達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

早尾貴紀「『鋼の錬金術師』から読み解く国家と民族」

 今回は、ユリイカ鋼の錬金術師』完結記念特集(2010年12月号)より、早尾貴紀「『鋼の錬金術師』から読み解く国家と民族」を取り上げる。

 私は読んだ漫画の数でいうと同世代の人と比べてかなり少ない。自分が読んだことのある「超人気作」は数少なく、その中でもさらに数少ないお気に入りの一つが『鋼の錬金術師』である。

 まず、この文章の紹介に入る前段階として、自分の言葉で『鋼の錬金術師』の特徴を紹介しておく(例によって若干のネタバレを含むので、注意してください)。ざっと好きなところを箇条書きにしておくと、以下のような感じ。本当は一つ一つについて詳しく論じたいところだが、またの機会にする。

  • 壮大かつ緻密な物語展開から、きっちり伏線を畳み切って完結した作品である。
    当たり前のように見えて、その時の人気によって打ち切りの可能性を常に秘めている連載漫画では、このこと自体がまず奇跡的である。無駄な引き延ばしや性的消費の表象もきわめて少なく、全てのシーンや登場人物が物語の構成要素として意味を持っている。
  • 主人公たち(エドとアル)が困難な状況に打ち勝つために取られる解決法が、必ずしもマッチョでない。
    少年漫画には、鬼のように苦しい修行をして己に打ち勝ち…みたいなストーリーがつきものだが、本作はそういう解決方法を滅多に取らない。そもそも主人公たち錬金術師は学者という側面が大きく、真理の探究心が根底にあり、必ずしも肉体修行が前提とされない。数少ない修行シーンに、主人公二人が少年期に無人島できつい修行をする一段があるが、ここでもあくまで「実は見張り担当が島に隠れて様子を見ている」という展開にする。
  • エドとアルの冒険を支えるもの(物質的・心理的ケアや資金援助など)を丁寧に描く。
    エドの義手・義足の整備、またエドが戦闘で壊したものの補修といったエドとアルを支えるケア的な労働の営みを閑却せず、丁寧に描く。資金援助は「国家錬金術師」という枠組みによる特権として説明される。また、こうした丁寧な描写が、どちらも物語の根幹に関わる重要な要素として機能している。

 そして、以上を踏まえた上で、さらに素晴らしいのが、「戦争」で起きる出来事と、戦争が起こるシステムを描く時の解像度の高さにある。特に、主人公のいるアメストリス国が、かつてイシュヴァール人を大虐殺した出来事(イシュバール殲滅戦)を描いた15巻前後は圧巻である。

 今この作品を読むと、否が応でも、「アメストリス国とイシュヴァール」に、「イスラエルパレスチナ」を重ね合わせざるを得ない。実際のところ、荒川弘イスラエルの歴史に取材して『鋼の錬金術師』を書いたのかは不明だけれども、少なくとも、この作品が「戦争」と呼ばれるものの本質をよく描いているがゆえに、こうして現実と重なってくることは確かだろう。

 で、このことに言及している人はいないのかと思って調べた時に出てきたのが、早尾貴紀のこの文章だった。早尾貴紀は、言わずと知れたパレスチナイスラエル研究者である。

 『鋼の錬金術師』で描かれるアメストリス国は、「この国を利用して何かをしようとしたのではなく、何かをするために一からこの国を作った」という、転倒した軍事国家である。早尾は、多くの読者はこれが漫画の世界でしか起こりえないことと感じるだろうが、実はパレスチナイスラエルの文脈から読むと、「この設定に妙なリアリティを感じてしまう」と指摘する。それはイスラエルが「ユダヤ人国家」を作ろうという目的でパレスチナに入植し、軍事侵略を行い、その過程で民族浄化を起こした国に他ならないからである*1

 むろん、こうした枠組みだけではなく、一つ一つのストーリーの中にも、重ね合わせて理解できるところが多い。たとえば、イシュヴァール人が亡命を希望し殺到した隣国との国境は、高いフェンスと鉄条網で閉ざされ、隣国はその希望を黙殺する。早尾が指摘するとおり、これはエジプトとガザ地区の境界があるラファ検問所で起きていたこと(そしてまさに今続いていること)に他ならない。

 ここから早尾は、これがイスラエルに特有の話ではなく、むしろ国家というもの自体の本質の一つを衝いているのではないか、と指摘する。たとえば日本。戊辰戦争・東北戦争、アイヌ侵攻、琉球処分、日本列島は至る所に「血の紋」が刻まれている。その後も、日清戦争、台湾領有戦争、日露戦争日中戦争と、植民地・占領地をどんどん広げていった。あるいはアメリカ、ロシア…実は国家の本質の一面がそこにあることを思い起こさせる。

 また、早尾は、この物語の結末が示す方向性に欺瞞が隠れていることも指摘する。作中で、アメストリス国の未来は、グラマンマスタングらによって、イシュヴァールの復興を進めながら、民主制に移行していく形が想定されていると解釈できる。しかし、そもそもの建国の目的が狂っていたアメストリア国が、イシュヴァールを包括するという結末は、真の解決に至っていると言えるのか。早尾は「国土錬成陣が無化された以上、その国土が、すなわち国家そのものが、「解体」に向かうということがあってもいい」と提示する。

 とても切れ味の鋭い論考で、いま読みたいものを見つけられてよかったと思う。

 

 最後に私が付け加えるなら、エドとアルが、自らが使う技術自体が過去の虐殺に支えられているということに、徐々に気が付いていくという物語の構造になっていることを指摘しておきたい。つまり、アメストリア国にいるエドとアルから、イスラエルの中にいる私、日本の中にいる私が二重写しになって見えてくるということだ。私たちの豊かさと特権が、過去の加害の歴史の上に成り立っているということは、どうしようもなく否定できない事実である。その特権を無自覚に振るうことは、過去の虐殺に加担することに他ならない。

 また、『鋼の錬金術師』の中の「国家錬金術師」は国家に与えられた莫大な特権を持つが、その代わりに国家への忠誠が義務付けられており、「国家の狗」とも呼ばれている。ここでエドとアルは、自分の手で身につけたと思っていた技術と、自分を支えるシステムの両方が、実は国家権力と虐殺に支えられているという大きな矛盾に悩まされる。二人はそのことに気が付いた上で、ではその特権を使った上で、自分は何をするかということを考え、行動に移していき、物語が展開する。

 早尾は、以下のように述べている。

第15巻を読んでいると、パレスチナ民族浄化が、1947~49年に起きた過去なのではなく、2000年代の現在なのではないか、あるいはこれから先に真の民族浄化が来るのではないか、という気にさせられる。

 この予感は最悪の形で当たってしまった。虐殺が続いている現在において、エドやアルと同じように、私たちが自分の特権を使って何をすべきなのか、いま改めて問われていると思う。

(棋客)

*1:このあたりの前提をよく知らない人は、岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023)を読みましょう。