達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

『藤堂明保中国語学論集』の「古代語の意味と古典の解読」

 本日は、『藤堂明保中国語学論集』(汲古書院、1987)を取り上げます。この本は、藤堂氏の没後に既発表の文章を集めて作られた遺稿集ですが、関連の深い論文が順序だてて並べられており、藤堂氏の研究を見渡せる内容になっています。

 このうち、「古代語の意味と古典の解読」から、『論語』について氏が読み解く一段を少しだけ見てみます。今回は、余計な解説を加えず、氏の巧みな解説を淡々と見てみましょう(手抜き更新ではありませんよ!)。

 

 誰もが知っている『論語』為政篇の「温故知新」という言葉について、藤堂氏は以下のように述べています(p.273-274)。

 訓読では「故きをたずねて新しきを知る」と読むのが通例である。だが「温」というコトバのどこに「たずねる」という意味があろう。この訓読の由来を考えてみると、次のとおりである。

 『中庸』鄭注に、「温とは読んで温燖の温の如し」とある。漢代に「温燖」(じわじわと温める)という熟語があったことが分かる。

 『論語』古注に「温とは尋なり。故きものを尋繹し云々」とある。この「尋」とは「燖」の代字であって、「温」を「温燖」と解したのは、鄭注と同じである。

 『論語』新注に「温とは尋繹するなり」とある。この注は古注を受けているが、しかし「燖」というコトバをとばして、直接「尋繹」(たずねる)へと飛躍したものである。

 日本の訓読は新注を受けたために、ただちに「たずねる」と訳して怪しまない。けれども上の経緯に明らかなように、それは「燖」という漢代の解説を見過ごしている。『左伝』哀公十二年に「盟、もし尋(あたた)むべくんば、また寒(ひや)すべきなり」とある。その『正義』に、

 鄭玄の儀礼注に尋は温なりとある。……およそ尋盟というばあいは、前盟のすでに寒(ひえ)たるをもって、之を温めて熟せしめること。

 と説いている。「尋」―「寒」が対応するのだから、「尋」は明らかに温める意であり、「燖」の代字なのである。『国語』晋語に「襄子まさに食せんとし、飯を尋(あたた)む」とあるのも、同じ用例である。「尋」とは、冷えた飯をふかして温めたり、すでに効力の薄れた同盟を温めて記憶を新たにしたりするばあいに用いられている。「燖(尋)」とは、新たに熱をとおしてじわじわと温めることを表すコトバなのである。してみると、『論語』の文章も当然「故きをあたためて」と読むべきということがわかろう。げんにそう読んでいる方もあることだし、解説に当たっても、この方がはるかに都合がよい。私たちは「旧交を温める」「冷飯を温める」という表現には馴れており、古いものを温めて生気をよみがえらせるという解説ならば、容易に理解することができる。「たずねて」というとらえ方は、早急に改むべきであろう。

 この上なく分かりやすい、言葉を尽くしながらも要点を衝いた簡明な解説に、感動すら覚えます。

 あちこちの図書館に入っている本ですので、ぜひ眺めてみてください。かなり専門的で難しい論文もありますが、読みやすいものも多いです。

 (棋客)