達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

『孝經述義』廣至德章について(1)

 『孝経』の様々な注釈を読み比べていると、色々と面白い発見があるものです。むろん、それはどんな経書であっても同じなのですが、『孝経』の場合は全体量が少ないですから、手軽に取り組めるという利点(?)があります。

 今回は、劉炫の『孝經述義』の廣至德章を見ていきます。まず、経文と偽孔伝を掲げておきます。廣至德章は、今文では第十三章に当たりますが、古文では第十六章に当たります。

教以孝所以敬天下之爲人父者也
〔孔伝〕所謂「敬其父則子悦」也。以孝道敎、卽是敬天下之爲人父者也。

教以弟所以敬天下之爲人兄者也
〔孔伝〕所謂「敬其兄則弟悦」也。以弟道敎、卽是敬天下之爲人兄者也。

教以臣所以敬天下之爲人君者也
〔孔伝〕所謂「敬其君則臣悦」也。以臣道教、卽是敬天下之爲人君者也。古之帝王父事三老、兄事五更、君事皇尸、所以示子弟臣人之道也。及其養國老、則天子袒而割牲、執醬而饋之、執爵而酳之、盡忠敬於其所尊、以大化天下焉。皇、君也。事尸者謂祭。之像者也。尸卽所祭之象、故臣子致其尊嚴也。三老者、國之舊德、賢俊而老、所從問道誼故、有三人焉。五更者、國之臣、更習古事、博物多識、所從諮道訓故、有五人焉也。

 最後の孔伝は長文に亘る上、途中から経文の説明を離れ、三老・五更の説明が主になっています。『孝経』孔伝は経文に即した訓詁が比較的多いので、ここはちょっと珍しいところでしょうか。

 では、この孔伝に対する『孝経述議』の解説を見ていきましょう。字句は、林秀一先生の復元本を用いていますが、私のタイプミスがあるかもしれません。

〔孝経述議〕

 議曰、此章申明上章之義、故傳於三者皆言「所謂」、引上章以解此、明此言為上章發也。「教以臣」不言「教以忠」者、「忠」謂盡其忠心、「以臣」謂臣服上命。禮記稱「朝觀所以教諸侯之臣」、「臣」亦事人之稱、故云「教以臣」也。

 議曰、①この章は前の章の義を明らかにしているので、孔傳では三者に対していずれも「所謂」といい、前の章を引用してこれを解し、この言葉が上章のために発されたものだと明らかにする。②「教以臣」が「教以忠」と言わないのは、「忠」は自らの忠の心を尽くすことを指し、「以臣」は家臣が君主の命令に服従することを指す。『禮記』祭義では「朝觀所以教諸侯之臣(朝觀し、それによって諸侯が「臣」たることを教える)」と称するから、「臣」もまた人に仕えることの言い方で、よって「教以臣」というのだ。

 ①孔伝で所謂の語を用いて「敬其父則子悦」「敬其兄則弟悦」「敬其君則臣悦」と言っていますが、これは前の章に出てくる言葉で、孔伝は前の章の経文と対応させてここの経文を理解したわけです。

 ②士章に「故以孝事君則忠、以敬事長則順」とあるなど、君主に仕えることは「忠」という語によって表すこともあるのに、ここで「臣」という語を使うのは何故か、という問いに対する答えです。

 經唯三云「教以」而以教之事不明、雖知經典群言、皆是教此三事、而文緩意遠、無多指斥。傳舉王者之屈己範物尤章著者、以此經居三事之末、故於此總說之焉。

 經文ではただ三回「教以」というだけで、教えの具体的な内容は明らかでない。經典の様々な言葉がいずれもこの三事を教えていることは分かるのだが、その文意はとらえがたく、多く指し示して書かれているわけではない。孔傳は、王者が自分を卑下し人に模範を示すことが最も明らかであるものについて、この經文が三事の末尾にあることから、ここでこれについて総論するのである。

 先ほど、ここの孔伝がちょっと変わっている旨を述べましたが、それは劉炫も承知していて、ではなぜここで総論めいたことが述べられているのか、解説したわけです。

 以下、孔伝の内容に入っていきます。

 樂記曰「食三老五更於大學、天子袒而割牲、執醬而饋、執爵而酳、所以教諸侯之弟也」、是「古之帝王父事三老、兄事五更」也。

 『礼記』樂記に「三老・五更を大學で饗応し、天子は自ら袒(上衣を脱ぐこと)して犠牲に刀を入れ、醬(調味料)をつけて献上し、コップを渡して食後の酒を献上し、それによって諸侯が「弟」たることを教える」とあるのが、孔伝のいう「古の帝王は父として三老に仕え、兄として五更に仕える」である。

 詩小雅楚茨之篇、陳王者祭祀之禮、云「皇尸載起」、是「君事皇尸」也。

 『詩』小雅・楚茨篇に、王者の祭祀の禮を列挙し、「皇尸載起(先王の尸が立ち上がる)」というが、これが孔伝の「君主のように先王の尸に仕える」である。

 ここは、孔伝の根拠を他の経文から持ってくるところです。「君主のように先王の尸に仕える」とは、「天子が、死んだ先主の尸に対して、それが君主であるかのように(つまり自分が臣であるかのように)仕える」ということです。尸とは、祭祀の際に、祀る対象となる死者の代わりに置く人、いわゆる形代(カタシロ)のことです。

 さて、このあたりの『孝経述議』の原文を『五経正義』風に書くと、以下のようになるのではないでしょうか。

  • 云「古之帝王父事三老、兄事五更」者、樂記曰「食三老五更於大學、天子袒而割牲、執醬而饋、執爵而酳、所以教諸侯之弟也」、是「古之帝王父事三老、兄事五更」也。
  • 云「君事皇尸」者、詩小雅楚茨之篇、陳王者祭祀之禮、云「皇尸載起」、故云「君事皇尸」也。

 くどい書き方ですが、以下の注釈が長文に亘る場合など、このように最初に解釈の対象を示している方が親切ではあります。義疏の流れで言うと、『孝経述議』は比較的原資料の状態(劉炫の講義から作られた注釈集)に近く、『五経正義』はこういった義疏資料をもとにしながら、より整形されたものであることが何となく分かります。

 以父兄君之禮事此三人者、所以示天下之民以子弟臣人之道、是之謂「教以孝」「教以弟」「教以臣」也。

 父・兄・君の禮によってこの三人(三老・五更・皇尸)に仕えるのは、それによって天下の民に子・弟・臣としての人の道を示すためであり、これを「教以孝」「教以弟」「教以臣」という。

 樂記止言設食禮以養三老五更耳、不言以父事兄事也。成義說云「天子尊事三老、兄事五更。」應劭漢官云「三老五更、三代所尊也。天子父事三老、兄事五更、親祖割牲、三公設几、九卿正履。」此二者及東觀漢記皆言「父事」「兄事」、則孔氏之前當有書傳云然。

 『礼記』樂記では、ただ饗応の禮を行い三老・五更を養うことしか言わず、「父のように仕える」とか「兄のように仕える」とかは言わない。成義說には「天子は尊んで三老に仕え、兄のように五更に仕える」という。應劭『漢官儀』には「三老・五更は、三代が尊ぶところである。天子は父のように三老に仕え、兄のように五更に仕え、自ら犠牲に刀を入れ、三公が机を置き、九卿は履を正す」という。この二者と『東觀漢記』では、いずれも「父事」「兄事」をいうから、孔氏の前に書伝があってそう言っていたのだろう。

 「父のように仕える」とは、「君事皇尸」の例と同様で、「三老に対して、彼が父であるかのように(自分が子であるかのように)仕える」、の意。兄も同様。

 「成義説」「應劭漢官」「東觀漢記」が並んで出てくるので、最初の「成義説」も何らかの本を指すかと思うのですが、これは何なのでしょうか。よく分かりませんが、劉炫の意図としては、孔伝が「兄のように」とか「父のように」と言っているのは、孔氏の前からそういう説があって、それに従って言っているわけで、無根拠ではないということです。よって最後の「書伝」は普通名詞ですね。

 樂記養三老五更并云教「弟」、此以事三老為教「孝」者、樂記上文云「祀于明堂而民知孝、朝覲然後諸侯知所以臣」、「臣」「孝」之文已具於上、故於三老並云教「弟」。此經之意、言王者以己先人朝覲、乃使諸侯朝己、非天子身有朝事、不得以朝為教臣、故以祭為教臣。既以「事皇尸」為教臣、故以「事三老」為教「孝」、「事五更」為教「弟」。孔傳自顧為義、故與樂記不同。

 『礼記』樂記では、三老・五更を養うことと合わせて「弟」を教えるというが、『孝経』のここでは三老に仕えることを「孝」を教えるとしているのは、樂記は上文で「明堂に祀ることで民は孝を知り、朝覲することで諸侯は臣として仕える方法を知る」と言っていて、「臣」「孝」の文は既に上文に備わっているから、三老(・五更)については「弟」を教えるという。この經の意は、王者は自分の先人に対して朝覲し、諸侯に自分を朝見させるため、天子が自ら朝事を行うわけではないから、朝を「臣」を教えるものとすることはできず、よって祭が「臣」を教えるものとした。「事皇尸」を臣を教えるものとしたのだから、「事三老」は孝を教えるもので、「事五更」は弟を教えるものとなる。孔傳は自ら考えて義を定めたため、樂記と異なっている。

  「言王者以己先人朝覲、乃使諸侯朝己」がしっくり訳せていません。一段の意図としては、『楽記』と『孝経』孔伝の「孝」「弟」「臣」の対応の相違を論じています。

  1. 「孝」―楽記「祀明堂」―孝経「三老」
  2. 「弟」―楽記「三老・五更」―孝経「五更」
  3. 「臣」―楽記「朝覲」―孝経「祭祀」

 次回に続きます。

(棋客)