達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

洪誠『訓詁学講義』より(3)

 今回も、洪誠(森賀一恵・橋本秀美訳)『訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)』(アルヒーフ、2004)から、気になる条を取り上げていきます。今日扱うのは、第四章「注を読む」の「三、注文を誤解してはいけないし、誤信してもいけない」(p.224-225)です。

 今日の主題となるのは、『論語』の以下の一節です。

論語』里仁

 子曰:苟志於仁矣,無惡也。

(訓読)子曰はく、苟(まことに/いやしくも)仁に志せば、惡無きなり。

 旧注・新注を掲げておきます。

(何妟集解)孔曰:苟,誠也。言誠能志於仁,則其餘終無惡。

朱子注)苟,誠也。志者,心之所之也。其心誠在於仁,則必無為惡之事矣。

 洪氏は、この「苟,誠也」という訓詁について、以下のように説明しています。

 何注のなかの「誠」字は、「如果(もし)」或いは「誠然(ほんとうに)」の意味である。「専誠致力(誠心誠意努力する)」と解釈する人がいるが、誤りである。こういう場合の考え方としては、「苟」字には「苟且(いいかげんに)」・「姑且(とりあえず)」・「如果」のなどの意味があることをまず確認して、これらの意味と「誠」字を結びつけて考えれば、この「誠」字には「如果真(もしほんとうに)」の意味しかなく、「専誠(誠心誠意)」の意味はあるはずないことがわかる。「如果真」には仮定の意味があるが、「専誠」には仮定の意味がないからである。

 「A,B也」というのは訓詁の基本形で、本文の「A」字の意味が「B」字であることを示すものです。一見してA字とB字の意味の共通性が分かる場合はよいのですが、分かりにくい場合、ついついB字の普通の意味(「誠」なら「まことに」)でA字を置き換えて読むことになる時があります。

 実際、完全に別の意義を持つB字で置き換えることを示す場合もありますが、原則の読解方法は、上で洪氏が述べた通りです。

 以下、続きの文章を読みましょう。

 注文を誤解する原因は三つある。一、一字多義であるために、注はその字のAの意味で本文を解釈していたのに、読者は誤ってBの意味で言っているのだと考える。二、注文が明瞭でなく、読者が本文と結び付けて考えない。三、注文は先人の旧注を用いていることもあれば、注釈者の時代の通用語に改めていることもあり、読者にとっては把握しにくい。誤解を避ける方法は、注文を通じて本文を理解するだけではなく、更に本文と結び付けて注を理解し、両者を突き合わせて検討し、語意が通じるかどうか、適切かどうかを確かめる。

 注を読解する際に気を付けるべき指針です。

 

 ちなみに、『論語』の吉川幸次郎訳では、「苟」について、やや説が分かれるとしかながらも、仮定の助字であるにはちがいないとしています。そして、以下の二つの解釈を提示しています。

  • 朱子:「もしも確実に仁に志すならば、」
  • 徂徠:「もしも少しでも仁に志しさえすれば、」

 「仮定の助字であるにはちがいない」という説明は的確です。ちなみに、後者の説が、実は徂徠ではなく仁斎に由来するものであることについては、「学退筆談」様に解説があります。

「苟志於仁矣」をめぐってxuetui.wordpress.com

 次回の記事はこちらです→洪誠『訓詁学講義』より(4) - 達而録

(棋客)