達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

梅賾本『尚書』と『経典釈文』(1)

※今回から数回に亘って更新する記事は、二年ほど前に執筆して、そのままブログの下書きとして眠り続けていたものです。一部が、前回の記事でお知らせした論文の下敷きになりました(「劉炫の学問とその書物環境」の公刊 - 達而録)。

 論文と重なる所もなくはないのですが、『尚書』や『経典釈文』の基本情報について整理しているものでもあり、使いやすい文献の紹介もしていますので、少し加筆して公開することにしました。

〔記事一覧〕

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 王利器「經典釋文考」*1を読んで色々と啓発を受けたので、しばらく『経典釈文』のうち特に『尚書』の部分についてあれこれ考えてみたいと思います。

 まず今回は、劉起釪『尚書學史』(中華書局、1989)をもとに、背景的な知識を整理しておきます。

 

 経書の一つ尚書は、伝来が非常に複雑な書で、今でも議論が絶えないところです。大雑把に言えば、漢代には、伏生の伝えた「今文尚書と、孔安国の伝えた「古文尚書の二種の系統の本があったとされています。それぞれ、既に(かつて存在したとされる)真「尚書」百篇からは失われてしまった篇がある上、その残篇が異なるだけではなく、中身のテキストも相当に異なるところがあります。

 しかし徐々に、「古文尚書」の方は、二十九篇の「今文尚書」に重なる部分の篇のみが伝えられるようになり、西晋の頃にはそれ以外の篇は失われてしまいます。

 そんな折、東晋の頃、梅賾(枚賾、梅頥)という人によって、孔安国伝「古文尚書」とされる書が献上されます。これは「孔安国が注釈をつけた古文尚書を再発見した」とされて奏上されたもので、「古文尚書」の経文と、孔安国による伝文(注釈の文)を両方含んだものです。が、実際は当時偽作されたものであったことが判明しています。(偽作者は諸説ありますが、一般に「梅賾本」と呼称します。)

 当時はこの「梅賾本」が広く受け入れられ、すぐにスタンダードの本となります*2。そしてその後、隋初の『経典釈文』や、唐代の『五経正義』等でもこの本が採用され、その権威は揺るがないものとなっていきました。その偽作が広く認知されるのは、清代を待たなければいけません*3。現代でも、特に断りなく『尚書』と言えば、梅賾本を指すことが多いです。

 

 さて、今回の主題である『経典釈文』の話に移ります。『経典釈文』とは、陳末隋初の頃に陸徳明によって作られた書物で、(『老子』『荘子』を含む)経書とその注釈に「音義(音と意味)」を附したものです。今は滅んでしまった漢代から魏晋六朝期にかけての訓詁が広く残されており、経書の古い解釈を知る手掛かりとして非常に重要です。

 『尚書』については、馬融・鄭玄・王肅らによって漢代から既にさまざまな注釈書が生み出されていましたが、『釈文』は経文・注文ともに梅賾本を基本としますから、注釈は(偽)孔伝を採用しています。(馬融、鄭玄、王肅らの注釈との相違や字句の異同を記録することはあります。)

 

 しかし、ここには少々ややこしい問題が存在しています。その部分を説明するには、まず梅賾本『尚書』の「舜典」篇の来歴を説明しなければなりません。

『經典釋文』叙録・尚書(通志堂本・十六葉表)

 江左中興、元帝時、豫章内史枚賾(字仲眞、汝南人)奏上「孔傳古文尚書」、亡舜典一篇、購不能得、乃取王肅注堯典、從「愼徽五典」以下分為舜典篇、以續之。(孔序謂伏生以舜典合於堯典。孔傳堯典止説「帝曰欽哉」而馬鄭王之本同為堯典、故取為舜典。)

 当初、梅賾本には「舜典」篇が欠けていたために、王肅注「堯典」の「愼徽五典」以下の部分を分けて独立させ、その経文を「舜典」に充てたわけです。

 

 また、現行本『尚書』を見ると、「愼徽五典」の文の上に、「曰若稽古帝舜、曰重華協于帝。濬哲文明、溫恭允塞、玄德升聞、乃命以位。」の二十八字が付け加わっています。これについては、『釈文』の該当部分に説明があります。

『經典釋文』尚書音義上(通志堂本・四葉表)

 曰若稽古帝舜、曰重華協于帝。
 此十二字、是姚方興所上、孔氏傳本無。阮孝緒『七録』亦云然。方興本、或此下更有「濬哲文明溫恭允塞玄徳升聞乃命以位」凡二十八字、異聊出之、於王注無施也。

 この記述によれば、この二十八字の部分は、梅賾本とは関わりがなく、その出現後に更に付け足された部分、ということになります。

 このうち「曰若稽古帝舜、曰重華協于帝。」(十二字)の部分は、姚方興という人の献上した本に見えるもの(以下、姚方興本と呼称しておきます)。

 そして「濬哲文明、溫恭允塞、玄德升聞、乃命以位。」(十六字)の部分は、「或此下更有…」と曖昧な表現になっており、「この字句を付け足す姚方興本もあった」という書き方になっています。

 「姚方興本」については、次回の記事でまた詳しく見ていきます。

 

 以上を整理すると、現行本「舜典」の「経文」は、以下の部分からなることが分かります。

  • 最初の二十八字:姚方興本(ただし後半十六字は異本に見えるもの)
  • それ以外:王粛注『尚書』の「堯典」のうち、「愼徽五典」以下の経文を分離した部分。

 こう考えていくと、次は「伝」の方、つまり偽孔伝の来歴が気になるところです。というのも、現行本『尚書』を見ると、「舜典」の全体にわたって偽孔伝が附されているのです。二十八字の部分にも、偽孔伝が附されています。

 上の『經典釋文』叙録の記述には、梅賾本献上時に欠けていた舜典の「経文」を、王粛注「堯典」から分割することによって補った話は出てきますが、「偽孔伝」を作った話は出ていません。更に、上の姚方興本の二十八字はだいぶ後に付け足された部分ですから、梅賾の献上時にこの偽孔伝があったはずがありません。

 「舜典」偽孔伝の来歴やいかに、という問題提起でした。次回に続きます。

 

(棋客)

*1:『曉傳書齋文史論集』1989、香港中文大学出版社、p.9-74

*2:このあたりの事情は加賀栄治『中国古典解釈史』に詳しいです。

*3:閻若璩については、何度か記事に取り上げたことがあります。→考証学における学説の批判と継承(1) - 達而録