達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』を読んで(2)

 前回に引き続き、『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』(在日本韓国YMCA編集、新教出版社、2023)を読みます。今回は、第7章「ジェンタイル・シオニズムパレスチナ解放神学」(役重善洋)の内容をメモしておきます。この章は、イスラエルによるパレスチナ侵攻を「宗教対立」として見ることの危うさとその内実を描くものです。

 


 

 イスラエルによるパレスチナ信仰は、シオニズムの名のもとに正当化されてきた。シオニズムの定義について、近年の学者は、現在のイスラエルパレスチナを構成する地理的領域に対するユダヤ人の支配を促進するために、特にキリスト教徒の関与によって起こされる「政治的行動」であるという。つまり、特定の宗教の宗派というより、もとより政治的な行動であると捉え直す議論がなされている。

 「ユダヤ人のパレスチナ帰還」という言説はいつ始まったのか。この言説は、宗教改革期のイングランドにおいてなされた、旧約聖書の再解釈に端緒がある。その背景には、「パレスチナイスラム教徒に"占領"されている」という言説を立てることで、オスマン帝国との軍事対立にユダヤ人を利用しようとしたことが背景にある。

 当時、ロシアはギリシア正教会を通じて、フランスはカトリックを通じて、パレスチナに一定の影響力があったが、プロテスタント系のイギリスはパレスチナには影響力がなかった。そこで、ユダヤ教徒を利用し、オスマン帝国に対抗するため、ユダヤ人帰還論(レストレーショニズム)が立てられた。つまり、レストレーショニズムを大義名分とすることで、イギリスによるパレスチナへの軍事的介入を可能にしようとした。

 ただ、当時はレストレーショニズムの最終的な目標が、パレスチナ帰還を果たしたユダヤ人の改宗に置かれており、現地のユダヤ人に支持されることはなかった。

 しかし、19世紀末になり、欧州におけるユダヤ人迫害が始まると、シオニズム運動が勃発し、レストレーションが再評価されるようになる。政治的な要求が高まる中で、宗教の言説が利用され、侵略を正当化する論理として機能するようになってしまった。

 

 こうしたキリスト教シオニズムへの批判は、この言説の直接の被害者であり、かつキリスト教に深い理解のある、パレスチナ人のキリスト教徒によって進められてきた。もともと、パレスチナにおいてはマイノリティであるパレスチナキリスト教徒は、非宗派的なナショナリズム、民主的な独立パレスチナを目指すパレスチナ解放運動を唱えた。

 パレスチナキリスト教徒の間での聖書読解では、イエス・キリストを、ローマの占領下で生き、当時の宗教的指導者と結託した占領運動に殺されたパレスチナ人としてとらえる解釈も生まれた。パレスチナで生まれた解放神学の流れは、北米の黒人解放神学、韓国の民衆神学などと響きあいながらも、新たな展望を示すものとして受け止められる。

 

 最後に、宗教が担いうる役割について議論される。宗教思想は、国境・階級・ジェンダー・社会階層などさまざまな違いを越境し得るものである。これを植民政策のために利用したのが、ユダヤシオニズムであり、日帝侵略戦争における宗教組織の動員である。一方で、宗教の持つ越境性は、そうした差異を越境し連帯を促進する可能性も示している。かつて家永三郎が、第二イザヤの「否定の論理」を仏教に見い出そうとしたように、宗派を超えて共有する論理を異なる宗教思想に見い出そうとする営みもこれまで行われてきた。こうしたなかで、どのように解放の思想を鍛えていくかがわれわれに求められている。

 


 

 なお、解放神学については、以前、以下の記事でも取り上げたことがあります。

 栗林輝夫の言葉には、「テロは昔も今も力にものをいわせる大国に抗する民衆の絶望的な応答である」というものもあります(「「帝国論」におけるイエスパウロ」、『関西学院大学キリスト教と文化研究』12、2011)。前回紹介した、ハマスの攻撃をレジスタンスとしてとらえるバトラーの言葉とも響き合いますね。

(棋客)