礼学
昔、古本市で入手した林平和『禮記鄭注音讀與釋義之商榷』(文史哲出版社, 1981)という本をつらつらと眺めていました。この本は、『礼記』の鄭玄注のなかから、鄭玄の「音読」と「釈義」に疑問がある例を取り上げて、札記形式で一つ一つ議論するものです。 …
今回は、『礼記子本疏義』という文献について紹介しようと思います。以下のように、何度かこのブログに登場しているのですが、きちんと説明したことはありませんでした。 慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録 大坊眞伸「『禮記子本疏義…
以前、『礼記』の楽記篇の句読について整理した際、崔靈恩という人の説を紹介しました。 chutetsu.hateblo.jp 残念ながら、崔靈恩が書いた本は、いまはそのままの形では伝わっていません。しかし、『礼記』の経文と鄭玄注について注釈を附した『礼記正義』と…
前回、以下の『礼記』楽記篇の一節を紹介しました。 凡音者,生人心者也。情動於中,故形於聲,聲成文謂之音。是故治世之音,安以樂,其政和。亂世之音,怨以怒,其政乖。亡國之音,哀以思,其民困。聲音之道與政通矣。 一般に音とは、人心から生じるもので…
最近、中国古代の祭祀に用いられた酒やその容器について整理しています。今回は、中国古代研究者の必読論文の一つである林巳奈夫『漢代の飲食』(『東方学報』48、p.1-98、1975)ともとに、経書などに出てくる酒の種類をまとめてみます。 repository.kulib.k…
後漢を代表する経学者である鄭玄の研究は、過去様々な方向から深められており、その内容は多種多様です。鄭玄の学問が該博で、また生きた時代が激動の時代であるがゆえに、学者によって研究の切り口が大きく異なり、内容の相違が生まれてくるのでしょう。 今…
前回の続きです。『礼記』玉藻の経注の冒頭を再度掲げておきます。 〔経文〕天子玉藻、十有二旒、前後邃延、龍卷以祭。 天子の玉藻は、十二の旒(垂れ紐)が、前後へと延(冕の上に被さっている板)から垂れ下がり、(服には)龍の模様が描かれていて、(こ…
久々に、漢文を読んでいきましょう。今回は、『礼記』玉藻の疏を冒頭から読みます。 「玉藻」とは、古代中国の天子が着ける冕冠(かんむり)のことで、玉の飾りがついた五色の紐が、前後に十二本ずつ垂れ下がったものです。『礼記』の玉藻篇は、主にこの冠の…
前回の続きです。藤堂明保「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』汲古書院、1986)から、鄭玄の著作の執筆順を考えていきましょう。 残された疑問は、『周礼』『儀礼』『礼記』の三礼注がどの順番で成立したのか、というものです。三礼注が党錮の禁に坐して…
先週の続きです。 藤堂明保「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』汲古書院、1986)から、鄭玄の著作の執筆順を考えていきましょう。今回は、併せて池田秀三「鄭学における「毛詩箋」の意義」(渡邉義浩編『両漢における詩と三伝』汲古書院、二〇〇七)、間…
藤堂明保「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』汲古書院、1986)は、鄭玄についての古典的な研究です。後篇第四章が闕文になっているのですが、それでも今なお鄭玄研究の第一に挙げられる基礎的な論文といえます。 この論文には、鄭玄の生涯、また社会的背…
最近、『北史』を眺めています。一つ、印象に残っている話を紹介します。(『魏史』でもほとんど同じ内容が載せられています。) 『北史』儒林伝上に、李業興という人の伝記が載せられています。彼は北朝の儒者の徐遵明に学んだ人です。北朝の多くの儒者は徐…
瞿同祖『中国法律与中国社会』(中華書局、1981)、第四節「親族復讐」の翻訳の続きです。 初回は↓ chutetsu.hateblo.jp 今回はp.80~になります。 前回まで、中国における「復讐」行為に関する規定の実例を整理してきました。今回は、そのまとめの段落です…
瞿同祖『中国法律与中国社会』(中華書局、1981)、第四節「親族復讐」の翻訳の続きです。p.77~になります。 今回は、中国における「復讐」行為について、その実例や、それに対する処罰を具体的に見ながら、整理するところです。 『周礼』では、復讐に関す…
ここ数日、瞿同祖『中国法律与中国社会』(中華書局、1981)を眺めています。先秦期から清代、民国にかけての、中国における法律・礼制の特徴と変遷を、膨大な実例を根拠にしながら明晰に整理したものです。 もともと、新田元規氏の「中国礼法の身分的性格に…
前回の続きです。古橋紀宏『魏晋時代における礼学の研究』(p.9~)より。 まず、加賀説で鄭玄と王粛がともに「新」に位置付けられ、段階的な発展が想定されていたことに対して、以下のように反応します。 そこで注目されるのが、王粛の立場を説明する際にし…
今日は、古橋紀宏『魏晋時代における礼学の研究』をご紹介します。博士論文で、たまたま近くの図書館に入っており、読むことができました。 二回分の記事で、序章を簡単にまとめてお示しします(p.11~)。 本研究の主眼は、特に礼学に関する鄭玄説・王粛説…
今回は、前回に引き続いて、「禘」と「祫」がどのように区別されてきたのか、について整理します。前回同様、池田秀三「黄侃<禮學略説>詳注稿(一)」*1に依拠しています。 repository.kulib.kyoto-u.ac.jp 「禘」と「祫」が区別される場合、その相違点は、①…
最近、礼学上の大きな問題の一つである「禘祫」の祭祀について概要を整理する機会があったので、こちらに残しておきます。前回までは部屋の扉と窓とかいうかなり細かい話をしていましたが、「禘祫」は歴代の学者が必ず言及しているといってもよいぐらいに重…
伝統的な経学において、宮室の構造について議論される際、鄭玄の唱えた「宗廟及路寢制如明堂」(「宗廟」と「路寢」の建物の制度は「明堂」と似ている)という説との関わりが常に問題になってくるようです。今回は、この問題について議論した『毛詩』小雅・…
前回の続きです。 長々と記事を書いてきましたが、次の話題の前提となる部分だけを整理しておきます。 ・「路寝」の奥の部屋の構造について(鄭玄説) ○天子・諸侯の場合:「室」(中央の部屋)と「西房」と「東房」(西側、東側の部屋)の三部屋。 ○卿大夫…
前回の続きです。ここまでの説を整理すると以下です。 鄭玄説:卿大夫以下の場合、西室・東房の二部屋。 陳祥道説:卿大夫以下も、天子諸侯と同様に、西房・室・東房の三部屋。 この説の相違について質問した萬斯同に対する、黄宗羲の答えが以下。 ・黄宗羲…
最近、宮室の構造について色々調べる機会があったので、つらつらと書き連ねていきます。ここ数回の記事は「礼」をテーマとするものが多いですが、今回もその一環で、礼学の議論とは具体的にどのようなものなのか、その一端をご紹介します。 宮室の構造につい…
前回、『礼記』の全体の構成を紹介しました。今回は、『礼記』の内容を少し紹介してみます。 『礼記』の内容と言っても、前回書いたように、『礼記』はさまざまな内容を含む雑記という感じの本です。まず今回のところは、その「雑駁な雰囲気」を感じていただ…
前回、経書について簡単な整理をしておきました。今回は、そのうちで一番複雑と言ってもよい本である『礼記』を紹介します。 『礼記』が一番複雑であるというのは、他の経書は一書の中で一つのまとまり、一つの体裁があって、一応一つの「著作」という感じを…
前回の続きです。「曲禮」についての考察が進みます。 【第三節】 ①按「曲禮」之名見于《禮器》、曰「經禮三百、曲禮三千」、而《中庸》作「禮儀」「威儀」。鄭君以禮經為《周官》、曲禮為《儀禮》、蓋尊尚《周官》以成三《禮》之名。 然《周官》戦國之書、…
『礼記』は経書の一つですが、成立過程が複雑であり、全体で体系だった書になっているというわけではありません。『礼記』を構成する四十九篇のなかには、祭祀に関する「祭法」「祭義」、喪服に関する「喪服小記」「服問」、子思学派の著作とされる「中庸」…
前回の続きです。 ここまで書いて少し先行研究を調べてみたところ、武秀成「段玉裁“二名不徧讳说”辨正」(『文献』2014年02期)に、他説も加えた上でかなり詳しく整理されていることに気が付きました。ぜひ、こちらもご参照ください。 段玉裁“二名不徧讳说”…
続きです。前回はこちら。 且千里又云「偏者、唐律謂之偏犯。『疏義』云、偏犯者、謂複名單犯、不坐。」 愚按、此「奏事犯諱」條、「二名偏犯不坐」、自是唐人語、用禮「不徧諱」之意、而非用禮之「偏諱」字。如千里説、「偏犯」卽禮之「偏諱」、然則經云「…
今回は、前回紹介した顧説に猛反対した段玉裁の説を整理しておきましょう。長いので、少しずつ切りながら見ていきます。 段玉裁『經韵樓集』巻十一・二名不徧諱説 曲禮曰「不諱嫌名、二名不徧諱。」各本徧作偏。今按、以徧爲是。注曰「嫌名謂音聲相近、若禹…