達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

劉咸炘の目録学講義(1)

 このブログでは、たびたび劉咸炘という学者の文章を取り上げてきました。

 今日は、劉咸炘『推十書』に収録されている「目録学」という文章の冒頭を紹介してみます。この文章は、1928年に書かれたもので、劉咸炘がそれまでの知見をもとに、学生たちに向けて目録学の講義をしたもののようです。

 劉咸炘は、章学誠の学問を自覚的に引き受けながら、広範な知識を身につけ、膨大な文章を残した学者です。たとえば、章学誠『校讐通義』を踏襲しながら、その誤りを正した『續校讐通義』(初稿1919年、1928年刊)という本を書いていたりもします。

 以下、さっそく文章を見ていきましょう。

  本課名目録學,一名古書校讀法,此二名範圍不同,不能相掩。所謂目録學者,古稱校讐學,以部次書籍為職,而書本真偽及其名目篇卷亦歸考定,古之為此者,意在辨章學術,考鏡源流,與西方所謂批評學者相當,中具原理。至於校勘異本,是正文字,雖亦相連,而為末務。其後任著録者,不能具批評之能,并部次之法亦漸失傳,至宋鄭樵、近世章學誠乃明專家之說,而版本之重始於明末,校勘之精盛於乾嘉,於是目録之中有專重版本之一支焉。要之,目録學者,所以明書之體性與其歷史者也。 

 本課の名は「目録学」といい、また一名を「古書校読法」というが、この二つの呼び名は範囲が異なり、片方がもう片方を覆い尽くすことはできない。いわゆる「目録学」とは、昔は「校讐学」と呼び、書籍の部門を分けることを任とし、書物の真偽やその名目・篇卷などを考定する考定。昔この学問を修める者は、その意図は「辨章学術、考鏡源流(学術を弁別して明らかにし、源と流れを考察する)」にあり、西洋でいう「批評学者」に当たり、学問の原理を備えている。異本を校勘したり、文字を正しくすることは、一連のものではあるが、根本的なものではない。後世に著録を任された者は、批評の能力を備えておらず、分類の方法も徐々に伝えられなくなった。宋の鄭樵、近世の章學誠に至って、ようやく専門家の説が明らかになり、また版本の重視が明末に始まり、校勘が精密に行われることが乾嘉の頃に盛んになり、ここで目録学の中の版本を専らに重んじる流れが生まれた。これらをまとめると、目録学とは、書籍の体例・性質とその歷史を明らかにするためのものである。 

 ここまでは、「目録学」と「古書校読法」の二つの概念を提示し、そのうち前者を説明したものです。

 「辨章学術、考鏡源流」は、目録学を端的に表現した章学誠の言葉です。

  至於古書讀校之法,則謂通其文字,明其意旨,通文字則正譌補脱,必資多本,此關於目録學者也。而亦有不資版本者,其在一字則資於文字學、聲韻學,其在字群則資於文法學、修詞學,皆不在目録學範圍中矣。明意旨則定體達例,必知部次,此關於目録學者也。至於事關考證,則所資者廣,群學分門,各有讀法,普通讀書之法則為格言理論,皆不在目録範圍中矣。 

 古書読校の法とは、文字に通じ、その意図を明らかにすることをいう。文字に通じれば、誤字を正し、脱字を補えるので、必ず多くの版本に有用であり、これは目録学に関わる点である。版本に有用でない点もあるが、ある文字一字について(の考察)は文字学・音韻学に有用で、字の繋がりについて(の考察)は文法学・修辞学に有用である。これらはいずれも目録学の範囲にはないものだ。また、意図を明らかにできれば、体例を知り定めることができるので、必ず部目を知ることができ、これは目録学に関わる点である。考証に関わることであれば、それが有用である範囲は広い。さまざまな学問・分野に、それぞれに読書の方法があるが、一般的な読書の方法は格言や理論を立てるためのものであり、いずれも目録学の範疇にはないものだ。 

 ここは後者の「古書校読法」を説明する一段。

 最後の「普通讀書之法則為格言理論」の意味が取りにくいですが、よくある読書の方法は、たくさん書物を読み、その中から格言や理論を導き出すためのものだ、といった方向で訳してみました。

  由上觀之,目録學固古書校讀法之一,而古書校讀法則不止此,今之所講盡目録學範圍所有,而於古書校讀法之在範圍外者,則惟略及通文字之法焉,以防濫也。

  此學所究,事類殊繁,昔人考輯倶有專書,而總挈綱要之作則尚未有,今之編述似因實創,故揉合專門之書,整齊貫串,略其事證而詳其義例,蓋以此課本為讀書門徑,亦必如是而後為目録之學也。俗間亦有目録學之稱,乃以多記書名為尚,是號横通,僅同老賈,不足為學也。

 以上から見ると、「目録学」はもともと「古書校読法」のうちの一つであるが、古書校読法は目録学にとどまるものではない。今回、講義する対象は、目録学の範囲だけで、古書校読法の範囲の外にある者は、ただ文字に通じる方法に触れるだけにして、混乱を避けた。

 この学問の研究対象は、事例・分類が特に繁多で、考定・輯佚には昔の人の専著があるが、総論・綱要の著作はまだ存在しない。今「編述」と言っているが、実際には創作したものが多く、専門の書物を揉み合わせ、一貫するように整理し、証拠となる事例を略記し、義例を詳しく明らかにした。この教科書を読書の入り口とし、必ずこうした後に、目録の学を修めることができる。世俗にも「目録学」と呼ばれるものがあるが、これらはなんと書名を多く記録することを尊んで、博通であるなどとしているが、これではただ商売人と同じで、学問と呼ぶには足りない。

 一段落目の「今之編述似因實創」のあたりが、よく意味が取れませんでした。仮の訳をつけてあります。

 以上が序文で、ここから二巻に亘って、目録学に関する事柄が色々と書かれています。また余力があれば紹介していきましょう。

 劉咸炘「目録学」は、学生向けに書かれている点など、余嘉錫の『古書通例』『目録学発微』などと一脈通じるところがあります。これらは余嘉錫が1930年代に大学の講義に使っていたものですから、執筆時期も近いですね。劉咸炘と余嘉錫を比較する研究なんかも面白いかもしれません。(※参照:『古書通例』と『目録学発微』 – 学退筆談

 ちなみに、目録学についてのWikipediaの記事を昔執筆しました。こちらもご参照ください。

ja.wikipedia.org

(棋客)