達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

洪誠『訓詁学講義』より(4)

 今回も、洪誠(森賀一恵・橋本秀美訳)『訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)』(アルヒーフ、2004)から、気になる条を取り上げていきます。今日は、第四章「注を読む」の「二、文字の読みかえと校正の方式」から、「段玉裁の想定した漢注改読の用法規則の批判」を読みましょう(p.208-209)。

 今回の主題となるのは、段玉裁が唱えた注釈における訓詁法の使い分けについてです。まず、『説文解字』一篇上、示部「䄟」字の段注を引きます。ほか、『周礼漢読考』の序文にも同様の説があります。

 翻訳は、本書の訳(森賀・橋本訳)の引用です。

 凡言讀若者、皆擬其音也。凡傳注言讀爲者、皆易其字也。注經必兼茲二者。故有讀爲、有讀若。讀爲亦言讀曰。讀若亦言讀如。字書但言其本字本音。故有讀若、無讀爲也。讀爲、讀若之分。唐人作正義已不能知。爲與若兩字、注中時有譌亂。

 「読若」というのは、いずれもその読み方をこんな音と示すものである。経典の注釈書で「読為」というのは、いずれも字を読み替えるものである。「読為」は「読曰」ともいい、「読若」は「読如」ともいう。『説文』のような字書は本字・本音だけを書いたものなので、「読若」だけがあって「読為」は無い。「読為」と「読如」の区別は、唐人が『正義』を作った時点ではすでに分からなくなっていた。このため、「為」と「若」の二字が、注の中で時々混乱している場合がある。

 洪氏は、段氏がこのように用法を設定し、『周礼』注のなかで、「如」と「為」の二字がこの用法に合わない場合に、誤字だとして入れ替えていることも指摘します。

 この段氏が主張する法則は、非常に有名なもので、今でも訓詁を習うときにはこの解説がなされることが多いです。しかし、洪氏によれば、この法則は必ずしも妥当なものではないようです。以下、続きを読んでいきます。

 文字の校読には、誤りを正す・音を示して意味を知らせる・字を換えて意味を説明する、という三種の機能があり、それによって文字が使用され伝写される間に発生した一時多音多義・一音多義・文字の仮借・文字の誤りなど種々の問題を解決する。しかし、使用される術語には、「当為」が専ら誤字を改めるのに用いられるのを除いて、ただ大まかな区別があるだけで、厳密な境界はない。なぜなら、これらの術語は、一時にできたものでも、一人の訓詁学者が規定したものでもなく、一般的な固定的習慣も形成されていないからである。字を改めずに音を示すには、「読如」を使えるが、「読為」も使える。字を改めずに意味を示すには、「読如」も「読為」もどちらも使える。字を改めて意味を示すには、たいてい「読為」「読曰」を使うが、「読如」も使う。

 つまり、「当為」以外、「読如」「読若」、「読為」「読曰」の使い分けは大ざっぱで、それほど厳密な区別はない、ということです。そして洪氏は、段氏の説を以下のように批判します。

 段氏の定めた用法規則は、見たところ十分な理由があり、非常に科学的であるようだが、さらに分析してみると、彼の論談には根本的な誤りがあることがわかる。彼は、『周礼注』が本来「集注」であり、これらの術語は一人が用いたものでも、一時に生じたものでもないことを忘れていたのである。彼は、術語使用者および使用者の時代の前後によって、これらの術語の用法を分析比較しなかった。彼は、この問題の研究に関して、歴史発展の観点・歴史的分析の方法を書いていたために、誤った判断を下し、大量に独断的な改字を行うに至ったのである。

 以前にも述べましたが、こうしたところに、洪氏の実直な読書経験が現れているように思います。段氏のこの法則は、多くの人々に疑いなく受け入れてきたものですが、素直に読めば、確かにそんなに厳密に区別できるものではないし、ましてやその基準をもとに古書の字句を改めていいものではありません。

 ただ、だからといって、段氏のこの分析が全くの的外れで、歴史上に無意味な学説であったとは思いません。厳密にやりすぎたとはいえ、訓詁の方法にさまざまな方法があり、それを分類してみせた功績は大きいものです。また、段氏以後の学者はこの使い分けを念頭に置いて訓詁を附すこともありますから、その意味でも、やはり基本として知っておく必要があります。

 

 この一例に限らず、段氏の区別・分析が、後世になると実は曖昧なものであった、という事例は色々とあります。これは、ある物事が、分類・整理され、そしてその境界が破壊され、また相対化されて組み立てなおされる、という学問の展開のなかに、段氏も位置しているということなのでしょう。

 段氏の学問については、最近、筆者と古勝先生の共著論文の形で「段玉裁『古文尚書撰異』序」の訳注を『中国思想史研究』にて発表しました。ぜひご覧ください。

(棋客)