中国思想をもっと身近に
伝えることの難しさ
中国学の面白さを、一般の方々にどう伝えるのか? ―言い換えれば、中国学の魅力を如何に発信するか― これは長きに渡って、多くの研究者が苦悩してきた問題ではないでしょうか。これはもちろん、そんなことを考えずに、只管に自身の研究に打ち込んでゆく姿を否定するものではありません。むしろ研究者としては、そちらがまず第一に為すべきことであって、そのバックボーンを失っては元も子もありません。とはいえ、広く一般とまでは望まないにしても、せめて友人に面白さを伝えたい、というのはごく自然な感情ではないでしょうか。また、一つ付け加えるならば、我々の営みに世の中の誰もが見向きもせず、社会に不要なものであると認知された場合、その分野の研究者が「只管に自身の研究に打ち込む」ことなど殆ど不可能となるでしょう。であれば、色々な手段で魅力を発信してみたいと考えても、まあバチは当たらないでしょう。
物語として伝える
主要な手段としては、中国古典そのものが持つ物語性を武器にする、というのがまず思い浮かびます。伝記や王朝ものなど、時に脚色や想像を交え、物語としての面白さを伝える本は、既に多数出版されています。中国を題材に取った漫画やゲームも、ここに含めて良いでしょうか。ただし、「ストーリーとして面白い」だけならば、「中国」という括りの意味が薄れるところはあるかもしれません。また、「物語の面白さ」だけを求めるのは、中国「学」の魅力を伝える上ではちょっと噛み合わない感覚もあります。いずれにせよ、そこに中国学的要素を盛り込むには、もう一工夫必要になってくるでしょう。
思想の面白さ
次に、中国の思想、思索の営みを武器にするのも古い手です。特に教養として長く受け入れられてきたものについては言うまでもないですが、例えば詩賦や志怪小説の翻訳も、広くこの類に入れられます。結局、これこそが即ち「中国学の研究成果」というものであって、「中国学の魅力」を伝える筆頭選手というところでしょうか。しかし、古代人の思考を出来る限り正確に伝えるという営みだけで、中国学の魅力を伝えられるのかという点になると、実際にはなかなか難しいものです。というのも、研究成果そのものを読むのは専門家でも苦労するもので、そこから一般の方が面白さを感じ取るまでにはかなり距離があるからです。
研究と分かりやすい説明の距離
そこで、研究書と概説書の中間といった趣の本によって、研究そのものの面白さを伝える本の役割が生まれてきます。中国「学」の魅力を伝えることに重点を置くとすれば、こういった本があれば渡りに船です。知識や枠組みを良き師に導かれながら蓄えていくことになりますから、時間は必要になります。学問探究の営みをそのままに伝えようとするわけですから、難易度が上がってしまうのは仕方がないところです。もともと「好き」な人ならば良いのですが、そうでない人には酷かもしれません。
文学の力を借りて
円城塔『文字渦』のおもしろさ
以上、勢いに任せて書いてしまいましたが、ここからが本題。
最近出版された円城塔『文字渦』(新潮社2018)は、間違いなく「中国学の魅力を伝える本」の一つです。いや、私の感じた印象を正確に述べるならば、「『新しい形で』中国学の魅力を伝える本」、そう呼んでしまいたいところです。
小説とはいっても、中国古典の物語をそのまま本にしたものではありません。元々前衛的とも称される氏の作品であり、中国学やら古典学なんてものを破壊して、遥か遠くまで進んでしまっています。まず何といってもボルヘスの『伝奇集』を思い起こさせる作品で、壮大なモチーフと遠景から細やかな物語が立ち上がり、ぽかんと宙に浮かんだまま閉じるような、美しい短編が続きます。
よって、ただ「中国学」と絡めて語っていては、この作品の主題から大きく外れることになりますし、更に言えば円城塔の魅力を伝える上で不正確なものとなりましょう。今回は、これを承知の上で、敢えて中国学という角度から円城作品を紹介していきます。
円城塔『文字渦』の学術性
実は『文字渦』以前の円城作品にも、中国学とどことなく通じるポイントを感じることはできます(例えば「松ノ枝の記」など)。ただこちらは、中国学を通して共感を覚えているというよりも、「学問・科学・研究の世界」という同じ窓を通っているから共感できる、というところが大きいような気がします。
しかし『文字渦』は、より直接的に、中国学を好む人々に響く作品になっています。それはまず参考文献を見るだけで、よく分かるというものです。例えば、東洋文庫から『東京夢華録』『歴代名画記』『道教』など。また吉川忠夫『王羲之――六朝貴族の世界』、中村元ら訳の『浄土三部経』などなど、一般書も含みながらも、本格的な翻訳書・研究書に分類される書籍がずらりと並んでいます。元々物理学の専攻である氏が、どうやってこれだけの本を探し、選び、消化し、物語へと昇華させたのか、非常に興味深いところです。とはいえ、そこに中国学の本だけでなく、ばりばり理系の研究書が並ぶところが円城塔の円城塔たる所以なのですが。
「参考文献の多い小説」となると歴史小説を思い起こすかもしれませんが、何度も書いているようにそれは誤りです。逆に言えば、感情の機微や繊細さ、またはドラマチックな結末だけを求める人には、向かない本かもしれません。とはいっても、これらの要素がこの作品に欠けているという意味ではなく、「分からなくても何となく面白い」という、意外と間口の広い円城塔の魅力が存分に詰まった書であると感じます。
例えば、この本を読了した人に、物知り顔でこの作品と中国学の接点を語ってみれば、きっとその人は中国学の虜となるでしょう。逆に中国学に関わりのある人がこの本を読めば、その人自身が円城塔の虜になるでしょう。
『文字渦』は、歴史学、注釈学、版本学、校勘学、文字学、辞書学といった要素を存分に含んでいて、特に中国学を意識させる形で、その学問体系をそのまま物語として利用しているような作品なのです。こんな小説が、未だ嘗て存在したでしょうか? 是非手に取って頂きたい一冊です。
さて、今回は若さ爆発といった文章になってしまいました。少々熱を込めて語り過ぎたようです。来週は、内容に踏み込み本文を引用しながら、じっくり語ってみます。
(棋客)