達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

文フリで買った本④―『夕炎の人』

 文フリで買った本を紹介するシリーズの続きです。今回は、星槎渡河さんの『夕炎の人』という小説を取り上げます。Twitter経由で昔から知り合いだった方の本ということで、とても楽しみにしていました。

 領主の屋敷の庭師であるセッケムは、最近あることに悩んでいる。父親が「声の男」との結婚を強要してくるのだ。一人前の庭師になれないことは分かっていても、庭仕事をしながら今の家族と生きていきたい。そんな風に考えるセッケムにとって、父の行動は不安の種だった。

 いずれ具体的な結婚相手が現われたら、自分は家を出てどこか遠くへ逃げなくてはならないのだろうか。そんな心配を抱えながら屋敷の庭で働いていたある日、ひょんなことから領主の客人である珍しい商人と知り合いになって……? 複数言語をめぐる女性達のファンタジー

夕炎の人 - 星槎渡河 | 同人誌通販のアリスブックスより)

 少し分厚めの文庫本ぐらいの量があるのですが、夢中で一気読みしてしまいました。とても魅力的な設定のファンタジーで、静謐かつ力強い作品です。特に、「できることから手を差し伸べていく」形での連帯と抵抗が描かれているのがいいな、と思いました。

(※以下の内容は、若干のネタバレを含みますので、ご注意ください。)

 この物語の主人公のセッケムは「緑の者」の一族の生まれです。「緑の者」とは、庭師または薬師を生業とする人々で、基本的にみな耳が聞こえず、手話言語を用いています。これに対して、耳が聞こえて、「声語」を用いる人々がいます。声語の人は、政治・経済的な権力を持ち、緑の者を低い地位に追いやっています。ただ、緑の者は奴隷というわけではなく、賃金で雇われる存在です。緑の者は、低い地位に追いやられながらも、声語の人には分からない知恵(薬の専門知識や水利の技術など)と言語(手話)を脈々と受け継ぐことで、それらを武器にして一定の立ち位置と存在感を保ち、声語の人に抵抗しながら生き抜いてきたという面があります。

 セッケムは、「緑の者」の一族でありながら、耳が聞こえて、声語を使うことができる珍しい存在です。領主の館(もちろんその一族は声の者です)の庭師として働いていて、たまに声の者と緑の者がコミュニケーションを取るときの通訳を務めています(その負担を引き受けさせられているとも言えます)。庭師としての仕事が好きで、今の仕事を続けて行きたいと考えていますが、父親はセッケムは「緑の者」ではないと判断し、声語の人と婚姻させようとしています。セッケムはそこから逃げたがっていますが、逃げ先の当てはありません。

 そして、その領主の館に、「北」から「瓊樹」「未艾」という二人組がやってきて、ちょっとしたことからセッケムとこの二人が交流を持ち始めることで、物語が動き始めます。セッケムは、二人との交流を通して、いま住む場所にある「緑の者/声の者」という権力構造や、その他のさまざまな慣習が、他の場所でも当たり前というわけではないということに気が付きます(かといって「北」がユートピアというわけでもないようです)。色々な交流を通して、セッケムやその周りの人々が、新たな気付きを得て、よりよい人生に向けて歩き始めていく物語です。

 

 全体を通して、セッケムと「右手あざ」、瓊樹と未艾など、素敵な関係性を築いているキャラクターが多く出てくるところが好きです。そしてそうしたキャラクターたちが、文字・音声・身体言語などの複数言語を越境しながら、丁寧にコミュニケーションしていくのがいいですね。

 説明や描写がとても分かりやすく、どなたでも読みやすい本だと思います。もちろん、さりげなく出てくる中国古典要素も見逃せないポイントですね。おすすめです。

 

 ↓こちらに作者さんの解説があります。

seisatoka.lomo.jp

(棋客)