達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

「長嘯」とは?―中島敦『山月記』の漢詩の意味

 今回は、齋藤希史『漢文スタイル』(羽鳥書店、2010)の第七章「花に嘯く」に導かれながら、「長嘯」という言葉と中島敦山月記』の漢詩について考えてみます。

 前回、「嘯」と「長嘯」の意味について、斎藤本と青木正兒「「嘯」の歴史と意義の変遷」(『中華名物考』収録)をもとに整理いたしました。詳しくは前回の記事を読んでいただくとして、重要なのは「長嘯」が「隠逸に向かう者の行為」として認識されていたということです。

 

 さて、誰もが知っている中島敦『山月記』のクライマックス、虎と化した李徴が旧友に向かって詩を書きとらせるのが以下の一節です(青空文庫より、強調はブログ筆者による)。

 さうだ。お笑ひ草ついでに、今の懷(おもひ)を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きてゐるしるしに。
 袁傪は又下吏に命じて之を書きとらせた。その詩に言ふ。

 偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
 今日爪牙誰敢敵 當時声跡共相高
 我為異物蓬茅下 君已乘軺氣勢豪
 此夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷

 時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋く、樹間を渡る冷風は既に曉の近きを告げてゐた。人々は最早、事の奇異を忘れ、肅然として、この詩人の薄倖を嘆じた。

 ご覧の通り、ここに「長嘯」という言葉が出てくるのです。では、これまで李陵の詩の「長嘯」は、どのような意味で解されてきたのでしょうか。

 以下、齋藤希史氏の行論を順番に見ていきます(p.225~、強調はブログ筆者による)。

 この詩は『山月記』が拠った唐の伝奇「人虎伝」に挿入されているものをそのまま用いているが、もとの伝奇における以上に、小説において重要な役割を果たしている。タイトルの『山月記』が尾聯に象徴されていることも、しばしば指摘されるところだ。

 ところが、国語の教科書や文庫本がこの詩につけた訳や注を見ると、がっかりする。「あなたに再会した今宵、この山あいで明月を仰ぎながら、わたしは威勢よく吠えたけることもできず、ただうめき声をもらすだけである」、「最後のくだりは、りっぱな詩歌を吟じることもできず、うめき声のような詩句しか出てこない、という比喩であろう」(岩波文庫)、「(旧友と再会した)今夜、渓や山を照らす名月にむかって(この苦しみを訴えようと)声をあげて詩を吟じようとしても、人ならぬ獣の身としては、口から洩れるのはただぶざまな吠え声だけである」(新潮文庫)。さすがに「名月」はひどいが、そうでなくとも、近代文学的に理解するというのがこういうことなら、小説にこの詩が訓読も付されず置かれている意味が消えてしまうように思う。問題文中に設問の答えは必ず書かれていると叩きこまれた受験生よろしく、詩で名を成さんとして果たせなかった李徴という小説の設定だけに頼って、「りっぱな詩歌を吟じる」とか「苦しみを訴えようと」とか解釈するのは、どうかと思うのである。

 過去の日本の教科書や文庫本では、「長嘯」は「詩歌を吟じる」や「(苦しみを訴えて)吠える」の意味であるとされてきたようです。

 ここまで読むと、前回、齋藤氏が「嘯く」という言葉の日本・中国での意味の相違から話を始めたことに合点がいきます。「長嘯」を「詩歌を吟じる」の意味で読むのは、あくまで日本語の「嘯く」から連想された意味であって、中国で用いられてきた「長嘯」という語の本来の意味ではありません。

 齋藤氏は、一般書だけではなく専門書でも同じ誤解がされていると述べています。そもそも、この漢詩に対する読解自体がいま一つ進んでいないようです。

 率直に言えば、『山月記』を扱った専門の文章を見ても、このいらだちはぬぐえない。新版の『中島敦全集』別巻(筑摩書房、二〇〇二)には駒田信二「「山月記」の詩について」が採られているが、「つまらん詩だものね」として内容に及ぶことはない。『山月記』についての論文を集めて一冊とした『中島敦山月記』作品論集』(クレス出版、二〇〇一)を播いても、詩のおかれた人脈を解き明かそうとしたものはない。進藤純孝『山月記の叫び』(六興出版、一九九二)は、詩、とくに尾聯にこだわる論を展開して貴重だが、「「長嘯を成さず」と言ったのは、人間の喜怒哀楽を込めた歌を思わせる吠え方はせぬと意を決したからです」(二〇〇頁)と結論に至るのを見ると、「こっちには中国古典について詳しく調べる能力も気力もない」(五三頁)とあらかじめ宣言されてはいても、やはり、どうかと思ってしまう。

 試しに、ここで斎藤氏が言及している中島敦山月記』作品論集』を読んでみましたが、確かに漢詩について専門的に考察するものはありません。私の印象ですが、この本に載せられた研究では、全体的に「山月記」と「人虎伝」の相違に注目してそこに中島敦の創意工夫を見て取る研究が多いため、「人虎伝」からそのまま用いられている漢詩部分はあまり研究されていない、というところでしょうか。

 しかし、「人虎伝を改変したところ」が重要であるのと同じぐらい、「人虎伝をそのまま残したところ」も重要です。なぜなら、どちらも中島敦の選択であることには変わりがないからです。もっと言えば、中島敦がもとの漢詩を書き下し文にしたり日本語訳にしたりせず、漢文の白文のままにこの詩を示したことの意図を考えてやるべきでしょう。この詩はあくまで「漢詩」として読解すべきものとして、中島敦は示しているのです。

 さて、斎藤氏の行論に戻りましょう。

 阮籍陶淵明も王維も、なじみの詩人である。『文選』には成公綏の「嘯賦」がある。唐詩の中では、李白もまた、謫仙人の称にふさわしく、「長嘯」の用例が詩に少なくない。「秋浦の白笴陂に遊ぶ詩」其の二に「白笴夜長嘯、爽然渓谷寒」とあるのは一例、蘇軾が「後赤壁賦」で「劃然長嘯、草木震動、山鳴谷応、風起水涌」と詠うのも、そうした傲世の文脈を受けてのことである。中島敦については、何かにつけてその漢学的教養が強調されるのだが、素養なるものをブラックボックスのように扱って、折りたたまれた襞の豊かさに及ぶことがないのなら、かえって目が曇りはしないか。

 「中島敦は漢文の素養があった」という話自体は繰り返し強調されてきたことなのですが、その一言だけで済まし、その内実や作品への反映を追うことがないのなら、中島敦の作品を理解したとは言えないのではないか、ということです。

 前回紹介したように、阮籍陶淵明・王維はいずれも「長嘯」の語を詩に用いた詩人です。李白はざっと調べると「長嘯」を用いた詩が十例以上見つかります。他にも様々な用例があり、「漢文的素養」のある中島敦であれば、当然知っていたことでしょう。

 さらに、これは橋本正志「中島敦漢詩--〈家学〉の衰頽と〈不遇意識〉のかたち」(『論究日本文学』91、2009)を眺めていてふと気が付いたことですが、中島敦の「和歌でない歌」という作品に、阮籍陶淵明・王維・李白を題材に採る部分があります。

 ある時は淵明が如疑はずかの天命を信ぜんとせし(中略)
 ある時は李白の如く醉ひ醉ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
 ある時は王維をまねび寂として幽篁の裏にひとりあらなむ(中略)
 ある時は阮籍がごと白眼に人を睨みて琴を彈ぜむ

 しかも、陶淵明の「疑はずかの天命を信ぜんとせし」は、前回紹介した陶淵明の詩がもとになっています。

陶淵明「歸去來兮辭」

 登東臯以舒、臨清流而賦詩。
 聊乗化以歸盡、樂夫天命復奚疑

 さらに、王維の「幽篁の裏にひとりあらなむ」も同様です。

王維 「竹里館」

 獨坐幽篁裏、彈琴復長嘯
 深林人不知、明月來相照。

 この二つの詩が「嘯」に絡んでいるのは偶然かもしれませんが、阮籍の「白眼」や「彈琴」、李白の「醉」など、いずれも「隠逸」を象徴する人物とキーワードがここに挙げられていることは間違いありません。ここから、中島敦の「隠逸」へのこだわりといったことを考えてみても面白そうですね。

 何はともあれ、『山月記』に引用される漢詩に出てくる「長嘯」という言葉を、こうした文脈の上から理解しなければならないことは確実です。

 齋藤氏は、以下のように文章を結んでいます。

 中島敦の遺した小説が古今東西を往還していることは言を俟たない。漢籍のみが特権的に振る舞える世界ではない。しかし同時に、あくまで近代小説として書かれているからこそ、相対化された漢文脈との交錯が新たに生み出すものもあろう。

 猿嘯や虎嘯の語があるように、山野に響く動物の声も嘯とされた。嘯嘷という語もある。それゆえ、虎になった李徴が「長嘯を成さず但だ嘷を成す」と嘆けば、かえって人としての「嘯」を希求することが浮き彫りになる。人境を離れた渓山を月が照らす今宵は塵外の嘯きに格好の舞台、されどあさましき獣の身では、それすらも吠え声にしかならぬのだ。

 長嘯は、世外に立つ者としての行為だが、世に忘れられるということではない。人でなくなるということでもない。隠逸というポジションは、隠れていることを示すという絶妙なバランスの上に成り立っていて、世外にあることを確認するための「嘯」も、遠く世に聞こえてこそ意味がある。しかし、世外に立たんとして、李徴はついに人外の異物となった。

 嘯と嘷はじつに紙一重、花に嘯いているうちに、冥界の鬼を呼び出してしまうくらいならまだしも、自ら異物となってしまっては、もう戻ることはできない。ご用心あれ。

 齋藤希史『漢文スタイル』は、鮮やかな語り口で漢文脈の豊饒な世界を描いており、読んでいてとても楽しい本です。このような面白いエッセイが並んでおりますので、みなさまぜひ手に取ってご覧ください。

(棋客)