春秋
概説書篇、オンライン篇の続篇です。 以前も書きましたが、訳を参照する際には、それがどのような方針で訳されているかということを頭に入れた上で利用する必要があります。例えば経書には、大きく古注(漢代~唐代)と新注(朱子学の解釈)の二種の注釈があり、…
前回の続きです。まず、ここまで考察したことを整理しつつ、新たに気が付いたことを加えてお示しします。 ①『公羊疏』に「『孝経疏』を参照せよ」という文言がある(三例)ことから、『公羊疏』の著者は『孝経』にも義疏を書いていたことが分かる。 ②内容を…
前回の続きです。『公羊傳疏』に『孝経疏』という言葉が引かれる例は、三ケ所あるようです。前回紹介したものも含めて、下に掲げておきます。 ・『公羊傳』襄公二十九年疏 云「孔子曰,三皇設言,民不違,五帝畫象,世順機,三王肉刑揆漸加,應世黠巧姦偽多…
何気なく『公羊傳疏』を読んでいたところ、不思議な記述に出くわしました。 『公羊傳』襄公二十九年 〔傳〕閽弒吳子餘祭。閽者何。門入也。刑人也①。刑人則曷為謂之閽。刑人,非其人也。君子不近刑人。近刑人,則輕死之道也。 〔注①〕以刑為閽。古者肉刑墨、…
前回紹介した鄭玄『發墨守』『鍼膏肓』『起廢疾』は現存しない佚書であり、様々な輯佚書が作られています。 仮に『増訂四庫簡明目録標注』によって挙げておくと、漢魏叢書本、藝海珠塵本、問經堂叢書本、范述祖本、孔廣森『通德遺書所見録』本、袁鈞『鄭氏佚…
最近、斎木哲郎『後漢の儒学と『春秋』』(汲古書院、2018)の第六章「鄭玄と何休の『春秋』論争」を読んでいたところ、色々と気になる記述にぶつかりました。そのうちの一部をご紹介します。鄭玄の文を読むのは非常に難しく、あまり自信はないのですが…。 …
先日、久々に論文読書会を開き、後輩の学部生の担当で池田秀三「訓詁の虚と実」を読みました。その関係で、下調べとして岩本憲司『春秋学用語集 三編』(汲古書院、2014)の「無寧」の項目を見たのですが、少し気になる記述を見つけたのでメモしておきます。…
前日の続きです。今回は気になる点というより、わからなかった点という内容です。 第十二条 〔傳〕由是觀之、則臺駘汾神也。抑此二者、不及君身。山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。 〔杜注〕有水旱之災、則禜祭山川之神若臺駘者。周禮四曰禜祭。為營攅…
野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊のメモ。ここも巻四十一、昭公元年のところです。 第九条 前回の最後の疏文の続きです。 「離」之為「陳」、雖無正訓、兩人一左一右、相離而行、故稱「離衞」、「離」亦「陳」之義。 「離」を「陳」と見なすのは、正訓が…
野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊のメモの続き。ここも巻四十一、昭公元年です。 第五条 〔傳〕叔出季處、有自來矣。吾又誰怨。 〔杜注〕季孫守國、叔孫出使、所從來久。今遇此戮、無所怨也。 〔疏〕正義曰、歷檢上世以來季孫出使、不少於叔孫、而云「叔…
野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊を、冒頭の「巻四十一」(昭公元年)から少しずつ見ています。折角ですので、気付いた点を適宜メモしておこうと思います。(事情は前回の記事を参照。)全部で三回の記事になりましたので、今日、明日、明後日で更新しま…
野間文史氏の『春秋左傳正義譯注』(第一冊~第六冊)は、『左傳正義』の初めての全訳本です。注疏の全訳というのは、その全体量と内容の難解さから、とにかく難事業と言えます。 例えば、吉川幸次郎氏らによって『尚書正義』全訳は成し遂げられましたが、継…
前回、小倉芳彦『古代中国を読む』(岩波新書、1974)・(論創社、2003)を話題に出すに当たって、数年ぶりに読み返してみました。やはり、何度読んでも面白いものです。 折角ですので、少し引用しながら紹介してみます。 前回、この本は「小倉氏の研究者と…
とある方にリクエストを受けて、『春秋左氏伝』の訳書や概説書の手引きを作ってみることにしました。(この方の学識には及ぶべくもないのですが、何故私が…。)週一回更新を守りたいのですが常にネタ切れ気味ですので、何か良いネタがありましたら教えてくだ…