達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

アンリ・マスペロ『道教』(1)

 今回は、アンリ・マスペロの名著『道教』川勝義雄訳、平凡社東洋文庫329、1978)を読んでみます。アンリ・マスペロは、1883年生まれのフランス人の東洋学者です。道教・仏教・中国古代史のほか、ベトナム史やベトナム語など、幅広い分野において研究を進め、特に道教研究の第一人者として知られています。

 彼は悲劇的な最期を遂げた人でもあります。ドイツによってパリが占領されているとき、息子がレジスタンス運動に参加していたことから、彼は妻とともに(パリ解放の直前に)ブーヘンヴァルト強制収容所に収容され、そのまま死亡しました。

 

 今回と次回で、『道教』の第三章「西暦初頭数世紀の道教に関する研究」の「序文―文献学的に―」(p.92-99)を取り上げます。ここは、道教を研究する意義とその際の文献的な困難を説明する箇所です。現在は研究が進み、すでに古くなっている説もあるのでしょうが、道教の体系的な研究を最初に試みた論考として、今でも参考価値のある内容だと思います。

 早速、読み進めていきましょう。

 西暦初頭数世紀、中国でいえば、後漢時代および内部分裂と蛮族侵入のいわゆる三国六朝時代は、宗教的な大変革によって目立っている。経書本文の決定的な確立と、偉大な注釈の作成によって、儒教がはじめて明確な形をあらわしたのもこのときであり、中国に仏教という外国の宗教が伝来し、やがてそれが顕著な成功をおさめたのもこの時代であった。そして道教が宗教的、政治的に、同時にその全盛に達したと思われるのも、またこの時代なのである。要するに、この数世紀こそ、偉大なるもろもろの思想が形成され、それが中世および近世における中国精神の基盤となった時代である。

 ところが、この時代の宗教史はほとんど知られていない。儒教のばあいには、儒者たちの伝記が残っているが、しかしそれは、かれらの占めた官職をながながと列挙してはいても、かれらの思想についてはほとんど語るところがなく、また、かれらが書いた書物も大部分がなくなっている。仏教については、僧侶の伝記が残っているが、これも教団の組織やその発展について、われわれにはほとんど何ものをも教えてくれない。道教のばあい、事情はさらに悪い。

 道教の書物はただ一度、明代に一四四四年から四七年ころに出版されただけである。この版はわずかに二部、一部は北京に、もう一部は東京に残っているにすぎない。したがって、この『道蔵』はほとんど近よれないものであった。幸いに、近年その再版が出たが、それはわずか十年くらい前のことである。そしてここに蒐集されている書物は千冊以上の厖大なもので、千五百種に近い著作から成り、その多くはきわめて長いものである。したがって、その探究はやっと始まったばかりであって、それは今後、長い困難な道をたどるであろう。

 魏晋六朝時代の思想・宗教の研究は、現代でも中国学の屈指のトピックの一つといえるでしょう。この時代は、三教(儒教・仏教・道教)が交差するだけではなく、遊牧民と中国の関わり、貴族制の発達などさまざまな特徴があり、豊富な文化を生み出しました。

 明代に出版された道教の書物とは、『正統道蔵』を指します。

 さて、道教はそれだけをとってみても、また仏教との関係からみても、西暦初頭数世紀の中国宗教史において大きな役割を演じた。中国で仏教が成功したことは、極東の宗教史のなかでもっとも驚くべき事実の一つである。なぜなら、インドと中国の宗教的素質ほど正反対なものを、われわれはほかに想像できないからである。そこには共通の考えかたも、共通の感情もなんら存在せず、一見したところでは、外国の布教師がどういう手段でかれらの教義を浸透させ、受け入れさせることができたのかわからないであろう。道教がこの移入に一役買ったであろうと気づいたのは、わずかにここ数年前のことである。実際に、仏教の主な術語は、そのサンスクリットの用語をなんとか漢字に写して簡単に音訳されないときには、道教の術語を使って翻訳した。それはまず興味をひく事実である。しかしさらに一歩進んで、仏教と道教が相互にいかに影響しあったかを仔細に調べようとすると、われわれが道教の教義や、さらにまた教義の発展について知らないことが多いために、たちまち研究が行きづまってしまうのである。

 仏典との関わりが深い道教経典としては、『霊宝経』の系統が取り上げられることが多いです。仏典と道教経典は相互に読み解いていく必要があることが分かります。

 次に、話は道教経典の文献学的な問題点に移ります。

 道教史の研究における主な困難の一つは、古い道教の書物が著作年代不明であるということからおこる。それらの著者は不明であり、それがどの時代まで遡るかがわからない。そして著者の名や、年代上の手がかりを与えるような序文も、冒頭または巻末の識語もない。ある書物のごときは、漢代のものか明代のおのか、つまり十五世紀もの間のどこに置くべきかに迷うこともあるのである。

 文献に根拠を置いて歴史・文学・思想などの研究を進める「文献学」においては、研究の材料となる文献がどのような性質のものなのか(著者や成立年代)を確定することが非常に重要です。それは、文献学においては「文献」が最も基礎になるデータであり、この点に認識の誤りがあると、そこを起点に進められる研究は全て誤りということになってしまうからです。

 しかしながら、道教の歴史を書きうるためには、いくつかの著作年代をはっきりさせることが必要である。私はそのいくつかをきめるのに成功したと信ずる。ここではその研究の詳細をのべることはできないが、ただその結果を簡単にのべて、『道蔵』のなかに収められた何の手がかりもない若干の道教書に、私がかなり確かな著作年代をつけたのは、決してでたらめなものではないことを示すだけにとどめよう。

 こうした道教経典の文献学的な問題について、最初に見通しを示したのがマスペロというわけです。次回、詳細を見ていきましょう。

(棋客)