達而録

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大形徹「王弼の『論語釈疑』」―論文読書会vol.11

※論文読書会については「我々の活動について」を参照。

本論文はオンライン上で公開されています。

 

【論文タイトル】

大形徹「王弼の『論語釈疑』:『老子』の思想で解釈した『論語』」大阪府立大学人文学会『人文学論集』1986, 4, p.1-15)

【要約】

 本論文は、魏の王弼による『論語』の注釈書『論語釈疑』に関する研究である。内容は大きく三分される。まず『釈疑』自体の成立について、特に何晏『論語集解』との先後関係を問題として考察する。次に、『釈疑』に現れる特徴的な思想について、トピックごとに論じる。最後に、王弼自身の生涯をよすがとしつつ、『釈疑』の著述意識やその思想史的意義について論じる。

 筆者は第一章で、『釈疑』と『集解』の先後関係を論じる。筆者は『集解』に『釈疑』の説が見えないことと、両著の内容面の差異(『釈疑』に『集解』を敷衍したと思われる記述が見えること)を手掛かりに、全章に詳細な注の付された『集解』の完成の後に、王弼が疑問を持った箇所に注釈を附し、『釈疑』が編まれたと結論付ける。つまり、『釈疑』は『集解』を敷衍もしくは反駁しており、そこには『集解』とは異なる王弼の『論語』解釈の特徴が明確に表れているということになる。

 第二章では、上述した「王弼の『論語』解釈の特徴」について、「仁」「道」「本末」「孔子老子の関係」という四つのテーマに焦点を当てて論じる。ここでは特に王弼「老子注」と対応させることで、王弼自身の思想を念頭に置きつつ『釈疑』の思想に迫る。王弼は『論語』に注する時、特に『老子』と共通して見える語に着目し、そこを『老子』的に解釈することによって、両者を一つの思想に体系化しようとした。ここでは、孔子老荘思想の具現者とされ、儒教老荘思想の中に取り込まれていると言える。筆者は、「仁」といった儒教的価値観を否定するのでなく、容認しながらも取り込み、老荘思想を上位において体系化したところに『釈疑』の特色があると結論付け、同時にこれは『老子』そのものに含まれている思想と等しいと述べる。

 最後に総括として、『釈疑』の執筆動機とその思想史的意義について論じる。一般的に『集解』は、老荘の解釈を交えながらも、全体としては儒教の枠を越えないとされるが、『釈疑』は『老子』の思想体系の中に『論語』を組み入れようとしている。筆者はこの違いを、王弼が儒教的教養を身につける前に道家を学んだことが影響しているのではないか、と説明する。すると「何故『論語』に注釈を付けたのか」という疑問が生じる。これには、王弼が立身出世を求めており、官界に取り入るために老荘儒教の二面性を求める必要があったのではないか、と述べる。

 『釈疑』は同時代的にはあまり注目された形跡がない。その上、王弼が立身出世のために記した書となった場合、その思想史的意義はどこに与えられるだろうか。王弼は『論語』が『老子』の思想体系の中にあることを証明しようとし、これにより『論語』本来の意図を逸脱することも屡々である。しかし、老荘から儒教に近づいた者は少なく、儒者が黙殺していた『論語』に元来含まれる道家的一面を取り出したところもある。これこそが王弼の功績であり、『釈疑』の思想史的意義はここに認められると筆者は結論づける。

【議論】

・特に最終章について議論があった。

・「官界で立身出世を遂げるためには、老荘だけではよくない」といった言説が、この時代でも成立するのかどうか、論拠が不十分に思える。ここで政治史的議論を展開するのは論文の主旨から逸脱するが、少なくとも先行研究の明示は必要ではないか。

・上の「王弼は立身出世のために儒教に接近し、『釈疑』を記した」という説が正しいとして、これが「『釈疑』は『論語』を老子的に解釈した注釈書である」という前段の結論と整合性が取れているのかどうか、少し引っ掛かる。立身出世のために儒教に接近すると言いつつ、『論語』を『老子』的に解釈してしまっては元も子もないように思えてしまう。ここはもう少し説明が必要か。

・「王弼は儒学より老荘を先に学んだのではないか」という指摘も、ここで言及する必要があるのかよく分からない。史料に記載がない以上解明しようがない問題であると思われるが、言及する以上は、王弼の生涯への史学的研究や、魏晋期の教育についての研究が必要となるように考える。