達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

章炳麟と章学誠(2)

 今回は、末岡宏「章炳麟の経学に関する思想史的考察 : 春秋学を中心として」(『日本中国学会報』43、1991)を読んでみましょう。

 章炳麟の弟子である黄侃が、章炳麟『春秋左氏疑義答問』の後叙で、この書に見える章炳麟の説を整理しています。そのなかに、章炳麟が『春秋』に関して弊害をもたらす誤った考えを三つ挙げて否定すると述べる段があり、末岡氏が要領よくまとめています。

  1. 『春秋』は孔子の創作だとする説
  2. 『春秋』の経に関して孔子の関与を全く否定する説
  3. 『左氏伝』は(『春秋』を説明したものであって)孔子の意図が述べられていることが認められないとする説

 末岡氏は、このうち、①は今文派、②は疑古派や章学誠の六経皆史説、③は従来からある『左氏伝』に対する見解に対する批判であると指摘します。

 以下、章炳麟の『春秋』観の変遷が『春秋左氏疑義答問』に即して具体的に考証されるのですが、ここではこの部分は省略し、章学誠との関わりが出てくる第三節「章学誠の経学観」を見ていきましょう。

 ここでは、章炳麟『経学略説』に「周代の詩書礼楽は皆官書なり。春秋は史官の掌どる所、易は大卜に蔵せられ、亦た官書なり」とあることを引用した上で、末岡氏は以下のように述べています。

 と六経はすべて官書であると述べている。『春秋』を宣王の史官の法によるとした『春秋』に関する説はこれと同じである。この六経はすべて周の官の書であるという説は『漢書』藝文志に基づくが、これとほぼ同じ主旨のことは章学誠が六経皆史説として言っている。そして「経」という呼び名が、本来一定の大きさの簡牘を指したのだとする。(p.209)

 そして、この部分の注釈で、末岡氏は以下のように述べています。

 六経皆史説は、章学誠が漢書藝文志をもとに考えた学説として著名である。章炳麟の六経皆史説も章学誠に影響を受けたことは間違いない。しかし、章炳麟は章学誠の六経皆史説をそのまま用いたのではないようである。

 章学誠に対する評価もまた、章炳麟の中で変化している。まず最初は「致呉君遂書九」(一九〇二年)や「與人論國學書」(一九〇八年)では章炳麟は章学誠の歴史学を批判している。

 しかし、『訄言』(一九〇四年)と『檢論』の「清儒」には「六藝は史なり」の語が見え、章学誠を劉歆・班固の再来と評価しており、一九三三年の講演「歴史之重要」では、「經と史と關係至って深し、章實齋の「六経皆史」と云ふは、此の言是なり」と六経皆史説を肯定している。ただしこのことから、直ちに章炳麟が章学誠の説に賛同したと言うことはできない、それはその他の著作には章学誠への言及は見られず、特に、『國學略説』で六経皆史の語を多用しながら、章学誠に言及しないのは、章学誠に完全には賛同していないからではないかという疑いがあるからである。(p.214-215、一部省略)

 これから先、その「疑い」についての議論があるのですが、今回はここまでにして、以上で引用される文章の出典を確認することにいたしましょう。

 

 まず、「致呉君遂書九」には、以下のようにあります。

 麟家實齋,與東原最相悪,然實齋實未作史,徒爲郡邑志乗,固無待高引古義。(『章太炎全集』書信上、119頁、『全集』では「致呉君遂書十」とする)

 ここは章炳麟が戴震を高く評価する文脈であり、戴震を批判する章学誠が批判の俎上に挙げられています。これを「歴史学の批判」とまで言えるかは微妙な気もしますが。

 また、少し先には、以下のようにも書いてあります。

 君與允中皆皖人,與東原生同郷里,當知鄙見爲不繆。下走之實齋,亦猶康成之於仲師,同宗大儒,明理典籍,宗仰子駿,如晦見明,私心傾向久矣。獨於是論,非所循逐,亦自謂推見至隱之道,較諸吾宗差長一日也。

 「猶康成之於仲師」とあるのは、鄭玄(字康成)が、鄭衆(字仲師)に対するときのように、ということ。鄭玄は鄭衆の説をよく引用し、参考にしていますが、説をそのまま襲うわけではありません。その後に続く「同宗大儒,明理典籍」という語は、『周禮疏』に引かれる「二鄭者,同宗之大儒,明理于典籍」という鄭玄と鄭衆を評価する言葉に典拠があります。

 章炳麟にとっては、自分と章学誠の関係も同様で、「宗仰子駿」(子駿は劉歆の字、章炳麟は特に劉歆を高く評価します)の点で共通し、「私心傾向久矣」というわけです。

 この部分だけで、章炳麟による章学誠に対する直接的な評価ははっきりしているようにも思います。

 

 次に、「與人論國學書」(一九〇八年)を見てみましょう。

 竊謂漁仲《通志》、實齋《通義》,其誤學者不少。昔嘗勸人瀏覽,惟明真偽,識條里者可爾。若讀書博雜,素無統紀,則二書適爲増病之階。(『章太炎全集』書信上、370頁)

 確かに、章炳麟は章学誠を批判していますが、微妙に留保をつけているのが難しいところです。学の無いもの、真偽を見分けられない者が読むと、道を誤らせる本であるとは言っていますが、全く無用の書と言いたいわけでもないようです。

 以下、この書簡ではもう少し具体的に批判が展開されていきますが、ここでは省略します。

 

 『訄言』と『檢論』の「清儒」について、『訄言』には以下のようにあります。

 會稽章學誠爲《文史》、《校讐》諸通義,以復歆固之學,其卓約過《史通》。

 なお、『訄言』には福島仁氏の現代語訳があり、オンライン上で公開されています。

 

 講演原稿である「歴史之重要」には、以下のようにあります。

 經與史關係至深,章實齋云「六経皆史」,此言是也。《尚書》《春秋》,本是史書,《周禮》著官制,《儀禮》詳禮節,皆可列入史部。(『章太炎全集』演講上、p.490)

 確かに、ここまでは章学誠の説と近いです。ただ、以下で章炳麟が説明する『詩経』そして『周易』が史書と呼べる理由については、当時の新しい学問の潮流を踏まえた説明になっており、章学誠の説とは全く異なるものになっています。

(棋客)