達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

『礼記子本疏義』について

 今回は、『礼記子本疏義』という文献について紹介しようと思います。以下のように、何度かこのブログに登場しているのですが、きちんと説明したことはありませんでした。

 ちなみに、「学退筆談」様の以下の記事にも何度も登場しています。

 この本は、『礼記』の義疏の一つです。梁の皇侃(488~545)の著作とされることも多いですが、「灼案……」として鄭灼(514~581)の案語も数多く載せられています。皇侃の説を引きながら、ときおり弟子の鄭灼がコメントを加えた本、というところでしょうか。

 『疏義』は、中国では亡びてしまった本で、現在早稲田大学に所蔵される本が(現在確認できる中では)唯一現存するものです。全体は残っておらず、「喪服小記」篇の一部だけが伝えられています。

 この書物には、最後に「内家私印」の印があり、光明皇后(701~760)の蔵書印とされています。また、藤原佐世(847~898)の『日本国見在書目録』にも「礼記子本疏義百巻、梁国子助教皇侃撰」として著録されています。よって、奈良時代には中国から日本に渡って来ていた本だったようです。しかし、その後の所在は不明で、明治に入ってから田中光顕が購入し、早稲田大学図書館に寄贈しました。

 現在は、早稲田大の古典籍総合データベースで画像が公開されています。

www.wul.waseda.ac.jp

 

 この本がなぜ重要なのかというと、現存する数少ない「義疏」の文献だからです。義疏とは、経書とその注釈について、更に詳しく解説した本で、特に南北朝期に大量に作られました(詳しくは「慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録」を参照)。

 しかし、現存する義疏は皇侃の『論語義疏』(完本)、皇侃・鄭灼の『礼記子本疏義』(一部)、隋の劉炫の『孝経述議』(一部)、著者不明の『講周易疏論家義記』(一部)、そして敦煌から発見された『孝経鄭注義疏』(一部、仮称)、基本的にはたったこれだけです。

 義疏の貴重な現存資料として、この文献は過去さまざまな角度から研究されてきました。大雑把な研究史については、以下の論文にまとまっています。

 ほか、日本語の論文は色々ありますが、ざっと以下を挙げておきます。

 喬秀岩『義疏学衰亡史論』でも、皇侃説を考察する手掛かりとして用いられていますね。

(棋客)