今回は、前回紹介した顧説に猛反対した段玉裁の説を整理しておきましょう。長いので、少しずつ切りながら見ていきます。
段玉裁『經韵樓集』巻十一・二名不徧諱説
曲禮曰「不諱嫌名、二名不徧諱。」各本徧作偏。今按、以徧爲是。注曰「嫌名謂音聲相近、若禹與雨、丘與區也。(原注・略)不徧、謂二名不一一諱也。」
按、一一諱者、謂人子人臣語言、於二名諱其一、又諱其一、是之謂徧、徧二者而諱之也。不徧二者而諱之、則語言閒或必用上一字、或必用下一字、有斷不能易者、用其一而已、旣用此一矣、則一夕之話斷不再出彼一字。良由孝子忠臣之心、道其一已不自安、寧有不檢而更道其一之理。非不欲徧諱、而有所妨礙於人事、故緣人情而制禮如此也。説文云「徧者、帀也。」曲禮云「歲徧。」曾子問云「告者五日而徧。」尙書曰「徧于羣神。」凡閱歷皆到曰徧。今人誦書、逐字不漏者爲一徧、是其義。然則二字而次第盡舉之、所謂徧也。何以不云「二名不皆諱」、而必云「不徧諱也」。皆者、總計也。徧者、散計也。云皆、則義未憭。故必云徧。古聖賢立言之精如此。
整理しておきます(一部省略)。
①鄭玄がいう「一一諱」とは、二字の名においてそのうちの一字を諱み、また更にもう一字を諱むこと。これを「徧」という。二字の両方にわたって諱むのである。
②すると「不徧二者而諱之」とは、「どちらか一字を使った場合に、もう一字は使わない」、ということを指している。
③孝子・忠臣の心としては、片方の一字を使うだけでも心が安んじないのであり、「徧諱(二字両方を諱むこと)」をしたくない訳ではないのだが、人事に妨げがあるので、このように禮を定めた。
以下、この避諱の規則についてもう少し説明しているのですが、そこは飛ばして以下の段。
(略)此經作「不徧諱」、唐石經以下作「偏諱」、乃譌字之甚者。偏徧易譌、故俗字以遍易徧。偏諱、則二名諱一之謂。不偏諱者、乃必二名皆諱之、謂其義適與經相左。今人幸有「言徵不稱在、言在不稱徵」之文、不則此禮竟泯滅不傳矣。
宋毛居正『六經正誤』不能皆是、而此條獨是、云偏本作徧。引正義「不徧諱者、謂兩字作名、不一一諱之也。」又引舊杭本桺文作遍。固可訂今經疏之繆字、確不可易矣。
①「徧諱」については上で説明した通りであるが、「偏諱」の方は、「二字の名のうち、片方の字だけを諱むこと」を言う。
②ということは、「不偏諱」は、「片方の字だけを諱むことがない」、つまり「二字の名を両方諱むこと」、ということになる。
③鄭注の挙げる具体例「言徵不稱在、言在不稱徵」を表す上では、これはおかしい。
よって「徧」が正しい、とするのが段説。初回に紹介した毛説と同じ論理です。そして以下で、顧説に猛烈に反対します。
顧秀才千里作『禮記攷異』乃云、偏是而徧非。其説曰「鄭以一解偏、不一一者、皆偏有其一者也。」如其説、僅舉一爲偏、則經當云「二名則偏諱」、何以言「二名不偏諱」也。一可以解偏、一一不可以解偏、而可以解徧。不一一不可以解不偏、而可以解不徧。云「皆偏有其一」、無論語拙、仍是「徵、在」二字皆諱其一、仍是不徧諱而非不偏諱。必改經文作「二名則偏諱」、改注作「二名不一諱」、而後可云偏是徧非、而又非「言徵不言在、言在不言徵」之旨矣。毛氏『正誤』岳珂『沿革例』亦云「若謂二字不獨諱一字、亦通。但與康成所注文意不合。可見傳寫之誤。」二君亦明知作偏之非矣。乃千里謂「毛氏誤讀正義、造此臆説、桺文舊本斷斷無有」何耶。
①顧氏は、「鄭玄の「不一一」は、偏って片方の一字だけを諱むの意」であるとしている。
②「不一一」=「偏」であると鄭玄が考えていたのなら、もとの経文は「二名則偏諱」でなければならない。実際の経文は「二名不偏諱」なのでおかしい。
③「一」は「偏」と解してもよいが、「一一」は(二字の両方を含むから)「偏」ではなく「徧」である。
④經文を改めて「二名則偏諱」とし、注を改めて「二名不一諱」とすれば、「二字の名前は、諱む際にどちらか片方に偏らせる」の意味になって、「偏」と言っても良いことになるが、これは「言徵不言在、言在不言徵」の鄭注と合わない。
大筋は以上のところです。しかし、ここには段氏の重大な誤解があります。
というのも、段氏は顧説を引いて「鄭以一解偏、不一一者、皆偏有其一者也。」としていますが、ここの顧氏の原文は「其鄭云不一一諱者、乃以一解偏。蓋一一者、皆偏有其一者也。」です。(むろん、段氏の見た本には誤字があって「不」になっていたという可能性も否めませんが。)
前回も説明したように、顧氏は、鄭注は「偏」⇒「一一」と解釈するから、「不偏諱」⇒「不一一諱」としている、と考えるわけです。そこには特に矛盾は存在していません。
よって、段氏が②・④で「偏⇒不一一ならば、もとの経文が「二名則偏諱」であるべき」、というのは全くの誤解です。誤解に基づいて顧説を読み取ってしまった結果、肯定と否定が入れ替わり、逆になったわけです。
ここには、顧説が言葉足らずで分かりにくいという事情もあるかもしれません。盧文弨説ならば分かりやすいと思うのですが、段氏は知らなかったのかもしれませんね。
段氏の攻撃はまだまだ続きます。続きは次回。
(棋客)