達而録

ある中国古典研究者の備忘録。毎週火曜日更新。

「川上の嘆」について―蜂屋邦夫『中国の水の思想』から

 以前、『論語』の有名な一節「子在川上、曰、逝者如斯夫、不舍晝夜」(子川上に在り、曰く、逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず)の解釈について、このブログでまとめたことがあります。

 要約すると、「川上の嘆」には二種類の解釈があるということを書いています。

 一つ目は悲観的な解釈で、「あらゆるものは移ろい、変化していずれは失われる」という悲しみや儚さを川の流れで表現したものとするものです。鄭玄や『論語義疏』、六朝の詩文、また現代の多くの日本語翻訳はこの解釈を採ります。

 二つ目は(ある意味で)楽観的・積極的な解釈で、川の流れから、本源があってこんこんと流れだす様子を見て取り、そこに君子の在り方や、天地の働きと普遍の法則を見て取るものです。孟子・揚雄・宋学伊藤仁斎などがこの解釈を採ります。

 

 さて、先日、近くの公立図書館の本棚を眺めていたところ、蜂屋邦夫『中国の水の思想』(法藏館、2022)が入っていて、本の冒頭で上の『論語』の一節に触れられていました。そして、『方丈記』と『論語』を対比し、『方丈記』で言われる川と、孔子の想像した雄大な川には相当な隔たりがあるのでは、ということを指摘しています。

 その上で、(上の記事と同様に)『孟子』離婁下を引いて、孟子は「川上の嘆」を、本源のある水の様子から、君子が評判倒れにならぬようにという戒めを導いたものとします。

 加えて蜂谷氏は、『荀子』 宥坐篇の以下の話も引きます。

 孔子觀於東流之水。子貢問於孔子曰:「君子之所以見大水必觀焉者,是何?」孔子曰:「夫水遍與諸生而無為也,似德。其流也埤下,裾拘必循其理,似義,其洸洸乎不淈盡,似道。若有決行之,其應佚若聲響,其赴百仞之谷不懼,似勇。主量必平,似法。盈不求概,似正。淖約微達,似察。以出以入以就鮮絜,似善化。其萬折也必東,似志。是故見大水必觀焉。

 (蜂谷訳)孔子が東に向かって流れる川をじっと眺めているので、弟子の子貢がいぶかしんで、「先生は大河をみればきっと観察なさいますが、どういうわけでしょうか」と訊いた。

 すると孔子は、「そもそも水はあまねく万物を生かしめ、しかも作為がないのは徳に似てる。さらに、下方に向かって流れ、まっすぐであったり曲がったりするが、かならず地の理(筋目)に従うのは義に似ている。滾々と湧き出して尽きないところは道に似ている。万仞の谷に進んで恐れないのは勇に似ている。くぼみに注いで、必ず平らになるのは法に似ている。器に満たすのに概(ならし棒)を必要としないのは正に似ている。弱々しいのにどのような小さなところにも入り込むのは察に似ている。水に出入りすると清らかになるのは善化に似ている。どのように屈曲を重ねても、かならず東流するのは志に似ている。このようなわけで、君子たるものは大河を見れば、かならずよく観察するのだ」と答えた。(p.25)

 蜂谷氏は、この説は水の徳目論の基本となるものだと述べています。

 ほか、『管子』の例なども引いたうえで、蜂谷氏は以下のようにまとめています。

こう見てくれば、孔子の川上の嘆を出発点としてその感慨を孟子がふくらませ、さらに『荀子』をへて、漢代にかけて水の流れを徳目に結びつける考え方が発展してきたことがわかる。こうした水、つまり川は、長明が持ったような感傷を呼び起こすものではなく、人々を元気づけ、行動の規範ともなるものとして認識されている(p.29-30)。

 『方丈記』でいわれる川の描写は、『論語』に影響を受けているといわれますが、少なくとも『孟子』『荀子』で想定されている『論語』の解釈とは異なります。「川上の嘆」は非常に短い文ですが、それが故に、さまざまな受け取られ方をしたようです。

 

 以上、以前のこのブログの記事を補う内容としてぴったりだと思いましたので、紹介しました。合わせて、以下の記事もご参照ください。井筒による儒教解釈をまとめたもので、川上の嘆についても触れられています。

(棋客)

中国学関係の「リサーチ・ナビ」

 小林昌樹『調べる技術: 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス』を読んで、国立国会図書館が「リサーチ・ナビ」という調べ方案内のページを作っていることを知りました。各分野の調べごとについて、最初の一歩の調べ方をまとめた便利なページです。

 ざっくりしたものしかないのかと思いきや、さすがにレファレンスのプロである司書さんの作ったものだけあって、痒いところに手が届く、優れた調べ方の案内になっています。ここ最近どんどん更新されていて、今後ますます充実していくものと思われます。

 このうち、「アジア情報の調べ方案内」には、中国古典に関する調べ事をしたいときにも役立ちそうなページがいくつかあるので、まとめておきます。(これらも今後おそらくもっと増えていくのではないかと思います。)

ndlsearch.ndl.go.jp

 ほか、新聞・特許などの調べ方なども書いてあります。大学にいなければ使えないサービスばかりといったこともないので、多くの方の調べ物のヒントになると思います。ぜひ活用してください。

(棋客)

Diffの記事を書きました

 Diffの記事を書いたのでお知らせしておきます。

diff.wikimedia.org

 Diffとは、WikimediaWikipediaを含む)に関連する記事を掲載するメディアです。

 私はWikipediaの編集に継続的に取り組んでおり、Wikipedia関係の記事はDiffにアップしていこうと思います。今回は、最近編集したWikipedia記事について、考えたことを(かなり真面目に)書きました。

 記事で触れたWikipediaのリンクと書籍を一覧にしておきます。

 今後も、Diff記事を更新した際にはここでお知らせするので、ぜひお読みください。

(棋客)

光本順「クィア考古学の可能性」

 光本順「クィア考古学の可能性」(『論叢クィア』第2号、2009)を読みました。一つの学問の指針を知ることができるよい論文でした。簡単にまとめておきます。

 「クィア考古学」とは耳慣れない言葉かもしれませんが、第三波フェミニズムを受けてフェミニストジェンダー考古学が生まれた後に、更にその不徹底な部分を再考・解体するために生まれたものだそうです。大きな方針は以下です。

  1. 異性愛という強制への対抗
  2. 異性愛規範・男性中心主義を導く)規範的な考古学的実践への対抗
  3. しかし、これは過去の社会に「同性愛者」や「クィア」を探し求めることが目的ではない。

 ③が危うい研究で慎むべき行為だということは、杉浦鈴「クィアな死者に会いに行く:前近代のジェンダーセクシュアリティを問うための作法」(『療法としての歴史〈知〉:いまを診る』方法論懇話会編, 森話社, 2020)も参照してください。

 また、『World Archeology』のクィア考古学の特集号は、以下のような構成になっていたそうです。

  1. 総論
  2. 語り・フォビック分析
    :現在の考古学への異義
  3. 理論的研究
    :従来のジェンダー考古学への批判
  4. 考古資料に見る同性愛者
    異性愛規範的解釈に対するクィア批評の挑戦として。例えば、従来、「抱き合っている双子の兄弟」と解釈されていた壁画が、異性愛規範に引きずられた解釈であることを明らかにする。
  5. 遺跡の利活用
    ストーンヘンジなどを聖地とするドルイト教信者と、考古学者・遺跡管理者の緊張関係について報告する。
  6. クィア・サイエンス

 特に⑤は、研究倫理や研究者による研究対象の搾取の問題とも結びつくような気がします。琉球アイヌ民族の遺骨返還問題などとも同じ文脈にあるようにも思います。

 さて、光本さんは、日本考古学の学問構造を、ホモソーシャル概念を用いて分析・批判するということをなされています。具体例として、埴輪の分析について、「埴輪の特定の属性に着目する」→「男女の二区分で判定する」というのが過去の方法であったのに対し、「埴輪の個体間の属性の共有関係を見る」→「個体のジェンダー化のメカニズムを明らかにする」という方法で分析を行ったそうです。規範に寄りかからない分析の仕方を志向するわけです。

 まとめとして、クィア考古学は、「非異性愛の付加」ではなく、「規範化された考古学の諸相の再考」に焦点が当てられている、と述べられています。

(棋客)

2024年になりました

 いつの間にやら「2024年」になりました。びっくりです。

 去年の記事を見返していましたが、中国古典関連の記事はなんと半分以下で、自分の興味関心の移り変わりを見ることができて面白いですね。テーマを限定してブログを続けるのは私には難しそうですので、今後もこんな感じで書きたいことを書いていきます。

 今年の目標は、なんといっても博論の提出ですね。あと息抜きにWikipedia編集も続けて行きたいです。

 忙しくなりそうなので、ブログの週一回の更新が続くかは微妙なところですが、肩肘張らずにやっていきたいと思います。

(棋客)