達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

考証学における学説の批判と継承(3)

 前回の続きです。問題となる疏文を再度掲げておきます。

尚書』堯典(阮元本『尚書注疏』卷二 三葉上)

(疏)以庸生賈馬之等、惟傳孔學經文三十三篇、故鄭與三家同以爲古文、而鄭承其後、所註皆同賈逵馬融之學、題曰古文尚書、篇與夏侯等同。而經字多異、夏侯等書「宅嵎夷」爲「宅嵎䥫」、「昧谷」曰「柳谷」、「心腹腎腸」曰「憂腎陽」、「劓刵劅剠」云「臏宮劓割頭庶剠」、是鄭註不同也。

 今日は、王鳴盛(康熙六一・一七二二~)の『尚書後案』を見てみましょう。彼は銭大昕より生まれが早いのですが、問題箇所についての立説は江声・銭大昕より詳細です。

 今回も「心腹腎腸」と「憂腎陽」の例を挙げています。

○王鳴盛『尚書後案』盤庚下

 今予其敷心腹腎腸、歴告爾百姓于朕志。

【案曰】堯典疏曰「鄭注尚書篇與夏侯等同而經字多異、夏侯等書心腹腎腸曰憂腎陽。」夏侯等書乃今文、鄭所傳乃古文。今梅賾所獻孔本號稱孔壁古文、乃反同于夏侯等書、其妄明矣。文選魏都臧劉淵林注引「尚書盤庚曰、優賢揚歴。」若依今本則盤庚不見。有此文乃知鄭本作「憂腎陽」者。「憂」本「優」字、夏侯等書以一「優」字誤分作「心腹」二字。「腎陽」者、當作「賢揚」。皆以字形相似而致誤。劉淵林、晋初人、所見本如此也。裴松之三國志、亦引此而稱爲今文。裴、宋人、其時梅所獻本已盛行、以僞孔爲古文。故反以鄭本爲今文也。又案「今予」之「予」、蔡邕石經作「我」。載『隸釋』。

【鄭曰】歴、試也。謂揚其所歴試。(三國魏志十一卷、管寧傳裴松之注。○文選六卷左太冲魏都賦劉淵林注○)

【案曰】劉裴二家皆不著鄭名。然所據既係鄭本、則注義亦必本之鄭氏。今定作鄭注。

 少々省略を加えましたが、大分議論が分厚くなっています。少し論理を追いかけてみましょう。
①現行本は「今我其敷心腹腎腸、歴告爾百姓于朕志。」
②堯典正義を、「現行本並びに夏侯氏の上四句:心腹腎腸」と「鄭玄本つまり真古文の下四句:憂腎陽」の差異を述べると理解。(閻氏に同じ)
③しかし、「憂腎陽」では意味が分からない。他書を見ると、『文選』魏都賦の劉淵林注に「尚書盤庚曰、優賢揚歴。」とあり、「憂腎陽」が「優賢揚」であったと分かる。この時「心憂」が「優」に化け、「歴」は上句に続けて読んでいたことも分かる。
④以上により真古文を復元すると、「今我其敷優賢揚歴、告爾百姓于朕志。」となる。(ここまで江氏に同じ)
⑤しかし、先の「優賢揚歴」の語が見える『三国志裴松之注には、「今文尚書曰・・・」として引用されており、「優賢揚歴」が「真古文」であるとする閻説に矛盾が生じる。
裴松之は偽古文流行後の人であり、僞孔を古文、鄭本を今文と逆転して認識していたため、誤ったとする。
⑦更に、文選注と裴松之注に見える「歴、試也。」と「謂揚其所歴試。」の訓詁を、『尚書』鄭玄注と認定する。

 ④までは江声らと同じ推理です。ここで王鳴盛は新たな問題定義を行い、その解決を図っています。それが⑤以降で、前人の触れていない矛盾点を解決すべく、論理をこねているのです。(もう一つ傍証として、洪適『隸釋』所載の漢の碑文に「優賢揚歴」と似た語句が引かれていることも指摘し、これが真古文の姿を残しているとします。)
 この⑥、⑦は、一応辻褄を合わせているとはいえ、かなり強引な論理展開と言えましょう。色々な反論がすぐに浮かぶところで、実際後に反駁されるところとなります(次回掲載)。

  いずれにせよ、王鳴盛も閻若璩説の誤りを踏襲していることが分かりました。他にも、同様の解釈をしている例を引いておきましょう。まずは孫志祖(乾隆二・一七三七~)。

○孫志祖『讀書脞錄』優賢揚歴

 堯典正義曰「鄭注尚書、與夏侯等同而經字多異。夏侯等書『心腹腎腸』、曰『憂腎陽』。」案「憂腎陽」不可解。予讀左思魏都賦「優賢著於揚歴。」、劉淵林注云「尚書盤庚曰、優賢揚歴。歴、試也。」。又『魏志』管寧傳「優賢揚歴、垂聲千載。」、裴松之注「今文尚書曰、優賢揚歴。謂揚其所歴試。」。始悟正義「憂腎陽」三字、乃「優賢揚」之譌。葢康成尚書、本以「憂腎陽」爲「優賢揚」。又以下「歴」字屬上作句爾。

(原注)『隷釋』載漢成陽令唐扶頌云「優賢颺歴」。

 ちなみに、阮元校勘記は孫志祖説を引用しています。(但し、あくまで校勘記ですから、今古文の説については言及していません。)

○『十三經注疏校勘記』尚書 堯典

 心腹腎腸曰憂腎陽。孫志祖云、「憂腎陽」三字、乃「優賢揚」之訛。「優賢揚歴」語見『魏志』管寧傳及左思魏都賦。又『隸釋』載漢成陽令唐扶頌亦有「優賢颺歴」之文。

  同様の説が数多くある中で、それほど詳密な説とは言えない孫志祖説が採用された理由はよく分かりません。阮元の校勘記は阮元一人の手に出るものではなく、分担された作業であったことは、汪紹楹「阮氏重刻宋本十三経注疏考」や水上雅晴「顧廣圻と『毛詩釈文校勘記』:『十三経注疏校勘記』と分校者の関係」などに詳しいですが、『尚書』の担当者と孫志祖の関係などを考えてみても面白いかもしれません。

  また、散佚した鄭玄の著作を集めた、袁鈞(乾隆一七・一七五二~)の『鄭氏佚書』を見ると、王鳴盛と同様、『文選』注、『三国志』注に見える「優賢揚歴」の注「歴、試也。謂揚其所歴試。」を、鄭玄注として取り込んでいます。もとの疏文の解釈が現代と同じであれば、この部分が鄭玄注になる可能性は相当低いので、袁鈞も現代とは逆の読解であったのでしょう。(この例を見ると、軼佚書を利用する際にいかに注意が必要か、よく分かります。)*1

  さて、今日まで三回分の記事を総覧すれば明白なように、堯典正義の該当箇所は、閻若璩式の読解を行うのが当時の主流であったようです。更にそれを元手に、新説が生み出されているのが今日の内容ということになります。
 しかし、先述したように、どうにも無理気味な説明が生まれているところもあります。この誤りを正し、現代の定説を最初に唱えた人物は誰なのでしょうか。次回、乞うご期待。

(棋客)

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考証学における学説の批判と継承(2)

 第一回の続きです。問題となる疏文を再度掲げておきます。

尚書』堯典(阮元本『尚書注疏』卷二 三葉上)

(疏)以庸生賈馬之等、惟傳孔學經文三十三篇、故鄭與三家同以爲古文、而鄭承其後、所註皆同賈逵馬融之學、題曰古文尚書、篇與夏侯等同。而經字多異、夏侯等書「宅嵎夷」爲「宅嵎䥫」、「昧谷」曰「柳谷」、「心腹腎腸」曰「憂腎陽」、「劓刵劅剠」云「臏宮劓割頭庶剠」、是鄭註不同也。

 閻若璩『尚書古文疏證』の後を受けて尚書研究を行った著作としてはまず恵棟『古文尚書考』が挙げられますが、管見の限りでは、当該箇所についての言及は特にないようです。

 ここでは、江声(康熙六〇・一七二一~)の『尚書集注音疏』を見ておきましょう。与太話になりますが、この書はもともと篆書で木版に刻されて印刷されており、(少なくとも私にとっては)尋常でなく読みにくい本になっています。なかなか興味深い例ですので、機会があればご確認ください。『皇清経解』所収の本は楷書の字体に直されており、読者の便宜を図るという意味では正しい判断と言えるでしょうか?

○江聲『尚書集注音疏』商書三十三

 今我其敷優臤揚歴、告爾百姓于朕志。

 我、僞孔本作予。茲從蔡邕石經。「優臤揚」三字、僞孔本作「心腹腎腸」四字。堯典正義云「鄭注尚書篇與夏侯等同而經字多異夏侯等書、心腹腎腸曰憂腎陽、是鄭本不同也。」據此則僞孔本「心腹」二字、鄭本止一「憂」字爾。劉淵林注左思魏都賦引尚書盤庚曰「優賢揚歴。」若據僞孔本則盤庚不有此文、乃知鄭本作「憂腎陽」者、乃「優賢揚」之譌。後人傳寫誤爾。鄭本實作「優賢揚」與下「歴」字聯讀也。「臤」古文以爲「賢」字、説文云。

 ・・・劉淵林注魏都賦引此經而解之曰「歴、試也。」三國魏志管寧傳注引此經而解之曰「謂揚其所歴試。」其必皆用舊説、葢漢人之注也。故皆采用之。

 四例全てその経文の項に解説があるのですが、全て見るのは手間ですから、ここでは他の議論も加わっていて興味深い「心腹腎腸」と「憂腎陽」の例のみを挙げています。
 では、ここの江声の論理を少し追ってみましょう。
①現行本(偽古文)の原文:「今我其敷心腹腎腸、歴告爾百姓于朕志。」(『尚書』盤庚下)
②先に挙げた堯典正義の文を、「現行本並びに夏侯氏の上四句:心腹腎腸」と「鄭玄本つまり真古文の下四句:憂腎陽」の差異を述べると理解。(閻氏に同じ)
③しかし、「憂腎陽」では意味が分からない。他書を見ると、『文選』魏都賦の劉淵林注に「尚書盤庚曰、優賢揚歴。」とあり、「憂腎陽」が「優賢揚」であったと分かる。この時「心憂」が「優」に化け、「歴」は上句に続けて読んでいたことも分かる。
④以上により真古文を復元すると、「今我其敷優臤揚歴、告爾百姓于朕志。」(臤は賢の古字)となる。

 かなり省略しましたが、件の堯典疏文を、閻若璩と同様に(つまり現代の定説とは真逆に)読んでいることは確かです。
 閻若璩『尚書古文疏證』はもともと未完ないしは未整理の書ではないかという話もあり、出版流通したのは執筆から少々遅れるようです。しかし江声ははっきり『尚書古文疏証』を読んだと言っていますし、この説も閻若璩から引き継いだものと言って良いと思います。
 そして江声のこの説は、これまた大儒の銭大昕(雍正六・一七二八~)に引かれています。 

○錢大昕『十駕齋養新録』答問二

 問、劉淵林注魏都賦引書盤庚「優賢揚歴」之語、訓「揚歴爲歴試。」今盤庚無此文、何故。

 曰、予聞之江叔澐氏矣。盤庚下篇云「心腹腎腸。」古文作「優賢揚」而以歴字屬上句。鄭康成固如是讀也。請以尚書正義證之。正義曰「鄭注古文尚書篇與夏侯等同而經字多異、夏侯等書心腹腎腸曰憂腎陽。」説者不解「憂腎陽」爲何語。徵諸太冲之賦淵林之注、始悟優爲憂、賢爲腎、揚爲陽、三字皆傳寫之訛。・・・

 叔澐は江声の字。銭大昕は『文選』注の側からアプローチしていますが、結論は同じです。銭大昕についての専論は色々ありますが、ここでは変わり種として木下鉄矢『清朝考証学とその時代―清代の思想』を挙げておきます。考証学者の思想、学説につい目を奪われがちな中国思想の研究者に、新たな視角を提供する本です。

 さて、この例を見れば、経書の一カ所の解釈の相違が、他書の研究にも影響を及ぼす場合のあることが、よく分かります。例えば、『文選』魏都賦の劉淵林(劉逵)注*1が何の本を見ていたのか、その当時古文尚書と今文尚書のどちらが盛んであったのか、といった研究にも、影響を与える可能性がありますね。(もちろん、この一例で云々言いたいわけではありません。あくまで可能性として。)

 進度が遅くて恐縮ですが、全五回で完結しますのでお許しください。次回、乞うご期待!

(棋客)

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*1:正確に言えば、『文選』魏都賦の注釈者は張載で、呉都賦・蜀都賦の注釈者が劉逵です。更に蛇足ながら、三都賦の總序(皇甫謐)や注は全て左思の自作自演という説(劉孝標『世説新語』注)もあります。

考証学における学説の批判と継承(1)

 現在、大学の演習である考証学者の剳記を読んでいます。その予習で毎週色々と調べることになるのですが、特に乾嘉の学以降の考証学者となると、一つの小さな学説にも他の学者の説との継承関係(賛成・反対の両者を含む)が見られて非常に興味深いです。
 そのうち一つの例について、実際に演習でも少し議論をしたのですが、折角なので増補してまとめておこうと思います。似たような例は種々に見つけられるでしょうし、その一つ一つが少しずつ異なる関係で継承されていると考えると、そこには無限の広がりが感じられるところです。また面白い例があれば、時おりまとめてみようと思います。

 今回話題にするのは、『尚書正義』のある一段の解釈についてで、全五〜六回のシリーズとなる予定です。解釈の問題といっても訓詁学的な話ではなく、根本は非常にシンプルな問題なのでとっつきやすいところだと思います。漢文に心得のある方は、進度はゆっくりですが少々お付き合いください。

 問題の疏文はこの部分。堯典篇には長大な題疏があるのですが、その一部分です。

○『尚書』堯典(阮元本『尚書注疏』卷二 三葉上)

 (疏)以庸生賈馬之等、惟傳孔學經文三十三篇、故鄭與三家同以爲古文、而鄭承其後、所註皆同賈逵馬融之學、題曰古文尚書、篇與夏侯等同。而經字多異、夏侯等書「宅嵎夷」爲「宅嵎䥫」、「昧谷」曰「柳谷」、「心腹腎腸」曰「憂腎陽」、「劓刵劅剠」云「臏宮劓割頭庶剠」、是鄭註不同也。

 『正義』の邦訳は目下進行中というところですが、幸い『尚書正義』に関しては吉川幸次郎先生による全訳がありますので、参考までに掲げておきましょう。

 すなわち庸生や賈とか馬などという連中は、ただ孔派の経文三十三篇を伝えただけであって、それで鄭も三家(大夏侯氏、小夏侯氏、歐陽氏)も同様にそれを古文と考えていたところへ、鄭がその後を承けたのであるから、注をしたものは賈逵や馬融の学問と全く一致し、古文尚書とは銘うちながら、篇は夏侯などの方と一致するのである。しかし経の文字は屡々違っているのであって、夏侯などの書の方では、「宅嵎夷」を「宅嵎䥫」とし、「昧谷」を「柳谷」とし、「心腹腎腸」を「憂腎陽」とし、「劓刵劅剠」を「臏宮劓割頭庶剠」とするあたりが、鄭注と同じからぬ点である。(吉川幸次郎訳『尚書正義』第一冊、岩波書店1940、94頁)

 余談ですが、吉川幸次郎訳『尚書正義』に附された「訳者の序」は、現代において経学を研究することにどのような意義が有るのか、またどのように研究すべきか、ということを論じる名文でよく紹介されています。当然その訳も偉大な業績ですが、序文も是非。

 さて、上の疏文は鄭玄の尚書学の淵源を述べている点でも重要ですが、今後の議論の中心となるのは、ただ鄭玄本と夏侯氏本の異同を述べている後半の部分です。つまり上の吉川訳で、鄭玄本が「宅嵎夷」「昧谷」「心腹腎腸」「劓刵劅剠」(上四句)となっているところを、夏侯氏本では「宅嵎」「柳谷」「憂腎陽」「臏宮劓割頭庶剠」(下四句)に作っていた、と解釈する辺りです。
 この吉川訳は、正鵠を得た読解です。というより、先の文を読む限りでは、多くの方は「上の疏文はもともとそうとしか読めないではないか」「疑義の生じようがないのではないか」と思われるかもしれません。しかしながらこの部分、考証学の泰斗である閻若璩は異なる読解をしているのです。
 もしかすると、「閻若璩は異なる読解をしていた」と聞いただけで閻若璩の解釈が浮かぶ方もいらっしゃるかもしれません。ヒントとして、現行本『尚書』は「上四句」の方の字に作っていることを挙げておきます。

○閻若璩『尚書古文疏證』巻二 言晩出書不今不古、非伏非孔

 古文傳、自孔氏後、唯鄭康成所注者得其真。今文傳、自伏生後、唯蔡邕石經所勒者得其正。今晚出孔書「宅嵎夷」鄭曰「宅嵎」、「昧穀」鄭曰「柳穀」、「心腹賢腸」鄭曰「憂腎陽」、「劓刵劅剠」鄭曰「臏宮劓割頭庶剠」、其與真古文不同有如此者、不同于古文、宜同于今文矣。而石經久失傳、然殘碑遺字、猶頗收于宋洪適隸釋中。・・・

 閻若璩は「今晚出孔書『宅嵎夷』鄭曰『宅嵎䥫』・・・」と述べています。つまり下四句を鄭玄本と考えているのです。必然的に上四句が夏侯氏ということになり、先の解釈とは逆の解釈になります。ここでは一つの取り違えがそのまま四カ所の本文の読みに影響するので、由々しき問題と言えます。(また後の記事で出てきますが、一カ所の経文の異同であっても他書の読解や校勘に大きな影響を与える場合があります。)

 ここで少し、閻若璩の論理を追っておきましょう。先に述べたように、上四句は現行本の字句でもありますから、この読解の場合、「現行本・夏侯氏の上四句」と「鄭玄本の下四句」の差異を述べる疏文と受け取ることになります。すると現行本(偽古文)は、鄭玄本(真古文)とは異なるが、夏侯氏(今文)とは同じ、という状況が生じます。
 そもそも閻若璩『尚書古文疏證』は、古文と称する『尚書』の現行本が、実は後人に係る偽作であることを証明することを志した書です。そんな閻若璩にとってみれば、真古文を残している鄭玄本と、古文を騙る現行本の異なる部分というのは、自説の根拠として非常に重要な意味を持ちます。何故ならその部分こそが「現行本によって偽作された部分」そのものとなるからです。しかもこの場合、その現行本の部分が逆に今文と一致するという倒錯した状況までセットで付いてきます。これも偽作を証明したい閻若璩にとっては都合が良いのです。

 以上のような背景が閻若璩を誤読に至らしめたのではないか―つまり「逆に読んでしまった」というより、「その背景のもと読むと最早そうとしか読めない」のではないか、それが現時点での私の考えですが、如何でしょうか。(もし閻若璩以前に同様の説を立てている人がいれば、是非ご教授下さい。)

 さて、ここまで読んでいると、当然「閻若璩の読みは本当に誤りなのか?」「誤りだとしたらいつ誰が正したのか?」といった疑問が浮かぶことでしょう。
 今日の記事だけであれば、単に閻若璩一人の特徴的な論理展開を見ただけで終わってしまいますが、この解釈が後の考証学者たちにどう受け継がれていくのか、またどう批判されるのか、というところに話は続いていきます。江声、王鳴盛、段玉裁、銭大昕といった錚々たる面々が登場し議論は白熱するのです。今日はここまで。

 

※上海古籍出版社によって出版された『尚書古文疏證』の標点本には、黄懐信氏による前言が附されています。この前言では本書の各条を詳細に論証しその是非を判定しているのですが、そこでもこの条の誤謬が指摘されています。参考まで。

※清代の学術史の概観としては、梁啓超『清代学術概論』(東洋文庫、小野和子訳)などがありますので、興味のある方はお読みください。閻若璩『尚書古文疏證』についての専論は吉田純『清朝考証学の群像』(創文社、2006)等にあり、和訳は一部が『東洋古典学研究』に掲載されています。

(棋客)

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大形徹「王弼の『論語釈疑』」―論文読書会vol.11

※論文読書会については「我々の活動について」を参照。

本論文はオンライン上で公開されています。

 

【論文タイトル】

大形徹「王弼の『論語釈疑』:『老子』の思想で解釈した『論語』」大阪府立大学人文学会『人文学論集』1986, 4, p.1-15)

【要約】

 本論文は、魏の王弼による『論語』の注釈書『論語釈疑』に関する研究である。内容は大きく三分される。まず『釈疑』自体の成立について、特に何晏『論語集解』との先後関係を問題として考察する。次に、『釈疑』に現れる特徴的な思想について、トピックごとに論じる。最後に、王弼自身の生涯をよすがとしつつ、『釈疑』の著述意識やその思想史的意義について論じる。

 筆者は第一章で、『釈疑』と『集解』の先後関係を論じる。筆者は『集解』に『釈疑』の説が見えないことと、両著の内容面の差異(『釈疑』に『集解』を敷衍したと思われる記述が見えること)を手掛かりに、全章に詳細な注の付された『集解』の完成の後に、王弼が疑問を持った箇所に注釈を附し、『釈疑』が編まれたと結論付ける。つまり、『釈疑』は『集解』を敷衍もしくは反駁しており、そこには『集解』とは異なる王弼の『論語』解釈の特徴が明確に表れているということになる。

 第二章では、上述した「王弼の『論語』解釈の特徴」について、「仁」「道」「本末」「孔子老子の関係」という四つのテーマに焦点を当てて論じる。ここでは特に王弼「老子注」と対応させることで、王弼自身の思想を念頭に置きつつ『釈疑』の思想に迫る。王弼は『論語』に注する時、特に『老子』と共通して見える語に着目し、そこを『老子』的に解釈することによって、両者を一つの思想に体系化しようとした。ここでは、孔子老荘思想の具現者とされ、儒教老荘思想の中に取り込まれていると言える。筆者は、「仁」といった儒教的価値観を否定するのでなく、容認しながらも取り込み、老荘思想を上位において体系化したところに『釈疑』の特色があると結論付け、同時にこれは『老子』そのものに含まれている思想と等しいと述べる。

 最後に総括として、『釈疑』の執筆動機とその思想史的意義について論じる。一般的に『集解』は、老荘の解釈を交えながらも、全体としては儒教の枠を越えないとされるが、『釈疑』は『老子』の思想体系の中に『論語』を組み入れようとしている。筆者はこの違いを、王弼が儒教的教養を身につける前に道家を学んだことが影響しているのではないか、と説明する。すると「何故『論語』に注釈を付けたのか」という疑問が生じる。これには、王弼が立身出世を求めており、官界に取り入るために老荘儒教の二面性を求める必要があったのではないか、と述べる。

 『釈疑』は同時代的にはあまり注目された形跡がない。その上、王弼が立身出世のために記した書となった場合、その思想史的意義はどこに与えられるだろうか。王弼は『論語』が『老子』の思想体系の中にあることを証明しようとし、これにより『論語』本来の意図を逸脱することも屡々である。しかし、老荘から儒教に近づいた者は少なく、儒者が黙殺していた『論語』に元来含まれる道家的一面を取り出したところもある。これこそが王弼の功績であり、『釈疑』の思想史的意義はここに認められると筆者は結論づける。

【議論】

・特に最終章について議論があった。

・「官界で立身出世を遂げるためには、老荘だけではよくない」といった言説が、この時代でも成立するのかどうか、論拠が不十分に思える。ここで政治史的議論を展開するのは論文の主旨から逸脱するが、少なくとも先行研究の明示は必要ではないか。

・上の「王弼は立身出世のために儒教に接近し、『釈疑』を記した」という説が正しいとして、これが「『釈疑』は『論語』を老子的に解釈した注釈書である」という前段の結論と整合性が取れているのかどうか、少し引っ掛かる。立身出世のために儒教に接近すると言いつつ、『論語』を『老子』的に解釈してしまっては元も子もないように思えてしまう。ここはもう少し説明が必要か。

・「王弼は儒学より老荘を先に学んだのではないか」という指摘も、ここで言及する必要があるのかよく分からない。史料に記載がない以上解明しようがない問題であると思われるが、言及する以上は、王弼の生涯への史学的研究や、魏晋期の教育についての研究が必要となるように考える。

 

【良質講義動画】広島大学の「中国思想文化学入門」を紹介

動画

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HiCE003: 中国思想文化学入門

 Twitterで上記の動画(HiCE003: 中国思想文化学入門、広島大学が公式に公開している有馬卓也先生の講義)を紹介したところ、予想外に多くの反響がありました。この動画は、先秦から漢代にかけての「天」と「命」に焦点を当てながら、完全な初学者でも理解できるよう噛み砕いて説明するもので、非常に分かりやすい講義になっていると思います。

 ここではこの講義を視聴した方のうち、「入門」からもう一歩進んでみたいと考えた方のための参考書を紹介します。中国思想に興味を持っている皆様の勉強の役に少しでも立てれば幸いです。

講義の概要

  • 冒頭「占い・易」について
  • 5分前後から「災異説」
  • 10分前後から「殷周革命と天命」
  • 15分前後から「天命の二種類の解釈」
  • 26分前後から「『淮南子』と遇不遇論・応時遇化論」

参考書 

  • 概説書

溝口雄三・小島毅・池田知久 「中国思想史」(東京大学出版会)
湯浅邦弘「概説中国思想史」(ミネルヴァ書房)

中国思想史について概説的、通史的に把握するには、上記の二冊がおすすめです。上の講義の内容は漢代に絞った解説ですが、大抵の概説書で漢代思想は分厚く扱われており、まずは参考になるでしょう。

  • 入門書

金谷治「易の話」 (講談社学術文庫)

『易』の持つ占いの側面と思想の側面の両方について非常に分かりやすい解説があります。

小南一郎「古代中国 天命と青銅器―諸文明の起源」(京都大学学術出版会)

青銅器を用いた考古学的方法によって、殷代周代を考察しています。天命や徳といった思想的概念についての考察もあります。

浅野裕一「儒教 ルサンチマンの宗教 」(平凡社新書)

講義の中で、孔子の言った「天命」という言葉に二種類の解釈の余地があり、それは孔子観の違いに基づくという話がありました。本書は、「政治改革に失敗した人物としての孔子」により焦点を強く当て、その人物像を描写しています

金谷治「淮南子の思想 老荘的世界」 (講談社学術文庫)

講義の後半で触れられていた、『淮南子』という書物についての入門的な解説書です。

  • 翻訳書

本田済「易」―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

『易』という本の全訳。『易』の内容そのものを読んでみたい人におすすめ。

日原利国『春秋繁露』 ―中国古典新書(明徳出版社

抄訳です。董仲舒が災異説を唱える基本文献です。

宮崎市定「史記列伝抄」(国書刊行会)

「殷周革命」についての基本文献はまずは『史記』ということになるでしょう。宮崎市定は言わずと知れた東洋史の大家。これは伯夷叔斉伝を含む『史記』の列伝の翻訳です。

小竹文夫・小竹武夫 『史記』1本紀 (ちくま学芸文庫)

史記』本紀の全訳。殷本紀の後半部分と周本紀の前半部分に殷周革命について書かれています。ちなみに、本紀の大部分は『尚書』からの引用なので、更に興味がある方は、『尚書』についても調べてみると良いと思います。

吉川忠夫・冨谷至訳「漢書五行志」 (東洋文庫)

後漢に編まれた『漢書』の五行志には、災異説の事例が大量に載せられています。『漢書』は『史記』からの継承部分も多いですが、「五行志」は新たに作られており、五行思想や天人相関論の流行が見て取れます。

池田知久「訳注「淮南子」」 (講談社学術文庫)

淮南子』の抄訳。