に向けて必死に呼びかけている歌として響いてくる。敵同士の僕とあなたが、戦場ではないどこかで出会うかもしれない*3。その時には「話し合う」から、その前提として(つまり対話を成立させるための前提として)、「愛」を踏まえていてほしいという切実な願いが込められている。だから、

愛じゃなくても 恋じゃなくても 君を離しはしない

 という歌詞は、異性愛強制でもなく、恋愛至上主義でもなく、もっと普遍的な人と人のつながりを歌っていると思う。敵国に分かれた二人の関係を愛とか恋とかに回収する映画がよくあるけれど、そうではなくて、愛でも恋でもなかったとしても、君を突き放しはしないから、話し合おうよ、と歌っているように思う。

 これは「敵と味方」的な世界観への抵抗としても読み取れるが、そのことがよりはっきり表れているのが、「月の爆撃機だと思う。この歌は、爆撃機パイロットと、爆弾を落とされる街の人の視点を切り替えながら進んでいく。

 まず、「月の爆撃機」で描かれる世界が、戦場そのものであるということ、つまり倫理や話し合いが通じない世界であるということが冒頭で示されている。

ここから一歩も通さない
理屈も法律も通さない
誰の声も届かない
友達も恋人も入れない

 次の視点は街の人にある。

あれは伝説の爆撃機
この街もそろそろ危ないぜ
どんなふうに逃げようか
全ては幻と笑おうか

 このまま、街の人から見た世界だけで歌詞を完結させてもよいところを、なめらかに視点が切り替わり、パイロットの視点が描かれる。

僕はいまコクピットの中にいる
白い月の真ん中の黒い影

 そしてこの両者を「僕ら」としてまとめて、最後のブロックの歌詞が提示される。

いつでもまっすぐ歩けるか
湖にドボンかもしれないぜ
誰かに相談してみても
僕らの行く道は変わらない

 人としての感情が置いていかれ、理屈も法律も通じず、相談しても変わらない世界の中で、まっすぐに歩き続けることができるのか。まっすぐ歩き続けたって、何も報われず、誰にも見向きもされず、湖に落ちてしまうだけかもしれない。街の人もパイロットも、そうやって作られてしまった世界の犠牲者なのだ。誰かに相談したって未来は変わりそうにもない。歴史がそう言っている…。

 この歌詞は、色々な意味で「戦地」に置かれる人の絶望と、その中でも手掛かりになるものがあること(薄い月明かり)を歌っているように思う。

 以上の歌から分かるように、ブルーハーツの素晴らしいところは、一貫して、抑圧される者や支配に抵抗する者の視線から歌っていること、そして加害に加担する個人もまた、権力とシステムの犠牲者であるという視点を失わないことである。「TRAIN-TRAIN」でもこう歌っている。

弱い者たちが夕暮れ さらに弱い者たちを叩く

 では、弱い者は叩かれるばかりで、残るものは絶望しかないのか? そうではない、とブルーハーツは歌う。なにせ、「その音が響き渡れば、ブルースは加速してゆく」のだから。

 悲しいことに、誰かに叩かれ殴られ踏まれたとしても、その「音」は、普通は誰にも届いちゃいない。しかし、それを「響き渡らせる」ことができれば(より多くの人に届けることができれば)、ブルース(=抵抗の音楽)が加速していく可能性が開かれる。

 ブルーハーツが紡いできたのは、まさにそういう音楽なのではないだろうか。以上、すごく当たり前のことを今更書いて恥ずかしい気もするが、やっぱり書きたくなったので書いておいた。

(棋客)

*1:映画『ジョニーは戦場へ行った』は1971年。

*2:『進撃』なら、ピークの「私はマーレを信じてない。一緒に闘ってきた仲間を信じている」というセリフを想起するところである。

*3:『進撃』ならガビの一連のストーリーや、マルコの「俺たちはまだ話し合っていない」という言葉を想起する。

東大パレスチナ連帯キャンプの「セイファーテント」声明文が好きという話

 前回の最後で述べた「安心」と「安全」の違いについて、考えたことを書く。まずは、東大パレスチナ連帯キャンプの「セイファーテント」の声明文の全文を以下に転載する(https://www.instagram.com/ut4palestine/p/C7nsn8HB4rD/?locale=de-DE&img_index=1 より)。

===================

 教員有志の差し入れによって、キャンプ運営委員としてセイファーの取り組みをしているAの念願であった、セイファーテントが設営されました。立ち上げにあたって、少し長くなりますが、Aの個人文責で、このテントの主旨について説明させてください。

 このテントは、マイノリティのためのものではありません。それはなぜかというと、このキャンプのどのスペースも、マイノリティの学生・参加者が、安全にいられるべきだからです。安全であるということは、安心できることとは異なります。このキャンプは、大学当局に対して、そして何より虐殺を続けるイスラエル政府に対して、抗議をするために、多くの学生が自分ができることを考えて必死に続けているキャンプです。そこには常に緊張感があり、安心のための隙間はありません。

 またここは、それぞれに別のコミュニティで、別の活動をしてきた学生たちで運営しているキャンプです。運営委員の間でも、常に衝突、意見の違い、初対面のぎこちなさ、話し合い、時間をかけて行われる議論、喧嘩、和解を繰り返し、少しずつ「何のために」「どうやって」このキャンプを続けるのかが決められています。訪れるそれぞれの知り合いの学生たち、テントをみて「何をしているのだろう」と声をかけてくれる学生たち、SNSでの発信をみて駆けつけてくれるさまざまな人々…。この場の強みである、「さまざまな人がいること」ーそれは、思想、経験、属性etc—は、そこに常に強力な緊張感があることと裏表です。私が考えているのは、みんなにとって居心地が良い場所を目指す(それは、いつもの仲間だけでやっていれば、ある程度実現されることもあります)ことではなく、「居心地の悪さ」ができるだけ均等に配分されているキャンプを目指すことです。それが私が、安全な、より安全なキャンプといったときに考えていることです。

 では、どうやったら、より安全な場を作ることができるのか。それは例えばグラウンドルールを決めることかもしれません。でも、規則を作るだけでは、当然「より安全な場」は実現しません。結局のところ、ありきたりになりますが、その場にいる人全員で常に、より安全な場とはどういう場か、どうやったらそれに近づけるのか、例えばどのようなプラカードがあればいいのか、机椅子はどのように配置されているべきなのか、いつも同じ人が片付けをしていないか、私が関わったこの運動ではこうだった、といった話をし続けることでしか近づくことはできないと考えています。そう信じて私は、毎日テントに座っています。

 でも、それでも。今ここで話をするのは無理だ。ちょっと疲れたから静かに落ち着いて考えたい。そんな時はいくらでもあります。モヤモヤしている気持ちを、頑張って言葉にしなくてもわかってくれる人といたい。取るに足らないことだと絶対に考えていないと信頼している人と話したい。一緒にブチギレてくれる仲間が欲しい。そんな時、セイファーテントがその役目を果たしてくれることを期待して、ここに立ち上げます。

 このテントは、「セイファーのことを全て引き受ける(マイノリティの)運営委員が常にいて、守ってくれる」場所ではありません。静けさと怒りの共感を求めてやってきた人たちに、それを与えてくれる場所であることを願っています。

===================

 東大のパレスチナ連帯キャンプでは、参加者や訪問者がなんとなく一緒にいる空間と別に、セイファーテントが設けられており、上の文はそのテントが作られた時の声明文である。

 大雑把に言えば、さまざまな属性の人が交差する空間にあっては、「全員にとって居心地の良い場」(全員の安心)を目指すというよりも、「居心地の悪さ」(不安や障害など、広く色々なものが含まれると思う)が各個人に均等に配分されることを目指すと良いのではないか、という考えである。

 前提として、誰もが「安全に」その場にいる権利があるし、対話する権利がある。もし、その場に何らかの方法で他人の安全を脅かす人がいた場合、事情を考慮した上で、補助や仲介役をつけるとか、ゾーニングするとか、また極端な場合にはその場から排除するとか、何らかの対応が必要になる。(「他人の安全を脅かす人」というのは、必ずしも悪意がある人とはイコールではないことにも注意が必要だ。)

 その上で、「居心地の悪さを分け合う空間」を目指すとは、どういうことか。例えば、さまざまな人がいる場で意見を言うことや、その場で交わされる意見を聞くことに対して、あまり不安を覚えない人もいれば、大きな不安を覚える人もいる。大きな傾向で言えば、前者は抑圧を受けない属性の人であることが多く、後者はその逆であることが多いだろう。また、そもそも使用言語が異なったり、口で意見を伝えることにハードルがあったりして、さまざまな補助が必要な場合もある。何も工夫しないなら、今の社会の大抵の場所と同様に、「居心地の悪い」思いをする人がかなり片寄ることになってしまうだろう。

 それでは、インターセクショナルな差異を認めあった上での対話や議論が成立する土台が崩れてしまう。なぜかといえば、居心地の悪さを感じさせる背景には、交差する社会の抑圧があるわけで、個人の差異を分かり合うことができていないということは、差異があることが意味する本質(つまりその属性の人が体感する差別や抑圧)を理解できていないからである*1。差異を認識するという時、それは表面上の違いを把握するということだけではなく、そこにかかる抑圧の経験も含めて分かり合うということである。だから、「居心地の悪さ」が偏っている状態では、差異を認め合った対話は成立しない。

 上の文章では、ここからもう一歩踏み込んだことが書かれていて、そういう「居心地の悪さ」の配分が必要になる場(=人の特性・属性の相違や、路線・主張の相違がある場所)こそ、「この場の強み」である、つまり運動として強みを発揮できると述べている。いつもの仲間とやる運動との違いがここにあるということになる。

 

 ただし、これは、あらゆる場所で「安心」を求めてはいけないという話ではない。というか、安心できる場所がないとわれわれはなかなか生きていけない。いわゆるケアを求める場所では、「安心」を追求する必要があると思う。それは、上の文章で言えば、「静かに落ち着いて考える」、「頑張って言葉にしなくてもわかってくれる人といる」、「取るに足らないことだと絶対に考えていないと信頼している人と話す」、「一緒にブチギレてくれる仲間が欲しい」、そういうことができる場所である。特に不特定多数の人が集う場所では、みんなが集う空間とは別にそういう空間を確保することが大切で、この場合はそれが「セイファーテント」ということになる。

 加えて言うと、「安心」を追求せず、「居心地の悪さを分け合う」ことを掲げた対話ではあっても、結果として「安心」であったということや、ケアされたということはあり得るだろう。もしそういう対話ができたら、とてもいい気持ちになると私は思う。

 

 色々書いたが、まず大前提として、「全員の安心を求める場作り」と「全員の居心地の悪さを分け合う場作り」のスローガンでは、目指していることが全然違うというわけでもないし、そこで想像されている大きな方向性も同じだとは思う。

 ただ、後者をスローガンとして掲げたときの効果の違いは、「私は安心してるから平気だ」として思考停止する可能性を低くすることにある。後者のスローガンなら、「私はこの空間で安心しきっている。もしかして、他に安心できてない誰かがいて、それが私に配分されていないのではないか」と感じ取ることに繋がりやすい(かもしれない)。その気づきの可能性を開いているのがこの言葉だと思う。

 というわけで、この「セイファーテント」声明文は私はかなり好きな文章である。何かの参考になればと思って紹介しておいた。

 

 なお、私はこのパレスチナ連帯の運動に、立ち上げの数日後から一か月ほど手伝っていましたが、今は参加していないことを付言しておきます。(ただ、この文章の主執筆者は私ではありません。)

(棋客)

*1:以前、山家さんの『生き延びるための女性史』から「親しい関係のなかでゲイであるということが伝わっていたとしても、異性愛中心主義やジェンダー規範への批判が共有されなければ、そしてなによりもゲイとして生きてきた経験がしっかりときかれる空間でなければ、そこがまた新たなクローゼットになってしまう」(p.79-80)という文を引いたが、この話もこの文脈で理解できると思う。→山家悠平『生き延びるための女性史―遊郭に響く〈声〉をたどって』(1) - 達而録

藤高和輝『バトラー入門』についての(熱を込めた)感想

 藤高和輝『バトラー入門』(筑摩書房、2024)を読んだ。ちなみに藤高さんの文章は、以前別のものを紹介したことがある。

 私は、バトラーの『ジェンダー・トラブル』で論じられている、フロイトラカンフーコークリステヴァも、全く知らない。申し訳ないが一文字も読んだことがない。かつて、大学で西洋哲学の授業を取ったことがあるが、全然頭に入らなくて、結局、私はいわゆる「西洋哲学」の文法で書かれた本が全然理解できないことを自覚しただけで終わったりもした(これはいわゆる「西洋哲学」への偏見から来ているところもあると思うが)。

 ただ、『ジェンダー・トラブル』だけは、何となくすんなり頭に入ってきて、理解できた気がした(決して読みやすい文体ではないのに)。いや、「理解できた」というより、「共感した」「響いてきた」という方が近いと思う。不思議と、自分自身の生活の中での実感とも言うべき何か(「これってアレじゃん!」みたいな発見)と繋がって、30年も前にこんな本があるのか、と感慨にふけった。

 もちろん、これは「何となく共感した」以上のものではなくて、細かい議論はやっぱりよく分からないところが多い。背景をきちんと理解していないので、バトラーがどういう課題を抱えていて、どういう文脈の中でこういう本を書いたのかということも、知らないことが多かった。

 藤高さんの『バトラー入門』は、こういう経緯のある私にとって、まさに読みたい本で、知りたいことが書かれている本でもあった。こういう本が書かれるということは、こういう経験をした人も多いのかなと思って、ちょっと嬉しくもなったりする。また、私は『ジェンダー・トラブル』しか読んでいないので、バトラーの他著について知ることができたのも良かった。

 ちなみに、私が以前『ジェンダー・トラブル』を読んだ時の読書メモが以下の記事である。読み直してみると、とんでもなく薄っぺらい内容だが、当時の自分がどこに興味を持ったのかということや、何と何が繋がったのかということは何となく分かる気がする。

 特に(2)が印象に残った箇所で、藤高さんの本だと第五章~第六章あたりで引用されている文と多く重なっていたりする。

 『バトラー入門』の内容については、そのまま読むのが一番わかりやすく、わざわざ説明するほどでもないので、ここには概要などは書かない。ぜひ手に取って読んでほしい。『ジェンダー・トラブル』を読んだことがない人でも普通に読める本になっているので、もちろんそういう人にも推薦したい。

 他に読みたかったことがあるとすれば、欲を言えば、やはり今このタイミングで本が出るのだから、バトラーがユダヤ人としてパレスチナ連帯を表明していることも書いて欲しかった(なお、バトラーがさまざまな社会運動に連帯して闘っているアクティヴィストであること自体は、本書でも触れられている)。それは、この本のタイトルが「『ジェンダー・トラブル』入門」ではなく、「バトラー入門」と銘打たれているから、である。また、『ジェンダー・トラブル』とパレスチナ連帯が地続きのものであると私は考えているからでもある。

 

 以下、私自身の小さな発見を好き勝手にメモしただけのものを付しておく。

このように、バトラーの『ジェンダー・トラブル』は「ジェンダーを増やすこと」を肯定するものだけど、それは別の言い方をすれば、すでに存在している「たくさんのジェンダー」が「不自然」や「理解不能」とみなされ、社会的に承認されていない現状の「理解可能性」の規範的な枠組みを批判的に解体しつつ、それらのジェンダーが社会的にその「理解可能性」を拡張する試みだったとも言える。(p.167)

 この話を、社会的に承認されるジェンダーが固定化・規範化(特に二元化)した結果、本来そこにある豊かな差異が認識不可能なものになってしまう、という方向で理解すると、江原由美子の「『差別の論理』とその批判―『差異』は『差別』の根拠ではない」とも重なるところが多いと気が付く(先週までこのブログで紹介した)。江原のこの論文と『ジェンダー・トラブル』を読み比べると、江原論文は確かにバトラー以前だということには気が付きながらも、しかし江原の論理を突き詰めていけば、実践という意味ではバトラーの議論と重なってくるところがあると思う。(すでにこんな議論は山ほどありそうだが)

インターセクショナリティの核になるアイデアは、植民地主義レイシズム、セクシズム、軍国主義、資本主義的な搾取といった時代ごとの危機に直面した社会運動の文脈内において形成されてきた(p.191、コリンズ/ベルケの言葉の引用)

 社会の中で、また人と人との関係の中においては、どうしても権力というものが生じるものである以上、それに対して闘う運動も必ず起こっていたはずだ、と私は思う。ということは、インターセクショナルな運動や、そうした方向性を志向するアイデアは、歴史の中であちこちに転がっているものなのだろう。ものすごく古い文献(たとえば私の専門である中国古典)でも、そういう解釈の可能性が試みられてもいいのだろうと思った。

いずれにしても、ラウレティスが考えようとしたのは、「私たちのあいだに存在する「様々な差異」」であり、それぞれの差異について互いに真剣に考え、それによってはじめて「連帯」が可能になる、ということだ。……バトラーが『ジェンダー・トラブル』で考えていたのもまさにこの「私たちのあいだに存在する「様々な差異」」であり、「私たち」が連帯するために互いの差異を認め、対話するようなインターセクショナルな視点を持たないといけないということだった。(p.241)

 ここから、差異を認めた上の対話をどう実現するかという話になっていく。バトラーが「対話」について語る一段は、上の記事の(2)で引用している(本書ならp.248)。改めて以下に引用しておく。

 「対話」という概念そのものが文化によってまちまちであり、またこの概念は歴史的に制約も受けてきたので、対話している片方は会話が進行していると安心していても、片方は絶対にそうでないと思っているかもしれない。だから対話の可能性を条件づけ、制限づけている権力関係はどういうものかを、まずはじめに問わなければならない。さもなければ対話モデルは、語っている行為者(エージェント)がみな同じ権力位置にいて、何が「同意」で、何か「統一」かについて全員が同じ前提で話をし、また実際に、「同意」や「統一」こそが達成すべき目標であるというようなリベラル・モデルのなかに、逆戻りしてしまう危険性をもつことになる。

 藤高さんも言っているように(p.247)、対話というものは、「さあ議論しよう!」と宣言すれば始められるものではない。そもそもその場から排除されている人がいないか、その場にはいるが発言しにくさを感じている人がいないか、発言者が自らの特権性を自覚しているか、といった問いかけが必要だ。「それが見失われているものは、場そのもののなかにある権力関係への批判的な視点であり、その力関係によって自らが享受している特権を批判的に問う視点である」と藤高さんは言う(p.247-248)。

 藤高さんは、そういう場づくりを実践しようとしていることも述べている。

私は自分の学生向けのゼミで「誰もが安心して話せる環境を作りたい」という旨のことを話す。私はそのためにいろいろと工夫をするけれども、しかし、「誰もが100%安心して話せる」ことは不可能に近い。なぜなら、その教室というひとつの空間をとっても、そこには様々な権力関係が働いていて、「誰かは安心を覚えるが、別の人はそうではない」という状況は必ず生まれてしまうからだ。(p.249)

 ここの難しさを考えるためには、「「安心」と「安全」は異なる」という考え方を導入すると理解しやすいのではないか、と最近の私は考えている。むろん、導入したとて実現が難しいのは変わりないし、こういうのは「実現した」と言い切った時点で実現していないことを示しているものだが(つまり対等な対話が可能な場、権力の解体された空間は、パフォーマティブにしか有り得ないということだ)。

 誰もが「安全に」その場にいる権利、対話する権利はあり、それは断固として守らなければならない。ただ、「誰もが100%安心して話せる」ことはやはり不可能に近い。なぜか。それは対話を成立させるためには、インターセクショナルな差異を認めることが必要になるが、人は基本的に、差異がある対象には「安心できない」感情を抱くからではないか、と思う。(ここでいう差異というのは、アイデンティティに関するものだけではなくて、主張や路線の違いも含むことになる。)

 もちろん、結果として、その対話内容が参加者に安心感を与えることはあるし、そこにケアの可能性も開かれていると思う。ただ、「みんな安心して話せるように」というアプローチによって、その場を前もって作り出すことは難しいのではないか。そこで、より意識するべきなのは、みんなが安全に議論に参加できるように、「安心できない部分(居心地の悪い部分)をできるだけ均等に配分する」ということを目指すことにあるのではないか、と思う。(とは言いつつ、むろん、安全だけではなく「安心」できる場所がわれわれには必要であるから、ケアし合える空間を作る方法も同時に考えていかないといけない。)

 さて、今述べた、安心と安全の違いという発想と、「居心地の悪さを配分する」という言葉は、私が考えたものではなくて、東大パレスチナ連帯キャンプの「セイファーテント声明文」を読んで受け取ったものである。【※以下、2024/9/23に追記:ちなみに、藤高和輝『ジュディス・バトラー : 生と哲学を賭けた闘い』(以文社、2018)でも、「居心地の悪さを引き受けた対話」の話が出てくる(p.153)。

 もちろん、授業と運動では全然前提が違うので、ここの議論にそのまま当てはまるわけでは全然無い上に、ここではかなり雑な書き方になってしまったので、その声明文を次回の記事で詳しく紹介したい。

(棋客)