達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

宮崎市定訳『鹿洲公案―清朝地方裁判官の記録』

 『鹿洲公案』とは、特に台湾の統治に力を発揮した、清朝の実務派官僚の代表格である藍鼎元(1680-1733)が、自分が任地で体験した統治・裁判の事例を記録した本です。

 そしてこれを翻訳したのが宮崎市定で、平凡社東洋文庫『鹿洲公案―清朝地方裁判官の記録』として収められています。しかしこの翻訳は、一風変わったものです。本書の凡例を見てみましょう。

 一、この翻訳は、いわゆる学術的な翻訳ではない。という意味はむつかしい原語をそのまま訳文の中に残しておいて、注でそれを説明するというような方法をとらないということである。だからこの訳文を学術的な論文などに引用する場合には、原書はいくらでもある本だから、一度原文に当たってみてほしい。

 一、この翻訳は普通の日本読書人に、読んですらすら意味が取れることを目標としたうえ、国情の差異からくる理解の困難を埋めるために、特別の説明を加えた個所がある。もしも翻訳というものが、ある国の真実を他国の人民に理解させることが最上の使命であるとする観点に立つならば、この翻訳はすぐれて高度に学術的な翻訳であるとも言える。

 つまり本書は、『鹿洲公案』の原文の逐語訳ではなく、その訳文を理解する助けとなる背景的な事情の説明が組み込まれた訳文になっています。「もしも翻訳というものが、ある国の真実を他国の人民に理解させることが最上の使命であるとする観点に立つならば、この翻訳はすぐれて高度に学術的な翻訳であるとも言える」という言葉からは、氏の強烈な自負が垣間見えます。

  試しに、一つ目のエピソードである「五営兵食」の原文と、宮崎市定の訳文を一緒に見てみましょう。

(原文)

 潮陽一縣,歳徵民米軍屯,一萬一千餘石。配給海門,達濠,潮陽,惠來,潮州城守,五營兵食,無有存者。徵收不前,則庚癸將呼,非細故也。雍正五年丁未,承三載荒歉之餘,米價騰貴。潮令魏君,發支兵米,至五月之半止矣,其半月不能繼。六七兩月將離任,又不繼。八月解組,大埔尹白君署潮篆,九月卒于官。五營軍士,半載乏食,懸釜嗷嗷,民閒岌焉。

  これに対する翻訳(?)が以下。

宮崎市定の訳文)

 潮陽という県は、広東省の潮州府に属し、海岸に面した重要な地方である。そこに任命された県知事にとって、何よりも重要な任務は、その付近に駐屯する軍隊に食糧を供給することであった。一県で一年に徴収する地租の高は、一般の民田と、軍屯田、民屯田という官有地の上がりを総計して一万一千余石ある。一方、軍隊は、海門営・達濠営・潮陽営・惠來営・潮州城守営と、五カ所に分かれて駐屯している。ところが不思議なことに、この五営に供給する食糧がいつも不足がちなのである。その原因はいうまでもなく租税の滞納にある。だから県知事はいつも躍起となって租税の取り立てにせいを出す。もしその租税米が入ってこないようだと、軍隊の食糧配給がおくれることになり、不満を抱いた軍隊は、いつ兵変を起こさないとも限らない、危険な状態に陥るのだ。

 雍正五年(一七二七年)という年は、この地方を続けざまに三年襲った飢饉のあと、四年目という年である。市場では米価が天井知らずに値上がりし、民間にも食う米がない。五月の半ばになると、もう軍隊へ送る米がなくなってしまった。あと半月は全くの欠配だ。六月からまた配給を始めたが、この知事の任期は七月できれるのだ。それを見込んで、租税の滞納はますます甚しくなる。兵糧の遅配が続くので、県知事は円満に交代することができず、八月に入って懲戒免職になった。それに代わって近くの大埔県の知事の白某が、臨時に知事代理を仰せつかってやってきたが、ほとんど何もする暇もなく、九月に病気で亡くなった。だからこの間というもの、五営の軍隊は半年近く欠配が続き、釜をかけても炊く米がない。恐らく芋でも買って代用食にしていたのだろう。軍隊がこのように不満を抱けば、いつ掠奪にでもこられはしまいかと、民間でも絶えず、ひやひやしていなければならぬ。

 全編にわたってこの調子で翻訳されていて、引っ掛かるところがほとんどありません。

 ただ背景事情を説明するだけではなく、氏ならではの情景が浮かぶ訳、空気感を掴んだ解釈が随所に現れていて、逐語訳ではないにもかかわらず、訳文と対照させて読むとなおさら輝く本であるように思います。

 みなさま、ぜひ読んでみてください。

 

研究者がWikipediaを執筆するとき

 本ブログでは、これまでときおりWikipediaの執筆について触れてきました

 特にWikipedia執筆者の方々と交流する会に参加させていただき、自分なりに方針を立てられたのが大きく、これ以後時間を見つけて少しずつWikipediaを執筆しています。

 すでに立てられている記事の修正が主ですが、新たな記事もいくつか立ててみました。一つが以下の記事です。

ja.wikipedia.org

 当初は『孝経述議』というややマニアックな書籍一冊ならすぐに書き上げられるだろうから、練習によいだろうという軽い気持ちで書き始めたのですが、案外長めの記事になりました。

 もう一つ、少しずつ加筆をしているのが以下のページです。こちらはこの先が難しく、また大幅に組み替える必要があるかもしれません。

ja.wikipedia.org

 

 では、これらの記事の執筆や、Wikipedia執筆者の方々との交流を通して気が付いたことを、備忘録としてメモしておきます。大まかな方針については以前の記事で思うところを書いたので、今回はもう少し具体的に、研究者が記事を執筆するときに注意すべき点を書いていきます。

  1. 研究者の視点とそうでない人の視点は異なるのであって、記事の内容や章立てを考える際に意識が必要。
  2. 既に存在する他の記事と内容が重なってしまうことは、説明に必要な事柄であれば、気にしすぎなくていい。
  3. 良質な本を紹介する場として、優れた役割を果たす記事にするべき。

 以下、一つ一つ説明していきます。

①研究者の視点の相違

 『孝経述議』の記事の場合、私はもともと以下のような章立てで記事を書いていました。

1 概要

2 伝来
2.1 中国における亡佚
2.2 日本における受容
2.2.1 林秀一による復元

3 内容
3.1 体裁
3.2 解釈の特徴

 「2 伝来」の章に、『孝経述議』がどのように伝えられ、復元されたかということを書き、詳しい内容はその次に書くという順番です。

 別にこの順番だと問題があるというわけではないのですが、ちょっと「研究者的」な説明の仕方ではないか、ということに後から気が付きました。というのも、「まず伝来・版本・底本といった書誌学的問題を解決し、そこからようやく中身の検討に入る」という手順が文献研究における一応の原理原則で、上はその考え方に即した章立てになっているからです。

 私が執筆したものでなくても、こうした書き方になっている記事は散見されます(もちろん、その書き方がおかしいというわけではありません)。例として、底本の問題が先に書かれている「東観漢記」や、本文の信頼性に関する問題が先に触れられている「史記」などがあります。

 ただ、普通に百科事典を調べる方が期待している内容は、まずは「内容」(どんなことが書かれている本なのか)や「著者」(誰が書いたのか)、またその「背景」(なぜ書かれたのか)といった基本的情報でしょう。

 というわけで、他の方のご指摘を受けて、以下のように改めました。

1 成立の背景

2 内容
2.1 体裁
2.2 特徴
2.3 具体的な内容

3 伝来
3.1 中国における亡佚
3.2 日本における受容

4 復元
4.1 経緯
4.2 用いた資料

5 近年の研究
5.1 研究史的意義
5.2 近年の研究の動向

 当たり前ですが、背景・著者→その内容という順番で説明すると、説明の流れが作りやすいですね。研究者としてはどうしてもまず書誌学的問題をはっきりさせておきたくなるのですが、Wikipediaは「研究によってある程度の結論が出ていることを記す場所」ですから、実際の研究手順通りに書かればならないわけではありません。

 記述する内容によって章立ては大きく変わりますが、これを自分の中での一応の基準にしようと考えています。

 少し脱線しますが、最近悩んでいるのは、「詩経」や「書経」といった経書の記事の章立てです。「作者」とか「内容」の説明と、「伝来」や「受容」、また書誌学的問題が相互に絡み合い、スパッと分けて説明できないからです。

 たとえば『詩経』の「内容」を説明する際には、今我々が見ている詩経は「毛詩」系統で……その後誰々に継承され……という「伝来」の問題も、必ずセットで触れなければなりませんよね。これをどう整理するか、今後の宿題ということにしておきましょう。

 

②他記事との内容の重複

 例えば、『孝経述議』の成立の背景を書こうとしたら、『孝経』という経書や、南北朝時代の「義疏」の発達といった周辺事項について、ある程度の説明が必要です。しかし、「孝経」や「義疏」といったページは既に存在するわけで、そこと重なる記述をしてよいものか、という点が最初は気になっていました。

 あちこちに同じ事項に対する内容の異なる説明があると混乱を招きますし、他の記事により詳しい解説があるのに、読者がその前に探索をやめてしまうかもしれません。説明が詳細か簡潔かという差だけならともかく、内容に矛盾が生じてしまうこともあるでしょう。

 まず前提として、執筆前に、他の記事に関連する説明がないかしっかり探しておくべきでしょう。詳細な当該記事への案内を設置するために、テンプレート:See Alsoなどがちゃんと用意されています。

 ただ、私は同時に、「その事項を説明するために必要な事柄であれば、多少の被りは気にしなくてよいのではないか」とも考えています。実際、『孝経述議』の記事では、「御注孝経」や「孝経#日本での受容」への参照を張りながらも、説明自体はこの記事の中で完結するように多少重複させながら作ってあります。

 理由は、一つの記事の中で説明がまとまっている方が分かりやすいというのが一つ。小さな項目の執筆であっても、「全体の流れ」を考慮した記事を作ることが、研究者の立場でWikipediaを執筆する者に求められていることであると考えています。

 また、「重複を気にしなくてよい」というのは、できるだけ簡潔にせねばならない「紙の辞書」では実現できない、Wikipediaならではの大きな利点でもありますね。

 

 さて、ここから更に進んで、私は「あっちの記事とこっちの記事で異なる記述が存在していても、それはそれでいいのではないか」と考えるようになりました。異なる記述があり、それぞれに異なる参考文献が付いている状態は、よく考えてみると、別に悪いものではありません。本来、読者はそこから検証元へと遡り、自分で正しいものを選択すればよいのです。記述がページによって異なることを明示するためのテンプレート:矛盾も用意されています。

 むろん、「矛盾だらけの記述は放置しておいてよい」という暴論が言いたいわけではありません。「バラバラの記述がある中で、多くの方の努力により、徐々に真理的状態に収束していくことを期待する(そして自分もそこに参加する)」ことが重要、といった感じでしょうか。

 動的存在であるWikipediaは、常にその改善に向けた過渡期にあるのであって、執筆者はそのことを認識しつつ、その改善に向けた努力を怠らない――なんだか朱子学みたいな話になってきましたが、現時点ではこんなところだと思います。

 

③良質な本を紹介する場

 これは以前も少しだけ書いたことがあります。

 中国学研究の良書を、中国学に興味のある一般の方に紹介できる数少ない場所です。こんなブログにちまちま書くより、はるかに影響力があります(自分で言ってて悲しくなりますが)。

Wikipediaについて - 達而録

 そうはいっても参考文献の一つ一つに解説を付けられるわけではないのですが、できるだけ見やすいように工夫したり、使う文献を練ることは可能です。

 そこで『孝経述議』では、参考文献の欄を「日本語文献」と「中国語文献」に分けています。更に数が多い場合は、雑誌論文・専門書・概説書などで分け、読者への文献案内としてよりよく機能するように心がけています。

 また、出典として文献を用いる際、同じことが一つの本に書いてあったとしても、出来る限り様々な文献を利用するように心がけています。これは、「独自の研究に偏らない」というWikipediaの方針を守るためにも重要ですが、同時に多様な書籍への入り口を設けるためにも重要です。

 

 もう一つ、「典拠には、その事項を学ぶに当たっての適切な書籍を提示する」ことも、特に研究者が執筆する場合には心がけたいことです。

 たとえば、「東洋史関係の記述への典拠に、日本史の本でちょろっと触れられているだけの部分が用いられている」ということは非常によく見られる現象です。もちろん、これらはきちんと典拠を示して記述している時点で素晴らしいもので、専門家ではない方の執筆であれば、それで十分だと思います。

 しかし、理想的には、そこから文献を辿って調べた読者が、当該の内容に対してより深い知識を得られるような文献を示すべきでしょう。それができるのが専門家・研究者であり、その強みを発揮するべきです。

 

 今度は、より実際的な面として、執筆の際に役に立った技術的なTipsを記事にしようと思います。いつになるか分かりませんが、お楽しみに。

(棋客)

クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(7)

 初回はこちら↓

chutetsu.hateblo.jp

 

 ようやく最終回(7)まできました。クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(半沢孝麿・加藤節編訳、岩波書店、1990)を読んでいきます。今回は、いよいよ第五節、結論を提示する部分です(p.112-121)。

 もしこれまでの私の議論が正しいとすれば、今や、二つの積極的で一般的な結論がそこから引き出されることが示されるであろう。第一の結論は、思想史研究の適切な方法に関係する。すなわち、一方で、所与の作家の作品のみに集中して知の伝記を書こうとすることも、あるいは、所与の概念の形態を時代の変遷を通して追跡しながら観念史を書こうとすることもともに誤りであるに違いない。こうした型の研究はいずれも、(両者の欠点を併せ持つ教育用思想史は言うに及ばず)不可避的に誤った考えから生ずる。他方で、だからといって時折主張されるように、思想史研究のどの方法も等し並みに不満足なものであるということにはならない。むしろ、私の最初の積極的な結論は、私の議論の方向全体が、これまで私が押し進めてきたような批判を少しも受けることのない別な方法論を指示しているということなのである。私が一貫して強調してきたように、テクストの理解は、それが何を意味すべく意図されたものか、またこの意味がどのように受け取られるべく意図されたか、この両方の把握を前提とする。したがって、テクストを理解するということは、理解されるべき意図、および、この意図が理解されるべきであるという意図、すなわち、意図された伝達行為としてのテクスト自体が少なくとも具体的に表現してでているはずの意図、この両方を理解することでなければならない。それゆえ、所与のテクストを研究するに際してわれわれが向かいあう本質的な問題は、作者が、対象とすべく意図した読者のために書いたその時点で、書きながらこの所与の発言を発することによって実際に何を伝達しようと意図していたのかの問題である。したがって、発言自体を理解しようとするいかなる試みにおいても、本質的な目的は、作者の側におけるこの複合的な意図を再現することでなければならない。

 スキナーは、テクストの理解とは、以下の二つによって成し遂げられると結論付けています。

  1. それが何を意味すべく意図されたものか(理解されるべき意図
  2. この意味がどのように受け取られるべく意図されたか(この意図が理解されるべきであるという意図、意図された伝達行為としてのテクスト自体が少なくとも具体的に表現してでているはずの意図)

 この方法を実践するにあたって、気を配らねばならないのは以下の点とします。

 思想史の適切な方法論が心を配らなければならないのは、何よりもまず所与の場合に、所与の発言を発することによって、慣習上遂行されえたであろうコミュニケーションの全範囲を詳細に描き出すことであり、次いで、所与の作家の実際の意図を解読する手段として、所与の発言とこのより広い言語上のコンテクストとの関係を追跡することである。ひとたび、研究の適切な焦点がこのように本質的に言語の問題であり、したがって、妥当な方法論はこのように意図の再現にかかわるものである、と見られるならば、所与のテクストをめぐる社会的コンテクストに関するあらゆる事実の研究は、言語を解明しようとする右の企ての一部としての位置を与えられるのである。コンテクスト主義的方法論において、社会的コンテクストに関するこれらの事実の扱い方に問題があるのは、それらが不適切な枠組に嵌め込まれてしまっていることである。つまり「コンテクスト」は、誤って、言われたことに対する決定因として扱われている。そうではなく、コンテクストは、ある人物がその社会において、慣習上承認されうるどのような意味を伝えようと意図することが原理的に可能であったかの決定を助ける最終的な枠組として扱われなければならない

 テキストの理解に当たって、気を配らねばならないのは以下の二点です。

  1. 所与の場合に、所与の発言を発することによって、慣習上遂行されえたであろうコミュニケーションの全範囲を詳細に描き出すこと
  2. 所与の作家の実際の意図を解読する手段として、所与の発言とこのより広い言語上のコンテクストとの関係を追跡すること

 ここにおいて、「コンテクスト」は、著者の発言を決定する要因として扱われているわけではありません。そうではなく、著者がどのような意味を伝えようと意図することが原理的に可能であったか、ということを社会的背景から考慮する最終的な枠組であるとするわけです。

 

 次に、スキナーは、こうした研究によって紡がれるテクスト理解にどのような価値があるのか、またどのような可能性があるか、その積極的な意義付けを探ります。その中で、まず、思想史の研究を古典から学ばれるべき「永遠の問題」や「普遍的真理」に帰結する方向性を否定します。

 思想史の研究を、古典的テクストから学ばれるべき「永遠の問題」や「普遍的真理」の観点から正当化するいかなる試みも、思想史自体を馬鹿馬鹿しいほど、そしてまた必要以上に素朴なものにするという対価を払ってのみその正当化を贈いうることは明らかである、と私は考える。これまで示そうと努めてきたように、いかなる陳述も、不可避的に、特定の問題の解決に向けられた、特定の機会における、特定の意図の具体的な表現なのであって、したがって、それは、それを越えようと試みることは幼稚としか言えないほどに、特定の状況と密接に関係している。このことが意味する決定的に重要な点は、古典的テクストがかかわりうるのは、われわれのではなく、ただそれ自体の問いや答えに対してのみであるということだけではない。それはまた―コリングウッドの言い方を甦らせるならば―哲学には永遠の設問などおよそ存在せず、存在するのは個々の問いに対する個々の答えだけであり、また問う人の数と同じだけの多くの異なる問いが存在するということをも意味するのである。したがって、思想史研究の意義を、想像上の超時代的設問に対して試みられた解答なるものに集中することによって、古典的な作者たちから直接に学ぼうとする試みの中に求めることなど、およそ期待できない相談なのである。

 古典的テクストによって提供される解答なるものが持つこの途方もなく偶然的な要素は、繰り返し強調されてきた。…

 以上、古典的テクストの研究を通して直接に学ぶことを期待できるような永遠の問題は哲学には存在しないという主張を再定式化し、強調してきたが、このことは、もちろん、(おそらく数学におけるように)真理性がまったく時制とは関係のない命題も存在するという可能性を否定するものでは少しもない。(とはいえ、それらの命題の真理性はその理由からして偶然性が少ないと証明できることにはまだならない。)それはまた、もし十分に抽象的に組み立てられるならば、見かけだけでも永遠の問題が存在するという可能性を否定するものでさえない。私が力説したいのは以下のことだけである。すなわち、そうした問題を歴史的に研究する意義は、その解答からわれわれが直接に学びうることにあるとどれほど主張されるにしても、結局明らかにならざるをえないのは、解答と見做されるもの自体が、通常、異なる文化や時代の中では、大変に異なって見えるので、その結果、当該の問題を、要求されている意味で「同一」と考え続けることは何の役にも立たないということなのであるより率直にいえば、われわれは、われわれ自身の思考を自前ですることを学ばねばならないのである。

 ここでスキナーは、古典から普遍的意義を見い出して現代に活かす、という方向性を否定しています。では、思想研究、そして古典研究の意義は、否定されて終わりなのでしょうか?

 そうではありません。スキナーは、最後に思想史の研究の意義について、こう述べています。少し長いですが、「ここだけでも読んでくれ!」という部分ですので、そのまま引用しておきます。

 しかし、思想史のために現在主張されている哲学的価値が誤った考えに基づいているとしても、だからといって、思想史という主題それ自体には必然的に何の哲学的価値もないと断定するのが私の結論なのでは決してない。というのは、古典的テクストが、何か訳のわからない理由からしてわれわれ自身の問題ともかかわっているなどという憶測ではなく、それがわれわれとはまったく異質のそれ自体の問題とかかわっているというまさにその事実こそ、私から見れば、思想史研究の本質的な意義に疑念を投げかけるどころか、むしろ、それを明らかにする鍵を与えるものだと思われるからである。古典的テクスト、とりわけ社会、倫理、政治思想の分野におけるそれらは―もしもわれわれが求めるならば―、実効性ある道徳上の諸仮説や政治的主張本質的な同一性ではなく、むしろ多様性を明らかにする助けとなるものである。さらに言えば、ここにこそ、古典的テクストの最も本質的な哲学的、そして道徳的な価値が存在すると見ることができる。過去の諸思想を検討するための単に不可避なのではなく最良でもある展望の高所は、われわれが現在立っている状況という高所でなければならない、何となれば、定義上それは最高度に発展した状況だからと仮想する傾向(この傾向は、時に、ヘーゲルの場合のように歴史的発展の様態として明らさまに主張される)がある。だが、そのような主張は、基本的な問題に関して見られる歴史上の相違は意図や慣習の相違を反映しているのであって、諸価値の織りなす一つの共同体をめぐる競争や、ましてや絶対者の発展する知覚のようなものを反映しているのではないという事実に対する認識が少しでもあれば、それに耐えて生き残ることはできない。進んで言うならば、われわれ自身の社会は、社会・政治生活についてそれ自身に局限される信条や制度を持つという点で他のいかなる社会とも異ならないと認識することは、そのこと自体で、既に、まったく異なった、そして―あえて言いたいが―はるかに健全な展望の高所に到達したことを意味する。そのような思想の歴史の認識を持つことは、われわれが伝統的、いや「時代を超越した」真理としてさえ受け入れがちなわれわれ自身の諸制度の特徴が、どの程度まで、実は、われわれに特殊な歴史や社会構造の偶然的産物の最たるものにすぎないのかを示すのに役立ちうるであろう。実際には超時代的概念などといったものはなく、あるのはただ、さまざまに異なる社会と歩みを共にしてきたさまざまに異なる概念だけであることを、思想史から発見することは、過去についてだけではなく、われわれ自身についても一般的な真理を発見することなのである。それだけではない。われわれ自身の社会がわれわれの創造力に対してそれとは自覚されない拘束を課すことは常識であり、その限りではわれわれはすべてマルクス主義者である。だからこそ、他の社会の思想の歴史的研究が、それらの拘束をより少なくするために不可欠な、他をもってしては代え難い手段として企てられるべきだということが、われわれの共通の理解となるに値するのである。そうなれば、そのような歴史を無視する理由として現在恐ろしいほどの偏狭さでしきりに言い立てられることであるが、思想史は「もはや用をなさない形而上的概念」にすぎないものから構成されているという主張は、まさにそうした歴史を本質的に「有意な」ものと見做す理由と見られるようになるであろう。だがそれは、そうした歴史から粗雑な「教訓」が拾い出されるからではなく、その歴史自体が自己認識における教訓を提供するからこそである。このように、思想の歴史からわれわれ自身の直接的な問題への解決を求めることは、方法論的な誤謬を犯すだけではなく、道徳的な誤りとでも言うべきものをも犯すことである。これに対して、過去から―われわれはそもそもそれ以外には学びようがないのだが―必然的なものとわれわれ自身の偶然的な制度の産物にすぎないものとの相違を学ぶことは、自己認識そのものへの鍵を学びとることなのである。

 私はこの一段を、「多様なものを、そのままに多様なものとして受け取って学ぶことこそに、最大の意義がある」というように読みました。この読解が正しいのかは分かりませんが、非常に力強い言葉で、我々の研究を後押ししてくれる言葉だとは思いませんか?

 つまり、私にとっては、研究対象である「経学」が現実離れした観念的な産物であるからこそ、かえって魅力的であり、その多様な姿・異質な姿をそのままに理解し伝えることに意義があるのだ、とお墨付きを頂いたような気分になったのです。

 

 さて、結論の認識が正しいのかは置いておいて、全編を通してたいへん示唆深く、中国の学問の分析にも役立つ武器をたくさん手に入れることができました。学問の営みは世界に共通のものであり、類似点がさまざまに出てくるものだな、と感じました。(ここでこの類似点を強調し当てはめで理解すると、スキナーの批判する方法になってしまいますが…。)

(棋客)

※クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』の過去記事

(1)(2)(3)(4)(5)(6)

クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(6)

 前回の続きです。クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(半沢孝麿・加藤節編訳、岩波書店、1990)を読んでいきます。

 スキナーは、作品・著作の理解に当たっての適切な方法が何かという問いに対して、二つの解答を提示しました。

  1. あるテクストの意味を決定し、それゆえにテクストを理解する試みに対して、「最終的な枠組」を提供するのは「宗教的、政治的、経済的な諸要因」のコンテクストであると主張する。
  2. テクストの意味を解くために必要な唯一の鍵としてテクストそれ自体の自律性を主張し、「全体のコンテクスト」を再構築しようとするいかなる試みをも「余計な、そしてひときわ有害なこと」として斥ける。

 (1)~(4)で②のアプローチに、(5)で①のアプローチに欠陥があることを説明しました。これらの検討を踏まえて結論に向かっていくのですが、今回は結論に入る前の地ならしをする部分を読んでおきましょう(p.111-112)。

 私はこれまで、純粋にテクスト至上主義的研究もコンテクスト至上主義的研究もともに不十分であり、また全面的に誤解を生み出す可能性すら持つというこの主張を、起こりうる最も単純な事例だけから例示してきた。しかしまた、より明示的ではなく、またおそらくは公然と言明することが不可能な発語内行為の同定(identification)の問題を処理するためには、(私が他の場所で論証しようと努めてきたように)発語内的力についてのオースティン自身の議論をより間接的仕方で拡大する必要があるということも言ってよいと思う。たとえばわれわれは、ある特定の議論を用いないことが常に論争の的となり、したがってまた、関係する発言を理解するための必要な手引きともなりうるという明白な、しかしきわめて把え難い事実を処理することができなければならない。

 スキナーは、作者が「ある議論をしないこと」に注目せねばならないことがあるといい、この具体例としてロックの研究を挙げています。

 たとえば、ロックが『統治二論』第二部の中でいかなる歴史的議論もしなかったことを考えてみよう。一七世紀のイングランドにおいては、政治原理をめぐる議論は、事実上イングランドの過去に関する対立しあう異説の研究に基づいていた。だからこそ、ロックがこれらの問題に言及しなかったことは彼の全議論の最もラディカルで独創的な特徴であると強力に主張することもできるのである。ロックのテクストを理解する手掛りとして、このことは疑いもなく重要である。しかし、それは社会的コンテクスト(テクスト自体はなおのこと)の研究が決してもたらすことのできない手掛りなのである。

 スキナーはもう一つ、古典に含まれる「諧謔」や「婉曲的言及」を処理する必要性があることも述べています。

 同様に、ある種の古典的な哲学のテクストが、同時代の人ならばたちどころにジョークと見るものをきわめて数多く含んでいるという厄介な可能性を処理できることもわれわれには必要である。おそらく、プラトンホッブスとがまず思い起こされるであろう。ここでもまた、疑いもなくこのことが、彼らのテクストを理解する重要な手掛りである。しかし、再び同じように、従来承認されてきた二つの方法論のいずれも、その点でいったい何の役に立つのか理解困難である。同様に、仄めかしや婉曲的言及の問題も通常、重要な識別問題をはっきりと提起し、それに対応して、そうした要素が顕著に見られるテクストを誤解する明らかな危険性を生み出す

 作者が「ある議論をしないこと」に注目せねばならないこと、また古典に含まれる諧謔・婉曲を読み取らなければならないことというのは、言うは易しですが最も難しいことの一つであると思います。

 専門の論文を見ていても、「この議論をするときには、この例を出して説明するのが普通なのにしていない」といったことを読み取った研究を見たときには、いつも感服してしまいます。この領域に達するのは難しいものです。

 さて、スキナーは、第四節の終わりでこう述べ、結論パートに向かいます。

 すなわち、テクストそれ自体の研究だけに集中することも、テクストの意味を決定する手段としてその社会的コンテクストの研究だけに集中することも、いずれもテクスト理解のための条件に関する最も困難な諸問題を認識―解決はいわずもがな―することを不可能にするのである。

 次回に続きます。

(棋客)

クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(5)

  前回の続きです。クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(半沢孝麿・加藤節編訳、岩波書店、1990)を読んでいきます。

 スキナーは、作品・著作の理解に当たっての適切な方法が何かという問いに対して、二つの解答を提示しました。

  1. あるテクストの意味を決定し、それゆえにテクストを理解する試みに対して、「最終的な枠組」を提供するのは「宗教的、政治的、経済的な諸要因」のコンテクストであると主張する。
  2. テクストの意味を解くために必要な唯一の鍵としてテクストそれ自体の自律性を主張し、「全体のコンテクスト」を再構築しようとするいかなる試みをも「余計な、そしてひときわ有害なこと」として斥ける。

 このうち、(1)~(4)で②のアプローチの問題点を論じてきました。この内容から、ある著作の理解に当たっては、①がよりよい方法ではないか、と話が進んできます(p.99-110)。

 ここまで論じてくると、私が冒頭で挙げた二つの方法論のうちでは、第一のものが、思想史研究の方法として決定的な優位を示すと思われて当然であろう。これまで私が示してきたように、単に所与の観念や所与のテクストそれ自体のみに集中することが原理的に適切でないとすれば、おそらく最良のアプローチはそうではなくて―方法論者たち自身がますます強調しているように―われわれの観念は「より直接的な状況への応答」であり、したがってわれわれはテクストそれ自体ではなく、むしろ「テクストを説明する他の出来事のコンテクスト」を研究すべきであるという認識のうちになければならない、ということになるであろう。…

 「コンテクストに即した読み」というこの方法が、哲学についても文学についても、思想史の適切な方法論を提供するという信念は、実際ますます一般に是認されるようになってきているかに見える。最も通史的な古典テクスト史でさえも、「社会的・政治的状況について」何らかの知識が必要なことをある程度は認め、当のテクストそのものを「生み出し」た「歴史的条件」に「しかるべき注意」を払う姿勢を示すのが今や普通である。

 ここに書かれている通り、 近年の研究においては、一般に、書き手の社会的・政治的状況に注意を払うことが必要であるとされています。スキナーは、以下のように、実際にこのアプローチが有効な場面があることも述べています。

 所与のテクストのコンテクストについての一定の知識が実際テクストを理解する助けとなるという事実は、次のようなまず疑うことのできない事実の反映である。すなわちいかなる行為の遂行―陳述を行なうことは、まさに一つの遂行として理解されなければならない―にとっても、存在しなければその行為(なされた陳述)が違ったものとなっていたかもしれず、また生じなかったかもしれない一組の条件、いや、行為の発生がその存在によって予言されたかもしれない一組の条件が、少なくとも原理的には常に発見可能だという事実である。あらゆる陳述にとって何らかの説明的なコンテクストがなければならず、あらゆる行為にとって何らかの因果的先行条件群がなければならないということに疑問の余地はないであろう。所与の陳述、あるいはその他の行為に関する何らかの別な(目的論的)説明様式を提供する手段として、コンテクストや原因となる条件ではなしに、主体が申し立てる心的な状態に集中することは、少なくとも、説明の試みにとっては有意なはずの大量の情報を無視することになるであろう。逆に、テクストのコンテクストはテクストの内容を説明するのに用いることができるという仮説は、意志的に遂行された行為は因果的説明の通常の過程によって説明されるべきであるというより一般的で、ますます受容されつつある仮説を例証し、またそこから説得力を得ていると言ってよいであろう。

 しかし、「行為」とその「原因」を明らかにしようという試みには、原理的な限界があることをスキナーは論じていきます。

 しかし、だからといって、行為の原因の知識が、行為そのものの理解と本当に等しいか否かは、断じて疑ってしかるべきではないだろうか。というのは、行為の理解は、起こった行為の因果的先行諸条件の把握を前提とするだけでなく、―それとはまったく別に―行為を遂行した主体にとってのその行為の狙い(point)の把握をも同様に前提すると言ってよいからである。…

 ここからスキナーは、「陳述がなされるコンテクストとしての諸条件の研究」が、なされた陳述の理解にとって適切な方法論とは看做されないとし、その例を二つ挙げます。

 われわれの手許にあるのは、実際の陳述に先行もせず、また、それと偶然的に結びついているのでもない意図であり、むしろここでは、意図の陳述が行為それ自体を性格づけるのに役立つのである。…要するに、一方、決して行為としては結実しないかもしれないXを行なおうという意図(intention to do x)―そのような、行為に先行する意図の陳述が行為としてついに結実しなかったとしたら、いったいわれわれはそれを何と言うべきか明らかではないが―と、他方、当該行為の実際の生起を前提とするだけでなく、その行為の狙い(point)を特徴づけるのに役立つという意味で、論理的にその行為と結びついてもいるXを行ないつつある際の意図(intention in doing x)との間には違いがあるということなのである。私がいま行なっている議論に対してこの主張が持つ意義はもはや明らかであろう。なされた陳述あるいはその他遂行された行為はすべて、それを行なった意図―それを原因と呼んでもかまわないが―を前提しなければならないが、それだけではなく、その行為を行ないつつある際の意図をも前提しなければならないのである。後者は、原因ではありえないが、にもかかわらず行為自体が正しく性格づけられ、したがってまた理解されるためにはどうしても把握されなければならないものである。

 しかし、この議論では、コンテクスト主義のテーゼのうちでも最強力なものを迎え撃つには不十分であると主張する向きもあるかもしれない。それによれば、この議論は、実質的には、ある主体が所与の陳述をすることによって何をするつもりであったかについての議論である。これに対して、コンテクストの研究を擁護してなされる主張は、まさにコンテクストそれ自体が、テクストが意味しているはずのことを明るみに出すのに役立ちうるというところにあった。しかし、この主張は、コンテクスト主義の方法論が依拠していると思われる第二の誤った前提、すなわち、「意味」と「理解」とは事実上厳密に相関的な用語であるという前提を暗示するだけである。だが、J・L・オースティンが古典的に論証したところによれば、陳述の理解は、所与の発言の意味の把握だけではなく、彼がその発言の意図された発語内的力(illocutionary force)と名づけたものの把握をも前提とする。この主張は、私の現在の議論にとって二点において決定的に有意である。まず第一に、所与の主体は発言を発することにおいて(inuttering)何をしているのかというこの一歩進んだ疑問は、意味についての疑問では全くなくて、発言それ自体の意味と対応するものでありながら、しかもなおその発言を理解するためには把握することが不可欠な一つの力についての問題である。そして第二に、たとえ所与の陳述が意味しているはずのことをその社会的コンテクストから解読できたとしても、そのことは依然として、その陳述において意図された発語内的力の真の把握にも、したがってまた、結局は所与の陳述の真の理解にも導くものでは全くない。要するに、問題は、一つの避け難い空隙が残るということである。すなわち、たとえテクストの社会的コンテクストの研究が前者を説明する助けとなりえても、だからといって、テクストを理解する手段が提供されたことにはならないのである。

 ここまで、よく分からないと思いますので、スキナー自身が提示している具体例を見てみることにしましょう。以下の状況を想定してください。

  1. ある歴史家が、ルネサンス期の道徳論の中で、「君主たるものはいつ有徳であってはならぬかを学ばねばならない」という陳述に出会ったとする。
  2. この陳述の意味(sense)および意図された言及対象は、完全に明白であると想定する。
  3. さらに、これは、発言の社会的コンテクストの研究―君主の徳は、その時代には事実上彼らの破滅に通じていたことを明らかにした研究―の結果であるとも想定する。

 この状況で、上の陳述について、二つの答えを想定してみるとします。

  1. このようなシニカルな助言は、ルネサンス期の道徳論の中ではしばしば提示された。
  2. それまでほとんど誰も、このようなシニカルな助言を教訓として公けに提示することはなかった。

 この二つのうち、いずれが真実に近いか、歴史家は見いださなければならないわけです。答えが①なら、発言者が心に抱いていた発言の意図された力は、一般に是認されていた道徳的態度を裏書きするか、または強調することにあります。しかし、答えが②なら、発言の意図された力は、確立された道徳の常識を拒否論駁することに近くなります。

 実際に、マキァヴェッリ君主論』のこうした趣旨の陳述について、両者の主張が思想史家によって代わるがわる提示されてきました。二つの主張のうち一つだけが正しいということは明らかで、しかもどちらが正しいかということは、マキアヴェッリの意図を理解する上できわめて大きな影響を与えます。つまり、マキアヴェッリが彼の時代の政治の基本的な道徳的常識を覆そうとしたのか、あるいは支持しようとしたのか、という点に関わってくるのです。

 しかし、この疑問の結論は、陳述それ自体の研究からも、また(十分に明晰な)その意味の研究の積み重ねからも到達しえないような種類の事柄です。なぜなら、「コンテクストそれ自体は、明らかにあれかこれかの関係にある二つの発語内行為のいずれをも生み出すことができ、したがって、一方を選び他方を斥けるためにそれに訴えることはできないから」です。

 スキナーは、以下のようにまとめています。

 だからこそ、過去になされた陳述を理解したと言われるためには、言われたことを把握するだけでは、いや、たとえ言われたことの意味が変化したことを把握しても、それだけでは十分ではありえないのである。したがってまた、陳述が何を意味したか、あるいは、それが意味したにちがいないことについてそのコンテクストが何を示すと言われうるかを研究するだけでは決して十分ではない。所与の陳述についてなお把握されるべく残っている点は、言われたことはいかなる意図であったのか、したがってまた、同一の一般的コンテクストの中にありながらさまざまに異なる諸陳述の間には、いかなる関係があったのかという点である。

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(棋客)