達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

章学誠と王應麟

 前回まで、王應麟『困学紀聞』について紹介してきました。清朝考証学の先駆け的著作とされる本著ですから、逆に、考証学的な風気に一言物申したい学者からは、よくやり玉に挙げられる本でもあります。というわけで、今回は、章学誠の王應麟評を観ていくことにしましょう。

 章学誠による王應麟への言及は、『文史通義』の博約中でなされています。「博約」篇は上・中・下に分かれており、その主旨は、学問は「博」と「約」を尊ぶ、つまり「博識」であることと「集約」することを兼ね備えなければならない、ということです。

 以下、日本語訳は、『文史通義』の訳注を利用させていただきました(Kyoto University Research Information Repository: 『文史通義』內篇二譯注(1)、p.300-304)。

 或曰:……王伯厚氏搜羅摘抉,窮幽極微,其於經傳子史,名物制數,貫串旁騖,實能討先儒所未備。其所纂輯諸書,至今學者資衣被焉,豈可以待問之學而忽之哉。

 あるひとが言う、「……王應麟氏は文献を網羅的に捜索して(文章を)拾い上げ、微細なところまできわめつくし、経伝子史において、名物・制度についてあらゆる方向から(資料を)求めることを徹底しており、まことに先儒がこれまで備えていなかったものを検討している。その編纂したところの諸書は、今に至るまで学者を裨益している。どうして待問の学であるという理由で軽んじてよいのであろうか」と。

 「待問の学」とは、「(知識を蓄えて)問いかけられることを待つ」こと。『禮記』儒行に「儒有席上之珍以待聘,夙夜強學以待問,懷忠信以待舉,力行以待取,其自立有如此者」とあります。

 章学誠は、問いかけられることを待つだけの学問ではなく、こちらから訴えかけていく学問をするべきだ、と考えています。そしてそのためには「博」と「約」が必要である、という話の流れです。

 以下、王應麟の評価をする部分を抜き出しておきます。

 答曰:王伯厚氏,蓋因名而求實者也。……王氏因待問而求學,既知學,則超乎待問矣。然王氏諸書,謂之纂輯可也;謂之著述則不可也;謂之學者求知之功力可也,謂之成家之學術,則未可也。今之博雅君子,疲精勞神於經傳子史,而終身無得於學者,正坐宗仰王氏,而悞執求知之功力,以爲學即在是爾。學與功力,實相似而不同。學不可以驟幾,人當致攻乎功力則可耳。指功力以謂學,是猶指秫黍以謂酒也。

 答えて言う。王伯厚氏は名によって実をもとめたのであろう。……王氏は待問によって学を求めたが、すでに学を知ったことによって待問を超越したのである。しかし、王氏の諸書は編纂物とはいえるが、著述ということはできない。これを学者が知識を求めるための努力と言うことはできるが、一家の学問とはまだいえない。今日の博雅の君子で経伝子史に精神をすり減らし、ついには一生かけても学を得ることがないのは、まさしく王氏を仰ぎたっとび、知識を得るための努力を手に取って、学問はここにありと誤解しているからだ。学問と工夫は実に似通ってはいるが同じではない。学問とは急いで成果を挙げられるものではないのだから、努力につとめればそれでよいのである。努力のことを指して学問というのは、(原料)のコーリャンやキビのことを酒というようなものである。

 「王氏は待問を超越した」が、「王氏の諸書は編纂物とはいえるが、著述ということはできない」という点には、ちょっとしたねじれを感じますね。「著述」という言葉も、章学誠がこだわりをもって使う用語です。

 章学誠は、王氏その人の学問は認めながらも、彼が残した著作については手厳しい評価を加えています。確かに、『困学紀聞』などはいかにも考証学的な箚記ですから、章学誠の目からは、「博」ではあるものの「約」ではない書物、ということになるのでしょう。

 その評価が正しいかはともかく、章学誠の立場が見やすく表れている部分ですね。

(棋客)