達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

劉咸炘の史学講義(2)

 前回に引き続き、『治史緒論』を読んでいきます。中篇の四「史旨」を見ていきましょう。

 「旨」とは、章先生がいうところの「史でありながら子の意があるもの」である。史は客観に基づくが、旨を言う時に主観が入ってきてしまうのは、史としての職分を失うものなのだろうか?いや、そうではない。「史は純粋に客観に属するべき」と言うのは、あまりに情を失った議論だ。史は質実を尊び、その義は中国ではつとに明らかにされた。西洋では、古い歴史書が宗教や政治のために用いられ、最近になってその弊害に懲りて客観を重んじるようになったが、識者は史が純粋に客観に属するべきとは言わなかった。純粋に客観的であるというのは、物質科学の方法であり、これは史料を整理する方法でもあるが、史を作る方法ではない。人事は、物質のように(自分から)離して観察することはできない。また、物質科学も公律(原理・公式)を発見することに帰結し、ただ分析するだけではなく、公律は総合して出来上がるものである。総合という作業を経ている以上、主観が入っていると言える。主観を本当に交えていないというのなら、ただ細かでどうでもいい事実だけがあって、日記や帳簿があれば十分で、好き勝手に自分の意見を言いたい放題して、後世に史論を好むものが現れたような弊害を生む。古い時代の良史は、道家の旨に基づいて、虚心に物事の変遷を見たのであって、どうして常に自分の意見に偏っていることがあろうか。

 最初の章学誠の言葉の引用の原文は「章先生所謂史而有子意者」です。直接同じ言葉の文は見つからないですが、『文史通義』の「史徳」篇などと通じるところがあるでしょう。

 「歴史研究なんて所詮主観的なものでは」というのは、今よく世間で言われる話です。ただ、ここでの劉咸炘の主眼は、むしろ歴史を純粋に客観的な科学研究に引き付ける議論に、警鐘を鳴らすものです。

 以前紹介しましたが、劉咸炘は、章学誠がいわゆる「箚記の学」としての考証学を批判した流れを引き継いでいます。つまり、大雑把に言えば、学問においては、箚記的な個別の事例を明らかにしていく方向も大事ですが、同時に、それらによって得た知識を統合・集約し、一つの見通しを示すことも重要というわけです。

 ここで劉咸炘が「主観」を強調しているのは、個別の事例をどう歴史書にまとめるかというところで、歴史家の識見が試されると考えているから、とひとまず理解しておきます。

 また、最後、史と道家の関わりを述べているところには興味を惹かれます。次回に出てきますが、劉咸炘は「道家史観説」という著述を書いていて、以前紹介した中書「認經論」に附されています。これもまた読んでみましょう。

 さて、続きを読みます。 

 史旨とは、まことに史識が総合して出来上がるものである。西洋人はこれを史観といい、また史の解釈という。われわれ中国人は、中庸を重んじる特性を備え、さらに道家の宇宙観を引き受けており、世間の事柄の変化が互いに因果をなしていることを知っている。史において解釈することは多いけれども、特に一つの義を立てることはなく、大抵は人の心を重視する。一方で、為すことはないが為すものである「天」(意図をもってはたらきかけるわけではないが何か作用を及ぼしている「天」)という考えを受け継いでおり、よって司馬遷は「天人の際を究める」と言った。西洋人は極端なものを好む気質であり、その哲学はもともと宇宙の主を求めるものであり、その科学は究極の原因を求めるものである。だから偉人史観・経済史観・地理史観などがあって、どれも一つだけを取って他を捨ててしまう。巫覡・医者・占い師が一緒に病の原因を議論し、言い争っているようなもので、今に至っても止んでいない。歴史哲学は史家の最高の目的のようで、ヘーゲルの正・反・合の三観念は、道家に非常に似ているのだが、理性は虚幻であると述べるのは、ニコラ・ド・コンドルセの現在は過去よりも優っているとする説(進歩史観)もまた一方向に偏っている。最近の史家は、史学を、科学が公律を発明したのと同じようにしたいと考えている。たとえば、アメリカの徹尼は史律を六条挙げ、「一綿延」「二国際変動」「三民族均一と各分子の形成」「四庶民」「五自由」「六道徳進歩」とする。これは西洋に限られたもので、また政治に限られたものであることは、一見すれば分かることである。綿延の義はとても浅はかで、二・三は正しいが、ただ事勢に留まるもので、こうした類がとても多く、枚挙に絶えない。「庶民」の律は、階級闘争を当てはめればよいが、階級闘争はもともと中国には無いものである。自由は西洋の迷信であり、あくまで一つの主義でしかなく、史の公律にはならない。道徳進歩もまた迷信である。道徳は常に進んだり退いたりしていて、大雑把に言えば、知恵が前進すると徳は後退するというほうがよい。

 アメリカの「徹尼」(Cherny?)が誰を指すのか調べきれず。

※2023/1/18追記:コメント欄にて、チェイニー( E. P. Cheyney )という人ではないかと教えていただきました。劉さん、ありがとうございます。

 論の当否はともかく、西洋の歴史学が中国に流入していた時期の中国側の学者の反応の一つの例として見ると良いでしょう。「階級闘争はもともと中国には無い」という言葉は、その後の歴史学の変遷を考えるとなかなか面白いものです。

 今回の記事のような歴史研究の大きな枠組みの話については、以前、本ブログでカーの「歴史とは何か」を紹介したこともあります。ぜひこちらも見てみてください。最近新訳が出たそうですが、ここに載っているのは古い方です。

chutetsu.hateblo.jp

 次回、もう少しだけ続きます。