達而録

ある中国古典研究者の備忘録。毎週火曜日更新。

大坊眞伸「『禮記子本疏義』と『禮記正義』との比較研究」―論文読書会vol.10

※「論文読書会」については「我々の活動について」を参照。

本論文はオンライン上で公開されています。

 

【論文タイトル】

大坊眞伸「『禮記子本疏義』と『禮記正義』との比較研究」(『大東文化大学漢学会誌』43号, p.79-110)

 

【先行研究(本論文の注より)】

・鈴木由次郎「禮記子本疏義殘巻考文」(1970,『中央大學文學部紀要』哲学科第十六)
 両者を對校し、①正義が疏義を襲用、②襲用の上補説を付加、③疏義を駁正、④意は同じだが文は異なる、の四つに概括。その異同を述べる。
・山本巖「禮記子本疏義考」(1987,『宇都宮大学教育学部紀要』第一部三七)
 『疏義』の大部分が皇侃の筆であること、『隋書』經籍志の著録する『禮記義疏』九十九巻であること、孔疏に某灼氏の説を含むこと、を論じる。
・喬秀岩『義疏学衰亡史論』(2001,白峰社)
 孔疏が皇疏を故意に採用しない例があることを指摘。孔穎達は皇侃の科段の説を付会として捨ててはいるが、改変を加えて自説としている例もあり、論理の混乱が生じている場合もあるとする。

 

【要旨】

野間文史氏は、『毛詩正義』『禮記正義』『春秋正義』の各序に見える「據以爲本」の語は、「義疏にそのまま依拠した部分が多いことを意味するのではないか」と述べる(『五經正義の研究』1998,研文出版)が、本論文ではこれが『禮記正義』においてどれほど当てはまっているのか、『禮記子本疏義』と『禮記正義』の比較を通して検討することを第一の主題とする。次にその内容面について、両者の間でどのような意識の差が見られるか、という点について検討することを第二の主題とする。
 『禮記正義』と『禮記子本疏義』を比較すると、①両者がほぼ同文、②『正義』が一部省略、③『正義』において付加、④省略と付加が混在、の4つのパターンに分類される。ここで筆者は各例の検討を通し、両者の性質の違いや、孔疏が皇疏を誤読した箇所を指摘する。結論としては、「皇疏は前後の付會を意識するあまり、煩瑣な解釈に陥りやすく、読み手の思考が分散させられてしま」うため、「孔疏はそれを廃して經文一節ごとに解釈しようと努めている」こと、『禮記正義』が皇説を引用する場合に改変の加えられている事が多く、そこから皇侃の学術を類推するのは難しいことを述べる。
 次に筆者は、両者の分科(科段)・科文に対する意識の差を論じる。両者とも經文を節に区切って理解する点では同じである。皇疏では必ずしも一節ごとに科文を立てず、始めに前後の經文との関係性を示唆するような掲示句が多い。一方、孔疏では一節ごとに「正義曰、此一節…」と科文を提示し、前後の連続性を極力避け、經文の一節一節を単独の文章として捉えている。筆者は、この疏釈が唐人によって新たに書き下ろされたとされる『周禮正義』(前掲野間本)に共通して見えることから、これが孔穎達らの手によって作られたものであると推測する。

 

【議論】

・結論は穏当だろうが、その分本論文の新説に当たる部分がどこなのか分かりにくい。「此一節云々」が唐代の手になるという点か? 
・「孔疏が皇疏を誤読」と言い切れるのかどうか。敢えてそのように読み換えた(故意に改変した)という可能性もある。
・孔疏が改変した例が挙げられているが、そこにある孔疏の意図はどこにあるのだろうか。唐代の思想的背景と絡めることは可能だろうか。
・あくまで『禮記』中の一篇の両著の比較しか出来ない中で、それが他の部分にも演繹して当てはめられるのかどうか、いずれ検討が必要となろう。

 

影山輝國「皇侃と科段説―『論語義疏』を中心に―」―論文読書会vol.9

※論文読書会については、「我々の活動について」を参照。 

 【論文タイトル】

影山輝國「皇侃と科段説―『論語義疏』を中心に―」(『斯文』122, 2013, p.1~14)

【先行研究】

・喬秀岩『義疏学衰亡史論』(白峰社、2001)

 南北朝から隋唐にかけての義疏学(特に皇侃から劉炫・劉焯、正義に至る学術史)を、彼らの義疏そのものの読解から語り尽くした研究。断定は避けながらも、詳細な科段説は皇侃に始まるとする。

・野間文史「義疏学から五経正義へ―科段法の行方」(『東洋古典学研究』33集、2012)

現存する6つの六朝義疏のうち、『論語義疏』『孝経述議』『禮記子本疏義』『周易疏論家義記』『孝経鄭注義疏』には科段法が見られるが、『公羊疏』にのみ見られないことを指摘。また、科段法の源流が仏家だけでなく儒家伝統文献にも求められるとする。

【要約】

・科段説とは(本論文による定義)

経文をいくつかの「科段」に区切り、各科段の主旨を述べて、科段内容相互の関連性から、経文全体の総合的意味を提示するという解釈法。科段の分割を示す文と、各科段の主旨を述べた文とを合わせて「科文」という。

・『論語義疏』に見える科段説

一章を数段に分ける場合と、一篇を数段に分ける場合とがある。喬秀岩『義疏学衰亡史論』では、『論語』二十篇の各篇が篇の順序の意義を説くことも科段説に含めている。しかし影山氏は、篇は皇侃以前から分割されており、順序の意義を説くことのみでは科段説と断言できないとする。

・科段説の由来(本論文の主要部)

従来の説では、『論語義疏』の科段説は皇侃が仏教の影響を受けながら創始したものとされてきた。しかし影山氏は、皇侃自身が科段説に言及している学而篇の疏の読解から、皇侃は「苞咸・孔安国・周氏・馬融」の頃から『論語』に科段があったと考えていたと反論する。影山氏は幾つかの証拠を示しながら、疏に見える「中間」という語を、旧来の注釈者と同じく「前代」と解釈し、「科段を解く者が前代からいた」と読む。
 次に、『論語義疏』の科段説の創始者についての議論に移る。喬氏は詳細な科段説は皇侃に始まると述べるが、影山氏は『論語義疏』に皇侃以前の科段説の具体例が見えることから、皇侃が創始者とは言えないと反論する。皇侃は以前からあった科段説のうち、有用なものを取り入れて紹介しているところもあるようだ。
 後漢期の科段説の詳細は明らかではない。しかし、「章句の学」と関係を持つことは推測できる。例えば野間文史氏は後漢の馬融・荀爽、呉の姚信らによって経文の分断が行われていたことを指摘する(『周易正義』の記述)が、この例では、彼らが単なる章句の分断だったのか、章の主旨を説く科文を備えていたのかについてははっきりしない。とはいえ、章句の分断作業には、必ず各章句の意味の理解や関連性の考究が伴っていたはずであり、そう考えると章句の学と科段説はかなり近いものということになる。野間氏は「科段法は必ずしも仏教からの影響のみではないのである」と結論付けるが、影山氏もこれに賛同する。更に、仏教が中国に入って初めて「科段説」が唱えられたとするなら、それが逆に伝統的な中国の学問を受けて生まれた可能性も否定できない、と述べる。

【議論】

・科段法とは何か考えるとき、影山氏は「経文を区切ること」を重く見ており、喬氏は「各段の関係性を述べること」を重く見ているようだ。
・経文を区切ること、そしてそれぞれの意味と関連性を考えること、というそれ自体はごく一般的な文章の解読法と変わらないように思えるが、どこに特殊性があるのか。皇侃まで至ると、喬氏の本の紹介するようにかなり特殊な読解と言えるだろうが。
・「苞咸・孔安国・周氏・馬融の科段があった」という説の出所はどこか。皇侃以前に遡ることはできないか。

 

溝口雄三「中国前近代思想の屈折と展開」下論・第三章・第一節―論文読書会vol.8

※論文読書会については、「我々の活動について」を参照。

【論文タイトル】

溝口雄三「中国前近代思想の屈折と展開」下論・第三章・第一節

 前回の続きです。

 

【要旨】

戴震の「私欲」理解

問、『論語』言「克己復禮爲仁」、朱子釋之云「己、謂身之私欲。禮者、天理之節文。」又云「心之全德、莫非天理、而亦不能不壞於人欲。」蓋與其所謂「人生以後此理墮在形氣中」者互相發明。老莊釋氏、無欲而非無私。聖賢之道、無私而非無欲。謂之「私欲」、則聖賢固無之。然如顏子之賢、不可謂其不能勝私欲矣、豈顏子猶壞於私徒邪。況下文之言「爲仁由己」何以知「克己」之「己」不與下同。此章之外、亦絶不聞「私欲」而稱之曰「己」者。朱子又云「爲仁由己、而非他人所能與。」在「語之而不惰」者、豈容加此贅文以策勵之。其失解審矣。然則此章之解、可得聞歟。
(『孟子字義疏証』下巻・權・中華書局本326頁)(論文300頁)

 戴震の「聖賢の道は、無私にして無欲に非ず」という言葉から、「私欲」が「私」と「欲」とに分解され、「欲」が「克」の対象から外されつつあることが分かる。
 厳密に言えば、朱子の「勝私欲」を無欲を志向するものだと断定する戴震は、朱子を曲解している。朱子のこの解釈は、「私」に力点がある。朱子にとって「克己」とは、彼一己における彼自身の天理希求であり、「私欲」とは天理に異途する反天理的志向であって、それは彼の天理希求の真摯さにおいて否定されるべきものであり、その天理希求の意欲によって一己内的に克尽されうるものであった。この意味で朱子のいう「欲」は主観的内面的であって、戴震の人欲概念がもつ客体性とは異質である。一方では、それほどに「欲」概念が客体的に成熟していたということも背景に考えなければならない。

戴震の「理」理解

朱子亦屢言「人欲所蔽」、皆以爲無欲則無蔽・・・・・・凡出於欲、無非以生以養之事
(『孟子字義疏証』上巻・中華書局本・274頁)(論文301頁)

 戴震は、というよりは戴震の時代はといった方が良いが、「欲」概念はほとんど人間の生存欲一般を指示するほど実体的にふくれあがっていた。このことから、気質が本来清明であり善であり混濁の除去に名をかりて気質が討伐されそのことによって人の生が戕害されてはならないという顏元・李塨の主張が更に一歩推し進められ、戴震においては、気質はすでに人間存在の根源であってそれ自体として悪とは無縁のものとされ、もはや悪は気質に所在しないとされる。
 戴震は宋儒のいう本然の性は、人間実存を離れた、存在理由をもたないものだと考える。その点で、人間実存から遊離したところに「礼儀」なるものを措定した荀子や、「真空」「真宰」なるものを措定した老荘釈と等しいと見なす。またそれにとどまらず荀子と程朱が「礼儀」「理」の名によって人間実存を圧殺しようとするそこにこそもっとも批判されるべき共通性があるとする。善なる人間が、その善なる性情の自然を十全に発揮し全うするところ、そこに自ずと究極至善の則が形成される。それが「理」であり「礼儀」であるべきだと戴震はいう。
 このように遊離し二本化し、しかもあるべからざる無意味な理は、何によって理の名を得ているのか。それはたたかだか自己の臆見に私がないというただその一点によるにすぎない。無私を一己において完結させている宋学的理、主観的あるいはひとりよがりな、自己閉塞的な理でしかなく、それの現実的破綻が戴震によって真っ向から暴露されつつある。

戴震の「心」理解

曰、心之所同然始謂之理、謂之義。則未至於同然、存乎其人之意見、非理也、非義也。凡一人以爲然、天下萬世皆曰「是不可易也」、此之謂同然。
(『孟子字義疏証』上巻・理・中華書局本・267頁)(論文306頁)

 理は「己之意見」「心」によって客体としての気質を「制」し欲を「無」みするようなものであってはならず、気質・欲の存在を普遍妥当なしめる客観性をもつものでなければならない。また

戴震の「天下」と「己」についての理解

曰、在己與人皆謂之情、無過情無不及情之謂理。詩曰「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德。」・・・・・・物者、事也。語其事、不出乎日用飲食而已矣。舍是而言理、非古賢聖所謂理也。
(『孟子字義疏証』上巻・理・中華書局本・266頁)(論文306頁)

 このように「日用飲食」において「一人」と「天下」が普遍に充足される理が目ざされるべきものとされる。一己完結的な私ではなく、一己と天下の相関において無私はとげられるべきであるとされる。ではそうした私とは何であるのか。

戴震の『中庸』理解-特に朱子との対比について

中庸曰「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉。」人之有欲也、通天下之欲、仁也。人之有覺也、通天下之德、智也。
(『原善』下・中華書局本・345頁)(論文307頁)


『記』曰「飲食男女、人之大欲在焉。」・・・・・・飲食男女、生養之道也、天地之所以生生也。・・・・・・五者、自有身而定也、天地之生生而條理也。是故去生養之道者、賊道者也。細民得其欲、君子得其仁。遂己之欲、亦思遂人之欲、而仁不可勝用矣。快己之欲、忘人之欲、則私而不仁。
(『原善』下・中華書局本・347頁)(論文307頁)

 修身平天下が朱子において縦貫的であったとすれば、ここでは己と天下は己と他者との相互充足的関係を含むことによって縦貫的にとらえられる。また一己完結的であった無私は、ここでは相互連繋的な無私として新たに規定される。また戴震において、性の実体は血気心知であり、血気の自然が欲、心知の自然が好道であるとされる。理はこの血気心知つまり性の自然に内在するもであるが、これが必然とされる。

戴震の「克己復礼」理解

曰、「克己復禮」之「爲仁」、以「己」對「天下」言也。禮者、至當不易之則、故曰「動容周旋中禮、盛德之至也。」凡意見少偏、德性未純、皆己與天下阻隔之端。能克己以還其至當不易之則、斯不隔於天下、故曰「一日克己復禮、天下歸仁焉」。然又非取決於天下乃斷之爲仁也。斷之爲仁、實取決於己、不取決於人、故曰「爲仁由己、而由人乎哉」。
(『孟子字義疏証』下巻・權・中華書局本326頁)(論文307頁)

 客体としての己が他者の総体としての天下との間に阻隔をなくすことが「復礼」であり、ここに「礼」の「至当不易之則」があるとされる。「克己」は「私欲」に克つことではなく、他欲との相関において己欲に失なからしむることであると展開される。

戴震の人間観

曰、孟子言「養心莫善於寡欲」、明乎欲不可無也、寡之而已。人之生也、莫病於無以遂其生。欲遂其生、亦遂人之生、仁也。欲遂其生、至於戕人之生而不顧者、不仁也。(『孟子字義疏証』上巻・理)(論文309頁)

 戴震の「欲」の相互連繋性は、「欲」から「生」にまで充実されることによって、「忘人之欲」にみられる思惟的側面が「戕人之性」という事実的側面に転移して一層客観性をもつようになる。「一人」と「天下」の相互連繋性は、己者と他者の個的生存を媒介にもつことによって社会連繋的な様相を色濃くもつにいたる。したがって、克たるべき私とは、道徳的とともに社会的かつ政治的側面を強くもつことになる。
 しかし、戴震はそのような理解を「克己復礼」解で展開している訳ではない。無自覚であったとするのがより正確である。再び戴震の「克己復礼」解を見ると、「克己」の逐語解釈を捨象してしまっていることが分かる。「以己対天下言也」をテーマとする戴震の解釈は「克」という動詞に対して強い違和感をもっている。この解釈されない「克己」のその解の欠如にこそ実はもっともよく戴震の解釈の新しさが提示されている。この新しさは戴震の方法論と不可分の関係にある。

戴震の思想

戴震にとっての「理」は、万人普遍の「日用飲食」を事実的条理であり、万人に共有されうる客観的規範性をもたねばならない。「一人が然りとする」経典の理義は誰が訓解しても「同じく然りとするところ」でなければならない。ここに理義が訓詁によらねばならないとされる方法論が必須とされる戴震の新しさがある。戴震における考証学的方法論は存人欲的天理と不可分なものであり、それが持敬静坐を方法論にもつ宋学的天理を根底から否定しうる方法論でもあった。したがって、戴震の考証学における主観的側面、つまり一訓を守ろうとして守れていない破綻は、いわゆる近代的な客観的実証主義の未熟さによる主観性としてマイナスに評価されるべきものではなく、客観的であろうとする主観的意図の新しさにおいてプラスに評価されるべきものとなろう。

 

【議論】

朱熹自身が「欲」そのものを否定していたのか→清代の朱子理解に対する反対。
荀子老荘を否定したという点では汪中とは異なる。
・偶然にもカントと同年に生まれている。(1724年)
・不仁がまぜ生れどのようにそれを解決するべきなのかについて戴震は答えていない。
・結局、戴震の学問は考証学にすぎない→確かに顧炎武・黄宗羲のような社会理論はない。
・考証學による朱子学批判、考証学朱子学の調停と見ることができるのではないか→戴震は朱子学の完成者?
・自然な欲の自然とは→他者との関わりの中で調整→朱子との違いは?→朱子の欲は自己完結的であったのに対して、戴震は欲を社会的相関の中で調整しようとしたのではないだろうか。

 

溝口雄三「中国前近代思想の屈折と展開」下論・第三章・第一節―論文読書会vol.7

※論文読書会については、「我々の活動について」を参照。

【論文タイトル】

溝口雄三「中国前近代思想の屈折と展開」下論・第三章・第一節

 今回・次回と二回に分けて、顏元から戴震に至る思想史を述べる部分を取り扱います。 

 

【先行研究】


安田二郎孟子字義疏証の立場」(中国文明選『戴震集』所収 朝日新聞社
山井湧「孟子字義疏証の性格」(「日本中国学会報」第十二集) 

【原文】
論語』顔淵篇「顏淵問仁。子曰「克己復禮為仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。為仁由己、而由人乎哉。」

朱子注]仁者、本心之全德。克、勝也。己、謂身之私欲也。復、反也。禮者、天理之節文也。

 

【要旨】

戴震と「克己復礼」

孟子字義疏証』において、戴震は朱子注の批判を行う。『論語』顔淵篇「克己復禮」について、朱子注は「己」を「私欲」と理解している。この理解に従うと「克己復禮」の「己」と「為仁由己」の「己」が矛盾することになる。戴震の意図は、「己」の字義上の矛盾を突くことにあるのではなく、「己」を「私欲」と理解した結果、「欲」が「克」の対象とされることに対する批判にあった。

顏元と「己」「欲」

「己」を「私欲」とすることの字義上の批判は、すでに一世代早い顏元に見られる。顏元の「己」を「私欲」とすること対する反対には二つの側面がある。第一に「己」がそのまま「私欲」とされることに対する不同意で、これは気質の性に悪を固有のものとしないとする主張に結びつく。第二に「己」を「私欲」とすることによって「己」が「克」の対象とされることに対する不同意で、「勝己」を「使勝己」と理解する顏元の実践を重んずる哲学に繋がる。

顏元と宋学の対比

宋学では、悪を気質に固有のものとすることによって、悪は一般的に人間に内在するものとする。そして悪である「私欲」を「己」の内部において「克尽」することによって本然の性が顕現されるとする。これを宋学的天理の一己完結性と呼ぶことができる。
 一方、顏元は「克己」を「己常勝於外物」と理解した。顔元の性善説では、本然の性を認めず、気質の性を人にとって「本有」の善とし、混濁が「外物」の「引蔽習染」したためだとする。混濁が人間にとって「本無」である「外物」の汚染とした結果、悪はもはや性の内側にはなく、克服の対象ではなくなる。ここで、「外物」であるはずの悪が気質の混濁状態として性に即しているという論理破綻が起こる。しかし、自己目的的完結性を原理的に否定しているところに顔元の新しさがある。

李塨と「己」「欲」

 李塨も顔元と同様に「己」を「私欲」とする理解を否定したが、注目すべきは「無私」「去私」を否定しているのではなく、それらを到達点にすることを否定している点にある。李塨は、「無私」は人の性にとって「本有」であるのだから、道徳的究極点ではなく、むしろ出発点にほかならないとする。
 これらの主張の裏側には、理は「己」の性の一己的無私の完結によってはもはや全うされ得ないする、新しい理への動向がある。しかし、顔元はまだ理について語るところに至っていない。善を性の善に限定する旧来の枠を破って「外物」に対応する新たな善が志向されていないことが、理に対して顔元が沈黙している理由だ。これはいわば居直りである。

顏元による宋学批判

 顔元によれば、宋学的善は気質悪を前提にもつという点で性悪的立場に立つに等しいという。朱子の本然の性こそが人間の本性だとする極めてリゴリスティックな性善説が、顔元の目に性善説として見えていないところに問題がある。気質は人にとって全てのものとされるような経済的主体の熟成の時代、また現実在の悪がもはや一己的修身によっては解決されえないような複雑な倫理観を意識させる時代、悪を個人に収斂させることによっては解決されえない社会矛盾・階級矛盾の実在が意識される時代に、彼らは立っていた。悪を気質に対する「外物」の汚染とする新しい性説を提示することによって、社会相関的理の生成を目前に望もうとする地点に顔元は到達している。

顏元の限界

 しかし、顔元の言う悪は、依然として気質の混濁であることから抜け出せていない。そして、その結果、「私欲」は「克」の対象であることから免れていない。ここで「己常勝於外物」の「常」がもつニュアンスの重みが理解される。己を行為主体とした道徳実践の持続は、「外物に勝つ」ための必須の条件なのである。「私欲」は性にとって「本無」のものであり外来物である。しかし、そのために、「私欲」は不断の実践によってのみ防御・除去されうるものとされる。顔元の実践は、持敬静坐と形容される宋学的理の一己完結性を否定しようとするものでありながら、結局は宋学に対しては方法論の上でのみ勝負しているにすぎなかった。

 

【議論】

 

・本然の性と気質の性を一本化したのは、王陽明致良知説の影響ではないか。

・「宋学的天理の自己完結性」の崩壊は、伝統的な言葉を使うならば、「尊徳性」重視から「道問学」重視への推移。

・気質が人間にとって当然のものとされるような社会経済的背景は、本当にあったのか。→溝口氏に先行する経済史研究があった。

・「居直り」とは→顔元は自身の理論に不完全な部分を遺した。溝口氏によれば、顔元は理について深く言及する必要があったがしなかった。

・顔元の言う「常」の重み→発想は朱子学そのもの。

朱子学に部分的に反対してはいるが、独自の理論を打ち立てるところまでは至っていない→劉宗周に与えられる評価と似ている。

・「方法論の上で」→理論上でのみ?

中国学と円城塔『文字渦』(下)

前回はこちら

 

はじめに

 『文字渦』について引き続き語ってみます。

 少し内容に踏み込んで書くとは言ったものの、短編集でありながらそれぞれが緩やかに関連を持ち大きな世界を作っているこの作品自体の枠組みの話は、私には手に余る代物です。今後の人生で何度も読み返す中で、ようやく「そうだったのか」と気が付く所も沢山あるでしょう。むしろナボコフが「読書とは再読である」といったように、それこそが読書の本質とも言えるものです。

 となれば、何を隠そう、私は全然分かってない読者なのです。あまり大きい話はせず、部分部分で面白いなと思った表現を厳選して抜き出してみます。一部を抜き出すことによって話がかなり小さく見えてしまうところがあり魅力を損なっている感じもしますが、これが私の限界です。また、事前情報を入れずに作品を読みたい方は、以下は見ない方が良いです。(どれもあまりネタバレが影響しない作品ですが。)

 

闘字

引用

 まずは「闘字」の一節。

 説文解字は、文字を部首によって分類したが、部首の順序は文字たち自身に任されており、部の内部でも独自の秩序を採用している。説文解字の内部では、文字たちの棲む世の道理によって、一つの宇宙が組み上げられる。・・・

 従って、文字による創世から循環までを描いた説文解字中に字を探すのは、世の成り立ちを追跡する作業となり、説文解字の支配する世に暮らすことと同義である。・・・説文解字に分け入るためには、ひたすらこの宇宙の仕組みに同化していくしかないのであって、最終的に一本化して宇宙内部に住み着くよりない。

解説

 『説文解字』の部首の並びが単純な画数順でなく、その序列に一つの思想が反映されていることは中国学に関わるものであれば知っていることです。ここから「『説文解字』は独自の秩序から成り立つ一つの世界である」ぐらいのことなら、レトリックとして私にもすぐ浮かぶかもしれません。が、「文字たちの棲む世の道理」やら、「宇宙内部に住み着くよりない」といった表現まで進み、更にそれがただの比喩でなく本書の大きなテーマを形成するとまで来ると、ああこれは新しいな、と感じるのです。本書においては、文字が「棲む」という表現はただの比喩ではなく、まさしく文字通りの意味で、文字自身が意思(?)を持ち、動き出し、変化し、「棲」んでいるのです。

 

緑字

引用

 続いて、「緑字」の一節。膨大な文字データを含むテキストファイルを探索すると、お経の文字列とその前後に謎のプログラムのコードが発見される話。

 最初の突破口となったのは、金光明最勝王経からなる諸島と、華厳経からなる諸島だった。この二つの経典は、ただの金光明最勝王経と華厳経ではなく、「紫紙金字最勝王経」と「紺紙銀字」なのだというのが森林の出した結論だった。というのは、機械の言葉による指定が、文字データとその配置だけではなくて、文字を印刷する素材や、紙の色や質にまで及んでいることがわかったからだ。・・・経典の島々は、国宝「紫紙金字最勝王経」を再現するデータであり、重要文化財「紺紙銀字華厳経」を再現するデータであり、その素材の作成方法を示すデータだった。

解説

 これは書誌学・版本学。二進法で記されるデータの世界の中に、そっくりそのまま旧本の姿が保存されいつでもアウトプットできる世界。但し、前後を読めば話がそう単純ではないことが判ります。他の短編には、文字は伝えられる媒体によって意味が変わり得るのではないか、という言葉も。本書全体を通して、紙や字体、データといった文字の伝えられ方へのこだわりが深く感じられます。尤もこれは、円城作品全般に言える話なのですが。

 ちなみに「紫紙金字最勝王経」は一度博物館で見たことがあります。本当に美しい本です。

 

 梅枝

引用

 次は「梅枝」から、本書で時おり登場してガイド的役割を果たしている境部さんの台詞。

 「将来、芭蕉の作品が滅んでしまって、そうだな、境部本『月の細道』だけが残されていたら、やっぱり芭蕉は月に行ったってことにされるんじゃないかな。その頃にはもう、俳句という形式も忘れられていて、人類は月に進出して、月の山を眺めている。人類が地球起源だということさえもう、専門家以外は知らないわけだ。『月の細道』はそうだな、一見ごくごくふつうの旅日記の形をとった句集なんだけど、読み進めるとどうもこれは月を進んでいるらしいとわかるようにできている」

解説

 直接的にはボルヘスの「ドン・キホーテの著者、ピエール・メナール」を思い出すでしょうか。果てしなく壮大ですが、根幹は中国古典の注釈史(中国古典に限る必要はないでしょうが)と同じ。果てしなく繰り返される解釈の営みの中で、本来の意味はもはや問題ではなくなり、新たな意味を持ち始める過程。

 なお、この短編は、特に文字とその表示形態の関わりを深く論じているものです。本書の短編の中で恐らく最も読みやすく、本書の導入として最適。まずはこの篇を読んでみるのも良いかもしれません。特に、

「昔、文字は本当に生きていたのじゃないかと思わないかい。」

という言葉は、この本の全編に共通するテーマと言えるでしょう。

 

新字

引用

 続いて、外交使節として訪中した一人の人物に焦点を当てる「新字」の一節。

 しかし境部には、あの楷書という字体は、文字というより新種の呪具のように見えるのである。およそ人間らしさというものを省き捨てて完全に秩序に従わせることで、書く者に不自然な手の動きを強い、刻する者に無茶な鑿の使い方を強いるあの字形こそ、天子が地上を統べる宣言として相応しいのではないかと思う。

解説

 呪詛としての文字。不自然で機械的、記号的な字であるほどに、却って呪詛的な力を感じさせるというのは、いわゆる文字学とは一味違う考え方なのではないでしょうか。文字を直接に呪詛的な力を持つものとして捉える考え方は、道教の「符」なんかを思い起こさせます(本書でも別の箇所で登場します)。

 

微字

引用

 最後は本書の巨大な枠組みを一つ提示している「微字」の冒頭。

 本は、表紙を下にして、順に重ねていくものだ。

 古い頁ほど下に積もるのが自然の道理というものであり、累重の法則として知られる。元来は水平をなすものだから、縦に並んだ本たちは地殻変動の産物である。歴史は褶曲により歪められ、撓曲により断絶が仄めかされることになる。

解説

 こういうちょっとしたところからも、縦向きでなく横向きに本を置くのが本来である線装本の在り方を思い出したりします。図書館に地層学を持ち出す奇抜な発想は、ちょっとついていけない世界です。

 

最後に

 敢えてコメントしませんでしたが、他に「文字渦」は秦朝の職人の話ですし、「天書」王羲之が主人公。どちらも中国の歴史上の一コマを直接に舞台としており、その読み替えと作り変えの超絶技巧には感服されられます。

 他に「種字」「誤字」「金字」「幻字」「かな」を合わせて、計12篇。篇名を見るだけでも何だか楽しげではないですか? 

(棋客)