達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

章炳麟と章学誠(4)

 前々回取り上げた末岡宏「章炳麟の経学に関する思想史的考察 : 春秋学を中心として」(『日本中国学会報』43、1991)の注釈の文章のうち、残りの部分を読んでみましょう。

 つまり、章学誠のことを、黄侃が「春秋左氏疑義答問叙」で指摘する、六経を単なる歴史的資料だとする見方をする者だと考えている可能性がある。章学誠自身が六経を単なる歴史的資料と考えていたどうかは別として、そのように章炳麟が誤解していた可能性があるのである。章炳麟の言う「六経は皆史なり」という言葉は、漢書藝文志が国語や史記等の後の史部にあたる書物を経部に入れたことを評価していることでわかるように、六経を単なる歴史的資料として見るのではなく、六経が聖人の教えを保存するという点で重要であると考える点にその力点がある。

 もともと、章学誠と章炳麟の六経皆史説の違いについて、先日紹介した島田虔次『中国革命の先駆者たち』(筑摩書房、1965)では、以下のように記されています。

 章学誠の六経皆史の説は、要するに、六「経」は「事」を記したものであるという考証学、よりふさわしくは文献学、の当然要求するにいたるべき哲学であったといってよい。もちろん章学誠の説は事と道(義)との合一を事の面からとらえたものであって単なる事実主義ではなく、その点でかえって深く考証学の哲学、同時に考証学を超ゆべきことの哲学なのであるが、今や太炎はそれをさらにラジカルにして、ほとんど単なる事実主義の主張に立とうとするのである。(p.245)

 島田氏のこの指摘が正しいとすれば、末岡氏のいう「章炳麟が、章学誠のことを六経を単なる歴史的資料だとする見方をする者だと考えている可能性」は低い、むしろ章炳麟の側こそが事実主義に立っている(そしてその記録としての歴史に民族意識を見出していく)、ということになります。

 ただ、島田氏の議論は、どちらかというと、章学誠と章炳麟のそれぞれの思想・哲学を比較して、大枠として向かう方向の評価をしているわけで、章炳麟自身の言葉から章炳麟の章学誠に対する態度をとらえるものとは少し異なります。(むろん、そちら一辺倒ではなく、章炳麟の言葉の中から、彼の浙東学派への思い入れを読み取ったりしていますが。)

 この点、末岡氏の指摘は、章炳麟の言葉の中から、章学誠の学説をどう見ていたのか考えているわけで、やや問題意識が異なっているように思います。

 

 ここ最近の私の記事は、章炳麟の言葉の中から章学誠に言及するものを探しているので、どちらかというと後者の興味に似ています。ただ、これぞという資料には出会っていません。巨視的に見れば、両者は同じ文脈に乗っているのでしょうし、章炳麟が「六経皆史」という言葉を使う上で、章学誠に全く意識がないとも思いませんが、深い影響を受けたとまで言ってよいのか、よく分からないというのが正直なところです。

(棋客)