達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(3)

 ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』竹村和子訳、青土社、2018、新装版)の読書メモの続きです。今回は、第三章・第四節「身体への書き込み、パフォーマティヴな攪乱」から抜き出します。以下、引用部はp.234-235からです。

 本書でバトラーがクリステヴァに言及するときは、概ね批判的な意味合いでなされています。特に、第三章・第一節「ジュリア・クリステヴァの身体の政治」では、ラカンを批判しているように見えるクリステヴァが、かえってラカンの用意した枠組みに乗ってしまっていることを明らかにしています。

 ただ、今日取り上げるところは、前回の記事とも関連するところで、アイデンティティ、または一つの組織や社会における「内部/外部」の関係性について、クリステヴァの比喩を用いてバトラーが議論するところです。

 バトラーは、クリステヴァ『恐怖の権力』で語られる「棄却(アブジェクション)」の概念を以下のようにまとめています。

 「おぞましきもの」(アブジェクト)とは、身体から放逐され、汚物として排出され、文字通り「《他者》」とみなされているものである。これは異質な要素の排除のように見えるが、異質なものは、この排除によって結果的に打ち立てられる。「わたしでない」ものを「おぞましきもの」として構築することは、主体の最初の輪郭である身体境界を確立することでもある。

 異質なものはもともと異質なものというわけではなく、排除されることによってはじめて異質が打ち立てられる、というのはさまざまな場面に通用しそうな考え方ですね。このクリステヴァの考え方を使って、性差別や同性愛嫌悪・人種差別を考察したのが、アイリス・ヤングです。

 セックス、セクシュアリティおよび/または肌の色による身体の否定は、最初は「放逐」であるが、つぎには「嫌悪」となり、それによってセックス/人種/セクシュアリティという差異化の軸にそった文化的に覇権的なアイデンティティの基礎がつくられ、それが強化される。ヤングがクリステヴァ理論を応用して語っているのは、排除と支配をつうじて《他者》―一連の複数の他者―を制定することにより基礎づけられる「アイデンティティ」が、いかに嫌悪という作用によって強化されるかということである。主体の「内部」の世界と「外部」の世界を分けることで構築されるものは、社会的な規制や管理をおこなうために漠然と保持されている境界なのである。

 クリステヴァは個人のアイデンティティについての議論ですが、ヤングの議論はその議論を応用して社会の形成を考えています。

 では、こうした内部・外部の区別を作り出す作用はどこにあるのでしょうか。また、その枠組みを壊すきっかけはどこに求められるでしょうか。

 内部と外部の境界は、内部が結果的には外部になるような排便の通過によって混乱し、この排便機能は、アイデンティティの差異化のべつの形態を打ち立てるときの、いわばモデルとなる。実際これは、《他者》が糞になる様態である。内部と外部の世界がまったく別物でありつづけるためには、身体の表面すべてが非浸透的になるという、不可能を達成しなければならない。こうして表面を完全に封じ込めることによって、主体の継ぎ目のない境界を作り上げることができる。だがこの封じ込めは、どれが恐れている排便という汚物のために、必ず破られてしまうものである。

 外部と内部を分ける作用そのものに、これを破る契機を見るわけです。

 次の段落で、バトラーは以下のようにまとめています。

 「内部」と「外部」は、両者を媒介し、かつ安定的であろうとする境界に言及してはじめて、意味をなす。そしてこの安定性や首尾一貫性を定めているものは、たいていの場合、主体を認可し、主体をおそばしいもの(アブジェクト)から差異化する文化の秩序なのである。

 「安定性」と「首尾一貫性」は本書のキーワードでもあり、そうしたジェンダー観にトラブルを起こし続けることがテーマの一つにもなっています。

 

 バトラーが提起した、安定性・首尾一貫性にトラブルを起こし続けるという決意からは、吉野靫『誰かの理想を生きられはしない』青土社 、2020)の「おわりに」に書かれている決意表明を思い起こします。

 最後に個人的な決意を述べるならば、筆者はノンバイナリ―なトランスジェンダークィアとして、「変わらないとされているもの」(性別、家族の仕組み、国の枠組みなど)を信じる人を、これからの不安にさせていくだろう。常に変化を求めながら、おかしなことをする。そこに楽しさはないが、生きていくために必要だから続けていく。(p.203)

 「変わらないとされているもの」を信じる人を「不安」にさせるため、どのように闘っていくか、考えていきたいです。

 ここまで、三回の記事でいったん一区切りとします。最初に述べたように、近年のジェンダー史研究やフェミニズム理論においてよく参照される本ですので、また記事で言及することもあると思います。

 


 

 さて、全く関係のない話になりますが、私は何か丁寧に読みたい本や、情報を整理しながら読みたい本があるときは、いわゆる情報カードにトピックごとにメモを取って読んでいきます(合わせて引用元もメモしておきます)。『ジェンダー・トラブル』もこの方法で読みました。論文などもこのようにメモしておくと、情報が取り出しやすくてとても便利です。この読書法(研究法)については、澤田昭夫『論文の書き方』講談社学術文庫、1977)に詳しく書いてあります。おそらくブログに書いたことがなかったので、ご紹介しておきます。

(棋客)