達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

溝口雄三『方法としての中国』の読書案内(2)

 前回に引き続き、今日も、溝口雄三『方法としての中国』(東京大学出版会、1989)の内容を紹介します。今回は第十章「ある反「洋務」―劉錫鴻の場合」を取り上げます。

 劉錫鴻とは、字雲生、広東省の番偶県の人。清代の光緒の初め、初代駐英国大使の郭高森ともに、駐英副大使としてロンドンに着任した人物です。彼は、駐英時期に『英軺日記』と『英軺私記』という滞在日記を記しています。これは、当時の中国人が西洋社会をどのように見ていたのか、西洋社会のファーストインパクトはどのようなものであったのか、ということが如実に分かる資料で、非常に興味深い内容となっています。

 溝口先生が彼の滞在中のエピソードを紹介しているところがあるので、その部分を掲げておきます。

 まず、公園を見た感想。

 例えばハイドパークでベンチに憩う市民を見ると、それは人々がビルのなかに居住していて「呼吸が天と通う処が無く」気鬱から病気になるのを慮(おそ)れて、「国主」が特にこの公園を開き「民人に間暇に散歩舒懐させ其の気を暢ばさせよう」との「育民」重視の政策によるものだ、と見る。

 次に、道路工事の人を見た感想。

 道路工事人を見れば、「失業した貧民に街を乞食させず、養済院を設けてこれに居らせ、日々食事を給し、道路橋梁の工事作業に就労させる。故に人は、労をいとい安逸につけば自ら貧賤に困苦すると知り、奮発して工商を事としないものはない」とその背後に福祉・勤労政策ありと見、なおここでは特に「国が富を致すことも亦た此れに由る」と評記している。

 次に、技術の奨励政策について。

 「英人製造の巧」にはその背後にパテント認可など、官の処理よろしきによって「人人に利を帰せしめるため、みなが考案を楽(ねが)う」といった奨励政策があるとし、ある人士があみだした砲術上の新法を官が盗用していたそれを告訴した結果、国王が賠償を命ぜられた実例をあげ、「人に、一芸の技さえあれば、たとい朝廷の尊権を以てしてもそれを抑圧することはできない。だから人はどうして勉励しないでいられよう」とその施策の公平さを特記する。

 次に、林則徐の像を発見した感想。

 蝋人形館に行って、そこに林則徐の像を見れば、英人を「窘(くる)しめ」たにもかかわらぬこうした重んじられぶりは、その「忠正勇毅」が尊敬されるからだと考え、ギロチン人形を見れば英国の刑律に思いをはしらせ、謀殺者・反逆者が死刑になる以外は「鞭撻の刑はただ兇悪者のみに施され」、他は「民命を重いものとみなして懲誡は寛容を旨とする」と、刑政の厳正さと寛大さをたたえる。

 最後に、新聞社の印刷機を見た感想。

 ロンドンタイムス社を訪ねて、日に二八万部が印刷機によって一〇人たらずで刷り上げられ、一日の売上高も洋銀四千三百余元にのぼると知ると、なぜ人力で一日一人一〇〇部ずつとして、二八〇〇人の印刷工を就労させ、彼らに均しく一元半余の日給にありつく機会を分かち与え、その扶養家族を平均八人として計二万二千余人の生活をここに託させてやらないのか、なぜわざわざ機器を用いてこの万余の口食を奪うのか、とおよそ経営者の考えも及ばぬ質問をする。そして結局、問題は英国の産業の活力と民富の豊かさにあると知ると、「一事の利によって数万人を養育する」のはかえって彼らを「粗賤の仕事に安住させ……有用の心力を荒廃させ生命力の根源を閉塞させる」ことになる、その点、英人は立業に積極的で研究心も旺盛で皆が技芸を競いあう、それというのも男女とも幼時に入学して読書・天文・輿図・算法などを講じ、「皆能く智力を輝弱して一芸に就く」ように躾けられているからだと、その基礎教育の充実に思いを致す。(p.278-280)

 以上のエピソードから、現代の我々から見ると彼が非常に独特な視点から西洋社会を見ていることに気が付くのではないでしょうか。当時の東洋人が、西洋の先進的な機械文明や科学技術に驚くところは容易に想像がつくのですが、西洋の社会構造や労働環境をどう捉えていたのか、というのは具体例を見ないと分からないところです。

 例えば、最後のエピソードの背後に、広く大衆に仕事を与えなければ治安が悪化する、という彼自身の政治経験があることにすぐに気が付きます。つまり、仕事を効率よく少人数で終わらせることは、仕事に従事できない失業者が増えてしまうため、最初は良い手段とは思えなかった、ということです。

 溝口氏は以下のように総括しています。

 一事が万事、といって過言ではないほど、彼は見るもののすべてにそれがそうであるゆえん、すなわち西洋文明興隆の「根艇」としての政教と民生、西洋の「道」の実態を追究せずにはいられない。

 こうして見てくると、これまであげてきた彼の見えかた、見かたのなかにわれわれが暗に感じてきた英国への讃美にも似た―ハイドパークや道路工事人の例など思いすごしといってよいほどの善意の解釈―あるいは西洋かぶれの病症にも似た記述ぶりは、じつはお上りさんの安直な讃辞などではなく、そのすぐ裏側に、彼にとってはおそらく心の痛みなしにはいられない中国の実状が見え隠れしていたであろうことに思い至る。つまり、彼におけるユニバーサリズムというのは、単に東西文明を一つの普遍の地平から見るとか、政教・民生を第一義とするところに天下的普遍を見るとかいったキレイ事ではさらさらなく、まさにそのユニバーサルな普遍において、英国の優と中国の劣とを思い知らされずにはいられない苦渋の業だったはずなのである。(p.280)

 以上の部分は本章のメインパートではなく、ここから劉錫鴻にとっての「洋務」がいかなるものであったのか、彼の具体的な提案に対する考察を通して解明するというのが本題です。

 溝口氏は、本書を通して、「洋務―変法―革命」という単純な段階論の枠組みで中国の近代化を語ることに対して批判を浴びせています。ここで取り上げられる劉錫鴻も、過去イメージされてきたステレオタイプな「洋務派」の枠にははまらない人物の一例となっているわけです。

 興味を持たれた方は、是非読んでみてください。

(棋客)