達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

劉咸炘の史学講義(1)

 年が明けましたが、相変わらず劉咸炘を読んでいきます。今回からは、劉咸炘が史学について概論を述べている『治史緒論』を見ていくことにします。

 『治史緒論』のうち、中篇「史旨」というところを読んでみたいのですが、今回はその前提として、本書の序文を見ておくことにしましょう。本書の冒頭は、以下の文から始まっています。

 史学は四つの側面がある。一つは事実を考証することで、これが史考である。二つは是非を論断することで、これが史論である。三つは史書の義例を明らかにすることで、これが史法である。四つは史の風勢(時代ごとの変化)を観察することで、これが史識である。前者二つは、他の学問をなす者もまた従事するもので、後者二つは、いわゆる史学の専門家が得意なところである。考証はほんらい書物を完成させるより前にすることである。書物として完成させられないなら、ただ零細な事柄を記したものとなり、史といえるものにはなりえない。論断はほんらい史を読むことの目的である。知識がなければただ自分の好き勝手に愛憎を持ち、学といえるものにはなりえない。史識は、司馬遷・班固によって明らかになり、史法は唐代になってはじめて見えなくなった。宋人は史識は持っていたようだが、史論に偏っていた。近世には教訓を議論する弊害に陥り、考証に偏ったため、事実に詳しいだけで「史学」の称を冒し、史学が荒れ果ててしまった。

 ここで劉咸炘は「史」の四つの側面を挙げています。似たような議論としては、劉知幾が唱えた「史才論」で、「史」の備えるべき能力が三つ(才・学・識)示され、章学誠がこれを敷衍する議論として「史德」篇(『文史通義』所収)を著しました。劉咸炘は、こうした流れを踏まえながら、新たな提示の仕方を試みたわけです。

 この四つの側面が包括する範囲はとても広く、その方法を説明しようとしても、簡単ではない。私の史学は章学誠を宗としており、いま議論することは、三~四つある。むかし三編作ったので、合わせて修正し、上・中篇では史識の原理を論じ、下篇では風勢についての端緒を述べる。第一の方法については、先学がすでに詳しく議論しており、最近の翻訳書の朗格羅(C.V.ラングロア)・瑟諾波(C.セイニョボス)の『史学原論』も詳しく、参考になる。第三の方法については、『史通』『文史通義』に備わっている。これらはどれも私は詳しくないところなので、こうした諸書に求めてほしい。丁卯年(1927年)十一月記、戊辰年(1928年)四月再修。

 『史学原論』の翻訳書は、1926年に李思純・何炳松の手で作られたようです。Webcatで調べてみると、日本にも早くから入っているようですね。『歴史学研究入門』『歴史学入門』といったタイトルで、日本語の翻訳も色々あるようですので、目を通してみたいです。

webcatplus.nii.ac.jp

 劉咸炘は、五四運動に接しており、こうした西洋の知見の摂取にも貪欲でした。そうした一面は彼の文章の端々に現れてきています。

 

 さて、序文はここまでで、以下『治史緒論』の本文が始まります。『治史緒論』の全体は、以下のような構成になっています。

上篇(原名「史學淺講」)
中篇(原名「治史淺綱」)
 一、史實
 二、時風
 三、土風
 四、史旨
 五、讀史
下篇(原名「讀史緒目」)

 次回、中篇の四「史旨」を読みます。

(棋客)