達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

宮崎市定訳『鹿洲公案―清朝地方裁判官の記録』

 『鹿洲公案』とは、特に台湾の統治に力を発揮した、清朝の実務派官僚の代表格である藍鼎元(1680-1733)が、自分が任地で体験した統治・裁判の事例を記録した本です。

 そしてこれを翻訳したのが宮崎市定で、平凡社東洋文庫『鹿洲公案―清朝地方裁判官の記録』として収められています。しかしこの翻訳は、一風変わったものです。本書の凡例を見てみましょう。

 一、この翻訳は、いわゆる学術的な翻訳ではない。という意味はむつかしい原語をそのまま訳文の中に残しておいて、注でそれを説明するというような方法をとらないということである。だからこの訳文を学術的な論文などに引用する場合には、原書はいくらでもある本だから、一度原文に当たってみてほしい。

 一、この翻訳は普通の日本読書人に、読んですらすら意味が取れることを目標としたうえ、国情の差異からくる理解の困難を埋めるために、特別の説明を加えた個所がある。もしも翻訳というものが、ある国の真実を他国の人民に理解させることが最上の使命であるとする観点に立つならば、この翻訳はすぐれて高度に学術的な翻訳であるとも言える。

 つまり本書は、『鹿洲公案』の原文の逐語訳ではなく、その訳文を理解する助けとなる背景的な事情の説明が組み込まれた訳文になっています。「もしも翻訳というものが、ある国の真実を他国の人民に理解させることが最上の使命であるとする観点に立つならば、この翻訳はすぐれて高度に学術的な翻訳であるとも言える」という言葉からは、氏の強烈な自負が垣間見えます。

  試しに、一つ目のエピソードである「五営兵食」の原文と、宮崎市定の訳文を一緒に見てみましょう。

(原文)

 潮陽一縣,歳徵民米軍屯,一萬一千餘石。配給海門,達濠,潮陽,惠來,潮州城守,五營兵食,無有存者。徵收不前,則庚癸將呼,非細故也。雍正五年丁未,承三載荒歉之餘,米價騰貴。潮令魏君,發支兵米,至五月之半止矣,其半月不能繼。六七兩月將離任,又不繼。八月解組,大埔尹白君署潮篆,九月卒于官。五營軍士,半載乏食,懸釜嗷嗷,民閒岌焉。

  これに対する翻訳(?)が以下。

宮崎市定の訳文)

 潮陽という県は、広東省の潮州府に属し、海岸に面した重要な地方である。そこに任命された県知事にとって、何よりも重要な任務は、その付近に駐屯する軍隊に食糧を供給することであった。一県で一年に徴収する地租の高は、一般の民田と、軍屯田、民屯田という官有地の上がりを総計して一万一千余石ある。一方、軍隊は、海門営・達濠営・潮陽営・惠來営・潮州城守営と、五カ所に分かれて駐屯している。ところが不思議なことに、この五営に供給する食糧がいつも不足がちなのである。その原因はいうまでもなく租税の滞納にある。だから県知事はいつも躍起となって租税の取り立てにせいを出す。もしその租税米が入ってこないようだと、軍隊の食糧配給がおくれることになり、不満を抱いた軍隊は、いつ兵変を起こさないとも限らない、危険な状態に陥るのだ。

 雍正五年(一七二七年)という年は、この地方を続けざまに三年襲った飢饉のあと、四年目という年である。市場では米価が天井知らずに値上がりし、民間にも食う米がない。五月の半ばになると、もう軍隊へ送る米がなくなってしまった。あと半月は全くの欠配だ。六月からまた配給を始めたが、この知事の任期は七月できれるのだ。それを見込んで、租税の滞納はますます甚しくなる。兵糧の遅配が続くので、県知事は円満に交代することができず、八月に入って懲戒免職になった。それに代わって近くの大埔県の知事の白某が、臨時に知事代理を仰せつかってやってきたが、ほとんど何もする暇もなく、九月に病気で亡くなった。だからこの間というもの、五営の軍隊は半年近く欠配が続き、釜をかけても炊く米がない。恐らく芋でも買って代用食にしていたのだろう。軍隊がこのように不満を抱けば、いつ掠奪にでもこられはしまいかと、民間でも絶えず、ひやひやしていなければならぬ。

 全編にわたってこの調子で翻訳されていて、引っ掛かるところがほとんどありません。

 ただ背景事情を説明するだけではなく、氏ならではの情景が浮かぶ訳、空気感を掴んだ解釈が随所に現れていて、逐語訳ではないにもかかわらず、訳文と対照させて読むとなおさら輝く本であるように思います。

 みなさま、ぜひ読んでみてください。

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(棋客)