達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

「時勢」という考え方(1)

 汪暉著・石井剛訳『近代中国思想の生成』岩波書店、2011)の序論・第三節「天理/公理と歴史」に、「時勢」概念について要領よくまとまっており、分かりやすかったのでご紹介します。以下、p.119~125の内容を整理したものです。一部、私の言葉を加えて説明してありますので、ご注意ください。

 

 儒教・経学的な考え方では、聖人によって治政が行われた夏・殷・周(三代)の礼楽制度が、理想的な道徳を備えたものとして崇められています。そしてこれが崩壊し、現実の制度が理想的ではなくあった状態(道徳的合理性を保障しない状態)がその後の時代ということになります。三代の礼楽は、道徳評価の最高尺度の根拠である「天理」を備えたものですが、それが断絶した後の儒者にとっては、この「天理」をどう把握するかが課題となるわけです。

 その断絶を乗り越えて「天理」に到達するために導入されるのが、「時勢」という観念です。これは「時の勢い」=「その時代の状況に合わせて、そうせざるを得なくさせるものがある」ということです。つまり、歴史が変化していくなかで、天理もその時々に応じた現れ方をする、ということになるわけです。

 ここから、「時勢」の観念は、歴史の移り変わりの中で、天理の普遍的な存在を規定し、論証するために用いられる。逆に言えば、歴史をつきつめることが、即ち天理を突き詰めることに繋がるわけです。

 

 以上の前提から、汪氏は、「時勢」の観念の意味を大きく二つ挙げて説明しています。

①「歴史とその変化を自然の範疇に組み入れ、人の世に対する天命の決定的な影響を脱構築し、主体による歴史的行動のための空間を開いた。」

→その例として、宋の儒者が、「天理」を掲げながらも、一方では、変化する歴史の中で、理にかなった解決の方策を探し求めたことを挙げます。固着的な「天理」があるというより、その歴史に応じた現れをとらえ、それを実践しようとするわけです。

➁「断絶した歴史をもう一度自然変化の系列の中に組み込み、自然変化の歴史的主体を生み出す。」

→これによって、民族・王朝・社会・言語といったものの断絶や変遷が、「時勢」に組み入れられることによって、歴史が一つの筋になり、共同体の意識・中国アイデンティティの意識を形作る重要なフレームワークになるわけです。ここから、経史の学の視座に、歴史の方法論的基礎が提供されます。

 

 天理が時勢の中に存する以上、歴史を無視して天理の追求はできないわけで、これは考証学の実践を支えることになりました。たとえば、顧炎武は、音義・風俗・制度など、歴史変遷を研究することで天理を掴もうとしました。

 そして章学誠は、「六経皆史」というテーゼを立てて、経書の内容理解だけではなく、経書が形成された歴史条件、その変遷をも経書理解の前提としています。道と器は一体であるという考えから、聖人に対する認識が「自然」のプロセスの中に位置づけられます。聖人の行為も、自然を考察することで生じる「そうせざるを得ないもの」への認識であるとみなすわけです。

 汪氏は、「時勢」観念の成立は、「経学的考古学・経学的系譜学の誕生」であると総括しています。

 

 少しだけ次回に続きます。

(棋客)