2021-01-01から1年間の記事一覧
概説書篇、オンライン篇の続篇です。 以前も書きましたが、訳を参照する際には、それがどのような方針で訳されているかということを頭に入れた上で利用する必要があります。例えば経書には、大きく古注(漢代~唐代)と新注(朱子学の解釈)の二種の注釈があり、…
最近、『井筒俊彦著作集』(中央公論社、1991.10-1993.8を冒頭から眺めています。もともと『意識と本質』や『東洋哲学の構造――エラノス会議講演集』などしか読んだことがありませんでしたが、若かりし頃の井筒の文章の筆致にはまた異なる魅力があるように思…
本ブログでは、慶應義塾大学斯道文庫による『論語義疏』古写本の発見について、これまで何度か取り上げてきました。 慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録 慶應義塾図書館展示会「古代中世 日本人の読書」に行ってきました - 達而録 『…
後漢を代表する経学者である鄭玄の研究は、過去様々な方向から深められており、その内容は多種多様です。鄭玄の学問が該博で、また生きた時代が激動の時代であるがゆえに、学者によって研究の切り口が大きく異なり、内容の相違が生まれてくるのでしょう。 今…
前回の続きで、劉炫の『孝經述義』の廣至德章を見ていきます。経・伝は以下です。 教以孝、所以敬天下之爲人父者也。〔孔伝〕所謂「敬其父則子悦」也。以孝道敎、卽是敬天下之爲人父者也。 教以弟、所以敬天下之爲人兄者也。〔孔伝〕所謂「敬其兄則弟悦」也…
『孝経』の様々な注釈を読み比べていると、色々と面白い発見があるものです。むろん、それはどんな経書であっても同じなのですが、『孝経』の場合は全体量が少ないですから、手軽に取り組めるという利点(?)があります。 今回は、劉炫の『孝經述義』の廣至…
本ブログでは、たびたび『説文解字』の版本に関する話をしてきました。 chutetsu.hateblo.jp 今回は、倉石武四郎の「清朝小学史話」(『漢字・日本語・中国語 倉石武四郎著作集第二巻』くろしお出版、1981)のp.302~p.306から、清代における『説文』小徐本…
最近、友人に薦められてバーナード・レジンスター著(岡村俊史・竹内 綱史・新名隆志訳)『生の肯定―ニーチェによるニヒリズムの克服』(法政大学出版局、2020)を読んでいました。まだ半分も読めていませんが、門外漢である私にも(ある程度)伝わるほどに…
最近は何かと忙しく、あまり専門の記事を書けておりません。そこで今回は、私の専門とは異なる分野から、おすすめの本を紹介していきます。 どれも学部生、いや高校生からでも読める本ですが、読み応えがあり、その後の世界の見え方が変わるような体験ができ…
いま慶應義塾大学に付設されている「斯道文庫」は、貴重な和漢籍を数多く蔵する、日本で屈指の専門図書館の一つです。 斯道文庫のホームページの説明を借りて、その由来を記しておきます。 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫は、株式会社麻生商店(現・麻生グ…
たびたび本ブログで紹介してきたように、筆者はWikipediaの執筆に力を入れています。(ここ最近は忙しく、あまり執筆できていませんが…) chutetsu.hateblo.jp Wikipediaの記事を執筆する上では、逐一信頼できる書籍の出典を附し、情報源を明示することが求…
今日は、竹ノ内静雄『先知先哲』(一九九二、新潮社)から、戦中の小島祐馬の活躍ぶりを学ぶことにいたしましょう。本書は、吉川幸次郎・田中美知太郎・小島祐馬といった学者の回想録になっており、他にも面白いこぼれ話が多数記載されています。 ここで紹介…
今回は、入谷仙介『詩人の視覚と聴覚ー王維と陸游』(研文出版、2011)に収められている「隠逸の境地―隠者の苦悩と喜び」を読んでいきます。 以前、『山月記』の最後の詩が、中国における「隠逸」の概念を踏まえて理解するべきものであることを述べました。 …
『説文解字』一篇上・門部「閏」 閏,餘分之月,五歲再閏也①。告朔之禮,天子居宗廟,閏月居門中。从王在門中。《周禮》:閏月王居門中終月也②。 【校勘】 ・「五歲再閏也」,大徐本、小徐本無「也」字。 【訳】 「閏」とは、付け足される月のことで、五年の…
最近、中国語の勉強を兼ねて《我在未来等你》というドラマを観ていました。 →我在未来等你(2019年薛凌执导的电视剧)_百度百科 あらすじは、自分の人生に後悔を抱えた37歳の大学教員(刘大志)が、20年前の世界にタイムスリップし、自分の未来をより良いも…
小浜正子、下倉渉、佐々木愛など『中国ジェンダー史研究入門』京都大学学術出版会、2018 中国の長い歴史とともに変化したジェンダー秩序の変遷過程をダイナミックに描く。社会の父系化、ジェンダー規範の強化、そして社会主義をへて改革開放の大変動まで。家…
先日、マーベルシリーズ最新作の「シャン・チー」を観てきました。 シャンチー(象棋、中国の将棋)を嗜む私は、最初にタイトルを見たとき「完全なるチェックメイト」や「聖の青春」のようなボードゲームを題材にした映画かと勘違いしてしまいました。当然、…
前回に引き続き、喬志航「王国維と「哲学」」(『中国哲学研究』20、2004)に導かれながら、王国維「釈理」を読み進めていきます。 ここは、ショーペンハウアーの説に則って、カントの言う「理性」を批判しながら、「理」の狭義の概念を整理していくところで…
前回に引き続き、喬志航「王国維と「哲学」」(『中国哲学研究』20、2004)に導かれながら、王国維「釈理」を読み進めていきましょう。 其在西洋各國語中,則英語之Reason,與我國今日「理」字之義大略相同、而與法國語之Raison,其語源同出於拉丁語之Ratio…
以前、こんな記事を書きました。 chutetsu.hateblo.jp 喬志航「王国維と「哲学」」(『中国哲学研究』20、2004)を読んでいて、王国維「釈理」の冒頭で阮元「塔性説」の話が出てきていたことを思い出しました。「釈理」は、王国維がショーペンハウアーの影響…
Wordで漢文の原典を引用しながら文章を書いていると、旧字体と新字体の使い分けに苦労することがあります。文章編集ソフトとして「一太郎」を使っている場合は、また別の方法があるかもしれませんが、持っていない方も多いことでしょう。 こうした悩みを解決…
8月15日、「カブール陥落」というニュースが世界を駆け巡りました。 私の手元にある杉山正明『ユーラシアの東西―中東・アフガニスタン・中国・ロシアそして日本』(日本経済新聞出版社、2010)のうち、氏の2009年の講演を記録した文章に、アフガニスタンにつ…
二年ほど前、こんな記事を書きました。 chutetsu.hateblo.jp この二年の間、百万遍近辺ではコロナ禍のあおりを受けて消えてしまった店もたくさんあるのですが、「田中里の前」交差点近辺の中華料理屋はいずれも健在です。 それどころか、またもや新しい中華…
本ブログ「達而録」を開設し、三年が経過しました。読者の皆様に支えられて、無事に一週間に一回の更新を守り続けられています。 筆者は、新型コロナの流行によりなかなか先が見えない状況になってしまいましたが、なんとか研究だけは進めるべく日々奮闘して…
次回に引き続き、アンリ・マスペロの名著『道教』(川勝義雄訳、平凡社東洋文庫329、1978)を読んでみます。 もし道教徒が仏教徒と同じくらい細心で、六世紀初頭以来、かれらのコレクションに関する一連の古い目録をすべて保存していたとすれば、われわれは…
今回は、アンリ・マスペロの名著『道教』(川勝義雄訳、平凡社東洋文庫329、1978)を読んでみます。アンリ・マスペロは、1883年生まれのフランス人の東洋学者です。道教・仏教・中国古代史のほか、ベトナム史やベトナム語など、幅広い分野において研究を進め…
本ブログでは、過去たびたびWikipediaに触れておりまして、筆者もときおりWikipediaの執筆に参加するようになりました。徐々に機能にも慣れてきましたし、執筆者の方々の顔ぶれも何となく頭に入ってきました。 今回は、日本語で書かれた中国学関係のWikipedi…
論文読書会にて、濱口富士雄『清朝考拠学の思想史的研究』(国書刊行会、1994)の「戴震と王引之の同条二義の訓詁」を読みました。 テーマは『爾雅』の以下の一条。 『爾雅』釋詁 台、朕、賚、畀、卜、陽、予也。 「台」、「朕」、「賚」、「畀」、「卜」、…
今回は、齋藤希史『漢文スタイル』(羽鳥書店、2010)の第七章「花に嘯く」に導かれながら、「長嘯」という言葉と中島敦『山月記』の漢詩について考えてみます。 前回、「嘯」と「長嘯」の意味について、斎藤本と青木正兒「「嘯」の歴史と意義の変遷」(『中…
今回と次回は、齋藤希史『漢文スタイル』(羽鳥書店、2010)の第七章「花に嘯く」に導かれながら、「嘯」そして「長嘯」という言葉について考えてみます。以下は、斎藤氏の本のp.220~225の要約になっています。 まず、本章のタイトルになっている「花に嘯く…