2022-01-01から1年間の記事一覧
京大の福谷彬先生の講義動画がYoutubeにアップされていたので、ご紹介いたします。朱子学について初めて触れる人でも簡単に観ることができる動画ですので、ぜひご覧ください。 雑学を交えながらのまったりした講義ですから、あまり肩肘を貼らずに、料理でも…
前回に引き続き、劉咸炘『続校讐通義』の「通古今」篇を読みます。今日読むのは、この篇のまとめの部分です。 まとめると、昔は四部を並列で見ていたが、今は史部・子部を主とし、經部が上にあり、集部が下にある。天下の文は、内容で分けると三種にほかなら…
前回、劉咸炘「目録学」の部目篇を読んでいる途中でした。そして、前回扱った部分の後ろで、章学誠『校讐通義』宗劉篇、劉咸炘『続校讐通義』通古今、治四部などが引かれると書きました。 というわけで、今回はまず劉咸炘『続校讐通義』の「通古今」篇を見て…
引き続き、劉咸炘「目録学」上編から、今回は「部類」篇を読んでみます。 部類は、目録学のなかで最も重要なことで、いわゆる「辨章学術、考鏡源流」のことでさまざまな学問に関わり、最も大きなものである。この中には原理があって、それぞれの議論が集まる…
前回の続きです。今さらですが、劉咸炘の「目録学」は、以下の章立てからなっています。 弁言(前回紹介した文章) 上編 著録第一 存佚第二 真偽第三 名目第四 篇巻第五 部類第六 互著別裁第七 次第第八 題解第九 下編 版本第十 校勘第十一 格式第十二 一題…
このブログでは、たびたび劉咸炘という学者の文章を取り上げてきました。 劉咸炘『中書』三術篇(上) - 達而録 劉咸炘『中書』三術篇(下) - 達而録 劉咸炘『中書』認経論 - 達而録 今日は、劉咸炘『推十書』に収録されている「目録学」という文章の冒頭を…
中国古典のなかでも屈指で有名な逸話ですね。やはり何度読んでも含蓄があります。 『左伝』襄公二十五年 大史書曰、崔杼弒其君。崔子殺之。其弟嗣書、而死者二人。其弟又書、乃舍之。南史氏聞大史盡死、執簡以往、聞既書矣、乃還。 (訓読)大史 書して曰は…
今回は、『礼記子本疏義』という文献について紹介しようと思います。以下のように、何度かこのブログに登場しているのですが、きちんと説明したことはありませんでした。 慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録 大坊眞伸「『禮記子本疏義…
今日の記事は宣伝です。 中の人の一人が吉田寮の存続活動に協力していることについては、過去何度か記事にしてきました。 京大吉田寮について - 達而録 最近のできごと - 達而録 さて、明日、11月2日、吉田寮自治会主催の学内シンポジウムが開催されます。 1…
『林秀一博士存稿』(林秀一先生古稀記念出版会、一九七四)をパラパラと眺めていると、「中国哲学界の現状」「毛沢東主席会見記」という文章が載っていまいた。これらは、林秀一が訪中した時の記録を残したものです。 林秀一は、中国古典の研究者で、『孝経…
引き続き、関西クィア映画祭で観た映画「ノー・オーディナリー・マン」について書いていきます。今回を最終回ということにします。 今回は、映画の中ではそこまではっきりとは示されていないものの、関連して考えることのできるテーマについて取り上げます。…
前回に引き続き、関西クィア映画祭で観た映画「ノー・オーディナリー・マン」について書いていきます。今日は、作中で明示されているテーマについて、順を追って見ていくことにします。 前回、この映画の主要な構成パートの一つに「トランスジェンダー(十名…
今日から、関西クィア映画祭で観た映画「ノー・オーディナリー・マン」について紹介していきたいと思います。一応、アメリカ版Amazon primeでオンライン公開されているようですが、日本語の字幕はないと思います。 今回は導入ということで、映画の内容・構成…
先週まで大阪・京都で行われた「関西クィア映画祭」に行ってきました。大阪会場は一日だけ、京都会場は三日間の参加です。とにかく大満足の映画祭でしたので、今日から何回かの記事に分けて、感想を書き記していきます。 kansai-qff.org まず、観た映画をメ…
最近、なかなか漢文の記事が書けていませんが、あまり気張っていてはブログなんて続きようがないのです(開き直り)。今回も、漢文の記事ではありません。たまには、最近の中の人の様子を書いてみようと思います。 まず、研究方面では、論文と発表に追われて…
前回の記事で、栗林輝夫『荊冠の神学―被差別部落解放とキリスト教』(新教出版社、1991)を紹介しました。ここまで、どのような神学を志すのか、そしてそのための方法は何か、ということを取り上げてきました。今回は、では実際に「荊冠の神学」ではイエス・…
先日、古勝隆一『中国注疏講義 経書の巻』(法蔵館、2022)を著者よりご恵贈いただきました。 「中国古典を自分の力で読んでみたくはありませんか」 注釈を利用して古典を読む。その手法を基礎と実践で学ぶための一冊です。 【基本篇】で、注釈の基本知識と…
今日は、前回紹介した、栗林輝夫『荊冠の神学―被差別部落解放とキリスト教』(新教出版社、1991)について、もう少し詳しく書いていくことにしましょう。 「荊冠の神学」という言葉は、本書で最初に提示される概念であり、また探究の対象となっているもので…
タイトルが「最近読んだ本」ではなく「最近読んでいる本」なのは、少し時間が空いた時にゆっくり読んでいるだけで、きちんと読み通したわけではないからです。 どの本も心からおススメできる本には違いありませんが、読了できていないので、簡単に説明するだ…
劉咸炘『中書』の「認經論」のうち、中篇の「論教」を取り上げます。 「認經論」は、劉咸炘が経書をどのようにとらえているか整理して述べる篇で、このうち中篇は、経書と教化・教育の関係を説明しています。孔子の教えはどのようなものだったか…というとこ…
「達而録」を開設してから、丸四年が経過し、五年目に突入いたしました。 奇跡的にも、週一回の更新を落とすことなく、ここまで続けることができました。ひとえに、ブクマ・コメント、Twitterのリツイートやリプなどで反応をくださる読者のみなさまのお陰で…
前回の続きです。省略を加えながら、最後の二段を読むことにしましょう。このあたりから、「ああ、劉咸炘は確かに章学誠の読者だったのだな」と思わされる内容が出てきます。 章先生之書,至精者一言,曰:「為學莫大乎知類」。劉咸炘進以一言曰:「為學莫大…
前回紹介した劉咸炘が書き記した文章は、『推十書』という本にまとめられています。その冒頭に入っているのが『中書』という本で、その冒頭が「三述篇」です。 これも何かの縁ですから、少しだけ劉咸炘の言葉を読み進めてみましょう。訳は私の試訳ですが、直…
最近よく取り上げている章学誠について、まだまだ読んでいきましょう。 章学誠(1738~1801)は、生前にはその学問は今一つ理解されず(というよりそもそも読者がおらず)、後になってから読者を獲得し、一躍脚光を浴びた学者です。その経緯は、井上進「六経…
前回まで、王應麟『困学紀聞』について紹介してきました。清朝考証学の先駆け的著作とされる本著ですから、逆に、考証学的な風気に一言物申したい学者からは、よくやり玉に挙げられる本でもあります。というわけで、今回は、章学誠の王應麟評を観ていくこと…
前回の続き。王応麟『困学紀聞』の版本について整理していきましょう。 ある漢籍の代表的な版本について知りたいときには、色々な調べ方がありますが、莫友芝撰、傅增湘訂補『藏園訂補邵亭知見傳本書目』を見るのは一つの方法です。とりあえず、下に抜粋して…
いま、大学の演習で『困学紀聞』を読み進めています。折角ですので、この本についての概要(今回)と、版本について(次回)まとめておきます。 まず、「四庫提要」の『困学紀聞』の条を読んでおきましょう(一部省略してます)。なお「四庫提要」の全文は、…
今回も、洪誠(森賀一恵・橋本秀美訳)『訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)』(アルヒーフ、2004)から、気になる条を取り上げていきます。今日は、第四章「注を読む」の「二、文字の読みかえと校正の方式」から、「段玉裁の想定した…
今回も、洪誠(森賀一恵・橋本秀美訳)『訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)』(アルヒーフ、2004)から、気になる条を取り上げていきます。今日扱うのは、第四章「注を読む」の「三、注文を誤解してはいけないし、誤信してもいけない…
前回に引き続き、洪誠(森賀一恵・橋本秀美訳)『訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)』(アルヒーフ、2004)から、気になる条を取り上げていきます。 今回は、第三章「閲読に必要とされる基本原則」第七節「構文規則」のうち、「五、古…