達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

「嘯」について―齋藤希史『漢文スタイル』より

 今回と次回は、齋藤希史『漢文スタイル』(羽鳥書店、2010)の第七章「花に嘯く」に導かれながら、「嘯」そして「長嘯」という言葉について考えてみます。以下は、斎藤氏の本のp.220~225の要約になっています。

 

 まず、本章のタイトルになっている「花に嘯く」という言葉は、どういう意味でしょうか?

 現代日本で「嘯く(うそぶく)」というと、「そらとぼけて平然として言う」などという意味で使われる場合が多いですが、「うそぶく」というのはもともとは「口をすぼめて息を出す」(口笛を吹く、作り声をする)という意味でした。

 では「花に嘯く」は「花を見ながら口笛を吹く」という意味かというと、そうではありません。「うそぶく」には「詩歌を吟じる」という意味もあり、「花に嘯く」という場合は「花を賞(め)でつつ吟詠する」という意味を表します。

 

 ここで「うそぶく」という和語を離れ、「嘯」という漢字の中国での意味を調べてみると、①「原義は口をすぼめて息を出すこと」で、②「魏晋以降、ふしを付けて詩歌を吟じる意味にも用いられる」ことが分かります。

 こうして並べると、「嘯」は日本の「うそぶく」と全く同じように見えますが、実は大きな相違があります。中国の場合は、②の意味で用いる場合にも①の意味が忘れられず、「響きのある独特の音声をともな」って詩歌を吟じる意味に用いられるのです。

 例えば、日本においては、「嘯風弄月」(風月を楽しんで詠う)という言葉がありますが、これは中国では「吟風弄月」「潮風弄月」としか用いません。つまり、日本と中国で以下のような相違があるわけです。

  • 日本:「嘯く」=「吟じる」、詩歌を吟じること。
  • 中国:「嘯」の「響きのある独特の音声を出す」というニュアンスが強く残り、「嘯」と「吟」は同じではない。

 つまり、もともと「嘯」という字には強い独特のニュアンスがあるのであって、漢語の「嘯」という字を読解する際には、常にこのことを念頭に置かなければならないわけです。ここから斎藤氏は文献を遡り、その独特の意味の由来を説明します。

 『楚辞』招魂に以下のようにあります。

 招具該備、永呼些。
 魂兮歸來、反故居些。

 この「嘯」について、王逸は「長嘯大呼して以って君を招(よ)ぶなり」と言っています。ここで「嘯」は、神霊を招くための特別な発声を表す言葉です。

 ここから「嘯」は遠くに響く澄んだ音を表し、魏晋になるとその音調の美しさを楽しむものとして「嘯」が用いられるようになります。その代表例が阮籍の「長嘯」の逸話です。

世説新語』棲逸

 籍登嶺就之,箕踞相對。籍商略終古,上陳黃農玄寂之道,下考三代盛德之美,以問之,仡然不應。復敘有為之教,棲神導氣之術以觀之,彼猶如前,凝矚不轉。籍因對之長嘯。良久,乃笑曰:「可更作。」籍復嘯。意盡,退,還半嶺許,聞上【口+酋】然有聲,如數部鼓吹,林谷傳響。顧看,迺向人嘯也。

 阮籍が蘇門山の仙人を訪ね、黄帝・神農の玄妙の道から夏・殷・周の盛徳の事跡までを論じた。仙人は何とも答えない。さらに人為を超えた仙術について述べても、目を凝らしたまま動かない。そこで、仙人に向かって長嘯すると、しばらくして、もう一度やってみろ、と笑う。再び嘯き、阮籍はそれで気が済んで山を下りたが、半ばまで来たところで、鼓笛の偏楽のような音が林や谷に響き渡った。振り返ると、かの人がいているのであった。(p.223の斎藤氏の訳)

 斎藤氏はこれを、仙人との邂逅によって、世俗の言語を超えた究極のコミュニカシオンを体得する話と説明しています。

 ちなみに、斎藤氏の議論は、青木正兒『中華名物考』(東洋文庫)収録の「「嘯」の歴史と意義の変遷」に基づいていますが、青木氏は「嘯」の意味の変遷を以下のように説明しています。

 以上は「嘯」の本義についてその沿革を考察したのであるが、その転義を考えてみると、その使用が魏晋以後と依然とでは一大相違があるように思われる。すなわちそれ以前においては悲声を意味し、以後においては超世高蹈的気持を含んでいるようである。……魏晋間に至って、嘯が神仙家道家的臭気を帯びてきており、したがって「嘯」という言葉にもそうした気持が加わってきた。そして嘯は元来口笛を吹くことだったが、転じて歌を唱うことを意味した。 また口笛を吹かず歌を唱わなくても、神仙家や道家が浮世の外に超然として、嘯いているのと同じ気持になることをも意味するようになった。(青木正兒『中華名物考』平凡社東洋文庫、1988、p.273-274)

 つまり、こうした超世高蹈的な気持ち、隠逸に向かう者の行為の象徴として「嘯」が用いられるようになるわけです。斎藤氏は、その例として有名な陶淵明の「帰去来辞」の最後を挙げています。

陶淵明「歸去來兮辭」

 登東臯以舒、臨清流而賦詩。
 聊乗化以歸盡、樂夫天命復奚疑。

 そして、先ほどの阮籍の例から分かるように、「長嘯」と言った場合は、隠逸行為の象徴というニュアンスがより強く出るようです。斎藤氏は、王維の例を挙げています。

王維 「竹里館」

 獨坐幽篁裏、彈琴復長嘯
 深林人不知、明月來相照。

 斎藤氏はここから、中島敦山月記』の最後の詩についての議論に移ります。その話はまた次回に。

(棋客)