達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

質問箱への回答

 ちょくちょく質問を頂いておりましたので、回答します。ありがとうございます! ここではすぐに回答できない、難しいお題も頂きました。

Q1.ワニ食べたことがありますか?
 ありません。

Q2.中国哲学は「哲学」か?という問いにどう答えるか。
 難しい問題です。例えば「中国哲学史」といったタイトルの本を開くと、最初に色々と説明されている場合が多いでしょうか。私は大学の「中国哲学史講義」に出席したとき、最初に聞かされました。そういえば、金谷治『秦漢思想史研究』1994の冒頭にも、(こちらは「思想史」ですが)思想とは何か、といった話が書いてあったように思います。内容は難しかったので忘れてしまいましたが…。

 多くの場合、「『哲学』という言葉はあくまで西洋由来の概念であって、そのまま同じものが伝統中国の世界にあるわけではないが、西洋で言う『哲学』と似た営みと呼べる部分を便宜上『中国哲学』と呼称する云々」みたいな説明が為されるのだと思います。
 ただ、これは「哲学」という用語に限らないのであって、もっと広く意識されるべき話でしょう。基本的に、近代西洋的なものの考え方、学問の進め方の中で生きている我々が、根本原理の異なる世界の文化を理解するに当たっては、ある程度の用語の「置き換え」が必要なケースが多いものです。「注意を要する点や西洋概念とは異なる点に逐一断りを入れながら、カギ括弧つきの、便宜上の置き換えとして西洋的な術語を用いる」という説明のスタイルが、「哲学」という言葉の例に限らず、実は常に行われているのだと思います。(この時、西洋の術語が表す西洋的概念と中国古典におけるその概念とを安易に等号で結ばないことが肝要となるわけです。)
 …とまあ、質問の答えになっているかは分かりませんが、こんなもので宜しいでしょうか。ほとんど同じ話が井筒俊彦『意識と本質』の冒頭にあるので、参考にして下さい。

Q3.京都シナ学vsシノロジーにおける西洋哲学体系化(主に宇野哲人ら)なんていかがでしょうか?(vsというのは言い過ぎかもしれませんが…)
 これまた難しいです。この辺りの方向性の違いを総括した本、ないのでしょうか。一応、砺波護・藤井譲治『京大東洋学の百年』(京大学術出版社、2002)に、京都シナ学側の学者の列伝が載ってはいます。
 「vsは言い過ぎかも…」と書かれているとおり、個人的には、そこまでの方向性の差が認められるのか、現状ではよく分かっていません。その時期の研究書を網羅するほどは読んでいないから答えられない、というのもあります。また、池田秀三『中国古典学のかたち』(研文出版、2014)などでも、京都学派がどうこう、という話はかなり注意が必要である旨、繰り返し書かれています。
 ただ時折、ああこれこそ東大の先生の文章だなあ、という研究書に出会い、なんとなく空気の違いを感じたりすることもありますし、そういう実感を持ったことのある人も多いようには思います。

Q4.欧米圏の研究について何か。
 こちらもあまり詳しくありません。自力で読んだ研究書となるとBanjamin Elman先生のものぐらいでしょうか。また、最近音韻学の勉強をしているので、その関係で少し名前を覚えた人がいるぐらいです。
 一例ですが、砺波護・杉山正明・岸本美緒『中国歴史研究入門』名古屋大学出版会、2005)には、欧米の研究も色々と載っていたように思います。欧米の研究も読んでみなければ、とは思うものの手を付けられていないのが正直なところです。

 ご覧のように、特に下二つのお題に対して、今ひとつ答えられませんでした。また勉強して、良い本に巡り会いましたらご紹介します。
 ネタ切れ気味でなかなか記事が書けていませんので、他にも質問やご要望がありましたら、コメント欄か質問箱まで是非どうぞ。