達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

神塚淑子『『老子』―“道”への回帰』

 岩波書店の「書物誕生―あたらしい古典入門」シリーズより、神塚淑子『『老子』―“道”への回帰』(岩波書店、2009)を読んでいます。今日は、第一部・第二章の「老子と仏教」より、『老子変化経』という本についての一段を読んでみます。

 『老子変化経』は、敦煌から発見された写本の一つです。書写されたのは隋の大業8年(612年)ですが、書そのものの成立は後漢末と推定されています。

 ちなみに、以下のデータベースから写真を見ることができます。→http://idp.bl.uk/database/oo_scroll_h.a4d?uid=2747869088;recnum=2294;index=1

 p.81-82に、『老子変化経』の最後の部分が紹介されています。ここには、老子が人々に告げた長い言葉が載せられており、老子自身が何度も生まれ変わり、地上と天上の世界の両方を何度も出入りしてきたと語られます。その次の本文が以下です。

 昼も夜も私のことを心に思うならば、私はあなたをゆるがせにはしない。夢の中でも私を重い慕うならば、私は自分のしるしを現そう。私は役人たちを動かし、みずから姿を変えさせた。愚か者たちは躍り上がり、智者たちは教えを受ける。天地が滅びようとする時、私はみずから天地のめぐりを変える。ちょうどその時、世の善良なる民を選び出すのだ。……私がいる場所を知りたければ、『老子』五千字を一万遍以上、読誦せよ。自分自身のことをよく知って罪を告白し、急いで私のところに来るのだ。

 神塚氏は、ここで老子が宗教的な救済者として描かれていることを指摘します。そして、この記述を見ると、阿弥陀仏を一心に念じると人は仏の姿を見ることができ、救われるとする仏教と似ていますが、影響があるのか確実なことは言えないとしています。

 以下、神塚氏は以下のように述べています。

 終末の世を思わせる乱世の中で、『老子』を聖典として読誦し、そこに説かれた事柄を実践して「道」を修め、老子によって救済されることを願った一群の人々がいたことを、『老子変化経』は我々に教えてくれる。老子は、「急ぎ来たりて我れに詣(いた)れ」「疾く来たりて我れを逐え」「我れを南嶽に逐い、相い求めては以て厄を度す(災厄を乗り越える)可し」などと、強い言葉で人々に語りかける救済者となっている。人々が老子に対して、そのような力強い救済者としての役割を求めたのは、政治と社会が混乱をきわめた二世紀後半、後漢時代の終わり頃のことであった。

 以前の記事で、儒教における「救済」の話題を出したことがあります。→佐々木愛「儒教の「普及」と近世中国社会―家族倫理と家礼の変容」 - 達而録

 『老子変化経』に語られる救済は、儒教とは別の原理をもつ道教・仏教の救済の初期の例として興味深いものです。

 

 『老子変化経』については、菊地 章太『老子神化―道教の哲学』に訳が載っているそうです。こちらも読んでみようと思います。

  

(棋客)