達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

斯道文庫発祥の地はどこ?

 いま慶應義塾大学に付設されている「斯道文庫」は、貴重な和漢籍を数多く蔵する、日本で屈指の専門図書館の一つです。

 斯道文庫のホームページの説明を借りて、その由来を記しておきます。

 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫は、株式会社麻生商店(現・麻生グループ)社長麻生太賀吉氏が、同商店20周年記念事業の一環として、日本並びに東洋の精神文化を研究する研究所として、1938年12月に福岡市内に設立した財団法人斯道文庫を前身とします。「斯道」の語は教育勅語にも用いられた、『論語』『孟子』等に由来する仁義の道を意味する語です。

 財団法人斯道文庫は精力的な蒐書を行いつつ活発な研究活動を行っていましたが、1945年6月19日の福岡空襲により書庫の一部を除く関連施設が焼失したことに加え、敗戦の混乱で運営が困難となり、1946年5月末日に設立から僅か7年で解散してしまいました。その蔵書約7万冊は疎開によって幸いにも焼失を免れ、戦後は麻生鉱業株式会社麻生塾附属図書館に保管されていましたが、その活用を願う麻生氏により、「麻生文庫」との名称で九州大学文学部研究室に1950年10月より7年間の契約で寄託されることとなりました。

 しかしなお、財団時代の事業を継承する研究機関の設置を願う麻生氏は、それを条件として九州大学への寄託期限が切れた翌年の1958年2月に、折しも創立100周年を迎えた慶應義塾大学に斯道文庫の図書を寄贈しました。その後、開設準備期間を経た1960年12月、斯道文庫は「日本及び東洋の古典に関する資料の蒐集保管並びにその調査研究を行うこと」(規程)を目的とする、慶應義塾大学の附属研究所として再スタートを切りました。

慶應義塾大学附属研究所 斯道文庫 | 斯道文庫について

 また、麻生グループのホームページを見ますと、以下のように紹介されています。

 松永安左エ門氏の海浜別荘(福岡市地行西町)を譲り受けてスタートした斯道文庫は、昭和18年までの5年間に、日本儒学漢詩文、国語国文、仏教、国史東洋史、中国文学などに関する和漢書を中心にした新刊書・古書約3万2000冊を購入。積極的な蒐集活動と並行して、研究員による研究発表や公開講座の開催などにも力を注いでいました。
 また、江戸期の日本儒学を支えた安井息軒とその外孫朴堂が集めた約6000冊の「安井家本」、江戸後期の国学者・橘 守部の旧蔵和書約240冊、漢学者・浜野知三郎が集めたおよそ1万1500冊の和漢書コレクションなどが市場に出ると、麻生家が臨時の資金を提供して購入し、斯道文庫に寄託。文庫の充実に向け、惜しむことなく協力を続けました。

麻生の足跡−地域とともに−〈麻生グループ〉

 ここに、斯道文庫が最初に開設されたのは、「松永安左エ門氏の海浜別荘(福岡市地行西町)」とあります。福岡市の地行というと、私の実家のすぐ近くですから、いったいどこにあったのか気になってきました。

 『斯道文庫三十年略史』(汲古書院、1990)を見てみますと、「文庫予定地として福岡市地行西町三十四番地松永安左エ門海浜別荘を譲り受けた」とあり、ここが斯道文庫が最初に置かれた場所だったようです。

 

 さて、ここで名前が出ている松永安左エ門とは、戦前から戦後にかけて政治・経済に影響力を持ち続けた実業家です。戦後には電気料金の一斉値上げに踏み切ったことから「電力の鬼」とも呼ばれました。壱岐出身で、慶応義塾大学に進学して福澤桃介(福澤諭吉の婿養子)との知遇を得て、各地で事業を興したのち、戦前の福博電気軌道の設立に尽力しました。

 松永の伝記は数多く出版されています。私もパラパラと眺めてみましたが、激動の時代を生き抜いただけあって、興味深いエピソードが多くてとても面白かったです。

 『電力の鬼―松永安左エ門自伝』(毎日ワンズ、2011)

 斯道文庫が慶応義塾大学に寄贈された経緯については、もと斯道文庫の助手であった阿部隆一が慶応大に戻っていたこと、麻生太賀吉の子息(麻生泰)が慶応大に通っていたことなどが要因として挙げられていますが、松永安左エ門の繋がりもあったのかもしれませんね。

 

 では、「福岡市地行西町三十四番地」とは、どこのことなのでしょうか?

 番地が分かっていればすぐに場所が判明しそうなものですが、細かい番地が記された戦前の地図はすべて失われてしまっている、と福岡市総合図書館の郷土史コーナーのレファレンス担当の方に教えていただきました。

 大雑把な地図は、以下のページで数種類公開されています。

 →近代福岡市街地図|福岡県立図書館

 たとえば、以下の昭和六年の地図を見ますと、左上のあたりに「地行西町」という路面電車の停留所があるのが分かります。

 →http://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/tosho/kindai/H24/kakudai/0490750a.html

 先ほど書いたように、この電車(福博電気軌道)を作ったのが松永安左エ門です。地行まで電車が伸びたのは、1910年(明治四十三年)の12月。おそらくこの電車を通す際に、松永はその周辺の用地を買収しており、その一つが氏の「海浜別荘」になったのではないか、と思われます。

 ちなみに、福博電気軌道の会社の設立の直後、その周辺を通る「博多電気軌道」の発起人の一人となったのが麻生太吉麻生太賀吉の祖父)です。

 

 まず、番地から探すのが難しいことは分かりましたが、レファレンスの方の協力を得ながら、この「海浜別荘」にまつわる情報は色々調べることができました。

 小島直記『松永安左エ門の生涯』のp.692-693によれば、松永が福岡時代に住んでいた場所が地行西町にある「松泉閣」で、ここで松永の還暦記念パーティ(昭和十年)が開かれたそうです。松泉閣は、当時は私設公会堂のような趣きがあり、あらゆる階級の人士が集う場になっていたそうです。

 還暦記念会の記録は、『松泉会記録』という非売品の書籍に整理されているらしいのですが、この本は見つけることができず。この本を資料に用いている本がありましたので、日本のどこかには現存しているかと思いますが…。無念。

 そもそも地行西町の「松泉閣」と「海浜別荘」が同じ邸宅を指しているのかどうか、やや不安ではありますが、もともと住んでいた場所が、移住したのちに「別荘」と呼ばれるようになるのは、まあありそうな話ではあります。

 

 というわけで、「海浜別荘」のエピソードを探して場所を割り出す作戦も失敗。

 ここまでで一つ気になっていた情報は、「福岡空襲により書庫の一部を除く関連施設が焼失した」とあることです。というのも、現在の住所でいう「地行」一帯は、空襲の被害をそれほど受けなかった、という話を聞いたことがあったからです。

 というわけで、福岡大空襲で被災した地域の地図を見てみました。参考までに、ネットで拾えた被災地図を下に掲げておきます。

 →「福岡大空襲」と戦災地図 - 記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

 →福岡壊滅 火の雨降る 死者・不明1100人超 B29、220機2時間爆撃|【西日本新聞me】

 この地図を見る限りでは、どうも福博電気軌道の南側のエリアが被災したようです。ただ、あまり南に行くと住所が「地行」ではなくなってしまうそうなので、福博電気軌道の電車沿いの道のすぐ南なのでは?と推理されます(勝手な推理ですので、全然違うかもしれません)。

 そういう推測のもと、ゼンリンの住宅地図でこの一帯を眺めていたところ、旧地行西町停留所に当たる場所のすぐ南側に、「第二麻生ビル」という建物を発見しました。松永氏の邸宅が麻生グループに譲られて斯道文庫が作られたわけですから、その土地が今も麻生氏の所有になっている可能性はあります。

 現地に訪れて写真も撮ってきましたが、今は普通のアパートですので、ここに掲載するのはやめておきます。ご興味のある方は、「第二麻生ビル」で調べてみてください。

 もっとも、これはただの偶然の一致かもしれませんし、仮に本当に麻生グループの所有物件だったとしても、ここと斯道文庫とは全く無関係かもしれません。あくまで、現時点での調査報告としてお受け取りください。

 

 他に試していない調査で有力だと思うのは以下です。

  1. 「松泉閣」または「海浜別荘」に関する松永氏周辺の逸話を虱潰しに調べる。書籍は色々と出ているので、何か見つかる可能性もあります。(たとえば、「〇〇寺の向かいに建つ別荘が…」といった情報があれば、場所の特定につながります。)
  2. 『松泉会記録』を何とかして入手する。(場所に関する情報が何か書かれていそうです。)
  3. ゼンリンの住宅地図の最も古い版を確認する。

 こうした調査は、また時間のあるときにやってみることにしましょう。そして興味のある方は、ぜひ一緒に調べてください。

 

 ちなみに、斯道文庫には「亀井家学文庫」という文庫が入っていて、これは松永安左エ門・安川寛・亀井英子の寄贈によるものです。「亀井」という名前にピンとくる方は本ブログの愛読者(?)ですね。以前、亀井南冥・昭陽の足跡を辿る記事を書きました。

chutetsu.hateblo.jp

 亀井家の蔵書が、亀井家のお墓のすぐそばにできた研究機関「斯道文庫」に収められ、九大を経由して慶応大へ入った、ということになります。

 私がこの辺りに住んでいた頃は、こうした縁がある場所だとは全く知りませんでしたし、聞いたとしても何ら興味を覚えることもなかったでしょう。今になって自分が中国学を志していることに、なんだか不思議な縁を感じるものです。

(棋客)