達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

井筒俊彦「ムハンマド伝」

 最近、『井筒俊彦著作集』(中央公論社、1991.10-1993.8を冒頭から眺めています。もともと『意識と本質』や『東洋哲学の構造――エラノス会議講演集』などしか読んだことがありませんでしたが、若かりし頃の井筒の文章の筆致にはまた異なる魅力があるように思います。

 今日紹介するのは、『著作集』第二冊に収録されている「イスラーム生誕」の第一部「ムハンマド伝」です。もとは、1952年『マホメット』(アテネ文庫)として出版され、1979年に一部改訂されて人文書院から再版されたものです。のち、講談社学術文庫にも入っています。

 よって、当初の原稿は井筒(1914年生まれ)が38歳のときに完成したものということになり、井筒自身、本作は「若年の私のロマンティックな夢をじかに言葉に移したような作品」であると述べています(p.10)。

 本作の冒頭、井筒がムハンマドへの思いを述べる一段を見ると、このことがよく分かります。

 ムハンマドは私の青春の血潮を湧き立たせた人物だ。一生の方向を左右する決定的な一時期を私はこの異常な人の面影とともに過ごした。彼は至るところ私についてまわった。第一に生活の環境がそれを私に強要したのだった。朝起きてから夜床に就くまでアラビア語を読み、アラビア語を喋り、アラビア語を教え、机に向えば古いアラビア詩集やコーランを読み解くという、今にして憶えばまるで夢のような日々を送っていたその頃の私に、ムハンマドのことを忘れる暇などありようもなかった。しかも精神的世界の英雄を求めて止まなかった当時の私の心は、覇気満々たるこのムハンマドという人物の魁偉な風貌に完全に魅惑されていたのだった。あの頃の生活の狂騒がようやくおさまり、あたりを取り巻いていた喧囂の声も遠い仄かな潮騒の音にしか聞えなくなってしまった今日、書肆の要求に応じてムハンマド論の筆を執るべく憶いを彼の上にひそめてみれば、髣髴と眼底に浮かんで来るこの熱情的な沙漠の児の面影とともに、青春の日のわれとわが身の様々な姿が幻想のように次々に忘却の淵から現われて来て、自らにして起る胸のざわめきを禁じることができない。

 いわゆる「学術書」「研究書」の規範に収まらない、荒々しい筆遣いに胸の高まりを抑えきれません。

 またしても私に近づいて来るのか、蹌踉とよろめく姿どもよ、
 かつて朧げなわが眼に映った汝らよ。
 さあ此度こそ力をつくし汝らを取り抑えて見せようぞ。
 なんたることか、わが心のいまなおそのかみの夢に牽かれるとは。
 私に迫って来るのか、汝ら。よし、靄霧の只中からわが身を繞って立昇り
 思いのままに振舞うがよい。
 汝らの群を吹きめぐる呪の気息に
 いまわが脚は若やいで、あやしい心地にゆれ動く。

 とゲーテは『ファウスト』の冒頭に書きしるした。もとよりこの世界的詩人が自己の生涯をかけての傑作を前にして禁じ得なかった感動に、取るに足らぬ自分の感動を比較してみようというのではさらにないが、それにしでも今これから書こうとする小さなムハンマド論を前にして私も私なりの深い感慨をどうすることもできないのだ。歴史的な学問研究は飽くまで客観的精神に終始しなければならぬ。それは自分にもよく分ってはいるけれど、しかし冷い客観的な態度でムハンマドを取扱うことは私には到底できそうもない。自分の心臓の血が直接に流れ通わぬようなムハンマド像は今の私には描けない。だからいっそ思いきって、胸中に群がり寄せて来る乱れ紛れた形象の誘いに身を委せてみよう。文化と文明を誇る大都会の塵埃と穢悪に満ちた巷に在ることを忘れて、幻の導くままに数千里の海路の彼方、荒謬たるアラビアの沙漠に遥かな思いを馳せてみよう。天空には炎々と燃えさかる灼熱の太陽、地上には焼けただれた岩石、そして見はるかす砂また砂の広曠たる平原。こんな不気味な、異様な世界に、預言者ムハンマドは生れたのだった。 

 自著の執筆に、ゲーテファウスト』の冒頭を引き合いに出すことの大胆さを井筒は誰よりも承知していたはずですが、それでも引き合いに出す気持ちを抑えきれなかった井筒の本作にかける意気込みが伝わってきます。

 井筒による情熱的な「ムハンマド伝」は、もはやムハンマドの言葉なのか、井筒の言葉なのかが分からなくなるほど、両者の境界線が溶けた文章で書き記されています。その大胆で独特な筆致を多くの方に味わっていただきたいと思います。

 

 上は中央公論社から出た著作集ですが、つい最近、慶應義塾大学出版社から『井筒俊彦全集』も出版されたようですね。

「井筒俊彦全集」 特設サイト「井筒俊彦」〜言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者 | 慶應義塾大学出版会

(棋客)