達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

溝口雄三「中国前近代思想の屈折と展開」下論・第三章・第一節―論文読書会vol.8

※論文読書会については、「我々の活動について」を参照。

【論文タイトル】

溝口雄三「中国前近代思想の屈折と展開」下論・第三章・第一節

 前回の続きです。

 

【要旨】

戴震の「私欲」理解

問、『論語』言「克己復禮爲仁」、朱子釋之云「己、謂身之私欲。禮者、天理之節文。」又云「心之全德、莫非天理、而亦不能不壞於人欲。」蓋與其所謂「人生以後此理墮在形氣中」者互相發明。老莊釋氏、無欲而非無私。聖賢之道、無私而非無欲。謂之「私欲」、則聖賢固無之。然如顏子之賢、不可謂其不能勝私欲矣、豈顏子猶壞於私徒邪。況下文之言「爲仁由己」何以知「克己」之「己」不與下同。此章之外、亦絶不聞「私欲」而稱之曰「己」者。朱子又云「爲仁由己、而非他人所能與。」在「語之而不惰」者、豈容加此贅文以策勵之。其失解審矣。然則此章之解、可得聞歟。
(『孟子字義疏証』下巻・權・中華書局本326頁)(論文300頁)

 戴震の「聖賢の道は、無私にして無欲に非ず」という言葉から、「私欲」が「私」と「欲」とに分解され、「欲」が「克」の対象から外されつつあることが分かる。
 厳密に言えば、朱子の「勝私欲」を無欲を志向するものだと断定する戴震は、朱子を曲解している。朱子のこの解釈は、「私」に力点がある。朱子にとって「克己」とは、彼一己における彼自身の天理希求であり、「私欲」とは天理に異途する反天理的志向であって、それは彼の天理希求の真摯さにおいて否定されるべきものであり、その天理希求の意欲によって一己内的に克尽されうるものであった。この意味で朱子のいう「欲」は主観的内面的であって、戴震の人欲概念がもつ客体性とは異質である。一方では、それほどに「欲」概念が客体的に成熟していたということも背景に考えなければならない。

戴震の「理」理解

朱子亦屢言「人欲所蔽」、皆以爲無欲則無蔽・・・・・・凡出於欲、無非以生以養之事
(『孟子字義疏証』上巻・中華書局本・274頁)(論文301頁)

 戴震は、というよりは戴震の時代はといった方が良いが、「欲」概念はほとんど人間の生存欲一般を指示するほど実体的にふくれあがっていた。このことから、気質が本来清明であり善であり混濁の除去に名をかりて気質が討伐されそのことによって人の生が戕害されてはならないという顏元・李塨の主張が更に一歩推し進められ、戴震においては、気質はすでに人間存在の根源であってそれ自体として悪とは無縁のものとされ、もはや悪は気質に所在しないとされる。
 戴震は宋儒のいう本然の性は、人間実存を離れた、存在理由をもたないものだと考える。その点で、人間実存から遊離したところに「礼儀」なるものを措定した荀子や、「真空」「真宰」なるものを措定した老荘釈と等しいと見なす。またそれにとどまらず荀子と程朱が「礼儀」「理」の名によって人間実存を圧殺しようとするそこにこそもっとも批判されるべき共通性があるとする。善なる人間が、その善なる性情の自然を十全に発揮し全うするところ、そこに自ずと究極至善の則が形成される。それが「理」であり「礼儀」であるべきだと戴震はいう。
 このように遊離し二本化し、しかもあるべからざる無意味な理は、何によって理の名を得ているのか。それはたたかだか自己の臆見に私がないというただその一点によるにすぎない。無私を一己において完結させている宋学的理、主観的あるいはひとりよがりな、自己閉塞的な理でしかなく、それの現実的破綻が戴震によって真っ向から暴露されつつある。

戴震の「心」理解

曰、心之所同然始謂之理、謂之義。則未至於同然、存乎其人之意見、非理也、非義也。凡一人以爲然、天下萬世皆曰「是不可易也」、此之謂同然。
(『孟子字義疏証』上巻・理・中華書局本・267頁)(論文306頁)

 理は「己之意見」「心」によって客体としての気質を「制」し欲を「無」みするようなものであってはならず、気質・欲の存在を普遍妥当なしめる客観性をもつものでなければならない。また

戴震の「天下」と「己」についての理解

曰、在己與人皆謂之情、無過情無不及情之謂理。詩曰「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德。」・・・・・・物者、事也。語其事、不出乎日用飲食而已矣。舍是而言理、非古賢聖所謂理也。
(『孟子字義疏証』上巻・理・中華書局本・266頁)(論文306頁)

 このように「日用飲食」において「一人」と「天下」が普遍に充足される理が目ざされるべきものとされる。一己完結的な私ではなく、一己と天下の相関において無私はとげられるべきであるとされる。ではそうした私とは何であるのか。

戴震の『中庸』理解-特に朱子との対比について

中庸曰「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉。」人之有欲也、通天下之欲、仁也。人之有覺也、通天下之德、智也。
(『原善』下・中華書局本・345頁)(論文307頁)


『記』曰「飲食男女、人之大欲在焉。」・・・・・・飲食男女、生養之道也、天地之所以生生也。・・・・・・五者、自有身而定也、天地之生生而條理也。是故去生養之道者、賊道者也。細民得其欲、君子得其仁。遂己之欲、亦思遂人之欲、而仁不可勝用矣。快己之欲、忘人之欲、則私而不仁。
(『原善』下・中華書局本・347頁)(論文307頁)

 修身平天下が朱子において縦貫的であったとすれば、ここでは己と天下は己と他者との相互充足的関係を含むことによって縦貫的にとらえられる。また一己完結的であった無私は、ここでは相互連繋的な無私として新たに規定される。また戴震において、性の実体は血気心知であり、血気の自然が欲、心知の自然が好道であるとされる。理はこの血気心知つまり性の自然に内在するもであるが、これが必然とされる。

戴震の「克己復礼」理解

曰、「克己復禮」之「爲仁」、以「己」對「天下」言也。禮者、至當不易之則、故曰「動容周旋中禮、盛德之至也。」凡意見少偏、德性未純、皆己與天下阻隔之端。能克己以還其至當不易之則、斯不隔於天下、故曰「一日克己復禮、天下歸仁焉」。然又非取決於天下乃斷之爲仁也。斷之爲仁、實取決於己、不取決於人、故曰「爲仁由己、而由人乎哉」。
(『孟子字義疏証』下巻・權・中華書局本326頁)(論文307頁)

 客体としての己が他者の総体としての天下との間に阻隔をなくすことが「復礼」であり、ここに「礼」の「至当不易之則」があるとされる。「克己」は「私欲」に克つことではなく、他欲との相関において己欲に失なからしむることであると展開される。

戴震の人間観

曰、孟子言「養心莫善於寡欲」、明乎欲不可無也、寡之而已。人之生也、莫病於無以遂其生。欲遂其生、亦遂人之生、仁也。欲遂其生、至於戕人之生而不顧者、不仁也。(『孟子字義疏証』上巻・理)(論文309頁)

 戴震の「欲」の相互連繋性は、「欲」から「生」にまで充実されることによって、「忘人之欲」にみられる思惟的側面が「戕人之性」という事実的側面に転移して一層客観性をもつようになる。「一人」と「天下」の相互連繋性は、己者と他者の個的生存を媒介にもつことによって社会連繋的な様相を色濃くもつにいたる。したがって、克たるべき私とは、道徳的とともに社会的かつ政治的側面を強くもつことになる。
 しかし、戴震はそのような理解を「克己復礼」解で展開している訳ではない。無自覚であったとするのがより正確である。再び戴震の「克己復礼」解を見ると、「克己」の逐語解釈を捨象してしまっていることが分かる。「以己対天下言也」をテーマとする戴震の解釈は「克」という動詞に対して強い違和感をもっている。この解釈されない「克己」のその解の欠如にこそ実はもっともよく戴震の解釈の新しさが提示されている。この新しさは戴震の方法論と不可分の関係にある。

戴震の思想

戴震にとっての「理」は、万人普遍の「日用飲食」を事実的条理であり、万人に共有されうる客観的規範性をもたねばならない。「一人が然りとする」経典の理義は誰が訓解しても「同じく然りとするところ」でなければならない。ここに理義が訓詁によらねばならないとされる方法論が必須とされる戴震の新しさがある。戴震における考証学的方法論は存人欲的天理と不可分なものであり、それが持敬静坐を方法論にもつ宋学的天理を根底から否定しうる方法論でもあった。したがって、戴震の考証学における主観的側面、つまり一訓を守ろうとして守れていない破綻は、いわゆる近代的な客観的実証主義の未熟さによる主観性としてマイナスに評価されるべきものではなく、客観的であろうとする主観的意図の新しさにおいてプラスに評価されるべきものとなろう。

 

【議論】

朱熹自身が「欲」そのものを否定していたのか→清代の朱子理解に対する反対。
荀子老荘を否定したという点では汪中とは異なる。
・偶然にもカントと同年に生まれている。(1724年)
・不仁がまぜ生れどのようにそれを解決するべきなのかについて戴震は答えていない。
・結局、戴震の学問は考証学にすぎない→確かに顧炎武・黄宗羲のような社会理論はない。
・考証學による朱子学批判、考証学朱子学の調停と見ることができるのではないか→戴震は朱子学の完成者?
・自然な欲の自然とは→他者との関わりの中で調整→朱子との違いは?→朱子の欲は自己完結的であったのに対して、戴震は欲を社会的相関の中で調整しようとしたのではないだろうか。