凡音者,生人心者也。情動於中,故形於聲,聲成文謂之音。是故治世之音,安以樂,其政和。亂世之音,怨以怒,其政乖。亡國之音,哀以思,其民困。聲音之道與政通矣。
福永光司『芸術論集』(吉川幸次郎・小川環樹監修、朝日新聞社、1971)の解説を元に、訳文を示しておきます。
一般に音とは、人心から生じるものである。心の中に感情が生じるから、声となってあらわれ、その声が文(交錯の美、こころよい旋律)を備えるようになったものを「音」とよぶ。だから治世の音楽は、その響きも安らかで楽しさを感じさせる。その政治が安定し人心も安定しているからである。乱世の音楽は、その響きに怨みがこもり、怒気を感じさせる。その政治が中正を失い、人心も険悪だからである。亡国の音楽は、その響きが悲哀に満ち憂愁を感じさせる。その民は痛苦にのたうっているからである。かくて、音楽の在り方は、政治の在り方と通じ合っているのである。
※上の訳は、福永氏の解説から訳を作ったもので、福永訳というわけではありません。
この部分の鄭玄注は以下です。私訳をつけておきます。
言八音和否隨政也。玉藻曰:御瞽幾聲之上下。
(私訳)音楽が調和するかどうかは、政治の状況によるのである。『礼記』玉藻には「御瞽(音楽の演奏を生業とする人)は、音楽の上がり下がりを観察する」とある。
『礼記』玉藻「御瞽幾聲之上下」の鄭注には「瞽,樂人也。幾,猶察也。察其哀樂」とある。
今回話題にしたいのは、この経文に対する『経典釈文』に、この文章の句読が二種類示されていることです。以下、該当部分の『釈文』を、『四部叢刊初編』本の字句に従って示しておきます。
治世之音,絕句。安以樂,音洛,絕句。雷讀上至安絕句,樂音岳,以樂二字為句。其政和,崔讀上句依雷,下以樂其政和摠為一句,下亂世亡國各放此。以思,息吏反,又音笥。和否,音不。玉藻,音早。御瞽,音古。幾聲,居希反,又音祈。上下,時掌反。
太字が上の経文・鄭注に対応し、そこに続く文でその経文の字句の読み方を示しています。例えば、「和否,音不。」とあるのは、鄭注「言八音和否隨政也」の「否」の読み方が「不」と同じであることを示しています。
まずここで気になるのは、以下の部分です。訳とともに示します。
安以樂,音洛,絕句。雷讀上至安絕句。樂音岳,以樂二字為句。
(訳)経文の「安以樂」の「樂」は、音は「洛」で、ここで句を断つ。雷氏の讀み方では、上から続いて「安」で句を断ち、「樂」の音は「岳」で、「以樂」の二字で一句とする。
「樂」は多音字で、「洛」の音とある場合は「楽しい」の意味(現代語ではlèと発音)、「岳」の音と有る場合は「音楽」の意味(現代語ではyuèと発音)です。なお、多音字については、「多音字について | 文言基礎」を参考にしてください。
この『釈文』に従うと、雷氏の句読はこうなります。
是故治世之音安,以樂,其政和。
「以樂,其政和」の部分を上手く翻訳できないのですが、「よって治世の音楽は安らかであり、そこで音楽を演奏すると、その政治は安らかなものとなる」といった感じになるのでしょうか。
なお、この部分は後ろの二句と対句になっていますから、雷氏は後文も同様に読んでいたものと思われます。まとめると、以下のようになります。
是故治世之音安,以樂,其政和。亂世之音怨,以怒,其政乖。亡國之音哀,以思,其民困。
(私訳)よって治世の音楽は安らかであり、そこで音楽を演奏すると、その政治は安らかなものとなる。乱世の音は怨みがこもっていて、そこで怒りが生じ、その政治は中正を失う。亡国の音楽は悲哀に満ちており、そこで憂愁を感じ、その民は痛苦にのたうつ。
やはり、「以樂」の「樂」を音楽の意味と取ると、「以樂」→「其政和」が上手く繋がらないのが気になります。
次に気になるのは、『釈文』の以下の部分です。
其政和,崔讀上句依雷,下以樂其政和摠為一句,下亂世亡國各放此。
(訳)経文の「其政和」は、崔氏の読み方では、上句は雷氏の読み方に従い、下は「以樂其政和」をまとめて一句とし、下の「亂世」「亡國」もこれに倣う。
となると、崔氏の句読はこうなります。
是故治世之音安,以樂其政和。亂世之音怨,以怒其政乖。亡國之音哀,以思其民困。
以下に私訳も示しておきます。崔氏が「楽」をどう読んでいたのかは分かりませんが、「洛」の音で読んでいたとして翻訳しました。
(訳)よって治世の音楽は安らかで、その政治が安定していることを楽しむ。乱世の音楽は怨みがこもっていて、その政治が中正を失っていることを怒る。亡国の音楽は悲哀に満ち、その民が痛苦にのたうっていることを心配する。
「以樂其政和」「以怒其政乖」「以思其民困」をどう読むべきか難しく、すっきりしませんが、とりあえず「其政和」を「楽しむ」という方向で読みました。
以上のような、「どこで点を切るのか?」という疑問は、漢文を読む際には常に生じる問題です。特に標点本を読む際には、ついつい既に打ってある句点に沿って読んでしまいますが、常に「この句読で正しいのか」という疑問を持ち続けることが重要です。古代人ですら、句点の位置は食い違い得るのですから。
さて、最初に紹介した「雷氏」とは、宋の雷次宗(もしくは子の雷肅之)のことと推測されます。『經典釋文』序録の『礼記』の項目に特に言及がないので直接的な根拠はないのですが、たとえば序録の『毛詩』には「難孫申鄭,宋徵士鴈門周續之(字道祖,及雷次宗俱事廬山惠遠法師),豫章雷次宗(字仲倫,宋通直郎徵不起),齊沛國劉瓛,竝爲詩序義」とあり、また『儀礼』の注釈者として雷次宗の名前があります。
また、『隋書』経籍志には「毛詩序義二卷(宋通直郎雷次宗撰。梁有毛詩義一卷雷次宗撰)」、「略注喪服經傳一卷(雷次宗注)」の著録があります。子の雷肅之かもしれないと書いたのは、「禮記新義疏二十卷(賀瑒撰。梁有義疏三卷,宋豫章郡丞雷肅之撰,亡)」と、彼が『礼記』の義疏を残していたことが分かるからです。
なお、『宋書』雷次宗伝には「雷次宗字仲倫,豫章南昌人也。少入廬山,事沙門釋慧遠,篤志好學,尤明三禮、毛詩,隱退不交世務」とあり、雷次宗が三礼に秀でた人物であったことが記録されています。
次に紹介した「崔氏」は、宋の崔靈恩だと思われます。これも『経典釈文』序録に直接の根拠はありませんが、『隋書』経籍志に「三禮義宗三十卷(崔靈恩撰)」の著録があります。また、『宋書』崔靈恩伝には「崔靈恩,清河東武城人也。少篤學,徧習五經,尤精三禮、三傳」とあり、彼の著作として「集注毛詩二十二卷,集注周禮四十卷,制三禮義宗三十卷,左氏經傳義二十二卷,左氏條例十卷,公羊、穀梁文句義十卷」を挙げています。
さて、上で紹介した一文は、福永氏の本では、嵆康の「声無哀楽論」と比較しながら論じられています。次回、この点を詳しく見ていきましょう。
(棋客)
*1:『毛詩』大序にも「情發於聲。聲成文謂之音。治世之音安以樂。其政和。亂世之音怨以怒。其政乖。亡國之音哀以思。其民困」など、ほぼ同文が見えます