達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

『左伝』の訳書と概説書の紹介

 とある方にリクエストを受けて、『春秋左氏伝』の訳書や概説書の手引きを作ってみることにしました。(この方の学識には及ぶべくもないのですが、何故私が…。)週一回更新を守りたいのですが常にネタ切れ気味ですので、何か良いネタがありましたら教えてください。

 『春秋左氏伝』は歴史書ということで、その訳を求める初学者の多くは歴史物語的なものを想像するのかも知れません。が、手に取ってみれば分かるように、その記述は非常に簡潔なものになっており、翻訳だけを見てその背後にあるストーリーを読み取るのは至難の業です。また、基本的に年代順に書かれている(=”編年体”)ため、一連の事件があちこちに分断され、筋が追いにくくなっている場合もあります。

 この点に配慮し、初学者向けに読みやすい訳を作ったものとして、松枝茂夫『左伝』(徳間書店、1973)があります。
 これは抄訳で、なおかつ分断された事件を再構成し、系図や解題を逐一載せて、極力読みやすい作りにされています。訳も口語的に読みやすく訳されており、『左伝』入門の一冊としては良いのではないでしょうか。

  f:id:chutetsu:20200104031716j:plain

 

 また、比較的新しい概説書としては野間文史『春秋左氏伝:その構成と基軸』(研文出版、2010)があり、これも平易で読みやすく、よく紹介されます。『左伝』が持つ史学の面と経学の面を、ともに整理した優れた概説書です。こちらにも、『左伝』の実際の内容を抄訳で紹介している部分もありますので、雰囲気を掴むことが出来ます。(竹内航治氏の書評がありますので、参考まで。)

  f:id:chutetsu:20200104031719j:plain

 

 入門的な本を紹介したところで、全訳本に移ります。

 第一に推薦されるのは、小倉芳彦『春秋左氏伝』上岩波文庫、1988)でしょうか。岩波文庫なので最も入手が容易で、かつよく推薦されているもの。ただ、原文・訓読はついていません。以下に、より詳細な解説があります。
archer0921.hatenablog.com

  f:id:chutetsu:20200104031721j:plain

 蛇足ですが、私の好きな小倉氏の著作は『古代中国を読む』(岩波書店)(論創社、2003)です(『小倉芳彦著作選1』にも収められています)。研究者が、自身の苦悩をここまで赤裸々に語った本を、私は他に知りません。個人的には、『左伝』はもちろんですが、特に『論語』のところが印象に残っています。また、小倉氏の『左伝』研究は、『春秋左氏伝研究』(『小倉芳彦著作選3』論創社、2003)に載っています。

 

 さて、漢籍の全訳本と言えば、「新釈漢文大系」と「全釈漢文大系」のシリーズはやはり外せません。

 新釈漢文大系は、鎌田正『春秋左氏伝』全4巻(明治書院、1971)です。新釈漢文大系は、訳者によって質や方針の差が大きいことはしばしば指摘されますが、左伝研究の第一人者である氏のこと、信頼性は高いでしょう。これは原文と訓読も付いていて、注釈も手厚いです。

  f:id:chutetsu:20200104031724j:plain

 また、鎌田氏の研究書として今でもよく引用されるものに、鎌田正『左傳の成立と其の展開』(大修館書店、1992、もと1963)があります。左伝研究に名を残す大作であること、疑いないでしょう。

 

 続いて、全釈漢文大系は、竹内照夫 『春秋左氏伝』上・中・下(集英社、1974)です。これは、後に平凡社の中国古典文学大系に収められています。
 こちらも原文・訓読を付しています。ただ、新釈本に比べて、やや語釈が手薄でしょうか。

 

 『左伝』をはじめとする経書類には、のちに注釈が施され、その後の読者たちは基本的にはその注釈を通して経書を読むことになります。『左伝』の場合、最も広く受け入れられたのは、西晋の「杜預」という人による注釈です。

 この杜預注を含めて訳注を施したものに、岩本憲司『春秋左氏伝杜預集解』上汲古書院、2001)があります。

 更に、現在出版中で未完ですが、経文・杜預注・孔穎達正義の訳注を全て備えたものに野間文史『春秋左傳正義譯注』第一冊(明徳出版社、2017)第二冊第三冊があります。但し、吉川幸次郎ら訳の『尚書正義』ですら、かなりの難産であったことが知られている中、その数倍の量を全訳するわけで、内容の評価は難しいところもあるでしょうか。実際、本書の誤謬の訂正を試みた、岩本憲司『春秋学用語集 補編』(汲古書院、2018)も出版されています。

 

【2019/04/18 加筆】
 この記事をアップした後、「とある方」に他の著作を教えて頂いたり(ありがとうございます)、自分で書く予定だったものの入れ忘れたものがあったりしたので、少し追加します。

博文館編輯局『春秋左氏伝 1~5』(博文館、1941)
 全体の解説+各巻ごとの概観+経伝の全訳というスタイル。特に「各巻ごとの概観」が抜群で、先に述べたように経伝を読み進めるだけでは歴史の筋を追いにくいところのある『左伝』を、上手く整理しています。ここで「整理」とは書きましたが、あくまで各年ごとの概要紹介、というスタンスを取っていて、経伝から離れすぎていないところもちょうど良い塩梅です。
 今は手に入りにくいようですが、国会図書館のデジタルコレクションに収められていますので、誰でも無料で読むことが出来ます。

・竹添光鴻『春秋左氏会箋 上・下』(冨山房、1904)
 先に挙げた二種の「漢文大系」の親玉的存在とも言える、冨山房の『漢文大系』シリーズから。訓読と独自の注釈を施しますが、全て漢文で書かれていて、あくまで研究者向けといったところでしょうか。私は、訓読が必要だが上手く読めないときに、参考にすることがあります。注釈の出典が明記されない欠点はしばしば指摘されます。
 ※国会図書館のデジタルコレクションあり。

・楊伯峻『春秋左伝注』(中華書局、1981)
 「訳本」というカテゴリーからは外れますが、個人的によく利用する本なのでリストアップしておきます。ちょっと読みに迷うとき、かゆいところに手が届く本で大変便利です。他の中国での研究書や訳本は、張尚英氏の紹介記事を参照のこと。