達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(3)

 野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊のメモ。ここも巻四十一、昭公元年のところです。

第九条

 前回の最後の疏文の続きです。

 「離」之為「陳」、雖無正訓、兩人一左一右、相離而行、故稱「離衞」、「離」亦「陳」之義。

 「離」を「陳」と見なすのは、正訓が無いとはいえ、兩人のうち一人が左、一人が右で、相い並んで行くので、「離衞」と称したのであり、「離」もまた「陳」の意味である。(野間訳p.10-11)

 ここは、「離」を「陳」とする杜預の訓詁を説明するところです。何か経書などに根拠があれば良いのですが、そういうわけではないようです。そこで疏は、「離れる」の意がどうして「陳(なら)べる」の意に通じるのか、何とか辻褄を合わせようとするのです。https://twitter.com/KogachiRyuichi/status/1217371779548606464?s=20

 というわけで、その説明の肝である「相離而行」を、「相い並んで行く」と訳してしまっては、「離、陳也。」の訓詁の説明をする中で既にその訓詁を利用していることになってしまうため、不適切です。

 ここは、二人の衛が、右と左とに「離」れて一人ずついる状態が、「陳」んだ状態に通じる、よって「離、陳也。」の訓詁が成立する、という話の流れではないでしょうか。

 試訳は以下。

 「離」之為「陳」、雖無正訓、兩人一左一右、相離而行、故稱「離衞」、「離」亦「陳」之義。

 「離」を「陳」とするのは、正訓は無いのであるが、二人のうち一人が左、一人が右で離れて進む様子から、「離衞」と称したのだ。(よって、)「離」にはやはり「陳」の意https://twitter.com/KogachiRyuichi/status/1217371779548606464?s=20味があるのだ。(筆者試訳)

 

【2020/1/15追加】 https://twitter.com/KogachiRyuichi/status/1217371779548606464?s=20

 Twitterにて、「兩人一左一右、相離而行」の「離」は、やはり「並べる」の意と見た方が良い、とご指摘受けました。二人が対になって並ぶさまが「離」で、そこから陳列の「陳」という意が出てくる、と読んだ方が良さそうです。訓読ではどちらも「ならぶ」ですが、微妙に意味の違いがあって、「離≒陳」であることを示すことにより「離、陳也」という訓詁を導いているわけです。 https://twitter.com/KogachiRyuichi/status/1217371779548606464?s=20https://twitter.com/10ti3pin/status/1217356775403319296?s=20

https://twitter.com/KogachiRyuichi/status/1217371779548606464?s=20

https://twitter.com/10t

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https://twitter.com/10ti3pin/status/1217356775403319296?s=20

第十条

〔傳〕由是觀之、則臺駘汾神也。抑此二者、不及君身。山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。

〔杜注〕有水旱之災、則禜祭山川之神若臺駘者。周禮四曰禜祭。為營攅用幣、以祈福祥。

〔疏〕山川至禜之○正義曰、「水旱癘疫」、在地之災、山川帶地、故祭山川之神也。「雪霜風雨」、天氣所降、日月麗天、故祭「日月星辰之神」也。此因其所在、分繫之耳、其實「水旱癘疫」、亦是天氣所致、「雪霜風雨」、亦是在地之災耳。

 「雨之不時」、而致水旱、水旱與雨、不甚為異、而分言之者、據其雨不下而霖不止、是「雨不時」也、據其苗稼生死、則為水與旱也。

 「禜」是祈禱之小祭耳。若大旱而雩、則徧祭天地百神、不復別其日月與山川者也。

 まず、上の「疏」は、内容から判断すればもう一段後の経文の後ろに入れた方が良いと思います。直後に「日月星辰之神、則雪霜風雨之不時、於是乎禜之。」の文があり、上の疏文ではこの「雪霜風雨之不時」も合わせて説明しています。「山川至禜之」の「禜之」はこの部分を指しているのではないでしょうか。(現行の阮元本もそのように作っています。)

 訳で気になるのは下の部分です。

 「雨之不時」、而致水旱、水旱與雨、不甚為異、而分言之者、據其雨不下而霖不止、是「雨不時」也、據其苗稼生死、則為水與旱也。

 「雨の時ならず」して水・旱を致し、水・旱と雨とは、甚だしくは異ならないのに、これを分けて言うのは(なぜかと言えば)、雨が降らなかったり長雨が止まなかったりするのは、「雨の時ならざる」ことに拠るものであり、穀物の苗の生死が洪水や旱魃の影響に拠るからである。(野間訳p.37)

 前半は、ほとんど訓読そのままで論理の筋が分かりにくいと思います。逆に後半は、日本語を読むと自然な感じがするのですが、原文と対照させると、「據」をかける場所に違和感があり、本来の疏の意図から外れてると思います。

 尚、「雨之不時」は直後の経文の「雪霜風雨之不時」を指しています。

 さて、この疏文は、「雨が時宜にかなわないが故に水害や旱魃が起こる」のだから、ここで「水旱」と言った上で、更に下文でも「雨之不時」とは言わなくても良いはずなのに、何故このように両者を分けて言う伝文になっているのか、解明しようとするところです。

 原案の「雨が降らなかったり長雨が止まなかったりするのは、「雨の時ならざる」ことに拠る」は、「其雨不下而霖不止、「雨不時」也」といった場合なら問題ありませんが、原文は「其雨不下而霖不止、是「雨不時」也」です。この「據」はこの部分全体に掛かり、何故両者を分けて言うのか理由を説明する言葉です。

 というわけで、以下のように訳してみました。少し記号も変えています。

 雨之不時而致水旱、水旱與雨、不甚為異、而分言之者、據其雨不下而霖不止是「雨不時」也、據其苗稼生死則為水與旱也。

 雨が時宜にかなわないから水害・旱害が起こるのであって、「水」「旱」と「雨」とは、全く別物というわけではないのに、これを分けて言うのは、雨が降らなかったり長雨が止まなかったりすることが「雨の時ならず」であることに拠り、穀物の苗が生まれたり死んだりすることが「水」「旱」であることに拠る。(筆者試訳)

 いかがでしょうか? 分かりやすい訳が作れた気がします。

 疏では、「雨不時」はあくまで気象の話、「水」「旱」は穀物の被害状況に対してつく名前(むろんその原因には雨の不順があるのですが)、というように区別したわけですね。

 

 

第十一条

〔傳〕由是觀之、則臺駘汾神也。抑此二者、不及君身。山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。

〔杜注〕有水旱之災、則禜祭山川之神若臺駘者。周禮四曰禜祭。為營攅用幣、以祈福祥。

〔疏〕「癘疫」謂害氣流行、歲多疾病。然則君身有病、亦是癘氣、而云「不及君身」者、陳思王以為「癘疫之氣止害貧賤、其富貴之人攝生厚者、癘氣所不及」、其事或當然也。且子產知晉君之病不在於此、故言「二者不及君身」、以病非癘疫、故不須祭臺駘等也。

 再び、先の続きです。ここは「癘疫」を説明するところ。気になるのはこの部分の訳。

 陳思王以為「癘疫之氣止害貧賤、其富貴之人攝生厚者、癘氣所不及」

 陳思王が「癘疫の氣はただ貧賤者に害があるばかりで、富貴の人で生活が豊かな者は、癘氣が及ばないのだ」と見なしており、或いはそうであるのかもしれない。(野間訳p.37-38)

  この「攝生」は、『老子』などに見える言葉です。

老子』五十章

 蓋聞善攝生者、陸行不遇兕虎、入軍不被兵甲。

 一般的には、体を養うこと、保養すること、養生すること、といった方向で理解される言葉ですので、そのまま訳しておけば良いと思います。

 つまり、「富貴の人で生活が豊かな者」→「富貴の人で身体の養生が厚い者」となります。

 


 

 最初に「全三回」と予告しましたが、もう一つ気になる箇所があって、調べている内に長大になりすぎたので明日再度更新します。

 続きは→野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(4) - 達而録

(棋客)https://twitter.com/KogachiRyuichi/status/1217371779548606464?s=20