読書案内
藤高和輝『バトラー入門』(筑摩書房、2024)を読んだ。ちなみに藤高さんの文章は、以前別のものを紹介したことがある。 藤高和輝「パスの現象学―トランスジェンダーと「眼差し」の問題」 - 達而録 私は、バトラーの『ジェンダー・トラブル』で論じられてい…
前回の続き。江原由美子「『差別の論理』とその批判―『差異』は『差別』の根拠ではない」(『増補 女性解放という思想』ちくま学芸文庫、2021)、今回はp.137-153を読んでいく。 〈差別の論理の不当性〉 以上をまとめると、「反差別言説の困難さ」は、「差別…
前回の続き。江原由美子「『差別の論理』とその批判―『差異』は『差別』の根拠ではない」(『増補 女性解放という思想』ちくま学芸文庫、2021)、今回はp.128-137を読んでいく。 〈差異は差別の根拠ではない〉 差異の内容に詳しく立ち入って論じることは、「…
江原由美子「『差別の論理』とその批判―『差異』は『差別』の根拠ではない」(『増補 女性解放という思想』ちくま学芸文庫、2021)、今回はp.122-128を読んでいく。 ※前回→江原由美子「『差別の論理』とその批判―『差異』は『差別』の根拠ではない」(1) - 達…
江原由美子「『差別の論理』とその批判―『差異』は『差別』の根拠ではない」(『増補 女性解放という思想』ちくま学芸文庫、2021、初出1985)を読んだ。本著は、そもそも「差別」とは何かということを論じる論文で、流れるような緻密な論理展開から、「差別…
前回に続いて、小松原織香『性暴力と修復的司法:対話の先にあるもの』を読み進めていく。今回は、第三章「「対話する主体」と性暴力」を中心に紹介していく(p.97-)。論旨としては、性暴力被害者は「語る主体」になることで、回復する主体・告発する主体・…
小松原織香『性暴力と修復的司法:対話の先にあるもの』(成文堂、2017)を読んだので、概要の紹介と自分の感想を書く。小松原さんの本は、他に『当事者は嘘をつく』(筑摩書房、2022)を読んだことがある。『性暴力と修復的司法』はアカデミックな書体で書…
前回に続いて、山家悠平『生き延びるための女性史』の内容を紹介していく。今回は第四章と第五章の感想を書く。 第四章「遊郭のなかの「新しい女」」 青鞜社の女性たちは、「新しい女」という揶揄を肯定的な意味で自ら積極的に名乗るようになったが、それと…
山家悠平『生き延びるための女性史―遊郭に響く〈声〉をたどって』(青土社、2023)を読んだ。殺気迫る珠玉の論考の数々で、まさに「生き延びるため」に書かれた本、言い換えれば、言葉を綴らなければ社会に殺されると実感している人の叫びが、ひしひしと伝わ…
陳佑真『三蘇蜀学の研究』(京都大学学術出版会、2024)を購入し、少しずつ読み進めています。著者の陳さんは私の先輩で、本当にたくさんのことを教えていただいた方です。あまりまとまっておらず、メモ書き程度にしかなりませんが、内容について印象に残っ…
最近、ジェームズ・C・スコット『ゾミア―― 脱国家の世界史』(みすず書房、2013)を少しずつ読んでいます。とても長い本で、まだ読み終えてはいないのですが、読みごたえがあって面白い本です。全体の枠組みと、過去の研究、そして筆者のフィールドワークが…
今回は、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない―とり残された者のためのトランスジェンダー史―』(青土社、2020)について書いていく*1。この本の感想はいつかきちんと書きたいと思っていて、メモを取り始めたのはだいぶ前なのだが、完成までだいぶ時間がか…
前回の続き。フェミマガジン『エトセトラ』の「特集:男性学」号(vol.10)を読んでの感想を記す。今回は、特に仲芦達矢「ノイジー・マスキュリティ」を取り上げる。 前回、『エトセトラ』の「特集:男性学」号の全体について説明した。前回示した通り、全体…
遅れ馳せながら、フェミマガジン『エトセトラ』の「特集:男性学」号(vol.10)を読んだ。同誌はこれまでに「特集:くぐりぬけて見つけた場所」(vol.7)を読んだことがあって、とても面白かったのを覚えている。 今号も、掲載されている論考はどれもとても…
前回に引き続き、『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』(在日本韓国YMCA編集、新教出版社、2023)を読みます。今回は、第4章「パレスチナと性/生の政治」(保井啓志)の内容をメモしておきます。イスラエルによる、いわゆる「ピンクウォッシング」…
前回に引き続き、『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』(在日本韓国YMCA編集、新教出版社、2023)を読みます。今回は、第7章「ジェンタイル・シオニズムとパレスチナ解放神学」(役重善洋)の内容をメモしておきます。この章は、イスラエルによるパ…
『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』(在日本韓国YMCA編集、新教出版社、2023)を読みました。在日本韓国YMCAは、日本・韓国・在日朝鮮人を架橋する運動体であり、2006年からはパレスチナとの交流事業を継続してきました。 現在、イスラエルによるパ…
以前、『論語』の有名な一節「子在川上、曰、逝者如斯夫、不舍晝夜」(子川上に在り、曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず)の解釈について、このブログでまとめたことがあります。 『論語』の「川上の嘆」の二つの解釈 - 達而録 要約すると、「川上の…
秋と言いながら、急に暑くなる日があって困りますね。とはいえ大分涼しくなってきたので、たまに散歩に出かけて講演で本を読んだりしています。最近読んだ本の一部を簡単にご紹介。 中村一成『ウトロ ここで生き、ここで死ぬ』戦前から朝鮮人が多く在住して…
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(竹村和子訳、青土社、2018、新装版)の読書メモの続きです。今回は、第三章・第四節「身体への書き込み、パフォーマティヴな攪乱」から抜き出します。以下、引用部はp…
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(竹村和子訳、青土社、2018、新装版)の読書メモの続きです。 今回は、政治行動のための連帯についてバトラーが論じているところを見ていきます。以下、p.42~44を引用…
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(竹村和子訳、青土社、2018、新装版)を改めて読みました。数回に亘って、メモ書きを残しておこうと思います。 今回は、議論の入り口ということで、本書で特に主眼に置…
先週は少々体調を崩しており、ブログ更新をお休みしました。 今回は、菊地夏野・堀江有里・飯野由里子編著『クィア・スタディーズをひらく』(晃洋書房、2019)、第五章「教育実践学としてのクィア・ペダゴジーの意義」(渡辺大輔)の第二節(p.142-147)の…
岩波書店の「書物誕生―あたらしい古典入門」シリーズより、神塚淑子『『老子』―“道”への回帰』(岩波書店、2009)を読んでいます。今日は、第一部・第二章の「老子と仏教」より、『老子変化経』という本についての一段を読んでみます。 『老子変化経』は、敦…
最近出版された、『東アジアは「儒教社会」か? アジア家族の変容』(京都大学学術出版会、2022)という本を入手して少しずつ読んでいます。 今回は、第一部・第二章に収録されている、佐々木愛氏の「儒教の「普及」と近世中国社会―家族倫理と家礼の変容」の…
『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(早川書房、2018)を読みました。SF作家であり、翻訳家として中国SF作品の英語圏への普及に力を尽くしてきたケン・リュウによって集められたアンソロジーの日本語版です。 どれもSFの魅力がこれでもかというほど…
梁鴻『中国はここにある』(鈴木将久・河村昌子・杉村安幾子訳、みすず書房、2018)という本を読みました。先日、たまたま著者の方とお会いする機会があり、この本を紹介していただきました。 近代化の矛盾に苦しむ農村に、現代中国の姿を浮かび上がらせ、大…
予告していた通り、ベンヤミン著・鹿島徹訳『[新訳・評注]歴史の概念について』(未来社、2015)の内容を少しだけ紹介します。 まず、ベンヤミン『歴史の概念について』のテーゼⅥ(p.49-50)を一部引用します。 過ぎ去ったものを史的探究によってこれとは…
知人から推薦されて、ベンヤミン著・鹿島徹訳『[新訳・評注]歴史の概念について』(未来社、2015)を読んでいます。まだ途中ですが、深い感銘を受けております。折角なので、このブログでも簡単に紹介していきます。 この本は、ベンヤミンに初めて触れる私…
『林秀一博士存稿』(林秀一先生古稀記念出版会、一九七四)をパラパラと眺めていると、「中国哲学界の現状」「毛沢東主席会見記」という文章が載っていまいた。これらは、林秀一が訪中した時の記録を残したものです。 林秀一は、中国古典の研究者で、『孝経…