達而録

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林平和『禮記鄭注音讀與釋義之商榷』を読む

 昔、古本市で入手した林平和『禮記鄭注音讀與釋義之商榷』(文史哲出版社, 1981)という本をつらつらと眺めていました。この本は、『礼記』の鄭玄注のなかから、鄭玄の「音読」と「釈義」に疑問がある例を取り上げて、札記形式で一つ一つ議論するものです。

 今回は、第二章「鄭注音義之商榷」、十三「美皆當爲儀」の例を取り上げてみましょう。

 少儀:「言語之美、穆穆皇皇。朝廷之美、濟濟翔翔。祭祀之美、齊齊皇皇。車馬之美、匪匪翼翼。鸞和之美、肅肅雍雍」

 鄭注:「美、皆當為儀、字之誤也。周禮教國子六儀、一曰祭祀之容、二曰賓客之容、三曰朝廷之容、四曰喪紀之容、五曰軍旅之容、六曰車馬之容。」

 按:鄭注以美爲儀、乃據周禮保氏教國之六儀也。然周禮保氏教國子之六儀、與少儀所記並非一致、故私謂「美」讀如字、經義自明、不必改讀。胡銓、輔廣、陳澔、李光坡、孫希旦、郝懿行、皆讀「美」如字。

 『礼記』の少儀篇にある「言語之美、穆穆皇皇。朝廷之美、濟濟翔翔。祭祀之美、齊齊皇皇。車馬之美、匪匪翼翼。鸞和之美、肅肅雍雍」という一節について、鄭玄はこの一節の「美」の字を、すべて「儀」の字として読む説を立てています。林氏は、この鄭説に反対し、「美」のままで意味が自明であり、「儀」に読み替える必要はないとしています。

 以下、林氏は胡銓・輔廣の説(衛湜『禮記集説』に引かれる)、陳澔『禮記集説』、李光坡『禮記述注』、孫希旦『禮記集解』、郝懿行『禮記箋』の説を引用して、その説の補強をしていきますが、その部分は省略しました。

 

 このように、林氏のこの本は、鄭玄注の誤りを正そうという方向性から執筆されたものですが、いま読んでみると、別の角度から使うこともできます。

 というのも、この本は、「鄭玄は、経文をそのまま読んでもよさそうなところを、なぜわざわざ字を改めて読んだのだろうか」と疑問の浮かぶ箇所を列挙したものとも言えるわけです。

 先の例で言えば、「美」のままで意味が自明であることぐらい、鄭玄も分かっていたでしょう。そこから、ではなぜ鄭玄は「儀」字へと読み替えをしたのだろうか、という問いが浮かびます。

 今回の『礼記』少儀の経文の場合は、鄭玄注に書かれているように、『周禮』地官・保氏の記述との関連を考えた結果、「儀」への読み替えになったわけです。『周禮』地官・保氏の経文を挙げておきます。

 保氏掌諫王惡、而養國子以道。乃教之六藝、一曰五禮、二曰六樂、三曰五射、四曰五馭、五曰六書、六曰九數。乃教之六儀、一曰祭祀之容、二曰賓客之容、三曰朝廷之容、四曰喪紀之容、五曰軍旅之容、六曰車馬之容。

 この『周禮』の経文に対する鄭玄注にも、『禮記』少儀の上の文章が挙げられていて、鄭玄が関連付けて理解していたことが窺えます。ではなぜ、『周禮』保氏と『禮記』少儀のこの経文を鄭玄は関連すると考えたのか…と、考察を深めていくことができます。

 今回は、本の紹介ということで、ここまでにしておきます。

 

 ちなみに林氏は、段玉裁がいう「讀如」と「讀曰・讀爲」の区別が、鄭玄注においてはさほど明確に区別されていないと指摘しています(p.21-22)。これは、以前このブログで取り上げた洪誠『訓詁学講義』の説と通じますね。→洪誠『訓詁学講義』より(4) - 達而録

(棋客)