達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

松島隆真『漢帝国の成立』―論文読書会vol.3

※論文読書会については、「我々の活動について」を参照。今回は、「膨大な先行研究をどうまとめて文章にするか」という技法を学ぶ目的だったので、要約は手薄です。

【論文タイトル】 

松島隆真『漢帝国の成立』松島隆真『漢帝国の成立』・序論京都大学学術出版、2018)

 

【要約】

 

第一節
 王莽が新を建国した際には新は王朝として天下を領有していた。一方で、劉邦は天命よって皇帝に推戴されたのではなく、諸侯王に功と德があると認められたからであった。漢王朝はその創設期は、中国あるいは天下の一部に過ぎなかった。漢を高祖の時点から統一国家と捉える視点は過去のものになっている。本論は、関中の一政権に過ぎなかった漢が統一国家に至るまでのメカニズムを解明することを課題としている。

第二節
(1)李開元『漢帝國の成立と劉邦集団』を出発点に2000年以降の研究史をまとめる。李氏は「劉邦集団」を「軍功受益階層」と定義した。多くの研究が李説を念頭において論を展開している。
(2)「劉邦集団」と言う語は、増淵龍夫の1951年の論考に初出するが、その範囲は明確に定義されていなかった。李説によって「劉邦集団」は「軍功受益階層」という定義を与えられた。
(3)「郡国制」という語は西嶋1949年の論考に初めて見える。西嶋は劉邦とその功臣たちの紐帯の中に下部構造としての「家父長的家内奴隷制」を見出し、「郡国制」と名付けた。これに対し、前漢の「郡国制」を周の封建と秦の郡県の併用とする説が提起される。その後、西嶋の自己批判ソ連スターリン批判により、マルキシズム機械的適用が断念される。一方で「郡国制」という語は学術論文以外の媒体でも使用され始め、無色透明な語として定着する。
(4)歴史記述の用語として定着した「郡国制」は、やがて郡県制・中央集権に移行する者として消極的・否定的なものであった。ところが21世紀になって「郡国制」を再評価する新見解が現れた。また漢と諸侯王の関係を国際関係として捉える見方も提示され、「郡国制」を単純な中央集権と地方分権の二分法で見ることは困難になっている。また「郡国制」の成立や「郡国制」から一元的統治体制への移行についても諸説が提示された。
(5)省略

 

まとめ


西嶋旧説・・・家父長的家内奴隷制

西嶋新説・・・二十爵位制の研究

旧説への回帰・・・家父長制=任侠習俗論

前漢を「劉邦の創業・楚漢戦争・皇帝推戴後・呂后専権期・文帝とその時代」に分類し、それぞれについて時代順に研究史を記述